⇒前回の記事はこちらです
在自剣塚古墳に続いて、須多田下ノ口(すだたしものくち)古墳を探してみます。
確か、神社があるということなので、注意深く街道を走っているとそれらしき神社が見つかりました。
きっとここでしょう。
車を降りて境内へ行ってみます。
ちなみに今日のレンタカーはこちらです。
石段を登り社殿に到着。
うーん、古墳らしい感じはしますが、形状がまったく分かりません。
どうやら、社殿がある場所が後円部のようですが、前方部は削平されてしまっているようです。
復元した場合の墳丘長は82.8mですので、結構大きめの前方後円墳ですね。
なお、後円部径は30m、前方部幅は60mなので、後円部径÷墳丘長は0.36、前方部幅÷墳丘長は0.72となり、随分と頭が小さい古墳です。
築造時期は6世紀後半ということなので、先ほど見た在自剣塚古墳と同時期で、在自剣塚のスペックは、
墳丘長:101.7m 後円部径:49m 前方部幅:64m 後円部径÷墳丘長=0.48 前方部幅÷墳丘長=0.63
となり、規格の類似性は認められません。
『宗像地域の古墳』(宗像考古学研究会/編)によると、二重の周溝がめぐり、前方部には別の古墳の石室があるということですが、「別の古墳」が須多田下ノ口古墳より前の古墳なのか後の古墳なのかは分かりません。
遠景を撮影したいので少し離れます。
あ、あれは須多田ミソ塚古墳ですね。
墳丘長推定67mの前方後円墳で6世紀半ばから後半にかけての築造と考えられ、スペックは、
後円部径:22m 前方部幅:35m 後円部径÷墳丘長=0.32 前方部幅÷墳丘長=0.52
となり、随分とスレンダーな古墳ですね。
そういえば、千葉県栄町の龍角寺古墳群にもみそ岩屋古墳という方墳があり、古墳に「ミソ」を付ける意味が何なのか気になります。
はい、須多田下ノ口古墳の遠景。
では、この近くには須多田天降神社古墳がありますので、このまま歩いて見に行ってみます。
⇒この続きはこちら
在自剣塚古墳に続いて、須多田下ノ口(すだたしものくち)古墳を探してみます。
確か、神社があるということなので、注意深く街道を走っているとそれらしき神社が見つかりました。
きっとここでしょう。
車を降りて境内へ行ってみます。
ちなみに今日のレンタカーはこちらです。
石段を登り社殿に到着。
うーん、古墳らしい感じはしますが、形状がまったく分かりません。
どうやら、社殿がある場所が後円部のようですが、前方部は削平されてしまっているようです。
復元した場合の墳丘長は82.8mですので、結構大きめの前方後円墳ですね。
なお、後円部径は30m、前方部幅は60mなので、後円部径÷墳丘長は0.36、前方部幅÷墳丘長は0.72となり、随分と頭が小さい古墳です。
築造時期は6世紀後半ということなので、先ほど見た在自剣塚古墳と同時期で、在自剣塚のスペックは、
墳丘長:101.7m 後円部径:49m 前方部幅:64m 後円部径÷墳丘長=0.48 前方部幅÷墳丘長=0.63
となり、規格の類似性は認められません。
『宗像地域の古墳』(宗像考古学研究会/編)によると、二重の周溝がめぐり、前方部には別の古墳の石室があるということですが、「別の古墳」が須多田下ノ口古墳より前の古墳なのか後の古墳なのかは分かりません。
遠景を撮影したいので少し離れます。
あ、あれは須多田ミソ塚古墳ですね。
墳丘長推定67mの前方後円墳で6世紀半ばから後半にかけての築造と考えられ、スペックは、
後円部径:22m 前方部幅:35m 後円部径÷墳丘長=0.32 前方部幅÷墳丘長=0.52
となり、随分とスレンダーな古墳ですね。
そういえば、千葉県栄町の龍角寺古墳群にもみそ岩屋古墳という方墳があり、古墳に「ミソ」を付ける意味が何なのか気になります。
はい、須多田下ノ口古墳の遠景。
では、この近くには須多田天降神社古墳がありますので、このまま歩いて見に行ってみます。
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