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エソラな毎日

大好きなミスチルの曲からとりました。絵空事でもいいじゃない!
希望をもってカラフルな毎日にしていこうと願望を込めました

最後のよみっこ発表会 やったぞshinpei!

2015年08月09日 | 本にまつわる(この本・プラタナス読書会)

2015年8月29日(土)
shinpei、小学校3年生から参加したよみっこ運動も、6年生になり最後の活動となりました。
これが初めての参加で、自己紹介の時かしら。


ちなみにkeitaは、5年生。

4年前の様子はこちらhttp://blog.goo.ne.jp/rin-rin-1018/e/2a4662c30119b1917586da943bf5e366

今回、第9回になり、最後の発表の仕方が変わりました。
子どもたちの中から12人代表で発表者になり、自分の読んだ本を紹介します。
なぜその本を読んだのか、お薦めポイントなどを3分以内で話し、その後、みんなの投票で読みたい本を決めるのです。この頃流行っているヴィブリオバトル(書評合戦)という方式です。
6年生は優先的に発表することになり、shinpeiも挑戦してみることになりました。

選んだ本は、ミヒャエル・エンデの「モモ」です。
時間どろぼうに盗まれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語。
人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う、エンデの名作。

さすがに文化会館の大勢の前での発表なので、3日前から、何度も何度も練習しました。
自分のことばで語ることが目的なので、原稿もなしで3分間でというのは、大人だって難しいです。

shinpeiは、13人中の8番目。順番が近付くにつれ、私が緊張してしまいました。


ぼくが紹介するのは「モモ」という本です。「桃」ではありません「モモ」です。モモという少女のお話しです。
と最初に笑いをさそうはじまりです。ここは、さっちゃんと二人で相談していました。
モモの特徴とお話しのあらすじをいったあと、自分の今の生活での「時間」を考えたこと、時間とは、ひとそれぞれ色々な使い方があり、楽しい時間、かなしい時間、節約しなければいけない時間があること、それぞれ大切で素晴らしい物だと感じたこと、分厚い本だが、モモと灰色の男たちのハラハラドキドキする戦いの展開にどんどん読み進めてしまうことを紹介しました。
最後に、みなさんもこの本を読んで「時間」について考えてみてはどうでしょうか。としめくくりました。

3年生から6年生までの13人の子どもたちは、皆、一生懸命発表し、すばらしいものでした。
作者のことを調べてそこまで思いを馳せた子や、テンポよくきれいな日本語で上手に発表した子、完結によくまとまっていた子、きいてる人たちへの問いかけで印象に残る発表をした子、13人、様々で素晴らしかったです。

そして、投票の結果、shinpeiの「モモ」と同じ6年生の男の子の「歴史を動かしたすごい日本人」の二冊が、一番読みたい本に選ばれました。
これはとてもうれしいことでした。

終わった後、読売新聞の取材を受け、地方版ですが掲載されたのです。


無事に自分の意見をまとめて発表できたこと、それがみんなの心に響いたこと、良い経験をさせていただきました。
来賓の方々から、13人の子どもたちへ、すばらしい言葉もいただきました。
秋山忠彌先生からは、ノーベル賞をとったLEDの3原色にかけて、3つの力「読む力」「考える力」「語る力、伝える力」をつけることで、個性の光を輝かせてほしいこと
中津 攸子先生からは、無限にやさしい心が人には、あり、自然をよくみたり、人をみたり、想像力、思考力を働かせながら、伸ばしていってほしいこと
根岸先生からは、 山本 周五郎作「青べか物語 」の作者を調べ、南総里見八犬伝にまで広がったこと
総評をいただいたこまつ座の社長 井上麻矢さんから、発表者13人への感想を丁寧に伝えられました。
shinpeiには、最初に笑いでぐっと惹きつけたのは、素晴らしかったです、と。
父である故井上ひさしさんのことばをお話しされ、今日のこの日の総評にぴったりだと思いまた。
「人は皆それぞれ口という楽器を持っている。絶対忘れることがないからとても便利なんだよ。
人のいないところで使うのもいいけれど、時々外に出してピカピカに磨かないといけない。
たまには緊張しながら使って、ピカピカに磨いてあげるんだ」
そうですね、人に伝えることは大切なことですね。
本を読んで脳に栄養を与え、時々、口を使ってピカピカにしなきゃね。

【おまけ】
shinepiの発表内容
ぼくが紹介するのは「モモ」という本です。「桃」ではありません「モモ」です。モモという少女のお話しです。
この本を選んだ理由は、表紙の絵がとても不思議で、おもしろそうだったので読み始めました。
ある街の廃墟になった円形劇場に、モモという少女が住み始めました。そのモモという少女は人の話を聞くのが上手で、話している人の心を開き、自分の本心に気づきを与えることができる不思議な少女でした。
だからモモと話しをしたいと思う人たちが毎日、列をなしていました。
ある日、灰色の男たちが町に入り込みました。
その男たちは、時間の節約は大切だと人々をだまし、せかせかと過ごさせ、それで節安した時間を盗む時間どろぼうでした。
そのため、人々はみな、せかせかした時間に支配され、モモを訪ねる人もいなくなりました。
モモは、おかしいと思い調べ、灰色の男たちの存在に気づき、ひとりで立ち向かっていきます。
そこで僕は、時間について考えてみました。
僕は夏休みのほとんどを塾に費やしています。楽しい時間ではありませんが、その時間が後に生きると思って過ごしています。
時間は人によって様々な使い方があると思いました。
楽しい時間、かなしい時間もあり、節約する時間、もあるのだと感じました。

この本は、とても厚くて長い話しですが、半ばを過ぎると、灰色の男たちとの戦いでドキドキワクワクハラハラで、目が離せません。
あっという間に読み進んでいきます。だから、みなさんも本の厚みにとらわれず読んでみてください。
そしてこの本を読んで、「時間」のことについて考えてみてはどうでしょうか。

発表者13人の紹介した本
「わすれられないおくりもの」
「竜の谷のひみつ」
「きまぐれロボット」2名
「クリームパン」
「あたらしい子がきて」
「歴史を動かしたすごい日本人」
「宇宙探険スバル望遠鏡」
「モモ」
「雨ふる本屋」「雨ふる本屋の雨ふらし」
「クリスマスキャロル」
武器より一冊の本をください

コメント (2)
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南吉の作品を読む会 報告「ごん狐」

2015年07月10日 | 本にまつわる(この本・プラタナス読書会)

2015年7月19日(日)
《南吉の作品を読む会 報告》
第4回南吉を読む会に参加しました。
梅雨明け後のあついあつい日でしたが、コマ先生、保坂先生あわせて9名の参加でした。遠くは、浜松からのS山さんです。
コマ先生、保坂先生のお話しをきいて、じっくりと深く南吉を感じられた時間でした。
文学者の巨匠と編集者の巨匠のお二人と机を並べて南吉の作品を読めるとは、なんとぜいたくな時間でしょう。
次回は9月20日(日)午後、「てぶくろを買いに」を取り上げます。みなさんもお時間があえばぜひご参加ください。

私の主観で心に残った部分を記録します。
<「ごん狐」を書いた背景>
昭和6年10月、南吉18才の時に書きあえた作品です。この2ヶ月前に代用教員を辞めています。草稿を教員時代に子どもたちに読んであげていたかもしれませんね。

昭和4年に南吉はこういっています。
「ストーリイには、悲哀がなくてはならない。悲哀は愛に変る。けれどその愛は、芸術に関係があるかどうか。よし関係はなくても好い、俺は、悲哀、即ち愛を含めるストーリイをかこう(昭4年4月日記)」

それから2年半後に書かれた「ごん狐」は、その思いを見事に実現した作品だといえるでしょう。
この後、昭和7年1月号の「赤い鳥」に掲載されました。
その当時の原稿は、残っていませんが、日記に書かれていた下書きには、100ヶ所の推敲がありました。
南吉は、常に推敲していたそうです。鈴木三重吉が手をいれたという説もありますが、詳細は不明です。
昭和31年に大日本図書から教科書に掲載され、以後、採用する教科書会社が増え、昭和55年以降は全社が採用し、これまでなんと約6,000万人が教科書で「ごん狐」を読んでいることになります。
わずか18才の若者の書いた作品が、60年近く教科書に掲載され続けているという偉業に驚くばかりです。
児童文学に死や離婚はタブーとされていた時代に、巽聖歌(たつみせいか)さんが教科書の編集委員として掲載を決めたのは、文学とはこういうものだという強い信念に基ずく編集者としての英断でもありました。

<「ごん狐」作品として>
南吉の情景描写は、読んでいくとそのまま絵になっていくこと、奥行きのある文章は、すばらしいです。これは昭和の初めの新感覚派の影響を受けています。
常に推敲をしていた南吉は、後からたくさんの表現を加えて作品を作り上げていきました。
繰り返し音読し、味わってほしい作品です。細かい描写から読み取れることがたくさんあるからです。
・うなぎの頭をかみくだきやっとはずして穴のそとの、草の上にのせておきました→ごんのやさしさ
・赤い井戸、おっかあとふたり、ぼろぼろの着物、麦を研いでいる→貧しい
・葬列の先頭をいく→おっかあが死んだことがわかる
・兵十のかげぼうしをふみふみいきました→長い影、つまり遅い時間、兵十に近付きたかったごんの思い
・栗がかためておいてある→どうぞ食べてくださいという気持ち
・ごんはぐったり目をつぶったまま、うなずきました。→うれしいとも違う、哀しい、切ない、兵十にわかってもらえた、言葉にならない深く感じることができる。
・兵十は火縄銃をばたりと、取り落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。→死を象徴、行間を読ませる。

コマ先生の教員時代、小4の女の子が、「ひがん花が、ふみおられていました」という表現を、やがてごんが、そういう目にあうことを表現しているのではないかといったことばが忘れられないそうです。

情景描写という点では、「ごん狐」から2年後に書いた「てぶくろを買いに」では、さらにその力は成長しています。
「暗い暗い夜が風呂敷のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、 包んでも包んでも白く浮びあがっていました。」
この表現を読むだけで、情景が鮮やかに浮かんできませんか。

<童話における物語性の喪失>
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/2329_13342.html
「ごん狐」から10年後の昭和16年、大平洋戦争の始まる直前に「童話における物語性の喪失」を早稲田大学新聞に発表しました。
戦争へ向かう時代、日本は物語性が失われていったまさにその時代に、書かれたのです。そして物語とは、なんぞやをするどくついています。
良い作品は霊感によって生まれるものなのに、条件を付けられた中で書かねばならないことが喪失の一歩だとあります。
また、小説が口から離れて紙に写ったところから小説の堕落は始まる。とあります。「紙で読んで面白くない童話は、口から聞かされても面白く無い。口から聞かされてつまらない童話は紙で読んでもつまらなくないはずがない。」
作家は、できた作品を読み聞かせ、文体の簡潔、明快、生新しさ、内容の面白さを失わぬよう務めることが大事だと最後に書いています。
南吉は、自身で物語の喪失を克服してやろうと、その翌年に「おじいさんのランプ」「百姓の足・坊さんの足」「牛をつないだ椿の木」などの民話的メルヘンを一気に書き上げました。
南吉の童話は、耳に聞いても心地よい、語っても通用するお話しであることは、こういうことなのです。

豊かな物語性と南吉のもっているユーモア、小市民的思想など、南吉の息吹がきこえる作品、そういう観点でごんきつねを読んでいくこともまたおもしろいと思います。

<南吉記念館でのイベント>
終戦70周年記念特別展として、「ひろったラッパはどうなった?」が南吉記念館(愛知県半田市)で開催されます。
興味のある方はこちらをご覧ください。
http://www.nankichi.gr.jp/…/tokubetuten15/tokubetuten15.html
このちらしに刷ってあった南吉のことばは、今の日本の現状とそっくりではないかとKさんがおっしゃたことばが残っています。
「われわれ教員は喇叭手(ラッパ手)に似てゐる。政府がA曲を吹けといへば いやでもA曲を、B曲を吹けといへば 嫌ひでもB曲を吹かねばならぬ。今政府がA曲といつてゐるとき、自分の好きな曲だからとてZ曲を一人吹いたら、政府は僕をどのやうに非国民呼ばりするだろう。ところで吉田松陰だ。彼は自分の好きな曲を好き勝手に吹いたのである。そのために生命も落したのだが。(昭16年10月日記)」
南吉が生きていたら、きっと九条の会に入っていたでしょうね。と皆で話しました。

この後、場所を移し、近くの居酒屋で懇親会が開かれました。お酒を飲みながら、みなさんの近況をききながらまた南吉のことを楽しく語り合いました。
コマ先生、保坂先生、事務局のI崎さん、ありがとうございました。




以下はメモ---------------------------
「ごん狐」 参加7名  コマ先生、H坂先生 計9名
司会:I崎さん
N村さん
H坂先生のお話しが楽しみです。

浜松からS山さん
一昨年の暮れの集会での保坂先生のお話しがよかったので、きました。

足立 Y川さん
父が南吉を好きだった。おじいさんのランプをすすめられた。
朗読の勉強 詩人 童話作家のし で南吉の詩をしった。
朗読会の題材になった 「花のき村と盗人たち」と 詩
一昨年生誕100年
荒川のS木さん(勉強家)は半田ツアーにいったそうです。

K村さん(事務局)
終戦70周年記念 南吉記念館(愛知県半田市)で特別展として「ひろったラッパはどうなった?」が開催されます。
そのポスターに刷ってあった南吉のことばは、今の日本の現状とそっくりではないかと思いました。
「われわれ教員は喇叭手(ラッパ手)に似てゐる。
政府がA曲を吹けといへば いやでもA曲を、B曲を吹けといへば 嫌ひでもB曲を吹かねばならぬ。
今政府がA曲といつてゐるとき、自分の好きな曲だからとてZ曲を一人吹いたら、政府は僕をどのやうに非国民呼ばりするだろう。
ところで吉田松陰だ。彼は自分の好きな曲を好き勝手に吹いたのである。そのために生命も落したのだが。(昭16・10・26 日記)」

F田さん
ここ3日間国会に通っていました。
第1回に参加して、間2回、休んでしまったので、今日はいかなきゃと思い参加しました。
今、南吉が生きていたら、きっと九条の会に入っていたと思うのです。

H坂先生 ひとこと
石崎先生と話して今回の計画をしました。
「ごんぎつね」コマ先生にお話しをききながら徹底分析をしていきたい。

I崎さん
編集者の巨匠、文学者としての巨匠 ぜいたくな会です。

コマ先生 39年間担任
4年生の担任 1年間だけ
1・2と5・6ばかり。
4年生をかりて、研究授業をさせてもらった。

I崎さん「童話における物語性の喪失」
昭和16年発表 「ごんぎつね」昭和6年に発表してから10年後
物語性 起承転結?そうではなく、耳に聞いても心地よい、語っても通用するお話し
「ゲーテもまた作品を読み聞かせる習慣を尊んだようである。これらの優れた文士たちは、こうして、
文体の簡潔、明快、生新しさ、内容の面白さをうしなわぬよう努めた。これは昔風なバカ正直なやり方のように見える。
しかし、今日、童話が物語性を再び身に着けるには、少しでも話の内容なりが退屈になれば聴手がごそごそしはじめるので
全然作家のひとりよがりを許さない、この厳しい方法が最もよいと思う。」

H坂先生)早稲田大学新聞に発表した。
教え子のお兄さんが早稲田にいっていた関係で依頼があって書いたそう。
昭和16年、大平洋戦争の始まる直前に書かれた。戦争のあの時代に書かれたということ。
日本は、戦争が始まり、物語性が失われていったまさにその時代。

作家の息吹:思想までがにじみでてくること
南吉は、小説を書いて、弟によみきかせた。弟涙した
久留島武彦なども同じ時代

昭和17年5月 「おじいさんのランプ」「百姓の足・坊さんの足」「牛をつないだ椿の木」など
民話的メルヘンを一気に書き上げる
前の年に発表した「童話における物語性の喪失」を克服してやろうと自らが書いた作品
豊かな物語性と南吉のもっているユーモア、小市民的思想など、南吉の息吹がきこえる作品
そういう観点でごんきつねをみていく

こま先生
日本作文の会で 大田区のある小学校の江口先生
2年生の教室に補強にいって、「ごんぎつんね」を読んだ。
授業の後、職員室に2年生の男の子が泣きながら「先生、ごんは死なないよね」と入ってきた。
その先生はなんと答えたか。
・鉄砲でうたれたんだから死んだよ
・わかんないな
・死なないよ

「うん死なないよ」といった。これは正しい。
男の子、泣きやんで戻っていった。
成長して、本当のことに気づく日がくる。それでいい。

「ごんぎつね」文章をきちんと読んでいかないといけない。
兵十、どんな男?どんな家?
おっかあとふたり、ぼろぼろの黒い着物
赤い井戸:とこなめの土 素焼き 上薬をかけてやく
麦を食べていた
細かい描写から読み取れること。
なぜお母さんが死んだとわかったのか。
→連れ合いの場合は、葬列に参加しないのがしきたり。
親の場合は、参列では、先頭を歩いていく。→おっかあが死んだことがわかった。

兵十の影法師をふみふみいきました。→長い影、つまり遅い時間
細かい描写を何回も繰り返し読んだ。

小学4年生のしまだのりこ、忘れられないことをいった。
「彼岸花が、ふみおられていました。」
やがてごんがそういう目にあうことをここでいっているのではないかといった。

南吉の作品は、文章がすばらしい。繰り返し音読してほしい。
味わって考えてほしい。

新美南吉の作品の任期は、「ごんぎつね」が一位ではなかった。
「てぶくろを買いに」でした。
最後、よかったで終わるものが好まれるのだろう。


南吉は「やはり、ストーリイには、悲哀がなくてはならない。悲哀は愛に変る。
けれどその愛は、芸術に関係があるかどうか。よし関係はなくても好い、(愛が芸術なら好いけれど)
俺は、悲哀、即ち愛を含めるストーリイをかこう(昭4・4・6 日記)」
それから2年半後に書かれた「ごん狐」は、その思いを見事に実現した作品だといえるでしょう。
ごんは、ただ死んだのではないのでしょう。

H坂先生
撃たれて死んでいくこと、児童文学には、「死」や「離婚」はタブーだった。
児童文学は、口実性の文学の時代に巽聖歌(たつみせいか)さんが編集委員として、
昭和31年に「ごんぎつね」が大日本図書から教科書に掲載。
編集者としての英断、文学とはこういうものだという信念

「ごんぎつね」は、昭和7年1月号「赤い鳥」に掲載された。
投稿した原稿は残っていないので、なんともいえないが推敲を何度も重ねている。
「スパルタノート」という南吉の日記帳に「ごんぎつね」の下書きが残っている。
「赤い鳥に投ず」と書いてあった。
ノートから原稿用紙に転写して投稿しているが、南吉の推敲癖からみると、この下書きから100ヶ所の
推敲があった。そのまま転写したのではないはず。
どこからどこまで、「赤い鳥」主催者の鈴木三重吉が手を入れたか不明。
後年、巽聖歌(たつみせいか)が、「おじいさんのランプ」を出版して、南吉死後に、送られた作品を出版していった。
 
「花の木村と盗人たち」の単行本に掲載。
兵十の網にはいった魚は「赤い鳥」ではキス。
花の木村では、鮒になっている。
巽さん、与田準一さんと酒を飲んでいる時、キスは海の魚ということに気づいて鮒にしたかもしれない。
その辺はよくわからないのです。

昭和7新年号、掲載された「ごんぎつね」その5ヶ月後の「赤い鳥」5、6月に鈴木三重吉「マテオファルコーネ」を掲載
両親がでかけ、息子ひとりで留守番中、コルシカ島に罪人が逃げてきて、息子は匿っていたが、
警官がやってきて息子に、時計あげるからと釣られ、罪人がいることを教えてしまう。
警官に連れて行かれるところに、両親が帰ってきて、罪人は「裏切り者の家」と吐き捨てる。
父マテオは驚き、息子のしたことを問いただす。そして、マテオは、自分の手で息子を銃殺します。
「ちゃんとお祈りしなさい」といい、息子はありったけのお祈りの言葉をいい、助けを請いますが、銃殺されます。
新潮文庫の翻訳は、銃殺されるとなっていますが、「赤い鳥」に掲載された鈴木三重吉の訳は、タイトルを「父」に変えて、
最後は、「マテオはねらいをつけた。…ばたんと鉄砲をとりおとしました。」と終わらせたのです。
これは、南吉の「ごんぎつね」の最後の場面の影響が出ているのです。

巽さんが「なぜごんを死なせたか?」ときいたことがあったそうです。
ハッピーエンドが多かったこの時代の作品の中でなぜと疑問をもったのです。
昭和6年10月にかかれた背景に、半田中学卒業した南吉と友人、主席を争ったこの二人ですが、友人は名古屋大へ進学。
一方、南吉は、岡崎師範不合格となり、小学校で代用教員の職に就きました。
子ども達とふれあうことで、児童文学にめざめたようです。そんな中で、「赤い鳥」に投稿し、昭和6年5月号に「窓」という童謡が
掲載されました。その後も、5、6、7月号で白秋の選で掲載され、大学進学に進んだ友達に手紙を出し、白秋に認められたこと、
「ごんぎつね」を書いて、この先、自分は児童文学の道を進んでいく決意を伝えたといいます。
おいてけぼりをくったと感じていた友達に決意の手紙を書いたのです。
そして、誰も書いていない世界へとすすんでいくことになりました。

「ごんぎつね」は、代用教員やめる前に書いたのか、そのあたりも定かではありません。
当時の教え子が、小学校4年生の時に南吉から「ごんぎつね」のおはなしを読んもらったという記憶があると
いっていますが、正式には、昭和6年10月4日に書き上げたとしています。(代用教員をやめたのは、昭和6年8月)
草稿を、子ども達に読んでいたのかもしれません。南吉は、子どもたちに読んで、反応みていたそうです。

南吉昭和6年18才の時に書いた「ごんぎつね」は、昭和31年に初めて教科書に掲載され、
以後、次第に採用する教科書会社が増え、昭和55年以降は全社が採用しています。
これまで約6000万人が教科書で「ごん狐」を読んでいることになるそうです。
(笠地蔵は、のらなくなったそうです。貧乏くさいという理由で?)

わたし
ごんはぐったりと目をつぶったまま、うなずきました に少し救われた。
あらためて、読んでみて、深いお話しだったと気付いた。
それにしても死と引きかえに兵十とわかりあえたことやはりかなしい。

Y川さん
情景描写がすごいと思った。
うなぎ盗むあたりから浮かぶ。
萩の葉とか。地の文がすごい。再発見
ガイ氏即興人形劇場でみた人形劇は、納得いくような表現だった。
「ごんぎつね」と「てぶくろをかいに」の表現が、だぶって感じた。
南吉は、東京で暮らし外語大に通っていたこと、東京になじめなかった?のでは、と想像した。
ふるさとをたくさん描いていることからですが。

H坂さん)外語大でたくさん世界のお話しを学んだので、プラスだったと思います。

浜松 S山さん
子どもの頃の研修授業で何度もやった。同じ授業も何度もやって。
そういう意味で非常に覚えています。
クラスメイトに、同じ質問を本番でもするように、お願いしています。やらせ?

「ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。」
ごんは、兵十に自分がやったことがわかって、うれしかったのか?そうとも違う。
せつない気持ち?うれしい、かなしいというより、なんだろう。その時は、もやもやと思っていた。
言葉にならなかった気持ちをもって大人になっていけたらいいのかな。
心のどこかに残っていくお話し。そういう気持ちがわかる人になったらいい。

ここは、「うれしい」より「うなずきました」の表現の方が深く感じる。

F田さん
教師時代、自分で授業したけれど、あまり覚えていない。
コマ先生からきいたお話しが残っている
情景とごんの気持ちが重なって表現されている。
彼岸花のところは印象に残っている。

いたずらぎつねが変わっていくところの読み方、雨でとじこもっていた時の気持ち、
・空はからっと晴れていて、百舌鳥の声がきんきん、ひびいていました。
ごんの気持ちの対比と情景、前触れの情景描写が素晴らしい。
文学の読み方がわかったきかっかけとなった作品

神様と間違われて、「ひきあわないな」といったごんに、がっかりしたが、ごんの愛すべきところでもある。

K村さん(事務局)
3回、4年生やった。
1回目、「てぶくろをかいに」に変わった。
2、3回目物語の後半をやらないで、子どもに考えさせる手法

青い煙が筒口から補足出ていました。と終わりの場面では、子ども達は、なにもいわなかった。
ショックだったのだと思う。
兵十とごんが、仲良しになると思っていたところ死んでしまったのだから。

子どもの感想の中には、ごんは助かってるはずというのもあった。
青い煙 は死を意味しているということですか?

H坂さん 死を象徴していることばであることは間違いない。
南吉は、行間を読ませる。
「ごんぎつね」は、研究授業の定番

コマ先生
子どもにであわせる作品は、クラスの子どもの理解力に応じて選んでいた。
出版されている絵本の半分くらいがきちんと読んで理解していない作品。
最後の場面の絵をみればわかります。
かためておいてある栗は、ごんの思い どうぞ食べてくださいという気持ちがこめられているのに、バラバラと置いてあったりする。
そういうときは、出版社に手紙を書いた。

首にまきついたうなぎを捨てなかった。ごんのやさしさの表現を読み取る。
小学4年生でも、ほんとうは無理だと思う。

N村さん
坂下さん
ごんは、兵十に近づきたい思いがあった。
かわいいところを表しているところでもある。
命と交換にわかること

研究授業は、コマ先生と10年一緒したけど、予行練習したのはきいたことがなかった。
もやもやした気持ちが残るのでよいと思う。

次回、「てぶくろをかいに」一本でいききましょう

H坂さん
Y川さんのいった南吉の情景描写は、そのまま絵になっていくこと、その通りだと思う。
「木のまつり」もそうです。
南吉はそこを気をつけていました。
昭和の初め、南吉は、新感覚派の影響を受けています。(横光利一、川端康成など)
自然主義(写生文)への反発がありました。
情景描写、奥行きのある文章は、新感覚派から学びました。

「てぶくろをかいに」の中の表現
「暗い暗い夜が風呂敷のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、
包んでも包んでも白く浮びあがっていました。」
常に南吉は推敲していました。後からたくさんの表現を加えていました。
特に「てぶくろをかいに」では目立っています。
上京して2年目にかいた作品です。
「ごんぎつね」よりさらに情景描写力が成長しています。

Y川さん
かたりの会で、南吉の作品はよく語られています。 
「百姓の足、坊さんの足」

「新見南吉を編む」絶版になっていますが、機会があれば読んでみて下さい。

次回 9月20日(日)第3日曜
現役の先生がきてくれるとうれしいですね。

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shinpei、モモを読む

2015年07月06日 | 本にまつわる(この本・プラタナス読書会)

2015年7月

shinpei、基本、漫画大好き、テレビ大好き。
本は、好きな本に出会ったとときには、ぐーーーと読み出す。
この頃、何読んでるのーと何気なく聞いたら、「モモ」って本だよというから、びっくり。
「モモ?」
いつか読ませたいと思って本棚に置いていたけれど、分厚いし、まだ先かなーと思っていたら、いつのまにか、図書館で自分で選んでいた。
本との出会いって、いろんなところにあるのよね。

「モモ」作:ミヒャエル・エンデ 訳:大島 かおり

時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語。
人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う、エンデの名作。

お話しは、ハラハラドキドキ、ワクワクのファンタジー。
でも主題はとても深く、大人にも読んでほしい本。
失っているものの価値に気づかせてくれる本。
たいせつなこと、生きること、真のよい暮らしってなんだろう?

時間どろぼうに時間を奪われた人々は、常に何かに追い立てられ、せかせかと働きます。
もはや目標も忘れ、ただただ忙しがっています。
その姿、誰かに似ていませんか?

コメント (2)
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「鹿の王」読んだ後も、なにかと気になる物語

2015年06月14日 | 本にまつわる(この本・プラタナス読書会)


上橋さん、さすがです。
命という不思議。死を内包しながら、必死に生きていく生き物の愛しさ。
愛のあふれる物語の反面、黒狼熱という感染症を医学で解明していく現実的な面、国をめぐるサスペンス的な面とあらゆる面が織りなす壮大な物語でした。
2015年の本屋大賞に選ばれたことにも納得。
私は、図書館の予約からかなり待って、やっときた!と思ったら、上下巻同時に届いちゃって、ウソー、これを2週間で読めるのか?
と、急ぎ足で読んじゃったけど、もう一度ちゃんと読みたいと思いました。文庫化されたら買いたいけれど、まだ先だよなぁ。

「鹿の王」上橋菜穂子
故郷を守るため戦っていた孤独な戦士ヴァンは、囚われの身となり、 奴隷に落とされ、岩塩鉱に囚われていた。
ある日、ひと群れの不思議な犬たちが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生し、そこにいるほぼ全ての人々が死んでいく。
その中で、生き残ったヴァンは、そこで出会った幼い少女と逃亡する。
一方、もう1人の主人公、医術師ホッサルは、その謎の病に直面し、効果的な治療法を探していた。
やがてその謎の病を巡って、 国と国、人と人、または、 動物と人の衝突が繰り広げられ、ストーリーは広がっていく。
感染から生き残った父子と、命を救うため奔走する医師。
過酷な運命に立ち向かう人々の“絆”の物語。

ちなみに、”鹿の王”とは、群れが危機に陥ったとき、己の命を張って群れを逃がす鹿をいいます。群れを支配する者という意味ではな
く、本当の意味で群れの存続を支える尊むべき者。
同時に「そういうやつを、群れを助ける王だのなんだのと持ち上げる気もちの裏にあるものが、おれは大嫌いなのだ」とも本書では、語らせています。命をつなぐため、家族を守るために、主人公のヴァンがくだした決断は…。

思春期のお子さんにも読んでほしい。もちろん大人にも。
最後は、希望の光がみえたところで終わっています。後々まで余韻をひきました。

以下は、私のぐっときた箇所の記録

人は、自分の身体の内側をみることはできない。健やかなときは心が身体を動かしているような気がしているが、病めば、身体は、心など無視して動く。それを経験して初めて気づくのだ。―身体と心は別のものなのだと。

自分の身体の中で、いま、このときも、目に見えぬ小さな何かが、病と戦っている。そうやって、自分の命を支えてくれている。-そう思うと、何か途方もないものが、我が身をとりまいているような気分になった。

身体も国も、ひとかたまりの何かであるような気がするが、実はそうではないのだろう。
雑多な小さな命が寄り集まり、それぞれの命を生きながら、いつしか渾然一体となって、ひとつの大きな命をつないでいるだけなのだ。
そういう大きな─多分、この世のはじまりのときに神々がその指で紡ぎ出した─裏の中に、我々は生まれ、そして、消えていく。
小さな泡のような、一瞬の生。

病は神に似た顔をしている。いつ罹るのかも、なぜ罹るのかもわからず、助からぬ者と助かる者の境目も定かではない、己の手を遠く離れたなにか──神々の掌に描かれた運命のように見える。
だが…
だからといって、あきらめ、悄然と受け入れてよいものではなかろう。
なぜなら、その中で、もがくことこそが、多分、生きる、ということだからだ。
裏返ったときに見た、あの無数の光。か弱く、小さく、しかし、みな、生きるために輝いていた。
せめぎ合い、負け、ときには勝ち、時には他者を助け、命を繋いでいく無数の光。
この世に生まれ落ちたときにもらった身体で、生き物はみな、命を繋ぐための、無数の、小さな戦いと葛藤を繰り広げている。
他者の命を奪おうとするもの、他者の命を支えて生きるもの、雑多な生き方がせめぎ合い、交じり合い、流れて行く、このすべてが、生きる、ということなのだろう。

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マオさんの消しゴムハンコ作り

2015年04月21日 | 本にまつわる(この本・プラタナス読書会)

2015年3月8日(日)


支部でお世話になっているみやこ先生から素敵なイベントを紹介いただき、急なことにもかかわらず7組も参加させていただきました。
山口マオさんの作品では、ワニワニシリーズの絵本が大好きです。

親しみやすいお人柄にくわえ、愉快なマオさん。
子ども達も一緒にトークから楽しめた会でした。

絵本を会場の方で希望者を募って読んでもらい、その作品にまつわるエピソードをマオさんがおもしろおかしく話してくださいました。「わにわにのおでかけ」は、マオさん自らの琵琶の弾き語りで、会場を沸かせました。
真剣におもしろいのです。
 

マオさんの木版の実演も、刷るごとに完成へ近付く過程にどよめきが何度も起こりました。
魔法みたいでしたよ。いくつも版を重ねて、多色になっていくのは、とってもおもしろい。

この2つの作品は、会場でじゃんけんで買った人がもらえますが、わがメンバー は、いいとこまでいったものの、残念、皆、負けてしまいました。
 

消しゴムハンコ作りは、1時間半の中、皆、集中して彫りました。
マオさんが会場をまわりみんなのヘルプに大活躍。
いきかえった消しゴムハンコがたくさんありました。


 

 

 

 



shinpeiは、「わにわにとあかわに」が気に入った用で、購入!サインもしていただきました。



楽しい時間をすごさせていただきました。
マオさん、事務局の皆様に心より御礼を申し上げます。



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