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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

1706 6月のトーハク

2017-07-30 | 探訪
東京国立博物館
最初は屋外の展示
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旧因州池田屋敷表門(黒門)
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福岡藩黒田家の江戸屋敷鬼瓦

本館より
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日本書紀注釈 後陽成天皇筆
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赤壁賦 本阿弥光悦筆
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風神雷神図屏風 尾形光琳筆
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西王母・東方朔図 伝狩野元信筆
旧大仙院方丈障壁画

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次は東洋館
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無地刷毛目茶碗 銘 村雲
平戸藩松浦家伝来
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粉引茶碗
江月宗玩所持

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「加賀藩前田家伝来名物裂」
仕覆などに使用される裂はそれ自体が鑑賞の対象とされ、茶人たちは珍しい裂を挙って求めました。
加賀藩主の前田利常もそのひとり。寛永14年(1637)長崎へ家臣を遣わし買い占めたそう。
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丹地霊芝文様金襴 大燈金襴
大燈国師(宗峰妙超)が所持していた袈裟の裂であったとされる
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紺地一重蔓小牡丹唐草文金襴 東山金襴
足利義政所持
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縹地石畳文様緞子 遠州緞子
遠州好み

1706 東京国立博物館 茶の湯展 ②

2017-07-26 | 探訪
上野
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東京国立博物館
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特別展「茶の湯」
期間:4月11日(火) ~ 6月4日(日)
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蘿蔔蕪菁図 牧谿筆
宮内庁三の丸尚蔵館蔵。「菜の絵」「大根の絵」として茶会記に登場する二幅。
附属する伝来書には、明国王より足利義満に贈られたとする。その後足利将軍家・武田家・徳川将軍家・水戸徳川家・高松藩松平家へと伝わった。
但し名物記などには、「菜の絵」は蜂屋出羽守頼隆が「大根の絵」は堺の太子屋宗喜が所持していたとされており、展示のものとは別の絵が存在していた可能性もある。
盆石 銘 末の松山
西本願寺蔵。山水を盆のなかに表現した盆石は書院飾りのひとつ。
「山上宗二記」にも記載があり、盆石の人気は当時廃れていたがこの「末の松山」と「残雪」は名石でいまでも賞玩されているとする。
天文十八年下間兵庫の茶会に使用され、天正年間には堺の塩屋宗悦が所持、その後本願寺に帰した。一説には織田信長より和睦の証に贈られたとされる。
尺牘 無相居士宛 大慧宗杲筆
国宝。南宋時代の僧大慧宗杲より無相居士へ送られた手紙。大慧墨跡の中で珍重された名跡の一つ。
江月宗玩の所持,のちに松平不昧が所持し雲州松平家に伝来した。
法語 璋禅人宛 密庵咸傑筆
国宝。南宋時代の僧密庵咸傑が62歳の時に璋禅人なる人物に与えた法語。現存する唯一の密庵書であり、絹綾地に書かれているのも珍しい。
小堀遠州好みの密庵席には、この墨蹟を掛けるためだけにが密庵床が設けられている。
山上宗二所持で宗二が虚堂墨蹟(大徳寺蔵)を入手する為に手放し津田宗及に渡っている。その後子息の江月宗玩へ伝わり以降龍光院に伝来している。
また「天王寺屋会記」天正二年の茶会で摂津の武将池田清貧斎が綾に書かれた密庵墨蹟を使用したと記されており、この墨蹟を山上宗二が入手したのかもしれない。
千利休書状  瓢庵宛
上記密庵墨蹟の添状。瓢庵とは山上宗二の事で内容は、宗二より依頼された密庵墨蹟の表具ですが雨のため条件は良くないが、どうしても必要だとの事で持って行かせると云ったもの。
利休と密庵墨蹟には逸話が残る。利休がある時近江へ行き、密庵墨蹟を百二十貫で入手し茶会で使用したのだが、客の北向道陳と松江隆専は全くの無反応。不思議に思った利休が2人に尋ねたところ偽物だと判断され、利休はこの墨蹟を焼き捨てたそう。
宗二が嬉々として持ち込んだ密庵墨蹟を利休はどんな想いで見たのだろうか。
竹茶杓 銘 くせ舞 小堀遠州作
遠州蔵帳所載。名杓の多い遠州作茶杓の中でも随一の美杓。
節の上下に表れた斑紋が波のように拡がる。櫂先は急角度で曲げられ露は兜巾形。
くせ舞(曲舞)とは、中世に流行した歌舞の一種。
慶長4年(1599)吉野へ花見に赴いた古田織部一行は途中の初瀬で持て成しを受け、機嫌を良くした織部は大鼓を打ち、小堀政一(後の遠州)が曲舞を踊っている。
無地刷毛目茶碗 銘 千鳥
胴が膨らみ口の狭まった塩笥形の茶碗。雨漏り状のシミが広がり景色を成す。
伊達政宗所持で、徳川秀忠や家光の御成の際に用いられた。

今年注目の展覧会のひとつが終了しました。
まぁ色々と注文もありますが、評判良かったようでなにより。30何年後と言わず数年後にでもまた開催して欲しいところです。

1706 泉屋博古館 分館 名刀礼賛

2017-07-23 | 探訪
六本木
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泉屋博古館 分館
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特別展 名刀礼賛 ―もののふ達の美学
期間:6月1日(木)~8月4日(金)
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短刀 銘 吉光
刃長23.7cm。鎌倉時代、山城の刀工で短刀作りの名手であった粟田口吉光の作。
慶長5年(1600)6月18日上杉征伐に向かう徳川家康は大津城に立ち寄り、京極高次にこの短刀を与えて自らの去った後の畿内の事を頼んでいる。
一旦は西軍に味方した京極高次だが、その後大津城に籠城し西軍の足止めに成功。毛利元康、立花宗茂、小早川秀包らの軍勢を関ヶ原本戦に間に合わせなかった。
短刀 無銘(名物伏見貞宗)
刃長30.2cm。鎌倉時代、相模の刀工貞宗の作。
国宝、享保名物帳所載。加藤嘉明所持で水口加藤家伝来。
脇指 無銘(名物籠手切郷)
刃長47.6cm。南北朝時代、越中の刀工郷義弘の作。
享保名物帳所載。稲葉正勝所持、その後細川忠利に渡ったが再度稲葉家に戻り、以降稲葉家に伝来した。
刀 銘 以南蛮鉄於武州江戸越前康継 本多飛騨守所持
刃長74cm。江戸時代の刀工越前康継の作。
越前丸岡藩主・本多飛騨守成重所持。本多成重は越前康継を支援していた様で、所持銘のあるものが多く残されている。

この他多くの刀剣を拝見出来ました。今回の展示品は黒川古文化研究所の蔵品、前から気になっていたので今度は是非とも研究所の方に行ってみたいものです。

1705 京都文化博物館 京の書の源流をたどる

2017-07-20 | 探訪
京都
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京都文化博物館 5F
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50周年記念 京都書作家協会特別展 ~京の書の源流をたどる~
期間:5月24日(水)~5月28日(日)
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凡参禅学道 一休宗純筆
内容は禅宗を修行する者に示した言葉で、「やたらに座禅を組んだり、お経の文句を覚えたり、禅宗の古則を覚えたりする知識などは全く無用だ。このことが分かっていても理解できない者は、永遠に成仏できない」と一休らしい言葉がらしい筆到で書かれている。
本阿弥光悦書状
三日付、宛先不明。相手の近江膳所下向の時期を問合せた内容。
膳所と光悦と言えば膳所焼の茶碗(膳所光悦茶碗)が知られる。徳川家光御成に用いる為に小堀遠州が光悦に依頼して作らせたもので、この時期の書状かもしれません。
賦青何連歌巻 近衛信尹筆
山月や四季の草花を金銀泥で描いた料紙に信尹が書した百韻連歌。
慶長十九年五月九日に近衛信尹と古田織部の2人で行なわれたもの。当時の二人は手紙の遣り取りを交わしたり、茶の湯での親交もあった。
そんな2人だけで巻かれたこの連歌から半年後には信尹が亡くなり、翌年には織部も徳川幕府の命により自害している。

1705 一乗寺 詩仙堂とその周辺

2017-07-16 | 探訪
今回は京都
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叡電に乗って一乗寺駅へ
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ここは「宮本武蔵・吉岡一門 決闘の地」で有名な一条寺下り松の最寄駅です
そしてここが
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一条寺下り松
現在の松は4代目だそう
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「宮本吉岡決闘之地」碑
宮本武蔵と吉岡一門数十名が決闘をしたとされる場所です。
最近この決闘で武蔵が使用したとされる太刀を見たところだったのでテンションが上がりましたよ。
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「大楠公戦陣蹟」碑
建武三年(1336)足利尊氏と戦う為、楠木正成がこの地に布陣した。
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八大神社
武蔵は決闘の前にこの神社を訪れ神様に頼ろうとしたのですが、神仏に頼ろうとした自らの弱さに気づき祈ることなく立ち去ったそう。
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宮本武蔵像
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下り松古木
武蔵が決闘した当時の古木

八大神社の隣に今回の目的地
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詩仙堂
元徳川家康の家臣であった石川丈山が隠棲の為に建てた。
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詩仙堂の名は中国の詩人36人の肖像を狩野探幽に描かせ自らは各人の詩を書し、堂内四方の壁に掲げた「詩仙の間」より呼ばれた。
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庭園
丈山は作庭に優れ、東本願寺の渉成園や酬恩庵(松花堂昭乗・佐川田昌俊との合作)も彼の作とされる
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丈山翁遺宝展
5月23日の丈山忌後の5月25日~27日に書を中心とする石川丈山の遺品を公開
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展示内容は
石川丈山像(狩野探幽筆)、残月硯(蓋は元北政所所持の鏡の蓋)等々

お次は近くの野仏庵
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正門
明治時代の政治家・西園寺公望が一時丹波須知村に潜んだ寓居の門を移設したもの。
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陶庵席
こちらも須知村よりの移築。
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二畳中板の席。
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幽扉席
兵庫芦屋からの移築。武者小路千家好み。広間と小間の2席よりなる
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小間
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広間
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主屋に入ります
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雨月席
国学者・歌人・小説家であり、怪奇小説「雨月物語」の作者・上田秋成ゆかりの茶室。元は南禅寺の西に在った
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抹茶も頂けます


1705 春日大社国宝殿 究極の鎧に出会う

2017-07-12 | 探訪
今回は奈良
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春日大社国宝殿
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開館記念特別展Ⅲ 究極の鎧に出会う
期間:4月2日(日)~8月27日(日)
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赤糸威大鎧(梅鶯飾)
国宝。全体に梅・蝶・鶯の飾金物が施された豪華絢爛な甲冑。威毛は紅花染と見られ、もとは鮮やかな紅色だったが退色している。
兜は二十四間の星兜で獅噛の鍬形台に長い鍬形が立つ。
鎌倉後期の作とされ、源義家奉納の伝承は否定される。
赤糸威大鎧(竹虎雀飾)
国宝。竹と虎の金物が特徴的な大鎧。威毛は茜で染められており今でも鮮烈に赤い。
兜は二十四間星兜で巨大な鍬形が立つ。
源義経奉納と伝えられてきたが、現在では鎌倉末期から南北朝期の製作とされている。
黒韋威矢筈札胴丸
国宝。伊予札黒韋威の胴丸。兜は二十八間筋兜。
南北朝時代の製作とされ、社伝では楠木正成奉納とされる。
黒韋威胴丸
国宝。革札と鉄札を黒韋で威した胴丸。兜は四十二間筋兜。
室町時代の作。
鎖籠手
鎖のみを繋いだ籠手で室町時代の作とされる。
寛永二年(1625)に前年老中となった酒井忠勝が奉納した。
赤漆黒漆段弓(銘 雪荷村)
木を竹で挟み朱漆と黒漆を段に塗り分要所に藤を巻いた弓。
「従 関白秀次 拝領」「雪荷村」と金泥で記されている。雪荷とは弓術家・吉田重勝の事で、その重勝か雪荷派の者が調整を行なった弓と思われる。

久々に赤糸威大鎧を拝見しました。相変わらずの豪華さでした。また展示館も新しくなって初めて訪問しましたが、ちょっと昔の展示館が懐かしく感じました。

1705 専修寺 安楽庵

2017-07-09 | 探訪
今回も三重
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専修寺(写真は山門)
親鸞を開祖とする浄土真宗10派のうちのひとつ真宗高田派の寺院
栃木県の本寺専修寺が戦火などで一時衰退すると代わってこの津市一身田の当寺が「本山専修寺」に定着していったそう。

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唐門
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御影堂
現存する木造建築では5番目の大きさだそう
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太鼓門
長屋門の上に三層の櫓が載る

さてここからが本来の目的
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入口
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茅葺の屋根をもつ惣門
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「雲幽園」庭園
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茶室(略席)
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腰掛待合
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安楽庵
千道安と織田有楽の合作とされ道安の「安」と有楽の「楽」で安楽庵と呼ばれる。
伝承では元伏見城内にあり豊臣秀吉から藤堂高虎が拝領し、その後に専修寺へ移築されたとされる。
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躙口と刀掛

内部は二畳半台目の席
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点前座と客座の間に太鼓張の障子がある「道安囲」の一種。
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半畳の給仕板。鱗板を二枚使用しているが木の材質は異なるそう(松と欅)
鱗板を使った席では有楽の如庵が有名。

伝伏見城より移築の茶室は幾つかありますが、こちら安楽庵も移築説がある茶室。一体どれだけ有るのでしょうねぇ。
そして千道安が関係している茶室なのは珍しいところ。

1705 石水博物館 石水博物館の茶道具

2017-07-05 | 探訪
今回は三重
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石水博物館
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石水博物館の茶道具-利休から半泥子まで-
期間:4月14日(金)~6月25日(日)
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竹一重切花入 銘「音曲」 千利休作
節を中央に置いたさび竹の花入。利休が秀吉の小田原攻めに同陣した際に作ったとされる竹花入のひとつとされる。裏面に「羽忠 休」とあり利休より蒲生氏郷へ贈られたとされる。後に藤堂家に伝来した。
千利休書状
(天正十八年)七月九日付。古田織部宛。
小田原陣中より利休が武蔵転戦中の織部に送った書状。文中に花筒「音曲」について述べており、上記竹花入と関係する可能性がある。
竹茶杓 津田宗及作
樋深く蟻腰の茶杓。露は右肩上がりで撓めは急。筒は無く溜塗りの箱に入っており、箱には朱漆で「宗及茶杓 龍安下之(花押)」と龍安寺塔頭大珠院の住職で千宗旦の門下の僖首座が記している。
竹茶杓 瀬田掃部作
胡麻竹、櫂先がかなり幅広で本当に櫂の様になっている。
筒は表千家六代覚々斎。
本阿弥光悦書状
廿三日付。宗二・宗不宛。松尾宗二と伊丹屋宗不に宛て千宗旦と共に二十八日昼に着てくださいと知らせる内容。

その他には常慶の黒樂(ぬり笠)、光悦の赤樂(松韻)や不昧所持の茶臼など拝見しました。


1705 和歌山県立博物館 東照宮の文化財Ⅱ

2017-07-02 | 探訪
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今回は和歌山
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和歌山県立博物館
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特別展「東照宮の文化財Ⅱ ―没後400年 家康の遺宝―」
期間:4月22日(土)~6月4日(日)
waka-tousyouguu
徳川家康所用 南蛮胴具足
兜・銅ともに鉄製で、洋剣・楽器などの紋様を線刻されている。元は北部イタリアで製作され、草摺などを日本で追加したと考えられている。
紀伊藩初代・徳川頼宣が紀州東照宮に奉納した。
徳川家康所用 南蛮兜
鉄製で瓜形の南蛮風兜。鉢の頂点より三条一組の線刻を十三方に施している。
上記南蛮胴具足に附属の南蛮兜・日光東照宮の南蛮胴具足附属の南蛮兜そして当兜を、家康秘蔵の三兜とする。またその形状などから本来この兜が日光東照宮の南蛮胴具足の兜ではないかとの説がある。  
徳川家康所用  紺糸威胴丸具足 
兜は黒漆塗六十二間筋兜で、胴は紺糸威の胴丸。
渥美源五郎が徳川家康より拝領。明治時代になって渥美家より徳川頼宣を祀った南龍神社へ奉納された。
太刀 銘 安綱  附 糸巻太刀拵
刃長80.6cm。平安時代後期に伯耆国の刀工であった安綱の作。
寛文5年(1665)家康の50回忌に徳川頼宣が紀州東照宮に奉納した。
太刀 銘 光忠  附 糸巻太刀拵 
刃長74cm。鎌倉時代備前長船の刀工・光忠の作。
前田利長より徳川家康へ献上され後に徳川頼宣へ分与された。

尾張徳川家のコレクションは徳川美術館。水戸徳川家のコレクションは徳川ミュージアムにありますが、はて紀州徳川家は?
残念ながら売立により大名道具は散逸してしまっています。そんな中ある程度ですがまとまった形で紀州徳川家のコレクションを伝えているのが紀州東照宮です。
今回は徳川家康に関連するものだけでしたが、次は是非とも徳川頼宣やその他のものも併せた展示を見てみたいものです。出来れば散逸した元紀州徳川家のものも併せて「大紀州徳川家」展なんてのも良さそう。