⇒前回の記事はこちら
川柳将軍塚古墳と姫塚古墳を見た後は、長野市のお隣の千曲市へ向かいます。
30分ほど走り、長野県立歴史館へ到着。
おっとー、開館の5分前に到着してしまった。
雷電號の中で少し待ちますか。
おや、向こうから子供たちの集団が歩いてきたぞ。
どうやら、9時の開館に合わせて来たようです。
校外学習か何かでしょうか。
ちょっとタイミングをずらして入ります。
・・・様子を伺い、そろそろいいかな。
今は黒曜石の企画展をやっているようです。
先ほどの子供たちは常設展の方へ行ったようなので、ぶつからないように私は企画展から見ます。
ところで、ここは写真撮影はOKなのですが、SNSへのアップは許可が必要ということでした。
まあ、ブログもSNSの一種ですから、決まりを守って写真掲載はやめておきます。
黒曜石の展示はすぐに見終わってしまい、常設展へ行きます。
あ、子供たちはまだ縄文コーナーに居ますよ。
なので、古墳時代から見ます。
5世紀には朝鮮半島から人びとがやってきていたようで、県内からは積石塚が見つかり、合掌型石室の展示もあります。
そういえば、2年前にクラツーの研修で信州に来た時、昼休みに一人で長野市立博物館を駆け足で見学したのですが、あそこにも合掌型石室の展示がありました。
子供たちと入れ替わって縄文コーナーへ行きます。
おー、これは面白い。
長野市松原遺跡出土のトロフィー型土器。
縄文時代前期末葉の作品です。
縄文土器は「長野県宝」のものも含めてたくさん展示してあって面白いですね。
国宝土偶「仮面の女神」は複製です。
おっ、長野って銅鐸が出てるのね!
なんか見る順番がおかしくなっていますが、塩尻市の柴宮遺跡からは銅鐸が出土しているのです。
ただし、展示品は複製品です。
他にも青銅器が出ていますね。
こういったものは関東まで来るとほぼ出なくなります。
いやー、面白いねえ。
時間の関係で中世以降は見ずに博物館から出ます。
つづいて、一瞬車に乗って移動して、隣接している森将軍塚古墳館へやってきました。
あ、裏山の頂上に古墳らしきものが見える。
あれが森将軍塚古墳ですね。
結構高い・・・
ではまずは森将軍塚古墳館から見学します。
こちらは他に見学者はいないので、落ち着いて見学できますね。
さっそく2階へ上がります。
このあと見に行く森将軍塚古墳は非常に特異な形状をしています。
これだとあまり分かりませんね。
平面図を見てみましょう。
こんな感じに、前方後円墳ではあるのですが、異様にいびつな形状をしています。
何でこうなってしまったのかというと、どうしても100mの古墳を造りたかったのですが、尾根の上はそれほど面積がなかったため、スケールダウンをするという選択をせずに、無理やり墳丘長を出すために形状を尾根の形にしてしまったという説があります。
面白いですねー。
普通だったら場所を変えるとか、大きさを小さくするとかすると思うのですが、森将軍塚古墳の被葬者のグループは意地になってこんな古墳を造ってしまったわけです。
おや、また珍しい形の埴輪だ。
合子型(ごうすがた)埴輪といって、蓋があるものとないものがあり、前方部先端に並べられていました。
森将軍塚古墳からは長野県で唯一の例となる、三角縁神獣鏡が出土しています。
ただし、欠片です。
そしてこの部屋の中央には巨大な竪穴式石室の復元が構築されています。
バーン!
ババーン!
竪穴式石室の中には割竹形木棺が納められていたと想定されています。
墳丘に建てられていた朝顔形埴輪。
森将軍塚古墳の周辺には小さな古墳がたくさんあるようです。
一つの棺の中に2名納めるというのは、現代人からすると異様な感じがすると思いますが、古墳時代ではよく発見されます。
こういった場合は、その2名は「キョウダイ」であるといわれています。
「キョウダイ」とわざわざカタカナで書くのは、4通りの組み合わせがあるからですよ。
長野県は、群馬県や静岡県、それに福岡県と並んで卓越して古墳からの馬具の出土が多いです。
壁面には古墳から出土した遺物が展示してありますよ。
もう一面には集落跡から出土した遺物。
いやー、面白いねえ。
横穴式石室の復元を上から見ていると、1階から石室内が覗けるようになっているのに気づきました。
行ってみましょう。
なるほど、盗掘時に空けられてしまった穴から見るイメージですね。
しかし、塚掘り六兵衛さんが気になる。
なお、石室内はこんな感じにベンガラで赤く塗られていました。
棺の周辺には水銀朱がまかれており、水銀朱はこの近辺では採取できないそうです。
棺の周辺に水銀朱をまくのはヤマトと同じやり方ですね。
それでは、続いて実際の古墳を見に行ってみましょう。
さっきの山登るのか・・・
⇒この続きはこちら
川柳将軍塚古墳と姫塚古墳を見た後は、長野市のお隣の千曲市へ向かいます。
30分ほど走り、長野県立歴史館へ到着。
おっとー、開館の5分前に到着してしまった。
雷電號の中で少し待ちますか。
おや、向こうから子供たちの集団が歩いてきたぞ。
どうやら、9時の開館に合わせて来たようです。
校外学習か何かでしょうか。
ちょっとタイミングをずらして入ります。
・・・様子を伺い、そろそろいいかな。
今は黒曜石の企画展をやっているようです。
先ほどの子供たちは常設展の方へ行ったようなので、ぶつからないように私は企画展から見ます。
ところで、ここは写真撮影はOKなのですが、SNSへのアップは許可が必要ということでした。
まあ、ブログもSNSの一種ですから、決まりを守って写真掲載はやめておきます。
黒曜石の展示はすぐに見終わってしまい、常設展へ行きます。
あ、子供たちはまだ縄文コーナーに居ますよ。
なので、古墳時代から見ます。
5世紀には朝鮮半島から人びとがやってきていたようで、県内からは積石塚が見つかり、合掌型石室の展示もあります。
そういえば、2年前にクラツーの研修で信州に来た時、昼休みに一人で長野市立博物館を駆け足で見学したのですが、あそこにも合掌型石室の展示がありました。
子供たちと入れ替わって縄文コーナーへ行きます。
おー、これは面白い。
長野市松原遺跡出土のトロフィー型土器。
縄文時代前期末葉の作品です。
縄文土器は「長野県宝」のものも含めてたくさん展示してあって面白いですね。
国宝土偶「仮面の女神」は複製です。
おっ、長野って銅鐸が出てるのね!
なんか見る順番がおかしくなっていますが、塩尻市の柴宮遺跡からは銅鐸が出土しているのです。
ただし、展示品は複製品です。
他にも青銅器が出ていますね。
こういったものは関東まで来るとほぼ出なくなります。
いやー、面白いねえ。
時間の関係で中世以降は見ずに博物館から出ます。
つづいて、一瞬車に乗って移動して、隣接している森将軍塚古墳館へやってきました。
あ、裏山の頂上に古墳らしきものが見える。
あれが森将軍塚古墳ですね。
結構高い・・・
ではまずは森将軍塚古墳館から見学します。
こちらは他に見学者はいないので、落ち着いて見学できますね。
さっそく2階へ上がります。
このあと見に行く森将軍塚古墳は非常に特異な形状をしています。
これだとあまり分かりませんね。
平面図を見てみましょう。
こんな感じに、前方後円墳ではあるのですが、異様にいびつな形状をしています。
何でこうなってしまったのかというと、どうしても100mの古墳を造りたかったのですが、尾根の上はそれほど面積がなかったため、スケールダウンをするという選択をせずに、無理やり墳丘長を出すために形状を尾根の形にしてしまったという説があります。
面白いですねー。
普通だったら場所を変えるとか、大きさを小さくするとかすると思うのですが、森将軍塚古墳の被葬者のグループは意地になってこんな古墳を造ってしまったわけです。
おや、また珍しい形の埴輪だ。
合子型(ごうすがた)埴輪といって、蓋があるものとないものがあり、前方部先端に並べられていました。
森将軍塚古墳からは長野県で唯一の例となる、三角縁神獣鏡が出土しています。
ただし、欠片です。
そしてこの部屋の中央には巨大な竪穴式石室の復元が構築されています。
バーン!
ババーン!
竪穴式石室の中には割竹形木棺が納められていたと想定されています。
墳丘に建てられていた朝顔形埴輪。
森将軍塚古墳の周辺には小さな古墳がたくさんあるようです。
一つの棺の中に2名納めるというのは、現代人からすると異様な感じがすると思いますが、古墳時代ではよく発見されます。
こういった場合は、その2名は「キョウダイ」であるといわれています。
「キョウダイ」とわざわざカタカナで書くのは、4通りの組み合わせがあるからですよ。
長野県は、群馬県や静岡県、それに福岡県と並んで卓越して古墳からの馬具の出土が多いです。
壁面には古墳から出土した遺物が展示してありますよ。
もう一面には集落跡から出土した遺物。
いやー、面白いねえ。
横穴式石室の復元を上から見ていると、1階から石室内が覗けるようになっているのに気づきました。
行ってみましょう。
なるほど、盗掘時に空けられてしまった穴から見るイメージですね。
しかし、塚掘り六兵衛さんが気になる。
なお、石室内はこんな感じにベンガラで赤く塗られていました。
棺の周辺には水銀朱がまかれており、水銀朱はこの近辺では採取できないそうです。
棺の周辺に水銀朱をまくのはヤマトと同じやり方ですね。
それでは、続いて実際の古墳を見に行ってみましょう。
さっきの山登るのか・・・
⇒この続きはこちら
「シナノ」の王墓の考古学 | |
川崎 保 | |
雄山閣 |