いかに必要であろうと、
いかに正当化できようとも、
戦争が犯罪だということを忘れてはいけない。
Never think that war,
no matter how necessary,
nor how justified, is not a crime.
ヘミングウェイさんがこんな言葉を残しているそうにゃん
マザー・テレサさんは、
平和は家庭から始まると言い続けていましたにゃん。
それでも、
平和がこないのは、
人間が自分を愛するように隣人を愛さないから。
目の前にいる人を
神さまだと思って接すれば、
心が軌道修正されて
平和が来るのニャン。
人間はすべて、
神さまがつくられているので
そうすることが一番よいことなのですにゃん。
一人ひとりが
神さまの手や足、身体の一部として働いているのニャン
天国に行ってみると、
そのことがよく分かるのニャン。
天国は人間が知らない無条件の愛でいっぱいの世界なのニャン。
なぜなら・・・
本当の平和な世界を
この地上につくるために
神さまが人となって来てくださって
すべての人の罪のために死んでくださったからなのニャン。
2019年前のクリスマスのできごと。
(人間中心にできた宗教でないことは、このことが大きな鍵となっているのにゃ。)
どんな宗教にも救いはない。
この神さまJesus・Christ以外に救いがないのニャ。
自分の内なる聖霊(創造主が与えられた霊)に聞いてみると、すぐにわかるにゃン。
神さまだから、
よみがえられて
今も一緒にいてくださってるニャン。
死が終わりではないことも示されたニャン。
神さまを見えなくしている自我や、諸霊の見せることに夢中にならないで、
毎日聖書を読んで神さま中心の生活を続けようニャン。
平和をつくる人々は神の子どもとされるのニャン。(マタイ5:9)
”主の憎まれるものが六つある、
否、その心に、忌みきらわれるものが七つある。
高ぶる目、
偽りをいう舌、
罪なき人の血を流す手、
悪しきはかりごとをめぐらす心、
すみやかに悪に走る足、
偽りを述べる証人、
また兄弟のうちに争いを起こす人がこれである。
(箴言6章)”
昨日のお月さま。
平和の祈りにゃ~
いかに正当化できようとも、
戦争が犯罪だということを忘れてはいけない。
Never think that war,
no matter how necessary,
nor how justified, is not a crime.
ヘミングウェイさんがこんな言葉を残しているそうにゃん
マザー・テレサさんは、
平和は家庭から始まると言い続けていましたにゃん。
それでも、
平和がこないのは、
人間が自分を愛するように隣人を愛さないから。
目の前にいる人を
神さまだと思って接すれば、
心が軌道修正されて
平和が来るのニャン。
人間はすべて、
神さまがつくられているので
そうすることが一番よいことなのですにゃん。
一人ひとりが
神さまの手や足、身体の一部として働いているのニャン
天国に行ってみると、
そのことがよく分かるのニャン。
天国は人間が知らない無条件の愛でいっぱいの世界なのニャン。
なぜなら・・・
本当の平和な世界を
この地上につくるために
神さまが人となって来てくださって
すべての人の罪のために死んでくださったからなのニャン。
2019年前のクリスマスのできごと。
(人間中心にできた宗教でないことは、このことが大きな鍵となっているのにゃ。)
どんな宗教にも救いはない。
この神さまJesus・Christ以外に救いがないのニャ。
自分の内なる聖霊(創造主が与えられた霊)に聞いてみると、すぐにわかるにゃン。
神さまだから、
よみがえられて
今も一緒にいてくださってるニャン。
死が終わりではないことも示されたニャン。
神さまを見えなくしている自我や、諸霊の見せることに夢中にならないで、
毎日聖書を読んで神さま中心の生活を続けようニャン。
平和をつくる人々は神の子どもとされるのニャン。(マタイ5:9)
”主の憎まれるものが六つある、
否、その心に、忌みきらわれるものが七つある。
高ぶる目、
偽りをいう舌、
罪なき人の血を流す手、
悪しきはかりごとをめぐらす心、
すみやかに悪に走る足、
偽りを述べる証人、
また兄弟のうちに争いを起こす人がこれである。
(箴言6章)”
昨日のお月さま。
平和の祈りにゃ~