ギリシャのアテネには、昔から神話が多く語られていましたニャン。
そのため、多くの神殿がたてられていましたニャン。
パウロさんたちは会堂や広場で、ユダヤ人や哲学者たちと盛んに議論をしていましたにゃん。政治が衰退していた頃、この時代の人たちはみんな、なにか耳新しいことに関心を持っていたのですニャン。
パウロさんは、街を歩きながら「知られざる神に」と書かれた祭壇を見ていましたニャン。そして、しきたりを重んじていた人々に向かって言いましたニャン。
”この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。
神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。”
パウロさんがそう話すと、猫たちはみんな、ニャ~そうにゃ~と拍手しましたにゃん。
パウロさんの言葉にうなずき、イエスさまを信じてパウロさんのあとをついていく人たちもいましたニャン。でも、疑いの心が大きな人たちは離れていきましたニャン。あざ笑う人もいましたニャン。
神さまは、そのひとりひとりを天から見つめておられましたにゃん。