goo blog サービス終了のお知らせ 

SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

2210 宝泉院 茶室「日新庵」

2023-01-29 | 探訪
京都大原

宝泉院
額縁庭園や血天井で有名な寺院。こちらには大阪茨木市から移築された茶室があります。

茶室「日新庵」
茨木市の太田家住宅にあった裏千家十三代・圓能斎が造った茶室。

最初は露地。奥に手水鉢と灯籠があります。

茶室の躙口と待合。

内部は四畳半

床と床脇
床脇は地板を敷き、正面に大下地窓を開ける。銅鑼が吊ってあることも併せて裏千家の茶室「咄々斎」を模している。

水屋

お次は

広間
内部は十畳。

こちらでお抹茶をいただきました。


赤壁が印象的

障子には山水画が描かれています。

侘びた小間と豪華な広間のコントラストが楽しい茶室でした。

2210 岐阜関ケ原古戦場記念館 島津家の関ケ原

2023-01-25 | 探訪
岐阜


岐阜関ケ原古戦場記念館

企画展「島津家の関ケ原」
期間:10月15日(土)~12月4日(日)

帖佐八幡神社 三十六歌仙額
慶長9年12月に帖佐新正八幡神社に島津義弘が代表となって奉納された三十六歌仙額。
額の上部に記された和歌の筆者は息子の忠恒(家久)が行っている。
島津義弘は朝鮮出兵時の戦勝祈願や関ケ原から無事帰国できたお礼に帖佐八幡神社を訪れており、この三十六歌仙額奉納も祈願成就の御礼と考えられる。
一節切
尺八の前身とされる竹製の縦笛で、節が一つだけあることからこの名がある。
島津義弘が愛用したと伝わり、島津義弘屋敷跡に建立された花園寺の住職を務めた米良家旧蔵品。
島津豊久画像
薩摩藩絵師・中島信徴筆の画像で、赤い甲冑に身を包み右手に扇子を持つ人物が描かれており腰には丸に十字の島津家家紋が施された拵が見える。戦国時代の風俗には見えない為あくまで絵師の想像で描かれたのだろう。
松代藩真田家に伝来(現・真田宝物館蔵)しており、幕末に島津久光の養女が真田幸民に輿入れした際の調度品とみられている。

ロビーには

織田信長

豊臣秀吉

德川家康


2210 兵庫県立美術館 THE HEROES 刀剣×浮世絵

2023-01-22 | 探訪
今回も神戸

兵庫県立美術館

ボストン美術館所蔵 THE HEROES 刀剣×浮世絵-武者たちの物語
期間9月10日(土)~11月20日(日)

刀 折返銘 長円(薄緑)
源氏重代の宝剣で、伝来は源義朝・源為義・熊野権現・源義経・箱根権現。曾我兄弟の仇討ちでは曾我五郎が使用している。

太刀 銘 国俊
上杉謙信の愛刀と伝わる。

太刀 銘 長船 長光 文永十一年十月廿五日(高瀬長光)
上杉景勝が秘蔵した三十五腰の内の1口。

「粟津合戦 三枚続」勝川春亭作
和田義盛と巴御前が敵同士の時代。後に義盛は巴を妻に迎えたと伝わる。

「建久四年五月廿八日富士之裾野曽我兄弟夜討本望之図」歌川国芳 作

「源頼朝の前で舞う静御前」 三代歌川豊国(歌川国貞)

「川中島信玄謙信旗本大合戦之図」 歌川国芳作

静岡展も拝見しましたが、別の刀剣が拝見できました。薄緑や国俊が良かったです。

2210 神戸市立博物館 よみがえる川崎美術館

2023-01-18 | 探訪
神戸

神戸市立博物館

よみがえる川崎美術館 ―川崎正蔵が守り伝えた美への招待―
期間:10月15日(土)~12月4日(日)

寒山拾得図 伝・顔輝筆
幽暗の中,不気味に破顔大笑する中国・唐代の詩人であり、隠者であった寒山と拾得を描いた作品。
東山御物でその後には織田信長から石山本願寺の顕如上人に贈られた。
川崎正蔵が愛蔵した事で知られ、日露戦争でバルチック艦隊が攻め込んでくれば、この作品を携えて高野山へ避難しようと考えていたと伝えられる。
蓮に鶺鴒・葦に翡翠図 伝・牧谿筆
双幅の画で、軽妙な筆さばきにより蓮に鶺鴒と葦に翡翠を一幅ずつに描く。
「善阿」の朱文瓢形印が捺してあり、足利将軍家に伝来し事が分かる。
麝香猫図 宣宗筆
金色に輝く瞳と額の黒ブチが特徴的なジャコウ猫を描いた画。
宣徳元年(1426)皇帝・宣宗の作。近年再発見された作品。

川崎正蔵は川崎造船所(現・川崎重工業株式会社)や神戸新聞社などを創業した人物で、明治23年(1890)に日本初の私立美術館「川崎美術館」を開館した。
現在コレクションは散逸してしまったが、本展では珠玉の作品が再び神戸に集い、約100年ぶりによみがえる川崎美術館を堪能できました。

2210 黎明館茶室「楠芳亭」

2023-01-15 | 探訪
今回も黎明館

茶室「楠芳亭」
黎明館の裏手にあります。今回は企画特別展「茶の湯と薩摩」の関連イベントとしてこちらで呈茶がありました。

広間
10畳の席。一間床と床脇には地袋。

床柱には籠花入が掛かっていました。

点前座

お抹茶をいただきました。

腰掛待合

蹲踞

躙口

四畳半の席

以上で黎明館は終了です。

2210 黎明館 茶の湯と薩摩 その2

2023-01-11 | 探訪

今回も黎明館。

近衛前久答書 近衛前久筆
前久が弓馬に関する伊勢如芸の問いに応えるかたちで、その技芸を絵入りで説明し、末尾にこの故実を龍伯(島津義久)に伝授する事を承認している。
近衛前久は天正3年(1575)薩摩に下向し、島津義久や義弘たちと犬追物を見物したり連歌や能を楽しんでいる。この他にも島津義久に古今伝授を授けるなど近衛家と島津家は緊密な関係を築いている。
伊勢如芸は室町幕府の有職故実を受継ぎ近衛家に仕えていた人物で、島津家の伊勢貞昌に有職故実の伝授を行った。
三藐院記 近衛信尹筆
文禄3年(1594)朝鮮への出陣を願い出た近衛信尹は名護屋に無断で下向し、豊臣秀吉の怒りを買い薩摩坊津へ配流となった。「三藐院記」はその際の日記。文禄四年正月二十五日には一条院に天神の絵像を参拝し、二月四日には朝茶の湯を行っており、流罪の身ながらそれなりに楽しんでいた様子がうかがえる。
また八月には坊津から鹿児島へ移り島津義弘から茶の湯に招かれている。
細川忠興書状写
(慶長20年)六月二十一日付、松井興長ほか十五名宛。大坂夏の陣の後、敵に内通した疑いをもって自刃した古田織部やその一族の処分を国元の家臣連中に伝えた書状。
同書状の他の部分では、織部の遺品の茶器は全て召し上げられて、その内の勢高肩衝については私(忠興)が欲しかったので金500枚を用意していたが、公方様(将軍・徳川秀忠)が欲しがったので遠慮した旨が記されている。
貝彫水辺双鷺図香合
貝の香合としては螺鈿細工が知られるが、これは楕円形の貝を蓋と身に加工し、両面に繊細な彫刻で水面や鷺に植物を表現し施している。
寛永15年もしくは16年の三代将軍徳川家光の柳川藩下屋敷御成の際に立花宗茂が拝領した。

この他にも利休・織部・幽斎・三斎・島津義弘作の茶杓や長次郎の黒楽「俊寛」「むかし咄」、島津義弘や家久の肖像画まで、今回は全国各地から集まった展示で大満足。
更には今回はちゃんとした図録も作られていて良かったです(戦国島津展では・・・ね)。

2210 黎明館 茶の湯と薩摩 その1

2023-01-08 | 探訪
鹿児島

鶴丸城 御楼門

鹿児島県歴史・美術センター黎明館

茶の湯と薩摩

漢作唐物肩衝 銘 平野(平野肩衝)
大名物。胴に同一間隔で六本の竪箆の筋がある。総体黒飴釉色であるが、これは享保16年 (1731)桜田藩邸で火災に遭った為。
天正年間に商人の平野道是が所持しており、後に豊臣秀吉から島津義弘に文禄の役の恩賞として与えられた。
島津家重物の筆頭に挙げられており、寛永7年(1630)3代将軍・徳川家光の桜田藩邸御成でも用いられた。
島津義弘書状
(天正16年)6月6日付、島津忠恒(又八郎・家久)宛。天正16年上洛した義弘は6月6日大坂城山里丸にて関白秀吉の茶会に招かれた際の内容を記す。参加者は秀吉、義弘、家臣の伊集院忠棟、細川幽斎、千利休、津田宗及。道具には武野紹鷗秘蔵の風炉、今井宗久より召し上げた白天目、大友宗麟より召し上げた似たり茄子茶入。薄茶席では荒木道薫(村重)が秘蔵していた姥口釜と備前水指が使われた。
茶席の様子を詳細に記す義弘からは茶の湯への関心の深さがうかがえる。
古田織部書状
(慶長17年)十一月廿二日付、島津義弘宛。上田宗箇が織部の名代として薩摩に派遣され陶磁器制作の指導にあたり、織部がその焼物に対して出来の悪さを指摘してる。また島津義弘が別途送ってきた茶入については、釉薬は黒を多く使用し、所々に白い釉薬が混ざるのは良いです。少々背を高くし底部がすぼまらないほうが良いと記している。
織部の指導した茶入は肩衝形で、これが「薩摩肩衝」として知られるもの。
御成之記
国宝。寛永7年(1630)4月18日の3代将軍徳川家光の江戸桜田藩邸への御成の内容を記したもので、
相伴には白河藩主・丹羽長重と会津藩主・加藤嘉明が務め、道具には夢窓疎石の横文字掛物、平野肩衝、割高台高麗茶碗、耳付信楽水指そして茶杓は利休作などを用いている。
島津家では御成の為に、主殿(広間)・寝殿(書院)・数寄屋(茶室)・納炬の間・鎖の間などを新築しており、数寄屋は「古田織部、指図之写三畳台目」とあり島津家では織部の茶室が使われ、また幕府の命により切腹させられた織部の死後も徳川将軍家では織部の茶の湯が浸透していたことが分かる。

その2に続く

2210 福岡市博物館 黒田家名宝展示と常設展示

2023-01-04 | 探訪
今回も福岡市博物館

大身槍 名物「日本号」
天下三名槍のひとつ。

関ヶ原戦陣図屏風(左隻)

黒田家家臣連署起請文
天正六年(1578)十一月五日付。荒木村重により主君である黒田官兵衛が有岡城に幽閉された際に、家臣たちが官兵衛の妻に対して一致団結して難局を乗り切る事を誓った起請文で、母里友信や栗山泰重(利安)等12名が名を連ねている。
本書は「八幡宮/牛玉/宝印」と版刷りされた石清水八幡宮の牛玉宝印の裏面に書かれており、神仏に誓いを立てる内容となっている。

足利直冬裏書安堵
貞和六年(1350)十月廿八日付。足利直冬の陣営に参じた宝珠山種永は所領の保護を直冬に申請し、直冬は提出された申状(右側)の裏側(左側)に花押をすえて承認した。元は両面であったものを現在は2枚に剥いで表装している。
足利直冬は足利尊氏の庶子で尊氏の弟・直義の養子となった人物。観応の擾乱では九州に下向し大きな勢力を形成した。この文書はその時期のものに当たる。

大友宗麟感状
元亀元年(1570)四月廿八日付、田尻鑑種宛。佐賀表古瀬原口合戦での働きを賞したもの。当時大友宗麟は龍造寺隆信の佐嘉城を攻めており、父・田尻親種は5月の戦で重傷を負い、翌月亡くなっている。

藤巴前立三十二間筋兜・逆胴重薄茶威具足
福岡藩九代藩主・黒田斉隆所用