日本のお盆は、ご先祖が返ってくると言われていますニャン。
還ってきた人に会えた人はいますか???
死んだ人のことについては、
イエスさまがこんなことを仰っていますニャン。
”わたしに従ってきなさい。
そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。
(マタイ8:23)”
お盆の風習は仏教からきているそうですニャン。
でも・・・
お釈迦様も含めて、死からよみがえった人は一人もいませんニャン。
歴史上、イエス・キリストさまのみですニャン。
かの熱心に旧約聖書医を学び、
実践しているユダヤ人たちも信じていませんのニャ。
ユダヤ人たちが信じないように復活の事実を隠したことが聖書に書かれていますニャン。
聖書の一つのキーポイントですニャン。
なぜユダヤ人がイエス・キリストを神と信じないのか???
”祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、
兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、
「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。
万一このことが総督の耳にはいっても、
われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。
そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。
そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。
(マタイ28:12~15)”
ここにも、今の政治家、権力者たちと同じように、
カネの問題がありますニャン。
人はお金に弱いのにゃ~。
イエスさまが十字架刑を受けて死んで3日目によみがえられたあと、
ユダヤ人のパウロはクリスチャンたちを見つけては処刑にしたり、苦しめたりしていましたニャン。
そんなパウロにイエス・キリストは現れて、
目からウロコ
の言葉の語源ですニャン。
ニャンと!
弟子とされましたニャン。
パウロの人生を180度変えて伝道者とされたのですニャン。
パウロは今度はユダ人たちからも迫害を受けるようになりましたニャン。
でも、聖霊によって強くされて、どんな迫害や虐待にあっても、
イエス・キリストは神であることを伝え続けたのですニャン。
新約聖書の使徒行伝以降、お読みくださいニャン。
イエスさまは神さまだから、
いつでもどこでも現れて弟子たちに道を示されましたニャン。
ドラえもんが持ってる「どこでもドア」ですニャン。
そして、みずから、こうおっしゃっていますニャン。
イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、
決して死ぬことがありません。
このことを信じますか。」
(ヨハネ11:25〜26)
神さまだから、何でもできるのですニャン。
では・・・
お釈迦様やブッダやマホメットや、
いろんな宗教の教祖となった人たちは嘘つき?
死んだ後はどこにいるの?
多くの教祖たちは、
それぞれに示された幻やミラクル体験をして宗教の教祖になっています。
イエス・キリストに結びつかなかった残念な体験かもしれませんニャン。
その方たちが亡くなったとき、
「あれはわたしだったのだよ」
と言われて気づくのかも???
宗教によって、生き方をその道に決めた人、
友人を得た人、
孤独から解放された人、
仲間を得た人、
ある程度の生き方を学んだ人、
色んな理由で救われたと思っている人、
神さまが忌み嫌われる偶像崇拝をしている人、
組織から抜け出せなくなって苦しんでいる人
・・・いろんな理由で宗教をしている人たちがいますニャン。
また、教祖を神さまだと勘違いして全財産を貢いだ人、
犯罪を犯した人もいますニャン。
高価な仏壇や神棚を買って祀っている人もいますニャン。
人はみんな罪人、
人はみんな弱い存在。
なにかにすがりたい。
心の拠り所を求めている存在ですニャン。
日本人は藁やお魚の頭でも信じる国民だそうですニャン。
魂の空間は、ハートの形をしていると思うの。
ママたんはよくそう言いますニャン。
イエスさまを信じた時、その空間がピタッと埋まる。
そうして、聖霊様が住んでくださる新しい命に変えられる。
すべての人類はそのように、はじめから創造されているのですニャン。
最終的に、
命のことについては、
創造主である神さまがお決めになることですニャン。
人が入る領域ではありませんニャン。
”イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、
決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
(ヨハネ11:25〜26)”
イエスさまは、死んでよみがえられた神さまで、
過去も今も未来も、
自然顔も宇宙もすべてを支配されている神さまですニャン。
だから、祈ると、ミラクルが起きるのですか?
イエ~ス!
信じる人を神の子と同じ身分にしてくださり、
いやしを行って人を助けたり、
泣いている人の側にいて一緒に泣いてくださる神さまですニャン。
宗教との決定的な違いは、
「信じるものに永遠の命を与えてくださること」
ですニャン。
ママたんの両親は、救われた1997年のクリスマスイブ、
両親の結婚記念日に、
ママたんに電話をくれて、
「お前を生んでてよかった」
と感謝してくれましたニャン。
天国のチケットを与えられた喜びと感謝、
ホンモノの神さまを、生きてるうちに知った喜びと感謝、
父上の末期がんのいやしを受けた喜びと感謝・・・
数え切れない感謝と喜びを語ってくれましたニャン。
そして、天に還った時も、
ママたんに
両親と会話をさせてくださった神さまがおられますニャン。
死は終わりではなく、あたらしい霊の世界に還ること。
あたらしい霊の世界は、永遠のいのちの世界ですニャン。
古い肉体は、地上で100年も生きたら良い方で
平均70年から80年前後。
ノアの洪水、ノアの箱舟や、
契約の虹で知られるノアは950歳で死にましたニャン。
永遠の命の世界で、再び会える喜びを楽しみに、
今日、与えられている命を感謝して過ごしましょうニャン。
神さまの恵みと憐れみに感謝します。
ニャーメン。
この写真にネコを見つけた人は幸いですニャン。
三浦綾子さんの「光あるうちに」の本は、
こんな言葉で締めくくられていますニャン。
「教会へ行きませんか」
「今の生活を変えてみたいと思いませんか」
誘った人が、すべてキリストを受け入れるとは限らない。
態よく断わられ、あるいは軽蔑され、
嫌われるかもしれない。
が、わたしは、この章の最後に、敢えて今一度、
読者の一人ひとりに向かって呼びかけたい。
「かけがえのない、
そして繰り返すことのできない一生を、
キリストを信じてあなたも歩んでみませんか。
今までの生活が、
どんなに疲れ切った、
あるいは人に言えない恥ずかしい生活であっても、
または言いがたいほどに苦しく悲しい毎日であったにしても、
今、あなたの前に、
まだあなたの足跡が一つも印されていない純白の布のような道があるのです。過去はどんな歩み方であったにせよ、
自分の目の前に、足跡ひとつない道があり、
そこにどんな足跡を残していくかは、
自分の自由だということ、
そんなすばらしいことはないと思います。
過去はいいのです。
今からの一歩を、
あなたもキリストの愛の手に導かれて歩みたいとお思いにはなりませんか。
そしてあなたの人生を喜びに溢れた人生に変えたいとは、
お思いになりませんか。
そのことが、あなた自身にどんなにむずかしく見えても、
神が助けてくださるのです。
キリストはこう言っておられます。
「人にはできないことも、神にはできる」
と。
光あるうちに光の中を歩もうではないか。
(三浦綾子 光あるうちにより)