HONDA RACING SPIRITS / Reborn Tomorrow

「S2000」「FD2 TYPE-R」「FL5 TYPE- R」
車とその周辺のこと そのほか気ままに感じたこと

もっと楽しまなくちゃFL5

2024-09-04 22:02:51 | FL5

やっと秋の気配が感じられるようになり

ぶらっと車に乗って静かで広い公園に行き

ボーっとするのも悪くなくなってきた

FL5の佇まい 何か癒されるというか

スポーツカーと言えば FRかMRの後輪駆動 2ドアでMT FRならロングノーズ

なんていう固定観念的なイメージを抱いているのだが

4ドアでFFだけど この車 カッコ良い とにかくカッコ良い 現代のスポーツカーだ

これ一台で 走りも日常も嗜好的欲求もこと足りる つくづく手放せない存在になってきたと感じる

レーシングブルーも良い感じ 思わず写真を撮りたくなってしまう

いまやミニバンやハイブリッドがカッコ良いとされる時代 まあ自分は勘弁だけれど

人間の感覚なんて大多数が当たり前になると 逆転してしまう

先日 会ったホンダ 栃木に居た知人によると FL5は儲け度外視の車ということです

RSとの価格差からも推察できる

オートクルーズにレーンキープアシストを使えば

高速道で疑似だが自動運転ができる

一方でログRというアプリでドライバーの技量まで解析できる

 

いままでGセンサーと温度表示位しか使ったことなかったが 一般走行でも採点してくれる機能があるらしい

使ってみよう 楽しみが増えるだろう

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海は広いな

2024-08-31 09:33:02 | Easy come,Easy go

見知らぬ街の見知らぬ駅に着いた そこは店も車も道も都会のそれよりコンパクトに見えた

人通りはまばらということではないのだが すべてが調和しているという居心地良さがあった      

そして風を頼りに海岸沿いを潮の香りを感じながら歩いた

あの海は初めて見るのだけれど

他の土地で見た海と繋がっているんだ 同じ波の力で砂の地を削りとっているようだ         

潮を含んだ風で沿岸の人工物を否定するかのように 浸食させようとしているようだ

      

人間はあそこから生まれてきたんだ

海のように心を広くなんて とてもちっぽけな戯言じゃないか

生命体としての根源を感じられたとしたら それはとても価値のあることだろう

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我思う

2024-07-11 18:57:00 | Easy come,Easy go

スキルとプライドだけの

プロフェッショナル

拍手と賛辞の質がわからない


気付かないから

懸命なアマチュアにも勝てない







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FL5 電動パーキングブレーキ 危険

2024-07-03 17:20:00 | FL5

久しぶりにやっと洗車してホイールとボディにコーティング 2か月振りか?3か月振りか

でもプロのコーティングのおかげか さほど汚れは酷くはなかった

艶消し黒のホイールもコーティングを自分で繰り返していたせいか 汚れは落ち易かった

コロイドクリーナーにイージーグロスコートナノがおすすめ ナノはコーティング車のメンテにも最適

しかし そろそろ磨きのプロショップでボディメンテの時期だが まあ梅雨明けにしよう

 

それでFL5は電動パーキングブレーキだが 洗車後すぐに走行しないのなら

解除してから洗車することをおすすめする

一晩でも置いたらローターにパッドがへばり付いて かなり回転を上げてトルクをかけてやらないと

リアのローターからパッドが剥がれなくなる

そして剥がれた途端に車体がかなりの勢いで飛び出すので危険極まりない

くれぐれもお気を付け下さい

ワイヤー式ならかかり具合を軽くすることが出来るが 電動は常にしっかりとかかる 

 



なので自分は電動パーキングを解除しギアを1速に入れて洗車する
シートベルトをしていない時はブレーキを踏んでスイッチを押し解除する

 



大雨の後 雨粒が跳ねてフロントブレーキが酸化し固着することもある 発進は要注意だ

 

 

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いなくなった犬のこと

2024-06-23 19:41:00 | Easy come,Easy go

かつて自分の家にも犬がいた。いまのように、室内で生活する犬が当たり前の時代のことではない。夏も冬も首輪と鎖でつながれ、犬小屋で大半の時間を過ごすのが普通であった頃のことだ。野良犬がうろつき、遭遇すると臆病な自分は、警戒し逃げ腰になったものだ。野犬化した群れを保健所とご近所の人たちが雨戸で行き場を防ぎ、捕獲したりもしていた。

なぜ自分の家に犬がいたのだろうか。かすかな記憶でしかない。幼少期、小学生になる前のことだったはずだ。木の棒を地面に打ち込み鎖が巻かれ、確かに犬小屋も置かれていた。庭の片すみ、ちょうど離れの南側だ。薄茶色をしてガリガリな犬、覇気はなく、吠えるでもなく。でも間違いなくそこにいた。おそらく腹をすかせたその犬が、庭に迷い込んできたのだろう。そして親父が飼ってみるか、と思ったのだろう。その時、少しは不憫に思ったのかもしれない。しかし長い日々、飼っていた記憶はない。ある日、病気でもうしょうがないから保健所に連れて行くと言って、自転車で鎖を引っ張って行ってしまった。




保健所に連れて行くということがどんなことなのか、おぼろげながら自分にも理解できたはずだ。極端に無口だった幼少の自分が、なんで?と言ったかどうかはわからないが、少なくとも表情で訴えることはしたはずだ。いまでもその出来事を覚えているということは、親父の行動に矛盾を抱き続けているからに他ならない。あまりに無力だった自分を回顧しつつ、あの犬が何度、来世を繰り返しているのか、そしてそれが満ち足りた日々を謳歌しているものかどうか、案ずるばかりだ。

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