黎明の日々の光景

日々の光景の中にある美しく感じた瞬間・
きれいと感じた空間やモノ等をそのままに切り取りました。

赤坂泉の桜と菜の花の矢取川

2011年04月03日 | 日記

今日の松山市は、うす曇りで昼前に小雨が降ったりしましたが、午後から晴れとなりました。

最高気温は、14.1度で最低気温は8.9度でした。

今日は砥部町の赤坂泉に来てみました。

風が強くて、昨日に比してかなり寒かった。

赤坂泉は、夏場はちょっとした水遊びとか泳ぐことができていましたが、数年前から遊泳禁止になりました。

本来は親水公園として建設省の河川改修事業の赤坂桜づつみモデル事業として整備されたので遊泳禁止は、事業費の本来目的に反することと思いますが、その辺を砥部町はどう考えているのか?

 

※2016.8追記 H27の秋からH28の7月まで赤坂泉の樋門等が老朽化で改修工事をしていましたが、
それが完了して、遊泳禁止ではなくなったようです。H28.7月末より多くの人が、再び水遊びを楽しんでいます。 

 

こちらも整備事業の際に当時の建設省が右岸に陽光を植樹しています。最近、陽光桜の顕彰碑も建てられました。

   

 

  

日本中が大震災の喪に服したように暗く元気がなくなっているので この陽光桜の 明るい鮮やかな桃色を見ているだけで元気が出ます。

 

 

次は、赤坂泉の近くの愛媛県道23号伊予川内線の新矢取橋の上流にある 矢取川の菜の花の群生です。

 

愛媛県道23号伊予川内線の新矢取橋から上流を望む

 

 

  

桜の花が咲き誇る来週頃はもっときれいかも

 

上流側の橋から 下流側を撮影

 

                      路側の視線誘導標のレンズが抜けているものから覗いた感じの菜の花

 

仏教の教えに三つの布施という意味で三施という布施の行が、あります「法施」と「財施」と「無畏施(むいせ)」というものです。

この中で徳も積んでいない、修行もしていない我々ができるものは「財施」(お金や物を差し出すこと)ですが、裕福な人でないととても無理です。

「長者の万灯よりも貧者の一灯」という言葉がありますが、大切なのは、それに込められたその人の心や想いが大切だということですが、

そこで心のお布施というか奉仕というような無財の七施というのがあります。

七施の1つは、やさしく、思いやりの満ちた眼差しで悲しみや苦しむを持った人々と接して、その心を明るく癒す「眼施

2つ目は、笑顔が接する人の心や世の中を明るく幸せにするという「和顔悦色施」。今の日本は大震災の被害を考慮して喪に服したようにすべてを自粛という文字で塗り固めて暗い雰囲気となっていますが、世の中を明るくすることが一番大切なことです。

3つ目は、優しさや思いやりの心のこもった言葉で人と接することで人間関係を含めて周りを和やかにする「言辞施」。

4番目の「身施」は、ボランティアで震災地に赴き、復興を手助けしたり、義援金を集めたり、救援物資を被災地に送るために運んだりする体を使った労働や奉仕などです。

5つ目は、「心施」です。思いやりや感謝等の心をもって人と接すること。雪降る寒い夜に宅配便の荷物を受け取ったら配達の人に「寒い中、大変ですね。ありがとうございました。」と感謝する等です。

6番目は、乗物で席などを譲り合う「床座施」というものです。電車やバスでお年寄りに席を譲ったりすることですが、今ですと震災の影響で色々なものが供給不足になっていますが、買い占めなどをしないで不要不急なものは、本当にそれが必要な人のために買わずに残してあげる。といったことがあてはまると思います。

で愛媛県内でもスーパーのミネラルウォーターの棚はからっぽ。

お一人様5本までの制限をしても このありさま。悲しいね。

最後の7つ目は、一夜の宿に困っている人があれば泊めてあげて食事を差し上げるといった「房舎施」。被災地の人に寝泊まりできる場所や食事等を提供することでしょうか。

4の「身施」はなかなか出来ないですが、人を思いやる。感謝の気持ちを持つや笑顔を絶やさないなどは誰でもできる震災支援だと思います。

日頃、不満やわがままや人の悪口を言っている不徳の多い私も少しばかりの徳を積みたいと思います。