初心者御朱印男子の歴史散歩ときどき撮り鉄ブログ

最近御朱印集めを始めたアラフォーのおっさんです。遺跡や歴史博物館巡り、寺社巡り、趣味の記録をアップします。

李氏朝鮮、清への服属の碑・三田渡碑【ソウル・松坡区】

2018-10-24 21:38:26 | 韓国の歴史・史跡
ソウルでも人気の観光地ロッテワールドなどがある蚕室駅(ちゃむしる)駅のそばに、「大清皇帝功徳碑」、三田渡碑という碑文があります。



この碑についての解説は、解説文をお読みください。



本文の通り、これは建国以来明に服属してきた李氏朝鮮が、清への服属を誓う盟約を結ばせられ、それを国民に知らしめるために清の命令で作らされた碑文です。屈辱的なものです。

清は満州族が支配した国です。そのため、碑文には漢文と満州語の両方で刻まれています。

漢文側




次満州語?モンゴル語?




李氏朝鮮は14世紀に建国以来、明の朝貢国でした。朝鮮王朝にとって北に隣接する女真族を力で抑えてきました。李氏朝鮮が女真族から朝貢を受けてきたわけです。

それが、現在の中国東北部の女真族が17世紀には力をつけ、モンゴルや周辺諸国を脅かすようになります。女真族を統一したヌルハチは、国名を後金(アイシン)と名乗り、後金の2代目ホンタイジはモンゴルに侵攻してモンゴルから降伏の際に元の玉璽を手に入れたことを機に、ホンタイジは皇帝を名乗るようになり、国号も中国風に大清に改めます。これは清がいずれ明を征服する意思表示とも言え、実際、ホンタイジは明への出兵を朝鮮に求めました。

ホンタイジは、朝鮮にも朝貢を求めるようになります。すでに明を脅かす存在にまで力をつけていた女真族。当時の朝鮮はこうした国際情勢をどのように認識してきたのでしょうか。女真族を野蛮と見下す物の中には、後金との主戦を唱えるものもいたようです。

当時の国王仁祖を支持する西人派は、従来は朝鮮に朝貢していた女真族の国への服属など考えられず、清の要求を拒否します。清を認めない態度をとりました。

これに怒ったホンタイジは、李氏朝鮮に報復として侵攻します(丙子の乱)。仁祖は南漢三城に立て籠もって抵抗したようです。猛烈な攻撃を受けた朝鮮は、侵攻から40日あまりで降伏したそうです。この際、仁祖はホンタイジに対して最も屈辱的な「三跪九叩頭の礼」で清の皇帝を公認する誓いをさせられました。

そして、ホンタイジは仁祖の過ちと自らの徳を称える碑文を漢文、満州語、モンゴル語で刻むように求められ、作らされたのがこの三田渡碑です。


石碑の台座の亀趺(きふ)をみてください。



手前のは石碑がなく、亀も少し小さめです。説明文によりと、おそらくこの亀趺にはそもそも石碑が置かれなかったものとも考えられています。というのも亀の小ささから、清側にもっと大きなものを求められたためとも考えられているからだそうです。

このような屈辱に満ちた碑を、清の滅亡後は2度埋めましたが、一度は日本の手で、2度目は光復後に洪水で出てきてしまいました。現在は、チャムシル駅そばの石村湖畔の公園にひっそりと立っています。

現在では、17世紀の漢文、モンゴル語、満州語を研究する上でも重要な資料となっています。歴史に興味がある方は、チャムシルのロッテホテルやロッテワールドに行ったついでにでも立ち寄ってみるといいと思います。



詳しい説明はかけませんが、ブログをご覧いただきありがとうございます。

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