父が他界してもう10年以上の月日が流れた
陽気で兎に角ポジティブな性格で寡黙な父とは真逆だった。
父亡き後も天性の明るさで過ごし、毎日毎日仏壇にお菓子、果物などを添え一人暮らしで残しても
勿体ないので食べてガリガリの母はふくよかになって糖尿病になった。
塩辛いものが好きで注意してもトマトに醤油はかけるし、何より白米が好きで食生活も好き放題。
高血圧、骨粗しょう症、老人病のオンパレード
とうとう脳梗塞、幸い軽く済んだのでどこにも麻痺は残らず何とか普段の生活に戻れたのだけど
その後何度も何度も骨折して入退院を繰り返していた。
ある冬の朝ごみ出し、路面は凍ってて転びそうになってとっさに手をついて両手骨折
これには母も私も参った。築30年以上たった人気のない家
北海道の冬は想像以上に厳しい暖房の消えた家、入院で家の事を後回しにしてたら仏壇の水は凍り、水道管は破裂
大変なことになっていた。母は大好きだった編み物も出来ない。
何とか無事退院したけどそのあたりから様子がすこしづつ変わった。
私が物心ついた頃から母といえば編み物をしてる姿しか浮かばない母があまりしなくなった。
それでも何とかいつもの日常に戻り過ごしていたのだけど
またもや骨折、今度は大腿骨、骨折。
これが決定的、2か月あまりの入院で軽い認知も出始めた・・要介護1~2
同居も考えたけど都合上難しい。
悩んだ末に軽いうちにとホームへ入所を決めた。
手足は良くなり普通に歩くことも排泄もできる。見守りがあれば一人でお風呂も入れる。
当初は凄く罪悪感でいっぱいだった、まだ元気なのに私の都合で母をホームに閉じ込めてしまったのではないか、
私が面倒みれば済む事なんじゃないかと・・
でも母は言う「大丈夫!誰とでも仲良くできるし寂しくないから」
娘に心配かけたくない母心だよね・・
母の場合アルツハイマー型ではないので私や孫たち昔のことは忘れることはない、だだ新しい記憶をとどめることができないので
すぐ忘れて同じ会話を何度もする。時々会話がかみ合わず???となる^^:
底抜けに明るいのは昔から変わらない
母が言う「しっかりしなきゃね~まだまだボケてらんないし~ハ、ハ、ハ」
・・・イヤ、もう・・・苦笑です。
あれから2年過ぎ相変わらず能天気な母、元気ならこのままでいいよね、最近やっとそう思えるようになったよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/b9/592b5752a8fa90145c64e7943e6ba2e1.jpg)
陽気で兎に角ポジティブな性格で寡黙な父とは真逆だった。
父亡き後も天性の明るさで過ごし、毎日毎日仏壇にお菓子、果物などを添え一人暮らしで残しても
勿体ないので食べてガリガリの母はふくよかになって糖尿病になった。
塩辛いものが好きで注意してもトマトに醤油はかけるし、何より白米が好きで食生活も好き放題。
高血圧、骨粗しょう症、老人病のオンパレード
とうとう脳梗塞、幸い軽く済んだのでどこにも麻痺は残らず何とか普段の生活に戻れたのだけど
その後何度も何度も骨折して入退院を繰り返していた。
ある冬の朝ごみ出し、路面は凍ってて転びそうになってとっさに手をついて両手骨折
これには母も私も参った。築30年以上たった人気のない家
北海道の冬は想像以上に厳しい暖房の消えた家、入院で家の事を後回しにしてたら仏壇の水は凍り、水道管は破裂
大変なことになっていた。母は大好きだった編み物も出来ない。
何とか無事退院したけどそのあたりから様子がすこしづつ変わった。
私が物心ついた頃から母といえば編み物をしてる姿しか浮かばない母があまりしなくなった。
それでも何とかいつもの日常に戻り過ごしていたのだけど
またもや骨折、今度は大腿骨、骨折。
これが決定的、2か月あまりの入院で軽い認知も出始めた・・要介護1~2
同居も考えたけど都合上難しい。
悩んだ末に軽いうちにとホームへ入所を決めた。
手足は良くなり普通に歩くことも排泄もできる。見守りがあれば一人でお風呂も入れる。
当初は凄く罪悪感でいっぱいだった、まだ元気なのに私の都合で母をホームに閉じ込めてしまったのではないか、
私が面倒みれば済む事なんじゃないかと・・
でも母は言う「大丈夫!誰とでも仲良くできるし寂しくないから」
娘に心配かけたくない母心だよね・・
母の場合アルツハイマー型ではないので私や孫たち昔のことは忘れることはない、だだ新しい記憶をとどめることができないので
すぐ忘れて同じ会話を何度もする。時々会話がかみ合わず???となる^^:
底抜けに明るいのは昔から変わらない
母が言う「しっかりしなきゃね~まだまだボケてらんないし~ハ、ハ、ハ」
・・・イヤ、もう・・・苦笑です。
あれから2年過ぎ相変わらず能天気な母、元気ならこのままでいいよね、最近やっとそう思えるようになったよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/b9/592b5752a8fa90145c64e7943e6ba2e1.jpg)
明るいお母様で救われますね。
いずれ我々の行く道ですからね。
誰もが明日の事は分からないから一日一日大事にと思っているのですがwasurenagusaさんの投稿で改めて感じました。
幸か不幸か私はもう4人の親を亡くしましたが若い時で悲しかったけど今になってみれば姉妹・義姉妹と共に
少し看病出来たのがよかったかな?と思っています。
お母様も忘れっぽくなった程度で本当に幸せで子供孝行でwasurenagusaさんも親孝行で理想だと羨ましく思います。
私もwasurenagesaさんのお母様を目標に生きたいと思います。
心にしみる投稿を有難う御座いました。
ある知り合いでお父様が1日中独り言を繰り返し時々迷子になっても本人が嫌がるからと最後まで自宅で生活してました。
デリケートな問題で認知症というのは本人よりもその家族、子供たちが認めたくないのかも知れない。
まさか自分の親が・・自分を育てた親が・・認めたくないですよね~
でも現実を見つめ受け入れたらふっきれて心も少し軽くなりました。
相変わらず親不孝の我儘娘ですけどね・・
「若者叱るな来た道だもの、年寄笑うな行く道だもの」
よく思い出す格言です
コメントありがとう
お名前はあちこちでお友達が同じでしょうか。お見かけしておりました。
前記事少し読ませていただいて
この記事にたどり着きました。
お母様のこと
自分の事のように読みました。気持ち。。同じで
ちょっと泣きそうになりました。
私は母が先に逝き 仲良く暮らしていた父が
いろいろあって今近くのホームで暮らしています
罪悪感との戦いだったけど
今は 穏やかに過ごしてくれればいいなって
笑顔で逢いに行くようにしています。たまに。。しょっちゅう(笑)喧嘩もしますけどね。
親はいてくれるだけで充分なのだ。そう思って私も
父を見ています。
wasurenagusaさんもお母様 お元気で何よりです。
またきます。
あっお写真が素晴らしいです。
私。。写真も絵も好きなので。。絵画的でポストカードのような写真に魅せられました。
長寿社会なので早かれ遅かれ介護は避けて通れない事ですよね。
私はいろんな方のブログや話を読んで自分だけじゃないんだと元気をもらいます。行く時によって前より元気とか、あれ~ちょっとボケ、すすんでる?と感じたり日によって違うけど
しかたないか、とあまり深く考えないことにしました。
文章力もなにもないブログですがいつでも来てくださいね。
写真褒められると調子に乗ってしまいますが嬉しいです
有難うございました。