こんばんは。
今日は父の一周忌でありました。
あっという間に一年。
ちょうど一年前は、ナイツテイルの稽古中でして、
毎日お見舞いに行ってたんだけど、去年の5/29は
ちょうど稽古場が変わる前の最後の日でして、
稽古場パーティーがあったから、今日は面会時間までに行けないから、
もう今日はお見舞いのことは気にせず、みんなとの親睦を深めようって
ピザパーティーを楽しんでいたのでした。
二次会行こうとしたら、電話が病院からかかってきて、
確か21:00くらいだったんだけど、呼ばれて、
病院に駆けつけたんですね。
後で聞いたら、トイレから戻ってきたりりこが、私がいないことに気づいて、
父が危ないってわかって大泣きしてくれていたらしい。
優しい子だ。
かけつけたら、もうほんとにギリギリ間に合ったって感じで、
まさかここからいなくなってしまうなんて思えなくて一生懸命声をかけて、
母も兄も駆けつけて、どうにか父を連れてかないでってお願いしてたんだけど、
最後手を握ったりしてたんだけど、
心拍の機械がピーって鳴って、なんか足元の地面がなくなってしまったような気がしました。
悲しかったなぁ。
病気がわかって、ほんと2ヶ月くらい。
あっという間でした。
その間に色んなことが起きたし、父の葛藤も見てた。
弱る姿、強がる姿、日の光を浴びて、あー気持ちいいなぁって当たり前のことをありがたがる姿、
寒いっていうから、いつも私の上着を貸してあげてました。
いろんな面を持った父でした。
父親らしくあろうとするが、全くできておらず、そこがまたいいところでもありました。
娘のライブで、お酒を飲みすぎて眠ってしまう父、
翌日、全力で兄に怒られる父、反省する父、
でもまた翌年同じことをする父。笑
人のために臓器提供をしたいことを真剣に相談する父、
最後は父の意向も踏まえ、医学の進歩の役に立つように、病理解剖の承諾書にサインしました。
娘の私がいうのもなんですが、なんとも人間らしい可愛い人でした。
自分のやりたいことをやり、やりたくないことはやらない感じの
子供みたいなおじさんでした。
だから、山登りや絵、ジャズなんかの趣味のお友達が多くて
お葬式も沢山の方が集まってくださり、命日を覚えてくださった方からお花もいただいたりして
正直に生きた結果、たくさんのお友達が名残惜しんでくださって、
本当によかったって思いました。
皆さま本当にありがとうございました。
お墓で手を合わせてくださった皆様、家にお線香をあげにいらしてくださった皆様、
父を愛してくださった皆様、ありがとうございました。
今日は、父の好きだった蕎麦を、母と食べに行きました。
あと父が大好きだったあんみつのお土産を、父に供えました。
父が亡くなってから、しょっちゅう、死ぬ、生きる、ということを考えるようになったんです。
実は、私、小さい頃から、火葬というものが怖くて、ずっと死にたくない死にたくないって思ってたんですけど
父が亡くなったあと、ふと思うことがありました。
亡くなる前、父はずっと寒がってたし、亡くなった後、霊安室に長いこといたので、
ひさびさに顔を見に行った時、本当に冷たくて、その温度にびっくりしました。
寒いだろうに、って思いました。
でも、全部式なども終わって、家でひとり、あの時の父の冷たさを思い出して、
自分もいつか氷のように冷たくなってしまう日が来るんだなぁと想像したら、
なんだか焼かれるっていうことが、ほんとはあったかいどころじゃないのは分かるんだけど、
温もりとして、感じられるかもしれないなって思って、
それで昇華していくのも素敵なことかもしれないなって
少し恐怖が消えたんです。
そしたら死をいい意味で、身近に感じるようになって。
父はとてつもない遠いところに行ってしまったんじゃなくて、
きっとそばにいるんだなぁ、次元が違うだけで、って思うようになりました。
もちろん、父がやりたかったこと、まだ生きたかったって絶対思ってるとは思うんだけど、
一本のリボンの裏と表みたいに、生と死が近くにあって、
というか、父がいる世界は、そこが生であって、
クルクル変わっていくだけなんだなぁ、きっと父は幸せな世界にいるはずって思うようになって
ただ見えないだけだって思うようになりました。
少し安心するようになりました。
だから、幸せに生きていることでしょう。
私も楽しくやりますから、また会いましょう
と思ったのでした。
こちらにいる間は、父ができなかったことを、父の分までやるくらい楽しんで生きようって思いました。
という1日でした。
いっぱい書いてしまった。
ではまた明日!