さて、第一日目はいわゆる長崎市内観光。
路面電車を使えば殆ど行けてしまう観光名所ですが、何しろ(夫が)まだ土地勘がないので先ずは観光バスで有名どころを周ってしまおう・・という作戦です。
50年前は友人が旅行ガイドを読み込んでくれ、路面電車を乗り継ぎながらせっせと歩いたものですけれどね。
とにかく昔から方向音痴で有名な私。
相棒に選んでくれて一緒に旅行したMちゃん、本当にありがとうね。
という事で先ずは観光バスに乗る前に昼食の用意。
市内を要領よく短時間で回るには昼食をゆっくり取る時間はないので、移動の間にモグモグタイムという指示があったのです。
私達が用意したのはこれ。
長崎名物・角煮まんとハトシ。
ハトシは色々種類がありますが、夫はチーズ入り、私はオーソドックスに海老すり身。
こういう所で選びました。
そうそう、買いませんでしたがやはり長崎名物の甘い甘い~桃カステラもみかけました。
こちらも面白い。
さあ、いよいよ観光バスで出発です。
約5時間で観光名所を巡ります。
実は国内では観光バスは殆ど乗った事がないので、ガイドさんの後ろを歩きながらちょっとウキウキ。
最初に行ったのは長崎原爆資料館。
あの瞬間から止まったままの柱時計
原爆が落ち、どのようにその被害が広がっていったのかを立体的な地図の模型で説明するコーナーもありました。
原爆が落ちた後熱線や爆風が町中に広がり、砂埃を巻き上げてきのこ雲を作った事や、放射能の拡散具合、火災の広がりがはっきりわかります。
長崎は山に囲まれているので、その山が他の地域への被害を防いだ事も知りました。
辛い写真も多く、でも私はこういうのをじっくり眺める事が出来ない。
だってモノではなく人だから。
心に蓋をして通り過ぎてしまったのですが、この14歳の少女のお弁当箱の前で思わず立ち止まってしまいました。
爆心地から700メートルの所で被爆したそうです。
その日の朝の日常生活が目に浮かんで、胸がギュッと。
外に出ると青空が広がっていました。
直ぐ近くにある平和公園の像が、今日のトップの写真です。
この公園で、70cal という謳い文句に惹かれ、ちりんちりんアイスを。
へらでみるみる綺麗なバラを作ってくれます。
秋田にあるババヘラアイスに似ていますが、こちらも創業は1960年だそうですよ。
さて、ここからは永井博士の如己堂、浦上天主堂、爆風で飛んでしまった一本柱鳥居、おくんち祭りで有名な諏訪神社を車窓から眺め、出島で下車。
本土と出島を繋ぐ表門橋。
江戸時代は石橋だったそうです。
どのようにアーチ型に作ったのかは、砂糖蔵であった一四番蔵の資料を基に土木屋である夫が説明してくれました。
木材でアーチ型の基礎を作り、石を組み立て積み上げていくのですが、木組みをとっても崩れないのは橋の登り口の手前に敷く石が大事なんだそうで、ここで石同士の支え合えをコントトールしているのだそうです。 よくわからないけれど・・・
出島の建物の特徴はこの緑の窓枠
カピタン部屋は得に立派
出島の後にして、これまた新中華街、オランダ坂を車窓見学し、次は孔子廟へ。
突然中国
中国華南と華北の建築様式が合体しているそうで、石像や孔子像等は中国から取り寄せたものなのだそうです。
さて、ここで夫から相談が。
次は最後の観光グラバー園なのですが、そこで離脱しないかと。
何しろ色々行けるのはいいのですが、見学時間が短いので目まぐるしい。
特に時間に真面目な夫は集合時間にも早めに戻りたいので、更に見学時間が短くなってしまうのです。
ここからは自分達のペースで回ろうという事になり、ガイドさんにお願いして私達のツアーは終了しました。
自分達だけの市内観光の続きは明日。。。。。
路面電車を使えば殆ど行けてしまう観光名所ですが、何しろ(夫が)まだ土地勘がないので先ずは観光バスで有名どころを周ってしまおう・・という作戦です。
50年前は友人が旅行ガイドを読み込んでくれ、路面電車を乗り継ぎながらせっせと歩いたものですけれどね。
とにかく昔から方向音痴で有名な私。
相棒に選んでくれて一緒に旅行したMちゃん、本当にありがとうね。
という事で先ずは観光バスに乗る前に昼食の用意。
市内を要領よく短時間で回るには昼食をゆっくり取る時間はないので、移動の間にモグモグタイムという指示があったのです。
私達が用意したのはこれ。
長崎名物・角煮まんとハトシ。
ハトシは色々種類がありますが、夫はチーズ入り、私はオーソドックスに海老すり身。
こういう所で選びました。
そうそう、買いませんでしたがやはり長崎名物の甘い甘い~桃カステラもみかけました。
こちらも面白い。
さあ、いよいよ観光バスで出発です。
約5時間で観光名所を巡ります。
実は国内では観光バスは殆ど乗った事がないので、ガイドさんの後ろを歩きながらちょっとウキウキ。
最初に行ったのは長崎原爆資料館。
あの瞬間から止まったままの柱時計
原爆が落ち、どのようにその被害が広がっていったのかを立体的な地図の模型で説明するコーナーもありました。
原爆が落ちた後熱線や爆風が町中に広がり、砂埃を巻き上げてきのこ雲を作った事や、放射能の拡散具合、火災の広がりがはっきりわかります。
長崎は山に囲まれているので、その山が他の地域への被害を防いだ事も知りました。
辛い写真も多く、でも私はこういうのをじっくり眺める事が出来ない。
だってモノではなく人だから。
心に蓋をして通り過ぎてしまったのですが、この14歳の少女のお弁当箱の前で思わず立ち止まってしまいました。
爆心地から700メートルの所で被爆したそうです。
その日の朝の日常生活が目に浮かんで、胸がギュッと。
外に出ると青空が広がっていました。
直ぐ近くにある平和公園の像が、今日のトップの写真です。
この公園で、70cal という謳い文句に惹かれ、ちりんちりんアイスを。
へらでみるみる綺麗なバラを作ってくれます。
秋田にあるババヘラアイスに似ていますが、こちらも創業は1960年だそうですよ。
さて、ここからは永井博士の如己堂、浦上天主堂、爆風で飛んでしまった一本柱鳥居、おくんち祭りで有名な諏訪神社を車窓から眺め、出島で下車。
本土と出島を繋ぐ表門橋。
江戸時代は石橋だったそうです。
どのようにアーチ型に作ったのかは、砂糖蔵であった一四番蔵の資料を基に土木屋である夫が説明してくれました。
木材でアーチ型の基礎を作り、石を組み立て積み上げていくのですが、木組みをとっても崩れないのは橋の登り口の手前に敷く石が大事なんだそうで、ここで石同士の支え合えをコントトールしているのだそうです。 よくわからないけれど・・・
出島の建物の特徴はこの緑の窓枠
カピタン部屋は得に立派
出島の後にして、これまた新中華街、オランダ坂を車窓見学し、次は孔子廟へ。
突然中国
中国華南と華北の建築様式が合体しているそうで、石像や孔子像等は中国から取り寄せたものなのだそうです。
さて、ここで夫から相談が。
次は最後の観光グラバー園なのですが、そこで離脱しないかと。
何しろ色々行けるのはいいのですが、見学時間が短いので目まぐるしい。
特に時間に真面目な夫は集合時間にも早めに戻りたいので、更に見学時間が短くなってしまうのです。
ここからは自分達のペースで回ろうという事になり、ガイドさんにお願いして私達のツアーは終了しました。
自分達だけの市内観光の続きは明日。。。。。