『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

ダンマパダ(法句経)⑦ どうしようもない私だからこそ

2008年03月27日 | お経の紹介 『ダンマパダ(法句経)』
『他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は見がたい。人は他人の過失を籾殻(もみがら)のように吹き散らす。しかし自分の過失は隠してしまう。狡猾な賭博師が不利な骰(さい)の目を隠してしまうように。
他人の過失を探し求め、常に怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。彼は煩悩の汚れの消滅から遠く隔たっている。
虚空には足跡がなく、外面的なことを気にかけるならば、道の人ではない。人々は汚れのあらわれを楽しむが、修行完成者は汚れのあらわれを楽しまない。』252・253・254

(ブッダの真理の言葉感興の言葉 中村元訳 岩波書店)


人の過失・失敗・悪い所は見えやすいものです
それとは反対に人の善い所は見えにくいものです

人は自分に都合の善いことを宣伝します
人は自分に都合の悪いことを隠そうとします

人は自分に甘く、他人には厳しいのです

人は外面的なことを第一に気にしますが
人は内面的なことをなおざりにしてしまいます

これらの事はすっぽりと私に当てはまります
そして、これらの事がまことに恥ずかしく、情けなく、軽蔑されるような事であることも知っています
知っていても治すことができない、どうしようもない私だからこそ、このお経がとても身にしみます
放っておけば、どんどんひどく悪い人間になっていく私を、ブッダは善い人間になるようにと、引っ張り続けてくれています


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