
たしか開館して5年ほど経ってるんじゃないかな・・・。「いつか行ってみたい!」とず~~っとおもってたけど、なかなか行く時間を見つけれなかった。
広島から電車に乗って、揺られること40分ほど・・・。呉駅からほんのちょっと歩いたところにある「大和ミュージアム」!
戦艦「大和」の1/10スケールを展示されていることで有名だし、ちかくには映画「男たちのyamato」で使われたロケセットが展示されてもいる!
この映画が撮られていたころには、セットが尾道の向島に作られてて撮影が終わったあとも、しばらくの間は一般公開されてたので、実際に歩いてみたことがある!
でも、ここに展示されている「大和」を見るのははじめてだったから、行く前からドキドキ・ワクワクしていた。
入ってすぐのところに展示されていた!


1/10スケールとは言え、やはりかなりデカい!
ドレッドノート型を超える「超弩級」戦艦!
大艦巨砲主義の最後の時代に作られた世界最大の排水量と主砲の口径をもつ大和は、現在でも世界最大という栄誉を保っている。
大きいだけじゃない!これを建造する際に使われた技術や工法も世界に類を見ないほど進んだものだったようだ。
まず「徹底した秘密主義」
全体像をあらわした設計図は存在しないとのこと。建造にあたる工員や技術者ですら、全体像を把握することはできず各部署には作る部分のみの設計図が渡されただけであったという。だが、各部の巨大さからこの戦艦が、世界に類を見ないほど巨大なものになるだろうということは想像に難くなかったことだろう、と思う。
そして、組み立てと並行して行われた「船体艤装」!(艤装とは、いろいろな装備品を各船室に設置したり配置する作業をいう)
ふつう、艤装は船の進水式が行われたあとに施されるのだが、工期の短縮と作業効率の向上のため、各部を電気溶接して組み立てる最中に同時に艤装が行われたのだ。
ちなみに、電気溶接も当時としては先進的な技術だったらしい。
さらに大和に使われた技術の多くは、戦後の発展に欠かすことのできないものだった!
敵戦艦を見るレンズや反射鏡、太陽炉の製作に使われた技術はカメラの技術革新をもたらしたし、効率的な製作工程は自動車・バイクなどの製造工程に活かされている!
大和の船体の喫水部分の丸くなっているところに注目!バルバスバウと呼ばれている!

バルバスバウの丸みを帯びた構造!これも日本海軍が、他国に先駆けて開発したもので、以後、世界の艦船に取り入れられて常識になっているものだ!
船体の甲板は平面になっているのだとばっかり思っていたけど、実は舳先にむかって下っているということを初めて知った!つかわれている木材はヒノキ!!

1/10スケールでは、ヒノキはつかってないみたいだけど、かなり細かい職人の技が垣間見られる。

当時の日本海軍が持てる技術の粋を使って作った戦艦!
あらためて凄さを感じることができた・・・。
でも、時代は戦艦から航空機の時代に入っていたんだよなぁ・・・。
大艦巨砲主義の大和でも、航空戦力には対抗しようがなかったんだよね・・・。
大和、最後の出撃のとき、艦内で海軍将校と学徒兵の間であわやの乱闘騒ぎがあった!
原因は、特攻攻撃の是非をめぐっての議論だったんだけど。。。
「国のために死ぬのだから意義ある出撃」だと考える将校と、「無謀な意味のない出撃だ」とする学徒。激しい議論が高まった挙句、あわや乱闘に・・・。
その時、臼渕 磐という大尉が放った一言が、双方だけでなく乗組員の心を一つにしたという。
「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚める事が最上の道だ 日本は進歩という事を軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずして救われるか 俺達はその先導になるのだ。 日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃあないか」
多くの犠牲のもとに、今の日本があることをあらためて感じる。
恥じない生き方をしなければ・・・。

