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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

2208 京都国立博物館 河内長野の霊地 観心寺と金剛寺

2022-11-30 | 探訪
京都

京都国立博物館

河内長野の霊地 観心寺と金剛寺─真言密教と南朝の遺産─
期間:7月30日(土)~9月11日(日)

「大阪・河内長野市は、かつての河内国南部にあたる山あいの地域で、京都から高野山につづく街道の合流地点として栄えた歴史を有します。当地には観心寺と金剛寺という真言密教の大寺院があり、この地域における信仰の中心を担ってきました。また、両寺は南北朝時代に後村上天皇の行宮(行在所)となり、南朝勢力の拠点として重要な役割を果たしました。今日でも、武将・楠木正成ゆかりの寺として多くの歴史ファンに親しまれています。
京都国立博物館では、平成28年度(2016)から令和元年度(2019)にかけて、両寺の文化財悉皆調査を実施しました。本展はその成果を公開する機会として、従来知られた名品に加え、調査によってみいだされた中近世の文化財をご紹介します。」(公式より)

剣 附黒漆宝剣拵
国宝。平安時代(10世紀)。両切刃造で、寺伝によれば天野山金剛寺中興の祖といわれる阿観上人が所持したとされる。
天野山金剛寺蔵。
藍韋威肩赤腹巻
腹巻は騎乗での戦闘から集団による徒歩軍になり普及した軽武装の武具。
楠木正成が観心寺に奉納したと伝わる。
楠木正成書状
元弘三年(1333)十月廿六日付、瀧覚坊宛、楠木正成自筆とされる書状で内容は祈禱を行うので空海作という不動明王像と共に二十八日に京へ着くように瀧覚坊へ伝えている。
瀧覚坊は観心寺の僧で楠木正成とその子・正行の学問の師である人物。俗名を和田朝正といい源頼朝に仕え「鎌倉殿の13人」に登場する和田義盛の後裔に当たる。
楠木正成が執権北条氏の鎌倉幕府と戦った事に瀧覚坊の出自が関係しているのかもしれない。
観心寺蔵

2208 承天閣美術館 武家政権の軌跡 Ⅰ期

2022-11-27 | 探訪
京都

承天閣美術館

武家政権の軌跡 Ⅰ期
期間:8月8日(月)~10月6日(木)

耳川合戦図屏風
天正六年(1578)日向高城・耳川で島津と大友の間で行われた合戦を描いた八曲一隻の屏風。
大友勢による島津方の高城攻めに始まり、援軍に赴いた島津義久・義弘と激突したが大敗を喫して敗走した。
これにより大友氏の凋落が始まった。
落款によれば、筆者は「深意□守能」とあり、薩摩藩のお抱え絵師とみる説がある。
足利義輝肖像画
笏を持ち衣冠束帯姿に太刀を佩き高麗縁の上畳に座した義輝の肖像画。
上部に「ほととぎす~」の和歌が記されており、箱書きには義輝の自賛歌とあるが実際は柿本人麻呂の作。
絵の作者は不明だが土佐派の下絵の顔と似ており、おそらくその流れを汲む人物の作だろう。
古銅曽呂利花入
首細長く下部が緩やかに膨らんでいる。武野紹鷗所持。
『山上宗二記』には「そろり、昔紹鷗所持、天下無双の名物也」とある。ただしこの花入は大坂城落城時に焼失している。

2208 當麻寺 中之坊 知足庵

2022-11-23 | 探訪
今回も中之坊

前回紹介の五畳台目席の外観。

五畳台目席の前にある腰掛待合。丸と四角の窓が特徴。

手水鉢

今回は中之坊にあるもうひとつの茶室の紹介

知足庵
片桐石州作とされる席。中之坊には明治時代になってから移築された。

貴人口から内部を見る。内部は二畳中板入の席となっています。

点前座

下座よりにある洞床

知足庵露地の手水鉢

茶室はここまで

写佛道場
こちらは150枚にも及ぶ絵天井があります。

前田青邨の「飛鴨」などが見られます。


写経・写仏体験で拝見出来ますので是非。

當麻寺 中之坊は2度目でしたが前回以上に堪能しました。


2208 當麻寺 中之坊 双塔庵(丸窓席・五畳台目席)

2022-11-20 | 探訪
奈良

當麻寺塔頭中之坊

庭園「香藕園」
大和三庭園のひとつ。東塔を借景とし心字池を中心とした名庭。後西天皇の行幸に際し、片桐石州が現在の姿に改修した。

書院
後西天皇が行幸したと伝わる「御幸の間」を主室とする。

さて本題。こちらには片桐石州が後西天皇を迎える為に作ったとされる茶室があります。
お庭からも

四畳半の内部、円窓、床、奥の茶道口や給仕口が拝見出来ますが

今回は入室して拝見。

円窓
直径約1.8メートルにも及ぶ大きなもので、外部とは接していない、書院との境にある異例の窓。
近くで見ると、より一層大きさを実感。

蹴込床
床の平面が台形になっており、床柱だけでなく蹴込や壁留など竹をふんだんに使用しており、上記の円窓と併せて石州の独創性を示す。

躙口
障子なのは珍しいですが、外からは

開き戸の板戸となっています。これまた珍しいです。

円窓を背に一服。気分は後西天皇です(違

貴人口から名園を堪能できます。

茶室「双塔庵」はこの丸窓席の他に五畳台目席と呼ばれる席が隣接しています。

内部は五畳で床の他に付書院を設える。
単体としても使えますが、茶道口や給仕口の襖を取り去り丸窓席を本席とした場合、こちらを控えの席として使用したとも考えられます。




こちらの五畳台目席は前回拝見出来なかった席。今回拝見出来て大変良かったです。
他の石州茶室とは異なる点が多くあり、そこは貴人を迎える前提と考えられますが不思議な席ですね。

次回も中之坊から


2208 吐月峰柴屋寺 待月

2022-11-16 | 探訪
丸子

吐月峰柴屋寺
連歌師・宗長が永正元年(1504)に結んだ草庵・柴屋軒を、今川氏親が寺に改めたのが始まり。

寺宝として後水尾天皇短冊、足利義政より拝領の文福茶釜(芦屋釜)、一休宗純より宗長が賜った鉄鉢、宗長所持の青磁香炉、今川氏親寄進の螺鈿菓子器、今川義元寄進の横笛、武田信玄寄進の高麗茶碗「村雲」、細川幽斎寄進の南蛮焼獅子香炉、宗長直筆の百韻連歌など。

庭園
宗長作庭

宗祇像、宗長像(右)
開山堂には連歌黄金期を築いた師弟の木像が並ぶ。

茶室「待月」
月の名所で知られる柴屋寺らしい命名か。

水屋
左側に茶道口がある。

内部は四畳半。

北側中央の台目床。床柱は杉の面皮柱、床框には丸竹が使われている。
床の左、風炉先には下地窓をあける。

貴人口

宗祇、宗長の墓
宗祇は文亀二年(1502)に亡くなり、同行していた宗長は「宗祇終焉記」を著した。
そして宗長自身は享禄五年(1532)に亡くなった。

宗長の出生に関しては駿河島田の出身で鍛冶職・五条義助の子とされる。
島田生まれに関しては連歌師・里村紹巴が言い出した事なのだが、紹巴は宗祇の出生地・紀州説を言い出した人物でもある。連歌の第一人者として権威付けを図る紹巴の顔が目に浮かぶようだ。
もうひとつの「鍛冶職・五条義助の子」は寛文八年(1668)『宗長居士伝』からで、宗長死後140年以上が経っている。島田生まれからの連想で島田の鍛冶(刀工)であった義助の名が出てきたのだろう。


2208 東海道中 弥勒町の安倍川餅~丸子宿のとろろ汁

2022-11-13 | 探訪
静岡

弥勒町
近くの案内板によれば「慶長年間に、弥勒院という山伏が還俗して安倍川の河原で餅を売るようになった。この餅を”安倍川餅”という。これが「弥勒町」の名の由来となった」とある。

石部屋
文化元年(1804)創業とされる安倍川餅のお店。

餅にきな粉と砂糖をまぶしたものとこし餡で包んだものと2種が盛られている。

由比正雪公之墓址
慶安の変(由井正雪の乱)の首謀者。

安倍川を渡って西へ

丸子宿
東海道五十三次の20番目の宿場。「丸子」は”まりこ”と読み「鞠子」の字があてられる事もある。
この丸子宿の名物がとろろ汁で、松尾芭蕉も「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」という句を詠んでいる。

丁子屋
とろろ汁といえばこのお店。

慶長元年(1596)創業で、元はお茶屋であったのだそう。

早速とろろ汁をいただきます。お櫃の麦飯はお代わり自由。

細川幽斎公歌碑
小田原征伐へ向かう道中日記「東国陣道記」に丸子川が登場する。

さらに西へ進みます

2208 静岡市美術館 THE HEROES 刀剣×浮世絵-武者たちの物語

2022-11-09 | 探訪
静岡

静岡市美術館

THE HEROES 刀剣×浮世絵-武者たちの物語
期間:7月2日(土)~8月28日(日)

義経之軍兵一ノ谷逆落シ之図 歌川国芳作

「義経八島之名誉」 月岡芳年作

「長門国赤間の浦に於て源平大合戦平家一門悉く亡びる図」  歌川国芳 作

太刀 銘 正恒
国宝。徳島藩蜂須賀家伝来。

太刀 銘 備洲長船兼光/延文三年二月日
上杉謙信の愛刀の一口で米沢藩上杉家伝来。

金梨子地家紋散糸巻太刀拵
「太刀 銘 備州長船住兼光」(上記とは別)の拵。日向国延岡藩内藤家伝来。


2208 静岡県立美術館 兵馬俑と古代中国 その2

2022-11-06 | 探訪
前回の続き

静岡県立美術館

兵馬俑と古代中国〜秦漢文明の遺産〜

戦服将軍俑
一級文物、統一秦時代。始皇帝陵の兵馬俑坑より現在までに発見された将軍俑11体のうちの1体。

鎏金青銅馬
一級文物、前漢時代。漢の武帝から姉に贈られたとされる秘宝。

彩色一角双耳獣
漢時代。

彩色陶羊尊
漢時代。羊形の酒器。

緑釉陶倉
後漢時代。

兵馬俑はここまで。
ここからは同館のロダン館から

地獄の門


考える人


2208 静岡県立美術館 兵馬俑と古代中国 その1

2022-11-02 | 探訪
静岡

静岡県立美術館

兵馬俑と古代中国〜秦漢文明の遺産〜
期間:6月18日(土)〜2022年8月28日(日)

「本展では、今から2000年以上前の秦と漢の王朝の時代に、地下に数多く埋蔵された兵馬俑に焦点を当て、古代中国の遺産の数々をご紹介します。」(公式より)

青銅剣
戦国秦時代。

鳳鳥銜環青銅薫形器
一級文物、戦国秦時代。頂部に鳳凰の装飾を施した香炉。

青銅長剣
一級文物、秦時代。始皇帝陵の兵馬俑1号坑より出土した。

彩色騎馬俑
前漢時代。

青銅戟
一級文物、秦時代。始皇帝陵の兵馬俑1号坑より出土した。

戟には「三年相邦呂不韋造」との文字が刻まれている。「三年」とは始皇帝が王の時代の3年(前244年)のことであり。「相邦呂不韋」とは丞相・呂不韋の事。
呂不韋は若き日の始皇帝の時代に絶大な権力を誇った政治家、『キングダム』では嬴政(若き日の始皇帝)の前に立ち塞がる存在であるが、その実態はどのようなものであったのか。

その2に続く