日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

下山古墳群・堂が谷戸1号墳・殿山古墳群・大蔵古墳群・下野田古墳群|東京都世田谷区 ~墳丘のない古墳めぐり~ 【世田谷・狛江古墳探訪②】

2020-05-02 14:57:48 | 歴史探訪
 ⇒前回の記事はこちら

 玉川神社古墳の形跡が残る瀬田玉川神社を出て、住宅街の中を歩きます。

 つづいて、下山古墳群へ向かいますが、見つかっている3基の古墳はすべて湮滅しているようです。

 古墳だけでなく城跡もそうですが、物理的にモノが残っていなくてもマニアはそこへ行ってみたくなることがあります。

 さすがに私は悉皆調査はしませんが、それでも可能な限り見ておくことは大事ですね。

 とくに地形マニアは、その古墳なり城館があった場所の地形を見るのも楽しみですから、気になる場合はモノがなくても行ってみたくなるわけです。

 お、前方がわずかながら高くなっていますよ。



 「東京都遺跡地図」を見ると、下山古墳群は南北一列に北側から2号墳、1号墳、3号墳と並んでいます。

 このわずかに周囲より高い場所にその3基が並んでいたわけですね。



 ※画面右手が北です。

 下山古墳群の詳細は分かりません。

 世田谷区内の小さな古墳に関しては、手元にほとんど資料が無いんですよね。

 『多摩川流域の古墳』所収「多摩川中・下流域左岸の古墳」(寺田良喜/著)に掲載されている古墳の編年(以後、「寺田編年」と称す)によると、下山1号墳は5世紀後半の築造とされ、須恵器が出たかどうかは分かりませんが、TK208の時代になっています。

 主体部は木炭槨か粘土槨で木棺となっています。

 「東京都遺跡地図」によると3基の古墳はすべて円墳で、下山遺跡の範囲内に含まれ、下山遺跡というのは旧石器、縄文(早期~晩期)、弥生(後期)、古墳時代、奈良・平安、中世、近世の複合遺跡です。

 主として集落跡ですが、注目すべき点として、古墳時代には円形周溝墓も見つかっているようです。

 円形周溝墓なのか、実は円墳なのか・・・

 前方が下り坂になっているのが分かりますが、あの先は谷戸川の低地に向かって落ちています。



 次の堂が谷戸1号墳へ行くにはいったん低地に下りなければならないのですが、無駄な抵抗で少しの間丘の上を歩きます。

 でも、結局は聖ドミニコ学園の南側の坂を降りて行きます。

 向こう側には、また結構な上り坂が待ち受けていますよ。



 七之橋から谷戸川上流を見ます。



 谷戸川は千歳台の成城警察署近辺に水源があり、砧公園の中を流れてここにやってきます。

 砧公園は20年以上前に世田谷美術館の見学のために2~3回行ったことがありますが、当時は地形などは見ておらず、いま地形図で確認すると結構谷戸川が土地を削っていますね。

 では、坂を上りましょう。



 比高差15mくらいはあるでしょうか。

 途中で振り返ります。



 坂を登り切り、台地上を歩きます。

 おや、新しめの公園がありますね。



 「岡本の丘緑地」と書かれた標識が立っており、芝生の部分は養生中です。

 小さなお子さんを遊ばせている若いお父さんやお母さんの姿が散見できます。

 公園を出てさらに西へ向かいます。

 この先は丸子川へ向かう急崖のせいか、崖下との往来の準備段階として道路がすでに切通になっています。



 この辺には堂が谷戸1号墳がありました。

 堂が谷戸1号墳は、「東京都遺跡地図」によると形状は円墳で、幅4mの周溝が見つかっています。

 堂が谷戸古墳の周辺は堂が谷戸遺跡になっており、「東京都遺跡地図」によると、旧石器、縄文(早期~晩期)、弥生(後期)、古墳時代、奈良・平安時代、中世、近世の複合遺跡で、下山遺跡と同じく主として集落跡です。

 1号墳ということは周辺にもっと古墳があるのかなと思いきや、現在では1号墳しか分かっていないようです。

 そして坂を下ります。



 今度はまた丸子川が現れました。

 堂が谷戸橋から上流方向を見ます。



 さきほどはここから1㎞ちょっと下流の治大夫橋を渡りました。

 丸子川沿いを上流へ向かって歩いて行くと、仙川との合流地点に着きました。

 あ!

 この近くの高級マンションにはお掃除に2度ばかり来たことがあります。

 世田谷区は縄張りではないのですが、先輩のお得意様がいて一緒に来たことがあるのです。

 そのときはこのファミマで昼休憩をとりました。



 私がいたお店は多摩地域が縄張りだったため、お昼食べる場所は豊富にあったのですが、都心に来るとそうもいかないようです。

 というのも車移動ですから駐車場がないお店では昼休憩が取りづらく、そんななかでこのファミマは23区内では珍しく奇跡的に広い駐車場があるコンビニなわけです。

 仙川の上流方向を見ます。



 あー、あのマンションも見えるなあ・・・

 仙川を超えて歩いていくと、右側に丘が現れました。



 舌状台地の先端的な趣のある場所です。

 丘の上を進むと社殿のようなものが見えてきました。



 大蔵氷川神社の境内に入りました。

 南側の眺望。



 この下には野川が流れていますから、この場所は武蔵野台地の武蔵野面ですね。

 ということは、さきほどは人の身長くらいの高さになってしまった国分寺崖線を登ってきたんですね。

 低い崖線って可愛い・・・

 社殿。



 扁額。



 説明板が2つあります。





 境内神社。



 「東京都遺跡地図」によると、この氷川神社境内から西は殿山遺跡・大蔵館跡となっており、縄文時代(中期)、弥生時代、古墳時代の遺跡と、中世の大蔵館跡が含まれています。

 大蔵館(城)に関しては、『世田谷の中世城塞』によると、城主には3つの説があり、その一つは源義賢説で、この近くにある大将塚という古墳が敷地内にある清水家は、木曽義仲の長子・清水冠者義高(基)の子孫と伝わっているそうです。

 他は、中世武士石井氏説と、源義朝の家臣・鎌田正清説です。

 同書によると、城の中心部分はちょうど東名高速が走っているあたりになり、氷川神社の辺りには居館があったのではないかと推測しています。

 遺構は残っていないようですね。

 なお、この辺の古墳群は殿山古墳群と呼ばれ、全部で9基の古墳が確認されており、寺田編年によると、殿山1号墳と2号墳は7世紀前葉のTK209からTK217の頃に編年されています。

 「多摩川中・下流域左岸の古墳」には殿山1号墳の横穴式石室の図面が載っているのですが、羨道の幅は1mくらいなのに玄室に入るといきなり広くなって、玄室は4m四方もありそうな異様に床面積が広いものになっていて独特で面白いです。

 境内のこの地膨れは古墳じゃないようです。



 では、国分寺崖線を下りますよ。

 崖下から。



 ここにも簡単な説明板があります。



 庚申塔など。



 せっかく崖下に降りたのですが、この道でまた武蔵野面に登ります。



 すぐに五差路が現れました。

 左オーライ。



 右オーライ。



 ここは交通事故に会いやすい道路かなと思います。

 五差路という複雑な構造が坂の途中にあるため、慎重に運転しないとかなり危ない。

 歩行者もここを横断するときはくれぐれも注意しましょう。

 と、勝手なことを言って地元の方、済みません。

 東名高速を跨ぐ橋のあたりが最高所に見えます。



 ということは、大蔵城の主郭はこの辺だったのかもしれません。

 ※明治時代の地形図を見ると、正確にはここから50メートルくらい西側が最高所だったようです。

 登ってきた坂を振り返ります。



 結構登ってきていますよ。

 跨道橋から見る東名高速の下り方面、南西側の眺望です。



 この背中側には砧公園があり、敷地内西側の区立総合運動場には大蔵1号墳から3号墳までの3基の古墳が見つかっており、大蔵古墳群と呼ばれていて、1号墳と2号墳は横穴式石室を備えており、1号墳は3室からなる立派な切石積みの横穴式石室でした。

 寺田編年では、大蔵1号墳を7世紀前半と編年しています。

 また、近辺の崖には西谷戸横穴墓群も展開していましたが、町田市にある同名の遺跡がありややこしいです。

 跨道橋を渡り、新しめの住宅街の中を歩き、それを抜けるとまた昔風な住宅街に変わり、路傍にはお地蔵さんが佇んでいました。



 また国分寺崖線のラインまで行ってみましょう。

 この辺には下野田2号墳がありました。



 ありました、と言っても、「東京都遺跡地図」には「古墳?」と、クエスチョンマークが付いています。

 つづいて1号墳跡もみておこうと思いますが、少し崖を下ってから行った方が近いかな?

 いや、これまた失敗だ!

 本格的に崖線を降りてしまった!

 なんか、今日は無駄なアップダウンを繰り返している気がします。

 クラツーでお客様を引き連れてこれをやったら大ヒンシュクを買いますね。

 あの木、素敵。



 さて、もう一度ハケを登らないといけませんが・・・

 この階段で行けそうかな?

 結構な段数・・・

 ようやくまた武蔵野面に戻ってきました。

 左手に砧小学校がありますが、この辺には下野田1号墳がありました。



 下野田1号墳に関しては詳細は不明です。

 あれ、気づいたらもう2時間歩いていますよ。

 距離は大体5㎞くらいです。

 今のところ、今日は古墳歩きと言っても満足に古墳を見ていないですね。

 そろそろお昼なので、コンビニを探しながら砧中学校古墳群へ向かって歩くとしましょう。

 ⇒この続きはこちら


最新の画像もっと見る