わたしを燃え上がらせるキーワードは
「○○しちゃだめ」
「無理なんだからやめなさい」 etc....
禁止されると、さらにそのことをやり遂げたくなってしまうという
悪い癖があります。
昨日、親の話を書いたのですが
ほんと、いまさらながら、わたしを育てるのって
大変だったんじゃないかと・・・・
「やるな!」といったことを敢えてやるので
親がブチ切れるのは当然のことだと
再度改めて思うのです。
親をてこずらせたり、周囲の人に冷たい目でみられながらも
なぜ「ダメと言われたことをやるのか」というと
そのときの自分にとっては
それが一番ベストなことだと思ってるからです
他人がいくらこのほうがよい!と思って
勧めてくれることであっても
わたし的にNGなときは
いやいやその人の顔をたてて
そのことに向き合っていても
さらにNGだと思わせてくれるような出来事を呼び寄せるだけです。
そのことをわたしが実感し、ある決意を持ったのが
小学2年生の春のこと。
当時キャンディーキャンディーのキャンディーが
来ているようなふんわりワンピースと赤いブーツが
わたし的理想の姿だったので
スカートをはいて
ブーツのかわりに晴れの日でも
赤い長靴を履いて学校に行ってました。
当時のわたしの憧れおしゃれスタイル♡
当然、母親は「普通の靴をはきなさい!」と
毎朝注意してましたが、お構いなしに
それを履いて学校に行っていたのですが
もともといじめられっこだったので
今思えば、赤い長靴もからかわれて当然だと思うのですが
わたし的にはイケてるスタイルで
自信満々だったせいか
周囲のいじめっこたちも、なぜだか「晴れの日でも雨靴」
の件については一切触れませんでした。
ところが、ある日、父が進級祝いにと
洋服を買ってきたのです。
それは茶色の太ももから脚の先端まで
びっちりフリンジのついたインディアンスタイルのパンツと
白のカーディガンのセットで
どうしてもそれを着ていけとうるさく言い
そのとき家に遊びに来ていた親戚からも
「あら可愛いじゃない!おしゃれなんだから
着ていきなさい」と無理やり着せられたので
イヤイヤいつものキャンディースタイルを
あきらめてそれを着て行ったのですが
教室に入った途端
いじめっこたちが群がってきて
「インディアン!!!」と笑い
わたしと目があうと
口に手を当てて「あわわわわ」とインディアンの雄叫びのマネを
され、非常に屈辱的な一日を過ごしたのです。
いじめっこたちの「あわわわ」という雄叫びと
飛んでくる弓矢に見立てた紙飛行機のできそこないのようなブツから
身を守りつつ
「二度と人のいうことなんか聞くもんか!!」と
心に誓ったあの日・・・
それからいくつもの似たような体験を重ねて
「たとえやめたほうがいいと
言われようとも自分で選んだことなら
失敗しても、成功しても結果オーライ」
という信念がますます強くなり
今に至りますが
この件については大人になった今も
ほんとにそうしてきて良かったと思います。
人からダメだと言われたことでも
やるメリットは、まず
後悔がないということ。
そして、どんどん文字通り体で覚える経験=「体験」
が増えて、ものおじしなくなることです。
もちろん、人がダメだと言ったことを
やってみるというのは
むしろ失敗することのほうが多いかもしれないのですが
ただ「親や影響力のある人に言われたからやらない」のと
「誰かにダメだと言われたことをやってみたら
ほんとにダメだとわかったからやらない」
この差は
「人から借りた知恵」ではなく
「自分の知恵」になるんですよね。
もちろん、ダメだといわれたことを
やってしまって、結果本当にダメだったときは
周囲の人からも再度叱られますし
後始末するときのトホホ感はハンパなく堪えますが
ダメと言われたことをやってしまった結果
ものすごくうまくいったときは
そんな赤っ恥やとほほ感を
何千倍も上回る興奮と至福の極みを
体験できます!!!!
ダメと言われたことをやってるんじゃないかと
罪悪感を感じてたり
ダメっていわれるんだけど
そうしたい。ってことで、ぐるぐる&悶々悩んでいるのなら
罪悪感よりも、「そうしたい」を大事にしてほしいなと
思います。
ほんと、至福の世界が待ってるんですってば