幸川玲巳のコトノハいろいろ日記

2013年4月~2015年5月まで
ヤプログで書いていた記事を
まとめております。

ダメと言われたことをやるメリット

2015-03-22 11:27:48 | happpy

わたしを燃え上がらせるキーワードは




「○○しちゃだめ」

「無理なんだからやめなさい」 etc....



禁止されると、さらにそのことをやり遂げたくなってしまうという

悪い癖があります。

昨日、親の話を書いたのですが

ほんと、いまさらながら、わたしを育てるのって

大変だったんじゃないかと・・・・

「やるな!」といったことを敢えてやるので

親がブチ切れるのは当然のことだと

再度改めて思うのです。

親をてこずらせたり、周囲の人に冷たい目でみられながらも

なぜ「ダメと言われたことをやるのか」というと



そのときの自分にとっては

それが一番ベストなことだと思ってるからです



他人がいくらこのほうがよい!と思って

勧めてくれることであっても

わたし的にNGなときは

いやいやその人の顔をたてて

そのことに向き合っていても

さらにNGだと思わせてくれるような出来事を呼び寄せるだけです。


そのことをわたしが実感し、ある決意を持ったのが

小学2年生の春のこと。

当時キャンディーキャンディーのキャンディーが

来ているようなふんわりワンピースと赤いブーツが

わたし的理想の姿だったので

スカートをはいて

ブーツのかわりに晴れの日でも

赤い長靴を履いて学校に行ってました。


当時のわたしの憧れおしゃれスタイル♡

当然、母親は「普通の靴をはきなさい!」と

毎朝注意してましたが、お構いなしに

それを履いて学校に行っていたのですが

もともといじめられっこだったので

今思えば、赤い長靴もからかわれて当然だと思うのですが

わたし的にはイケてるスタイルで

自信満々だったせいか

周囲のいじめっこたちも、なぜだか「晴れの日でも雨靴」

の件については一切触れませんでした。



ところが、ある日、父が進級祝いにと

洋服を買ってきたのです。

それは茶色の太ももから脚の先端まで

びっちりフリンジのついたインディアンスタイルのパンツと

白のカーディガンのセットで

どうしてもそれを着ていけとうるさく言い

そのとき家に遊びに来ていた親戚からも

「あら可愛いじゃない!おしゃれなんだから

着ていきなさい」と無理やり着せられたので

イヤイヤいつものキャンディースタイルを

あきらめてそれを着て行ったのですが

教室に入った途端

いじめっこたちが群がってきて

「インディアン!!!」と笑い

わたしと目があうと

口に手を当てて「あわわわわ」とインディアンの雄叫びのマネを

され、非常に屈辱的な一日を過ごしたのです。

いじめっこたちの「あわわわ」という雄叫びと

飛んでくる弓矢に見立てた紙飛行機のできそこないのようなブツから

身を守りつつ

「二度と人のいうことなんか聞くもんか!!」と

心に誓ったあの日・・・




それからいくつもの似たような体験を重ねて

「たとえやめたほうがいいと

言われようとも自分で選んだことなら

失敗しても、成功しても結果オーライ」

という信念がますます強くなり

今に至りますが

この件については大人になった今も

ほんとにそうしてきて良かったと思います。



人からダメだと言われたことでも

やるメリットは、まず

後悔がないということ。

そして、どんどん文字通り体で覚える経験=「体験」

が増えて、ものおじしなくなることです。





もちろん、人がダメだと言ったことを

やってみるというのは

むしろ失敗することのほうが多いかもしれないのですが


ただ「親や影響力のある人に言われたからやらない」のと

「誰かにダメだと言われたことをやってみたら

ほんとにダメだとわかったからやらない」

この差は

「人から借りた知恵」ではなく

「自分の知恵」になるんですよね。





もちろん、ダメだといわれたことを

やってしまって、結果本当にダメだったときは

周囲の人からも再度叱られますし

後始末するときのトホホ感はハンパなく堪えますが


ダメと言われたことをやってしまった結果

ものすごくうまくいったときは

そんな赤っ恥やとほほ感を

何千倍も上回る興奮と至福の極みを

体験できます!!!!




ダメと言われたことをやってるんじゃないかと

罪悪感を感じてたり

ダメっていわれるんだけど

そうしたい。ってことで、ぐるぐる&悶々悩んでいるのなら

罪悪感よりも、「そうしたい」を大事にしてほしいなと

思います。

ほんと、至福の世界が待ってるんですってば





過去はいくらでも変えていい

2015-03-21 11:45:12 | happpy

先日、わたしが官能小説家として活動していた時に書いた処女作について

書かせていただいたところ、5~6冊アマゾンさんにあった在庫が

残り1冊になってました~

何人かの物好きなブログの読者さまが

購入してくださったものと思われます。

ほんとに稚拙な文章で、なんのためにもなりませんが

ほんとありがとうございます



2~3日前に鑑定させていただいたお客様が

昔の本を買ってくださったらしく


あの小説はれいみさんの体験談ですか?


と聞いてくださって

当時も、買ってくださった友人知人のみなさんから同じことを

聞かれていたのを思い出しました。


当時は「80パーセントノンフィクション」だと答えていたきがしますが


今読み返してみると

確かに、そういうこともあったなぁと思いつつ

あの本を書いた当時と、今のわたしとでは

過去の出来事に対する認識が大きく変わっている箇所ばっかりで

そのお客様には「いえ、あれは7割、フィクション=作り話です」とお答えしました。


ほんとにね、今となっては

あれ、ほとんど作り話というか、妄想だったんじゃないかと思います。


もちろん、小説に書かれている出来事の一部は現実に起こったことでは

あるのですが


たとえば、父に虐待されていた主人公

のエピソードにしても

今思えば、そうされて当然だったという認識があります。


「父に押し入れに閉じ込められて以来

闇がこわくなった件」ですが

わたし、昔から、ものすごく口が達者な子供だったんですよ。

で、ボキャブラリーが少ないわりに

結構ませたことを言う子供だったんです。


それが原因なのかどうかわかりませんが

わりと小さいころのことを良くおぼえていまして

1歳半ぐらいのときに、近所の子と

お人形さんごっこをしていて

「さぁ、パーピー(パーティー)よ。お着替えしましょ」

みたいなことを言ったら

相手の子は同い年だったので当然、1歳半の赤ちゃんですから

「パーティー」という概念を全く持ちあわせていなかったようで

きょとんとしてたっていうとこまで覚えてまして・・・


つまり、2歳のとき、押し入れに閉じ込められたのは

たぶん、父が激怒するような

ませかぶったこと(ませたこと)を言ったからじゃなかったかなぁと

思い出しました。



でも、不思議なもので、あの小説書いた当時は

わたしに原因があったことはまったく思い出せませんでした。


つまり、過去の出来事を

2歳のあの日からずっと、いい年こくまで

被害者側でしかとらえてなかったんですね。



子供って自分が悪いことしたのに

叱られたり、叩かれたりすると

「お父さんきらい!」「お母さんのばか!!!!」

ってなりますよね。

大人になって、自分がマナーの悪いクソガキを叱る側にまわったときの

気持ちはわかるくせに

こと自分の過去のこととなると

ずっと2歳の子供の被害者目線を持ち続けているんですね。

で、あれから10年近くたちまして

ようやく大人の目で、大人側の視点から

過去の出来事をみることが出来るようになって

あの小説を読み返すと、ほんと、唖然としてしまうんです。


20歳のとき、家出を試みて

激怒した父に髪をじょりじょり切られたことも

あの頃、わたしは失恋して、ものすごい心が荒れてまして

毎晩、バイト仲間と飲み歩き

朝帰りが続いておりました。成人式の朝も、親が用意してくれた

赤飯などにも手を付けず

「そんなもんいらんわっ!!!」みたいなことを言って

バイト仲間とドライブに行ったり

親から見れば就職もせず、いい年こいてふらふらしている

クソ生意気な不良娘なわけですから、

まぁ、ハサミで髪の毛じょりじょりはさすがに

行き過ぎ感はあるものの

わたしも、この頃はますます口が達者でしたから

父の逆鱗に触れることなど朝飯前でしたので

なんかすごいこと言っちゃったんだと思うのです。>覚えてませんが

わたしが20歳だったころ

父は、今のわたしと同じ年です。

母に至っては30代後半。


今わたしに、昔のわたしのような可愛げのない馬鹿娘がいたら

120%体罰しましたし

120%毎日怒鳴っていたと思います。



だからこそ言えるのですが


父はとくに、わたしのそのようなバカ娘っぷりに

目を細めているようなところもありましたし

他の兄弟は連れて行かない出張に

わたしだけ同行させたり、よくもまぁ

そんな娘を愛せたものだと感心します。


母に至ってはわたしの扱いに相当悩んでいたと思われます。

「わたしは母に子ども扱いされなかった!」と思ってましたが

子供扱いされるような口の利き方をしてませんでしたから

そりゃまぁ当然です。


でも、小説書いた当時や、つい最近まで

そんなことには思い至らず

父はわたしを虐待していた。

母は父に謝るけどわたしには謝らないのでわたしの味方ではない!


って信じてたわけです。


で確信したんですけども

日々の出来事も、ぜんぶそうなんですけども

人は自分の都合のいいように捉えるものなんだなぁと。


被害者でいたり

弱い存在でいたほうが都合がいいから事実をそこにフォーカスして

信じるし


被害者でいたり

弱い存在でいるのが馬鹿らしくなったら違う面にフォーカスしていく


まぁ、どっちでもいいし

そのとき、幸せなほうを選べばいいんですけどね。

お姫様ごっこにも過去エピソード書いてますが

なんだかんだ言って

今の私は「被害者妄想」にはもう飽き飽きしてますし

過去の理不尽な出来事も

「まぁ、そりゃ、あんた(自分)があんなだから、そうなるわな」

程度にしか考えてませんので

ずいぶんとラクになりましたし

今、まじりっけなしで、本当に幸せな日々を過ごさせてもらっております。

でもそれは、被害者妄想でじめじめとしたところにいたからこそ

感じられる幸せかもしれません。

もし望んだらの話ですが、もういい加減過去のことに

捕われない自分になりたいと思えるなら

必ず、タイミングが来るし、過去の出来事も

そんなふうにガラッと風景が変わって見える時期が来ると思います。


なので、今、過去の出来事を、過去の事実を

恨んだり、イヤなものとしてとらえていても

何の問題もないと思いますので

このブログ読んで、怒ったり、裏切られた!!

とか同情して損した!!とかいわないでくださいね


わたしたちは都合よく考えて生きてるし

都合よくいい感じに生きることも出来るし

なんでもやっぱり自分次第です。


過去の出来事のせいにしたいときは

それもよしです。


まぁ、さんざん、いいこと書いといてあれですが

わたしが口が達者で生意気で横着で偉そうなのは

父と母の育て方が間違ってたからだとやっぱり

思いますもん。もっとこう、わたしがおとなしくなるような

制裁を加えてくれていれば

今頃おしとやかで従順でお友達も多いアイドル的存在に

なれていたかも!!!!って本気で思うことも多々ありますけども。


・・・・・・・・・

で、では皆様、素敵な週末をお過ごしくださいね






愛の伝道師・・・なので今後は官能系のお話も♡

2015-03-17 12:16:10 | 官能のお話

知ってる人は知ってると思うんですけども

わたし、占い師デビューする前は

官能小説家でございました。

2005年の夏ごろから

富永りりかって名前で

まぐまぐさんのメルマガでセクシー系の記事書かせてもらったり

エロ雑誌の体験談をゴーストで書いたり

PDF商材で男性向けエロマニュアル書かせてもらったり

自費出版の小説出したりといった活動をさせていただいてたのですが

アルバイトのつもりでやり始めた

占い師の仕事が予想以上に面白くなって

いつのまにかそっちが本職になっていまに至るという

怪しい経歴の持ち主です。


アマゾンに少しだけ中古の在庫があるみたいです
稚拙な文章でちっとも売れなかった本なのに持ってて下さる方がいたなんて、ありがたいです~。



今でこそ、愛や性について語る素敵なセラピストさんや

ヒーラーさん、カウンセラーさんがたくさん活躍されていて

誰もがその気になれば、自分自身の愛や性についての深い知識を

知ることができるので、とってもいい時代になったと思うのですが

わたしが活動していた当時はまだまだ

性的なことはどこかアンダーグラウンドなイメージで

切り離されたものとして捉えられていたとおもいます。


その証拠に、わたしの処女作、今読んでも

全然、ポルノじゃないのに

当時の出版社さんから「ポルノ枠」で出版するよう勧められましたし

わたし自身も自分の本を宣伝するときに

「ちょっと官能的な表現がきついけど」とわざわざ言ったりして

照れ隠しもあったのですが

わたしとしては性も愛も=生命力や

幸せに生きることの源だと当時からとらえていたので

絶望のどん底にいる一人の女性が再生する過程で

性的なことって絶対必要だと思ってそのことを小説にしたのですが

今読みかえすと、ほんと、なるほどなぁと思うことばっかり



自分で書いといてあれですが

今、性や愛を軸にして幸せ道を説いている

セラピストさんやカウンセラーさんたちが言ってることって

わたしってば、ちゃっかり時代先取りして書いてるじゃん。>売れませんでしたけど



って思います。文章はど下手なんですけど、

結果、幸せに生きていくうえで、性を切り離すことはできないし

愛を受け取るうえでも性ってとっても大事なの。

ってことを当時から、すごく実感してたわけです。

占いのご相談もね、ここだけの話

性に関することがほんとに多いです。

なので、今後はそのあたりも

ブログでも、わたしなりの解釈でお話できたらいいなと思います。

出版社がなくなってしまったのと

自費出版だったもので、わたしの手元にはもう在庫がないので

興味ある方はわたしの富永りりか時代の処女作も

手に取ってみてくださいね~








「いらんこと」が幸せを呼ぶ

2015-03-16 17:59:43 | happpy

ネイルチェンジしてきました~




ポップな春をイメージさせてくれるような素敵なデザインで

今月もこれで気分が上がります


ネイルって1か月弱の寿命なのに結構、そこそこのお金がかかります。


月々のネイル代は、わたしにとっては「必要経費」ですが

人によっては「もったいない!!そんなお金があったら

貯金するわ」と思う人もいるかもしれませんね。


ただ、「ムダなもの」「いらんもの」


ついでにいうと「いらんこと」って

確かに、ムダだったり、基本的な生活をすることだけを

考えたらそんなに必要じゃないことなので


省こうと思えば省けるものですが


一方で、ムダだと思えるもの、ムダだと思う手間

ムダだと思う時間

そんなものほど、振り返ってみると

思い出に残っていたり、気分を上げてくれたり

自分の肥やしになっていたりするものです。

わたしはネイルをしたり、おしゃれをすることで

いい気分でいられるので、ある人にとっては

ムダなことかもしれませんが、わたしの精神衛生上では

絶対に必要なことです。




いらんことも極めれば人の役に立つこともあります。


わたしのネイルを担当してくださっている

ネイリストさんだって、ネイルが好きでこの世界に

入られたそうですが、爪に色を塗るという

一見、とってもムダなことが

わたしが気分よく1か月を過ごせることにつながっていて

彼女のムダなことがわたしの役に立ってるわけです。


究極、どんなことでも、どんなものでも

必要だと感じてる人はいるものです。




もちろん、別に、人の役に立たなくてもいいので

自分が「ああ、また、いらんことやってるなぁ」

「ああ、また無駄なことしてるわ」

と思うものに関しては、いっそのこと

「ああ、わたしを豊かにしてくれてるわ」

という気持ちに切り替えて、とことん楽しんでいると

「幸せ気分」が湧いてくるので

そこからさらなる幸せがやってきます。




幸せでもなんでも

あるところにしか来ない法則が働くわけですね。


逆にいうと、せっかく、新しいお洋服を買ったり

ちょっといいものを食べたのに

「ムダなことしてるわ!」と罪悪感いっぱいで

自分を叱りつけたり

「お洋服買ったんだから節約しなきゃ!!」と

「無駄なこと」を排除しようとやっきになると


「ムダなこと」ばかりに意識が向いてしまって

結果的に損した、無駄だったと思うような出来事を

感じやすくなってしまいます。

だからといって節約するな!っていう話ではないのですが

ムダなものはないかと目を光らせていても

あまりいいことは起こりません。


節約はしてもいいですが

お洋服を買ってしまったせいにするのではなく

たとえば

「このお金を節約することで

将来楽しいことをするための貯金にしよう」という感覚で

お金を別のことにまわす感覚でいれば良い結果に

つながるとおもいます


今からの季節は特に、春色のトレンチコート

ポップな色のシューズ

美味しい春野菜などなど

素敵な無駄なものがいっぱい

目に入ってくると思いますが

今までムダだと思ってたものを

1つだけでも取り入れて

それをしっかり楽しんで豊かな気持ちを味わうと

その時は当然、いい気分でいられるし、その一瞬の喜びエネルギーが

さらに、いい気分になれる出来事を

引き寄せる磁石になりますので


ブログ読者の皆さまも素敵だなと思ったものは

ちょっとムダだと思うかもしれませんが

ぜひぜひ、取り入れてみてくださいね




テニスで受け取り上手オーラがアップ♡

2015-03-15 19:36:46 | イベント&お茶会

今日は心配された

お天気にも恵まれ、

絶好のテニス日和となりました



本日ご参加の方はテニス未経験者の方と経験者の方が

ちょうど良いバランスでご参加いただきました。


お二人のイケメンコーチ

+筑紫野ローンテニスのエース、素敵お姉さまYさんが

皆さまのお相手を務めてくださって

未経験の方はテニスの楽しさを

経験者の方はますますスキルアップの方法を

教えていただき、それぞれのペースで

楽しまれてました。









今回、テニスと愛され上手で運気アップ

コンセプトもばらばら、異質のコラボだったのですが

実は、テニスと運気アップは

あながち、関係ないわけではありません。




テニスで汗を流したあと、少々、心地よい疲れとともに

開始したお茶会では、そのつながりについて

お話させていただきました。


テニスのようにおなか付近の筋肉=体幹を使う運動は

腸に刺激を与え、ハッピーホルモン「セロトニン」が

出やすい体になります。


まず体が幸せを感じることができないと

愛もお金も幸せも受け取りができません。


幸せを感じやすい体づくりをすれば

どんな問題を抱えていても、いつの間にか

がんばらなくても、問題解決に走り回らなくても

不安予測をしなくても

それが解決するような思考や行動ができるようになるのです


だから女性は快楽優先で全然良いのです

自分にとって心地良いことを

たくさん取り入れて、イヤなものはイヤだと

はっきり意思表示をして

自分をご機嫌にしてさえいれば勝手に幸せになっていけるのです


お茶会ではさらに、お一人お一人に合った

愛や神様からのラッキーを

さらに受け取り上手になるための秘訣を

御伝えさせていただきました。


今日ご参加された方は、わたしやカエラ先生の

リピーター様ばかりだったのですが

もともとは愛され上手の女王様、女神さまマインドの方ばかりが

お集まりで、ちょっとした工夫で

色んな素敵なものをたくさん受け取れる方ばかりで

ドキドキしちゃいました。


ご参加の皆さまの素敵な女王様?いや、もっとパワフルに

なられた皆様の「女神さまエネルギー」を

いただいたせいか


わたしとカエラちゃんがホテル内の通路を

歩いていたら、正面を歩いていた外国人の殿方から

満面の笑顔で

「Waao!!!Gorgeous!!!」

「You're Goddess!!!」

*「ワァオ!!!ゴージャス!!!君たちは女神さまだ~~!!」


と声をかけられ、びっくり

 



以前のブログで女神マインドで生きることを

書いたと思うのですが、自分が女神だとおもえば

周囲にそう思ってくれる人たちも

ちゃんと現実に現れるのです


女性は、皆女神さまです



女神さまは当然、素敵なものを受け取り

また、たくさん素敵なことを与えることができます


次回もまた素敵なイベントを企画したいと思いますが

どのイベントもどのお茶会も

皆さまが幸せ女神さまでいられる秘訣を

お伝えするものですので、いつかぜひ

ご参加くださいね


本日ご参加いただいた皆様、コーチの皆様

素敵な時間を本当にありがとうございました