幸川玲巳のコトノハいろいろ日記

2013年4月~2015年5月まで
ヤプログで書いていた記事を
まとめております。

今日はアメブロで女性性についての記事を書いてみました♡

2015-05-20 12:54:48 | happpy


いつもはヤプログで書いた記事を

アメブロにリンク貼りしてるんですけど

今日は逆バージョンで

こちらがアメブロの記事です

ただいま絶賛、ブログ引っ越し検討中です


愛されるって素直に嬉しい♡

2015-05-16 12:48:17 | happpy

先日のブログで告知したお弟子さんオーディションですが

ぶっちゃけ、そんなに応募来ないだろうなと思っていたら

今日の時点で5名様のご応募いただいてまして


志望動機を書いていただいてるのですが、これが

ラブレター並みに、嬉しくて素敵なものばかり・・・・







人前に出る仕事をしていますし、正直、わたしは

普通の人以上にキャラクターが濃いですし、

発言もTPOとか考えなしで言いたいことを言いまくるので

いろんなところで悪口言われます。


ほんと、そういうのをいちいち気にしてたら

生きていけません。


ある人から、2ちゃんねるで書きこみされてるよって

教えてもらったので、読ませてもらったのですが


書き込みされている方々の妄想力とか

発想が凄すぎて、もう笑うしかないです!!!


おそらくリアルで関わった人だろうなと

思われる方もいろいろと書いてくださってたので

「クレームならわたしに直接言えばいいじゃん」って思ったのですが

まぁ、なんというか・・・・・

本人たちは、わたしの発言をブログで読んだり

リアルに関わって不愉快な思いをしたことで

大嫌いだし、そうなるとわたしのやることなすこと

「悪」だと感じてしまうのでしょうから

そこは「あなたたち間違ってる!!!」って

わたしが釈明したり怒ったりする理由もないですし


小さいころからいじめられっこだったせいか

人から向けられる自分に対する嫌悪感や悪意には

免疫がんがんついてるので

基本的に何言われても全然大丈夫です。


ああいった悪口を書くことで欲求不満解消できるなら

わたしをオカズにいろいろ書いてくださっても

全然かまわないです。はい。


むしろわたしを有名人のように扱ってくださって

なんかちょっと嬉しかったりもします。



有名人ほど悪口スレッドたってますからね。



わたしは、ただキャラクター濃いだけで「無名」という状態が

昔からイヤでイヤでたまらなかったので、


こういったアンチの方の存在によって

ちょっぴり有名人になれて、実はちょっと嬉しいです。


まぁ、それでも、やっぱり「大好き!!」と言われると

本気で素直に嬉しいっっ!!!!です。

大嫌いよりは大好きのほうがいいにきまってます。

わたしだって一応

にんげんだもの・・・・byれいみ



今回御応募くださった方、勇気を出してご応募くださって

本当にありがとうございます。

こんな私の弟子になろうと思ってくださるって

本当に覚悟がいったとおもうんです。


今いるお弟子ちゃんたちや、わたしのスクールの生徒という肩書で

占いの仕事をしている生徒さんたちは

2チャンネルで金の亡者だの傲慢だのなんだのと書かれているのを知り

なぜか嬉しそうに


「確かに先生エラそうで金の亡者ですもんね!」 

「そういわれてみれば先生、小○方さんに似てますよ!!」

>おい!!!

などと笑いながら悪態ついてきますが


わたしの弟子になったり、わたしのスクール卒業生という肩書で

活動するということは

自分たちもそういうとばっちりを受けることもあるかもしれないわけで

今回ご応募してくださった方含めて、わたしに好意を寄せてくださっている方々の

存在は本当にありがたいとしみじみ思います。


わたしの父もいろいろ陰口叩かれる立場の人だったので

わたし自身、何度もそのとばっちりを食ったことがあるのですが

彼女たちみたいに腹が据わってなかったわたしは

そんな父に反抗しまくり、文句言いまくってましたからね~。



彼女たちに比べたらほんと、器が小さいわたしです。



器が小さくても、傲慢でも、性格悪くてエラそうでも

金の亡者でもわたしのことを好きだと言ってくれる皆さまを

これからもわたしは大事にしたいと思います。

アンチの皆様も、いつもわたしなんかのことを

いろいろあれこれと妄想してくださってありがとうございます


というわけでお弟子さんオーディション

締め切りは7月末日です。勇気ある方の御応募まだまだお待ちしています



夢を叶える正しい信念の持ち方

2015-05-09 13:58:17 | happpy




講座受講生のHちゃんから可愛いお花のお土産を

いただきました

Hちゃんは思春期、いじめに遭ったときに

外見をけなされていたせいで、未だに自分の外見に自信が持てないところが

ありました。

今までは職場でも理不尽なことを言ってくる人や

Hちゃんに対して失礼なことを言ってくる人に対して

何も言えず、自分からその場を去ったり、自分を責めてしまっていたHちゃんですが

講座をきっかけに

人にもNOと言えるようになったり

理不尽な相手にもイヤなことはイヤだとはっきり伝えることが

できるようになり、だいぶん自信がついたようです。



ただ、容姿に関してだけは

どうしても自信が持てず、講座の中で

行っているセクシーメイクの講座を受けてもらっても

なかなか上達しなかったのです。



容姿に関しては中学校の時から

不特定多数の男女に

「ブス」と言われ続けたせいで、そっちのほうが

真実だと信じてしまったんですね。


わたしも同じ経験があるので

Hちゃんの気持ちが痛いほどわかりました。



でも、Hちゃんのことを認めてくれなかった人は

過去たくさんいたのかもしれませんが

たくさんといっても中学校の中だけですし


それもしょせん、あまり賢くない子供たちが気ままに放った

ちゃちな好き嫌い(価値観というほどたいそうなものではない)に

たまたまHちゃんが合わなかっただけの話です。


まだ人間としての品格や価値観も育っていないガキどものいうことなんて

ほんとにしょうもないですからね。


だいたい大人数で1人の人間をいじめるというマインド自体

人間力が育っていない証拠です。


オトナにもいますけどね。集団や匿名でないと

自分の意見を言えない下等な精神性の持ち主の人たちが。

オトナだろうが子供だろうが

そういう人たちってまるで魅力がないとわたしは思います。


そういうしょうもない人たちに、たまたまそのときの

Hちゃんの容姿を否定されただけの話です。

で、Hちゃんは20年以上もそういったおバカさんたちの

言うことを真に受けて「自分はブス」

「わたしがここにいると皆がイヤな気分になる」

「こんなに嫌われてる自分は存在してはいけない」

って思い込んでいたんですね。




わたしもそんな時期があったのですが

そういうことに気が付いてからは

ちゃんちゃらおかしいというか

心底馬鹿らしくなりましたので


「そんな人たちの信念をそっくりそのまま大事にしてるって

自分があんまりにもかわいそすぎませんか?」


とHちゃんにもお伝えしたところ

「本当にそうです!!!

もう20年前のおバカさんたちの価値観を真に受けるのやめます!!」

と宣言されました。




これってHちゃんだけでなく、意外とこういう罠にはまっている人って

多いと思います。



どこかの誰かの自分勝手な好き嫌いで「才能がない」と言われたり

「センスがない」と言われたり。


もちろん、わたしも含め、人間だったら誰でも

誰かに自分の好き嫌いや価値観を交えて

判断することってたくさんあります。


自分の好き嫌いで人や物事をジャッジするな、

決めつけるな、ってな、ありきたりなことを言ってるんじゃないです。


そうじゃなくて



人の意見なんて

しょせん、好き嫌いやその人個人の解釈なので

それを自分が真に受ける必要はまったくない



ってことです。もちろん、真に受けることで

自分がうれしくなったり、自信が持てるようになることであれば

受け入れてもいいとおもいます。


でも、それが自分にとって居心地の悪さとか

人生を楽しめないことにつながってるなら

さっさと別の信念に入れ替えてしまいましょう。


「そうはいっても、どんな信念を持ったら自分が

幸せになるのかわからない・・・・・」


という方もいらっしゃるかもしれません。


これまた、ありきたりの方法に思えるかもしれませんが

実はものすごくシンプルな方法があります。


それは「こうなったらうれしい」と思うことを、すでにそうなったかのように

言葉にしてみることです。


美人になりたいんだったら、「わたしは美人だ!」

と事あるごとに言うようにするのです。


そして「美人なわたし」だったらどんな行動をするか

たとえば、美人だったらもっとメイクを楽しんで

おしゃれして街を歩くとか

美人だったら、男性にも自信を持ってとびきりの笑顔で接するとか


美人なわたしだったらやりそうなことを

現実にやるだけでいいのです。



そしてここはすごく重要です!!!



『1回だけじゃなくて、習慣になるまで続ける』



この習慣化ができないといつまでたっても

欲しい現実は手に入りません。


そもそも、誰かの好き嫌いがどのようにして

わたしたちの「信念」になっていったかというと


その誰かの個人的な感想を

そっくりそのまま言葉で繰り返すようになったからです。

つまり「習慣になった」んですね。


Hちゃんのように「自分はブス」という

信念を持ってしまった方の場合


クラスメイトや誰かに「ブス」といわれ

「わたしはブスなんだ」と思い始めます。


そしてだんだん、

心の中で、何かあるとすぐに

「わたしはブスなんだから○○しなきゃ」

とブスであることを受け入れ、ブスにふさわしい行動を

取るようになり、やがて誰かから「Hちゃんかわいいじゃない」

と声をかけてもらっても「いえいえ!わたしブスなんですよ!」と

全力で否定するようになります。もう、ここまできたら

立派な習慣です。そしてそのような習慣を持っているので

何処に行っても、誰にも何も言われないうちから

自らブス宣言したりします。

そして、それに同意するような意地悪な人の意見を

証拠にして、ますます「自分はやっぱりブスなんだ!」と信念を

固めることに成功していくのです。



自分が信じたい考え方や

それに基づいた行動を習慣になるまで行うと

その通りの現実が手に入る!!!



至ってシンプルな法則ですが

夢が叶わない、願った通りの現実なんて手に入ってない!!

そんな人は

叶えたい信念を習慣になるまで続けてないんですね。


習慣になるってのいうのはごく当たり前になるということです。


たとえば仕事で成功したいのであれば

「わたしは成功してます」と言葉で言い切る。

いわゆるアファメーションというものですね。

心の中で「お仕事も大成功されているお嬢様」と

執事に言わせるお姫様ごっこを使っても

もちろん効果ばつぐんですが

これも、一回や二回、最初の3か月ぐらいなら

目新しいしやる気も出てくるのですが

なぜだか、効果が出る前に、皆さんやめてしまいます。



成功してる女性がやりそうなこと・・・

自分の中の勝手なイメージでもいいですし、

実際に成功している女性の

ブログを読んだりして、その人が普段やってることを

マネしてみることも重要ですが

それもせいぜい2~3回マネして効果がないって

言ってやめてしまうんですね。


そして「もっと具体的な方法教えてください」

とか言って新しいことをやろうとします。

これ、いくら新しいことをやっても

考え方が習慣になっていなければ

なんにも奇跡は起きません。




アファメーションや実際に行動することが

「習慣」になって初めて

いつの間にか願ったことが現実になっているという

状態を手にすることができるのです。




好きな人を振り向かせたいなら

「素敵な男性は皆私に夢中になる」と言い聞かせて

素敵な男性=彼から

愛されている女性が取りそうな態度で彼に接してみましょう。


相手があることですので

それで片思いが両想いになるかどうかは

彼の気持ち次第ではありますが

「当然彼から愛されてる」という価値観でいると

自然な笑顔や自然な態度で彼と接することができるので

習慣になるまで、その考え方を叩き込んで行動してみてください。

「素敵な男性は自分に夢中」という考え方が習慣になれば

その証拠がどんどん見つかる=自分に夢中な素敵な男性が現実的に現れる

という現実が手に入ります。


逆に「彼に愛されるためにがんばる」のは

「彼に愛されていないこと」が行動や考え方の習慣になっているので

結果的に「愛されていない自分」を実感し続けます。



信念を貫き、自分のなりたい姿になる、

自分のなりたい未来を手に入れるというのは

そういう人たちがやっている習慣をマネして

自分の習慣にするだけなので

そう難しくないことだと思います。



もちろん、途中で抵抗が出てきたり

やめたくなることもあると思うのですが

めんどくさいから。つまらないから

ってやめてしまう程度のことなら

別にそのことを無理に叶えなくてもいいのではないでしょうか。

きっと、もうこんな人生イヤだ!!!と心底思った時に

もう一回チャレンジしてもいいかもしれませんね。


今回「このままブスと言われまくる人生はイヤだ!」

と一念奮起したHちゃんは今からどんどん素敵な女性になって

いかれることと思います。


読者の皆様も、

「こんな生き方もうイヤだ!!!」

「こんな人生もう飽き飽きした!!!」

と奮起されているのであれば

自分を不幸にする価値観は総入れ替えして、本来の自分が望む価値観を

優先し習慣化させてみてくださいね。

気が付いたらいつのまにか、自分が望んでいた未来を

手にしているはずです













意味づけで人生の景色が変わる。

2015-05-08 10:53:24 | happpy

昨日の記事アップしたら

『え????そこ???』

って思うところに反応した人がいてびっくり!!!



ブログはコメント機能つけてませんけど

問い合わせ用メールアドレスには

時々、そういうメッセージ来ます。



反応があるというのはとってもありたがいことなんですけども

わたしはすべて受け入れる「よしよし」するタイプのカウンセラー

ではありませんのでこうして大人げなくブログに書いたりします。



昨日母のことをちょっと書いたんですね。

そしたら、その反応してきた人のお母さんはいわゆる毒親だそうで

(メールにはこの人の母親にされたひどいことが延々と書いてあった)

そんなお母さんに「会いに行け!大事にしろ!!って言われても

無理な人もいるんですからそういう人のことも

考えたらどうですか?」って書いてあるんですけど





・・・・ええええっと。


わたしそんなこと一言も書いてませんよね?????



この人にとっては

あのブログが「親に会いに行け!大事にしろ!!」って

ことを啓蒙したように感じたのかもしれませんが


これ今に始まったことじゃないんですけど


時々こういう「自意識過剰すぎる人」がいるんです。

ブログに書いてることは

全部自分に向かって書いてあるって勝手に思い込んでしまう方が。


そりゃ、読者の方に向けて書いてますので

そんなふうに受け止めて頂いて嬉しいこともありますけども



自分が出来ないこと、やれないこと

そんなふうに考えることができないことを

わたしがやってのけてるからって

勝手にいじけられてもわたし的には

「知らんわ!」って思いますけどもね。


わたしも、前ブログに書いたかもしれませんが

わたしも自分の親のことを「毒親」だと信じて疑わなかった時期がありました。


でも、そのやられたことは

100パーセント事実だったかもしれませんが

なぜ親がそうしたかという「事実の裏にある真意」なんて

わたしにはわからないわけですから、

真意の意味づけを勝手に変更しようって思ったんです。


お父さんやお母さんにイヤなことされた。

わたしの親は毒親だって意味づけするのに

なんか飽きちゃったんですね。

もっというと被害者意識持つのをやめたくなったんです。

だって被害者って「受け身」でしょ?

「受け身」っていうのは人や状況が変わるまで

何の変化も起こらないし、おもしろくもなんともないわけです。


だったら自分で変化を起こしたほうが面白いし

退屈しないし、どうせだったら

都合よく考えたほうがいいかなって思ったので、それをやめただけ。

事実や現実なんて

人が言った言葉や人が取った言動や行動だって

ある意味、受けとる側が勝手に

意味づけしていいんですよ。






「そんなひどいことする親なんて嫌い」

って意味付けしようが

「あれはわたしにも非があったからだ」

と意味付けしようが、要するに誰かがやったことに対して

意味を付けるのは200パーセント自分の責任ってことです。


まぁ、だからといってわたしの書いた文章に

勝手に意味づけしといて


「こんなふうに考える人=意味づけする人のことも

しっかり考えて文章を考えて書け!」

とかいわれてもわたしにはそんな技能がないので

そういうリクエストには一切お答えできませんが

わたしの書いた文章に勝手に意味づけするのは

全然好きにやったらいいんじゃないですか?って思います。

ただでさえ忙しいので

「私の場合は違うんです!」とか言われても

個人的なお返事はできませんけども。


昨日のブログでわたしが書きたかったのは

わたしが忙しくて母に会いに行けないことで

勝手に母が怒ってる、弟たちも迷惑してる

って「あきらかに間違った意味づけ」をしてました!

っていうことだったんです。

実際、母は怒るどころかわたしのことを心配してましたし

母を預かってくれている下の弟も同じように

わたしのことをただ心配していただけで

怒ってもないし、迷惑がってもいませんでした。

わたしが勝手に「怒ってるだろうな」

「無責任と思われてるんだろうな」と意味づけして

勝手に遠慮していただけなので

「被害者意識」の意味付けは本当に馬鹿らしいですね。

っていうことを書きたかったわけです。




いや、もしかしたら弟だって本当の真意は

「仕事を理由に自分にばっかり親の面倒おしつけやがって」

って思ってるかもしれませんよ。

でもたとえそれが彼の本音だったとしても

わたしが被害者意識を持つ必要はないんです。

仮に弟がそう思ってたとしても(違うと思いますが)

そう意味づけしてるのは彼の問題であり

わたしには関係のないことなんですね。




今後も物理的に母を預かることは厳しい日が続くのですが

それで自分を責めたり、勝手に母が怒ってるとか

弟が迷惑に感じてるという意味付けはやめて

母はいつでもわたしに会いたがってる

弟は仕事を応援してくれているという意味付けに

勝手に変更して、自分が会いたいときに

都合よいときに会いに行けばいいじゃんね。ってことを

書いたんです。

だから、メールをくれたあなたも

勝手に都合よく考えていいと思います。

親がどうであれ、他人がどうであれ

自分がいいと思うことをすればそれでいいんじゃないでしょうか。

ほんと、人の言葉をどうとるかで

景色って変わります。


昔はわたしも被害者目線=どうせわたしは嫌われている

どうせわたしには無理

どうせわたしは不幸

どうせわたしは邪魔者

といった価値観をベースにして人の言動や

行動に意味づけことが多かったので

いろいろと不快なことが多くて、それがずっと尾を引くというか

長期間うじうじすることが続いてたのですが


今は意味づけのベースになる価値観を総入れ替えしたので

ほとんど「不快」なことが長続きしません。

今は

わたしは好きなことやってるだけで愛されてる

わたしがわたしでいるだけで熱心なファンは増え続ける 


という勘違い炸裂な価値観がベースにあるので

母の事のようなちょっとしたエラーを起こしても

すぐに軌道修正ができるようになりました。


このベースがなかったら

たとえ母から電話をもらっても

「心配という名の束縛でわたしを支配してる!」とか

弟の言葉をきいても

「表面上はこういってるけどほんとは迷惑してるくせに」

という意味付けでますます意固地になってたと思うんですね。

ってことで、メールをくれた人も

そのままの意味づけで幸せなら

その意味付けのベースである価値観は大事にしてていいと

思いますけど、そうじゃないなら、価値観を変えて

自分がラクになったほうがいいんじゃないかなって思います。



昨日の海の景色だって

晴れてたらもっといいのにって

意味づけもできるし、ただただすがすがしいっていう

意味づけも出来ると思うんですよ。

ネガティブでいたい日もあるので

そういうときはぐずぐず言ってもいいけど

わたしは今後もできるだけ「快適」な意味づけを

増やしていきたいし、快適なことを選びたいです












ブログはご無沙汰ですが生きております

2015-05-07 22:12:47 | happpy

ちょっとだけご無沙汰しております。

実は5月に入った途端、風邪→気管支ぜんそく

→その他アレルギー症状(結膜炎&鼻水とまらない&体のあちこちがかゆい)

この季節恒例の持病祭りが始まりまして

告知させていただいていたにも関わらず電話鑑定に1回も入れませんでした。


症状は日々おさまりつつあるのですが

まだ咳き込んだり、鼻水だらだらになったり

顔が腫れたりしてまして、とても人前に出られる姿ではないので

すでにわたしのセッションのために

航空券やホテルを押さえて来られている

どうしても延期出来ない遠方からのお客様のセッションや

状況的に延期が難しいお客様のご依頼のみ

対応させていただいている状態です。


昨日もこの日程でしか調整できない

お祓いと鑑定の仕事ご依頼をいただいておりまして

福岡県内ですが、うちからは片道約2時間程度の

海辺の町にお伺いしてきました。


遠方の為、前泊させていただいたのですが

海がみえるお宿がまた素敵で、ここ数日のデトックスで

疲れ切った心と体を癒してまいりました。




あいにくのお天気でしたが海の水は透明で

潮風が心地よかったです。




畳に寝転がって潮騒の音が聞こえるなんて最高です。

以前住んでいた海のそばの家と雰囲気が少し似ています。


このお宿がなんだかとても

居心地が良いと思ったら徒歩5分のところに

神社がありました。



パワースポットは高級ホテル


と豪語している

スピリチュアルカウンセラーらしからぬわたしですが

ここは本当にすがすがしく、すっきりとした気が流れている場所で

大変、気に入りました


のんびり宿でくつろいでいたら

突然、実家の母から電話がありました。


最近、超がつく多忙のため

母とも会えておらず、しばらくこちらからは連絡できていなかったのですが

弟のお嫁さんの献身的な介護のおかげで

以前より意識がはっきりしていて

(母は脳の病気のため後遺症で痴呆のような

症状が出ているのです)

多忙なわたしを気遣ってくれてびっくり。


昨年母と一日一緒に過ごしていたときも

こんなふうなはっきりした言葉を

わたしにかけてくれることなどなかったので

嬉しいやら、ありがたいやらで電話口で

涙がとまりませんでした。



わたしは実家とはある時期疎遠になっていたのですが

一昨年からまた行き来が始まったにもかかわらず

ここ数か月、いろんなばたばたが重なり

母と過ごす時間が作れず、またもや疎遠になりつつあったのです。



きっと母は責めてるに違いない

弟たちもあきれてるに違いないとか

私自身がそのことに勝手に罪悪感を感じていて

ここ最近、自分からは連絡できなかったのですが


こうして母から電話をもらい、いろんなことを

勝手に勘違いしていた自分の馬鹿さ加減を

改めて思い知ったのでした。



親兄弟という存在は時に疎ましくもあるのですが

時に疎ましかったり、わずらわしいからといって

それイコール愛してないわけではないですし

お互いの距離感を上手に取りさえすれば

かけがえのないものに変わりありません。



わたしも母の電話を機に、変な罪悪感を持つのはやめて

堂々と会いたいときは会いに行こうと改めておもいました。

縁起でもない話かもしれませんが

お互いいつ死ぬかわからないのですから

親子でいられる間は、その関係を大事にしたいと思いました。

わたし的にはいろんな意味で

充実した時間を過ごせたここ1週間でございました