くじけたので誰かに先を行かれた男のブログ

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『バブル・ポップ』 その2-3

2006-06-04 14:36:19 | 『バブル・ポップ』
 画面が消え、ざわつく人々に呼びかけるように後方からギュイーンとギターの音が聞えた。私共々振り返る観衆。ステージにはBetZがいつの間にか立っている。途端に湧き上がる歓声。 

 どうやらバスはダミーのようだった。彼らが本当にそこから現れたとしたらいくらなんでもひとりくらい気付く人間がいるはずだし、そのうえ声を上げるに決まっている。誰もがオーロラビジョンを見ていたわけではないのだし、さらにビジョンとバスと見るべき場所が二箇所もあるわけだから、観衆にとってはそれ以外の場所にBetZ隠れているなどとは想像あるいは探索する暇もなかっただろう。
 同時に考えるに、おそらく先ほどの映像は前もって撮影しておいたものと思われる。そうでなければ辻褄が合わない。少なくとも画面が切れるまではBGMとして彼らのギターは奏でられていたわけだから、ライブだとしたらBetZが現れるタイミングが存在しない。ギターが録音である可能性もあるが、だとすればますますBetZが目撃される可能性が高まるわけだし、それは考えられないと思われる。
 けれど、そういった類のことはこの場にいなければ判断できないことだ。この場にいない人間とってはあの映像はリアル・タイムで撮影されたものだと解釈するほかないはずだし、もっと言うのであればいた人間にとっては目の前のBetZの存在こそが記憶すべき最優先事項であるはずなので、それ以外のことはすぐに忘れてしまう。よくやるものだ。

 さらに言えば、あのコマーシャル・フィルム。依藤さなえはおそらくあの撮影の段階において初めてバブル・ポップを口にしたと思われる。演技とは到底思えないほどの生々しさを私は感じた。普通、あのような形で撮影をすることを知らされた場合、事前に彼女には「おいしい」と言おうだの「すっきり」と言おうだの、考える余裕があったはずだ。だのにも関わらず、飛び出した彼女のリアクションは「きもちいい」。商品イメージを一言で表現するにはいまいち意味がわからない言葉だし、なにせ清純派で売っている彼女のイメージにどこかそぐわない。
 いまいちブレイクしきれない二流アイドルが奇をてらったという見方もできるだろうが、少なくとも私にはとてもそんな風には見えなかった。その根拠は彼女のみるみる紅潮していった頬と潤んだ瞳。あそこまで瞬間的に生理現象をコントロールするのはまず不可能だし、それにそこまでの演技力があれば彼女はすでに売れている。
 つまりは、彼女が事前に考えていた内容などを丸ごと吹き飛ばすほどの何かがあの飲料にはあった、と考えるのがもっとも自然ということだろう。そしてそれは極めて官能的でもある―。

 そんなコマーシャル・フィルムの見せ方及び内容の話題性と、おまけにするにはあまりにも豪華なBetZとのタイアップ。宣伝効果はかなりのものだろう。

 そのように思考を巡らせながら、私はステージに目をやる。ステージではBetZが先ほどの映像で使われていた楽曲を演奏している。打って変わって今度はエレキ・ギターを使っている。どうやらこっちが本元らしい。印象がまるで違う。激しいドラムやボーカルも加わりTakamichiが張り切って歌っている。特殊効果なしでは彼の生歌は聞けたものではないのだが、熱狂する観衆にとってはそんなことはどうでもよいのだろう。私にとってはKunihikoのコーラスがかろうじて聴くに堪えるまでのレベルまでに押し上げているのが唯一の救いだ。

 しかし、この場に居合わすことができたことはいち記者である私にとって大変な幸運であった。明日の紙面の中でも、結構なスペースを今回の件を取り上げた私の記事が占めることになるだろう。映画『レモン・グレネード』の配給会社にとってはたまったものではないだろうが、そんなことは知ったことではない。要は新聞が売れればいいのだし、大ネタが掴めればそれでいいのだ。

「バブル・ポップ!バブル・ポップ!」
 そう叫んでは観衆を扇動し、ダンボールに詰め込まれた無数のバブル・ポップを観客にばら撒いているBetZ。ぴょんぴょんと狂ったように飛び跳ね続ける観衆。宙を舞うメタリック・ピンクのいくつものバブル・ポップのパッケージ。

 私はその狂騒的な光景を、一人撮影しつづけたのであった。明日の芸能欄はこれで持ちきりだ、などと卑しくも考えながら。


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