HONDA RACING SPIRITS / Reborn Tomorrow

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車とその周辺のこと そのほか気ままに感じたこと

大山美信 先生のこと~その1 / Bishin Ohyama

2018-10-08 21:36:01 | Easy come,Easy go

大山美信 先生のこと~その1

 

2012年7月 銀座みゆき画廊での個展にお邪魔した

みゆき画廊は先生が20代の頃から幾度となく個展を開催してきたと記憶している

現在とは(その後 閉廊されたそう)同じ銀座でも少し離れた所にあったように思っていたが

自分の記憶が錯綜して 日辰画廊かどこかと混同しているのだろう

ともあれ過去にも何度かお邪魔していたはずだ

 

個展 案内状より引用

大山美信

少し蒸し暑い7月の平日 休暇を取って銀座へ

展示されていた特大サイズのペイント 真っ黒だ

黒いパワーだ Paint It Black 本物の黒だ

凄く深くて 厚くて熱くて 先生の気骨に溢れた物凄いパワーを感じた

日頃の生活にくたびれていた自分は そのパワーに負けてしまった

そしてその図柄から 長い時間をかけて作られた

ピラミッドや古墳のようなGraveその物の数々なのではないかと感じられた

その場の空気を 完全に支配していた

 

残念なことに毎日 新幹線で軽井沢から通われていたようだが

昼を過ぎてはいたがその日はまだ到着されていなかった

画廊の方に連絡先入り名刺を渡してもらえるようお願いして画廊を後にした

今となってはもう少し銀座で時間でもつぶして先生とお会いしておけばと後悔している

その後 軽井沢でも展覧会とのご案内を頂いた そして賀状も頂いた翌月に逝去されていたとは・・・・

大山美信

平成25年の賀状より引用

 

 

自分はS市駅にほど近い幼稚園に通っていた

そこで毎週土曜日の午後 お絵描き教室をやっていて 自分からやってみたいと言ったそうで習い始めたのだった

最初は大山先生の師匠にあたる村井先生だった(はずだ)が 1年もしないうちに大山先生が教えることになったようだ

クレパスからはじめて水彩画 小学校に上がり3年生の頃には油彩画を教えてもらっていた

やがて毎週土曜日の幼稚園から S市にアトリエを構えていた大山先生のもとへ 自転車を漕いで毎週通うようになっていた

アトリエには巨大なキャンバスに精密抽象画 よくわからないけど何か凄いぞと感じていた

大きなコンパスのようなものを使って円を用いた図柄も描いていたり 隣はLPガス会社でいつもガスの臭いが漂っていた

それとテレピン油の臭い 本棚にはたくさんの書物 その中の海外作家の図鑑をよく見せてくれた

また福島時代の「壁の大山」と言われた頃の作品も見せてくれた 確かに凄かった いまでもそのことを覚えている位だから

平面であるはずの壁に 言い尽くせないような情念が塗り込められ 立体感を持ちつつ訴えかけてくるような作品と記憶している

また美術雑誌か何かに先生がコラムを寄せたものを見せてもくれた それで子供の頃 病気をして生死を彷徨ったのだと知った

自分は静物画 木炭デッサン 写生などをしていた またカンディンスキーだったと思うが 模写をさせられたりもした

写生は 近くの川で先生が釣りをしていて 傍らで自分が描いていた いまでもその場所には 自転車でぶらぶら行ったりしている

真面目に通っていたのだが 物心がついてくると自分の絵のダメさ加減がよく判る様になって行った

デッサンが絶望的に下手くそなのだ いつもいつも先生に直された 「花瓶の口は楕円ではなく丸く描く」だとか

しかし先生は怒るわけでもなく 見込みのない生徒の相手を安い月謝でしていただいたのだと恐縮している 

それと毎年のように出展されていた上野の美術館や先生の個展に行ったり 勧められてゴッホを見に行ったり

ちょっと生意気な小学生だったのかもしれないけれど

そんな経験は 先生のところでお世話になっていたからだとつくづく実感している

一度だけ 彫刻というかオブジェを展示されたこともあった

「どんな時いちばんイライラする?」 先生は「探し物が見つからない時」だと言っていた

 

やがて先生は芸能人の出版物のゴーストライターをしているという方と結婚され 息子さんをもうけられた

その息子さんの名前は この自分と同じ漢字一文字を末尾に使って名付けたと話してくれた

それともう一文字の由来は 聞いたわけではないので推測に過ぎないが ほぼ間違いないだろうと合点がいっている

(現在 かなりのご活躍をされているようです)

奥様には夏に冷やしラーメンを振舞っていただいたことが印象に残っている

それとゴールデンレトリバーだったと思うが大型の犬も飼われていたが 怖くて怖くて

少し行儀が悪い犬だったようで 言うことを聞かないとサンダル履きの先生が蹴りを入れていたのを覚えている 

自分は 絵に関して見込みのないことが嫌というほどわかってきたこともあり

中学生の半ば 学習塾に通うことを理由にアトリエを去ってしまった

(続く)

大山美信 先生 / Bishin Ohyama~Works 1

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大山美信 先生 / Bishin Ohyama~Works 4

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