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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

11夏の東日本行⑩ 設楽原歴史資料館 特別展「山縣昌景家と竹広火おんどり」

2011-09-29 | 探訪
次は愛知
三河東郷駅に到着。

猛暑の中、ひたすら歩いて到着したのはココ。

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設楽原歴史資料館
長篠(設楽原)の戦いや火縄銃の展示を主とする資料館

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信玄砲
1573年に武田信玄が野田城を攻撃した際、城内から聞こえてくる笛の音に誘われた信玄を鳥居三左衛門が撃った時のものと伝えられる。

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特別展「山縣昌景家と竹広火おんどり」展
期間:7月13日~9月5日

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「川中島合戦にはじまり、長篠合戦、越前松平家家臣として仕えた山縣家の系譜を関係機関からの多くの名品で紹介するほか、山縣と関係の深い地元竹広に伝わる火おんどりと信玄塚に関する資料を紹介し、武門の家「山縣家」の系譜を辿っていきます。」(公式より)


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武田信玄所用 四十八間総覆輪二方白筋兜
鍬形の前立。越前山縣家に伝来した。
山本勘助所用 軍配
檜と練革を素材とする黒塗の軍配。武田家旧臣である芹沢家に伝わった。

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広瀬美濃守景房所用 最上胴丸
三科肥前守形幸所用 桶側二枚胴朱具足
長坂十左衛門所用 伊予札二枚胴朱具足

三領とも朱具足で所謂「赤備え」である。3名は山縣昌景の同心であり後に井伊直政に仕えている。
奥平信昌所用 紫糸威胸目綴二枚胴具足
兜には沢瀉と思われる金箔押の大立物と鳥毛の頭立さらに丸に立ち沢瀉の前立。
奥平信昌は長篠(設楽原)の戦いでは長篠城に籠城し守りきっている。
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武田勝頼所用 金箔押朱日輪紋胴丸(丸胴)具足
兜には「八幡大菩薩」の前立。胴には大きく朱塗りの日輪が配されている。

新出の資料を交えての展示。山縣昌景自身のものが少なかったのが不満ではありますが中々に興味深い特別展でした。

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山県昌景の碑
設楽原歴史資料館に行く途中にあります。
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設楽原古戦場いろはかるた
「山県の最期 胴切りの松に 秘め」
山県昌景はこの設楽原合戦で戦死しています。
この周辺には顕彰碑やいろはかるたの看板がいたる所にあるそうです。
私はこの猛暑と旅の最後とあって他の場所は行けませんでした。

以上、夏の東日本行でした。

11夏の東日本行⑨ もりおか歴史文化館「南部家の至宝」展

2011-09-26 | 探訪
お次は盛岡
昨年の秋以来となります。
その時訪れた盛岡市中央公民館での展示が2010年11月をもって終了。
替わりに

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2011年7月オープン

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もりおか歴史文化館

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開館記念特別企画展「南部家の至宝-名品が伝える盛岡の歴史-」
期間:7月1日(金)~9月19日(月)
「盛岡や各地方に残された南部家ゆかりの名品を、大名道具における権威や格式、資料の由来などとともに紹介する。」

雉子尾雌雄御太刀拵
柄頭が雉子の頭の形をしているのがなんともユニーク。
元は南部家14代義政が将軍・足利義教から拝領したものだが、江戸時代の初期に焼失してしまっている。
1677年に資料を基に復元された。南部家の重宝。
御代々御画像
南部家初代光行から35代利正までを描いた巻物で全員が甲冑姿をしている。展示では信直・利直の戦国から江戸時代前期の当主が観られた。
南部信直所用 白地天鵞絨陣羽織
胴服とも。長い毛足が特徴的な陣羽織でなんだがモコモコしています。信直もしくは利直所用と考えられています。
南部氏中興の祖と呼ばれる信直。南部氏家督継承問題を乗り越え豊臣秀吉の小田原征伐時に参陣して所領を安堵される。しかし津軽地方は津軽為信に奪われ、一族の九戸政実が反乱した時も豊臣秀吉より援軍を得てようやく鎮圧している。
南部利直所用 白羅紗地日の出紋陣羽織
背に真っ赤な太陽と黒い雲を配し陣羽織で信直もしくは利直所用と考えられています。
南部利直は信直の長男で初代盛岡藩主。
盛岡藩大馬印
金箔押しで鬼燈(ほおずき)の形をした馬印。一瞬桃太郎が出てきそうと思ったのは内緒だw
浅野長政所用 唐冠兜
眉庇の朱色が鮮やかな中国の冠を模した兜。浅野長政の着用と伝わり、後に南部家に贈られたものだそう。
長政と南部信直は奥州仕置で共に先鋒を務め、南部領で起こった九戸の乱でも討伐軍として出陣している。また不来方(盛岡)へ居城を移すことを進めたのも長政だと云われています。
黒田孝高の銀白檀塗合子形兜も同時に展示されており、また蒲生氏郷の鯰尾形兜も別時期に展示。南部家伝来ではありますが何故か全て他家からの品なのが面白い。

以上が企画展示より
常設展示では
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南部重信所用 黒羅紗地唐獅子牡丹文二枚胴具足
この具足は合戦時ではなく火事や洪水などの際に着用するものだそうで黒羅紗地に唐獅子牡丹文を刺繍している。
合戦用の具足から火事装束への移行の中間に位置するものでしょうか。
展示方法も変わっていて、まるで人が着用しているように飾ってありました。
南部重信は盛岡藩3代藩主。初代藩主利直の5男で子を残さず亡くなった2代重直の跡を継いだ。

もりおか歴史文化館。常設展示室はかなりゆったりとした広さであり見せ方も工夫してある感じですが、企画展示室が少々狭い感じで大規模な企画展には不向き。
今回の特別企画展は中々に良かったですが(去年の南部家伝来名品展が物足りなかったのもあり)今後の展開に注目って感じでしょうか。

11夏の東日本行⑧ 八戸 櫛引八幡宮

2011-09-25 | 探訪
次は八戸


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櫛引八幡宮
南部家初代光行の草創と伝えられ南部一之宮を称す。

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正門

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拝殿

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国宝館
2007年開館。国宝2領の甲冑を所蔵展示する
赤糸威鎧
国宝。鎌倉時代末期の作とされる大鎧で、星兜の眉庇に鍬形台打たれ大鍬形がつく。兜と大袖に菊一文字の飾金物があることから「菊一文字の鎧兜」と呼ばれている。春日大社の「赤糸威鎧(竹雀虎金物)」と東西の双璧を成す。
白糸威褄取鎧
国宝。兜は三十八間四方白星兜。南北朝時代の作で南部家7代の南部信光が後村上天皇から拝領したものと伝えられる。

東北にある国宝甲冑はここにある2領だけ。必見デス

11夏の東日本行⑦ 高照神社

2011-09-24 | 探訪
弘前駅よりバスで約40分



高照神社へやってきました。

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高照神社は弘前四代藩主津軽信政を神式で埋葬するために遺言により1712年に建立された神社だそうです。

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拝殿
2006年に境内の主要な建物が国の重要文化財に指定。
本殿から鳥居までの主要な建物を一直線に配した吉川神道に基づく独特の配置は他に例がないそう。

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神饌殿
けっしてボロ家屋ではない。市指定の文化財で神様に供える食物を調理する所だそう。老朽化が著しく倒壊のおそれがあるそうだが費用も相当かかるそうで用意に直せないらしい。倒壊防止に木材で補強しているのだがなんとかならないのであろうか・・・

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この奥に津軽信政の墓があるそうです。

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宝物殿
「槍と刀剣展」
期間:??~9月4日(日)
津軽藩ゆかりの武器・武具約150点を展示。
津軽為信所用 太刀 銘 友成
重文。長さ約80cm。津軽為信が小田原参陣の際に豊臣秀吉から拝領したと伝わる。
津軽為信は初代弘前藩主。元は南部家に従っていたが内紛に乗じて津軽地方の切り取りに成功し独立を果たした。1590年小田原征伐に参陣し、豊臣秀吉より所領を安堵されている。南部信直は秀吉に対し津軽は為信に奪われたものだと訴えたが退けられている。
津軽信政所用 太刀 銘 真守
重文。弘前藩四代藩主信政の佩刀であり5代藩主信寿が奉納した。
津軽信政所用 黒小實勝色威甲冑
三十八間四方白筋兜に龍頭の前立と鹿角の脇立。こちらも5代藩主信寿の奉納。
津軽信政は弘前藩4代藩主。山鹿素行に儒学や兵学を学び、吉川惟足からは神道を学んだ。津軽藩中興の祖とされる。
刀 銘「獅吼」
弘前藩で代々家老を務めた大道寺家に伝来した太刀で弘前藩2代藩主信枚の子で大道寺家に養子で入った大道寺為久の作刀と伝わっています。大道寺家は北条氏の重臣である大道寺政繁の養子・大道寺直英が津軽信枚に仕えたのが始まり。
平三角槍 無銘
1579年の六羽川合戦で津軽為信の身代わりとなって討死した田中太郎五郎の所持品。
旗指物
津軽家家紋「卍」と雲が描かれた背旗で関ヶ原合戦で使用したものを家臣が津軽為信より拝領したものと伝わる。

津軽氏関連のものがワンサカある神社。これからも守り伝えていって欲しいです。

11夏の東日本行⑥ 弘前

2011-09-23 | 探訪
青森は弘前へやってきました。
2009年の夏以来です。

最初は追手門広場
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たか丸くん
弘前城築城400年祭のマスコットキャラクターです。前の時には当然なかった。

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旧弘前市立図書館と旧東奥義塾外人教師館
手前には明治時代の建物のミニチュア群があります。

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弘前城追手門

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弘前城天守

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弘前市立博物館
1977年開館。前回は休館日で入れず。今回初めて入りました。
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展示は企画展「弘前ねぷた展」と併設で「津軽の歴史展」が行なわれていてました。
ねぷたまつり自体には行ったことがないので、こういった絵だけでも観れて良かったです。
津軽の歴史展は歴代弘前藩主の展示が主でした。

11夏の東日本行⑤ 新潟県立歴史博物館 夏季企画展「越後の大名」

2011-09-18 | 探訪
長岡駅からバスで約40分

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新潟県立歴史博物館
2000年開館。常設展示では新潟県の歴史や縄文人の世界や文化を紹介しています。

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夏季企画展「越後の大名」
期間:7月30日(土)~9月11日(日)
「慶長3年(1598)に上杉氏が会津に移封した後しばらくして、越後は「小藩分立」の時代となりました。江戸時代の越後を支配した大名家やその変遷などをゆかりの資料から紹介します。」

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堀直寄寿像
直寄が還暦のときの姿を描いたもの。
堀直寄は直江兼続・小早川隆景と共に天下の三陪臣と呼ばれた堀直政の子で越後で長岡藩・村上藩主を務めた。
堀直寄所用 銀箔押鯰尾形兜
宝仙寺所蔵。小田原城で観た兜とほぼ同形のもので、こちらが若干古いものであるらしい。直寄の兜は古くから有名であったらしく「銀の鯰尾の甲」として記録が残る。
紅糸釘抜紋柄威二枚胴具足
欧州産の輸入兜で製作された南蛮兜、胸板や脇板には唐獅子の金蒔絵が描かれ胴と佩楯には白糸で釘抜紋を表す。
所用者は不明ながら釘抜紋から直政・直寄等の堀一族が用いたと推定されています。
村上頼勝 肖像画
頼勝は元丹羽長秀の家臣。長秀死後は越前北庄に代わって入った堀秀政の与力大名となります。1598年堀秀政の子秀治が越後へ転封になるとそれに従い村上城主となります。
溝口秀勝 肖像画
秀勝も村上頼勝と同じく丹羽長秀家臣から堀氏与力大名となり越後入国時には新発田城主となります。よく似た経歴ですが村上氏が2代改易になったの比べて溝口氏は1598年の入国より幕末まで12代にわたって新発田藩主として継続しています。これは改易・転封が多い越後国の藩主では唯一だそうです。
溝口宣勝所用 紫糸縅甲冑
兜に家紋の掻摺菱の前立。この甲冑は初陣の際に母方の父である長井源七郎から贈られた。
市橋長勝所用 伊予札腰取二枚胴具足
金箔押しの烏帽子形兜に二枚貝の脇立が付く。この具足は長勝が関ヶ原合戦で着用したものと伝わっているそう。
長勝は信長・秀吉に仕え関ヶ原合戦では東軍についた。大坂の陣での戦功により越後三条藩主となる。
榊原康政所用 陣羽織
長篠の合戦で康政が着用したと伝わるもので背中に榊原家紋である源氏車があしらわれています。
康政の子孫である榊原政永が1741年に越後国高田藩主となり以降幕末まで続きます。
牧野忠成木像
牧野家の菩提寺である長岡市の栄涼寺にある木像。
牧野忠成は徳川家家臣。大坂の陣の戦功により越後国長峰藩主となり1618年長岡へ加増のうえ転封となります。
井伊直政所用 孔雀尾具足陣羽織
全体に孔雀の尾羽を縫いつけた陣羽織。本能寺の変の際、堺にいた徳川家康と家臣は苦難の末三河に帰還しています。この陣羽織は帰還に尽力した功により直政が家康より拝領したもので、その後直政の嫡男直継に贈られた。
与板藩井伊家はその井伊直継を祖とし1706年に与板藩主となり10代170年続きます。
内藤信成所用 六十間筋兜
内藤信成所用 頬当

頬当は徳川家康より拝領の品と伝わる。
内藤信成の子孫である内藤弌信が1720年に駿河田中より越後村上に移封され以後幕末まで9代150年藩主として統治した。

その他各藩の絵図や領地目録等の展示がありました。
沢山の藩に分かれていた越後なので、新潟県中(県外も)から資料を集めたのは大変だっと思われます。関係者的には上杉家がそのまま統治してれば楽だったのにw、って感じでしょうか。
ともあれ県(旧国)単位での展示というアプローチは藩が分立していた他県でも見てみたいと思わせる手法でした。

次の場所へ
大移動!

11夏の東日本行④ 長岡

2011-09-17 | 探訪
新潟は長岡に来ました。

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長岡城本丸跡
駅前にあります。遺構らしきものはなにもありませんでした。
長岡城は堀直寄により築城され、後に牧野家が入り幕末まで続きます。

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長岡城二の丸跡
城内稲荷神社にあります。

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長岡商工会議所 
1階 美術文化ホール

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特別展「長岡藩主牧野家の至宝展」
期間:7月28日(木)~8月21日(日)
「新潟県立歴史博物館主催「越後の大名展」の開催にあわせて、長岡藩主牧野家の伝来資料を中心とした展示会を開催し、長岡の特色ある文化の形成をリードした長岡藩主の人物像と魅力を探ります。」
狩野秀信筆の徳川十七将の図等の展示があり無料でした。

11夏の東日本行③ 真田氏歴史館

2011-09-16 | 探訪
上田市内から真田町へ

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真田氏歴史館

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真田三代ふるさと愛写真展
期間:7月16日(土)~8月31日(水)
真田氏関連史跡写真の展示。そしてそして

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仙台真田家所蔵品特別展示
真田幸村所用 南蛮胴具足
金の鹿角前立。大阪冬の陣の際、家康襲撃を企図した幸村がこの甲冑を用いたと伝わっているそう。
2006年大阪城天守閣で開かれた「真田幸村と大坂の陣」以来実に5年ぶりに観ます。いや~会いたかった~。
真田幸村所用 白采幣
柄尻に六文銭が刻まれている。
大阪夏の陣1615年5月7日に幸村がその死に臨んで持っていたものと伝わっていります。
実ははそうと伝わる采配がもう一種類ありますが、後の話とさせていただきます。
江戸時代に仙台でコレラが流行した時、この幣を飲むと幸村の武勇(神通力)が得られ病気が平癒するといわれて大分ちぎり取られているそうです。
婦人用御状箱
中に六文銭が描かれている。幸村の正室である竹林院(大谷吉継娘)が娘お梅に伝えたもの。お梅より弟の守信(仙台真田氏初代)に贈られた。

歴史館に隣接する真田庵へ行き、クルミ味とゴマ味のおはぎをいただきました。2007年に訪れた時は時間が早くてまだ無かったので食べられず。4年越しで食べることができました。
次はお隣の真田氏館跡へ

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皇太神社
真田昌幸が勧請したと伝えられています

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厩跡

ちょっと移動

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山家神社
ここも久々。

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真田神社
本命はこちら山家神社境内にあります。前回来た時は写真を撮り忘れていたので寄りました。

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最後はやはりこれ、真田幸村公騎馬像。
2度目の上田真田旅でしたが、何度来ても気分がいい。まだ廻ってないところもあるので再度の来訪を誓い上田を後にしました。

11夏の東日本行② 上田

2011-09-11 | 探訪
信州上田へ
宿泊だけだった前回を除くと2007年以来久々の上田です。
駅を出ると見慣れぬものが・・・・

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BASARAってますなぁ・・・

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上田城東虎口櫓門

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尼ヶ淵跡から見た南櫓と西櫓
幸村と真田十勇士の幟旗が並びます

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上田市立博物館

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真田昌幸所用 啄木糸威伊予札胴具足
随所に家紋である六文銭が描かれている。家臣の河野清右衛門に与えた一領。

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真田幸村 肖像画
裃姿の信繁像。同じ構図の画像はいくつかあるそうです。

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六文銭旗印
革製で昌幸具足と共に河野家に伝わったもの(手前)

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仙石秀久所用 紺糸威二枚胴具足
藁編笠を模った兜に歯朶の脇立。
秀久は上田の近く小諸城主。子の忠政の代に真田氏に替わり上田へ移った。

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池波正太郎真田太平記館

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夏の企画展 「幸村伝説」
期間:7月16日(土)~9月11日(日)
「幸村が大坂の陣で死なずに、豊臣秀頼と共に薩摩に落ち延びたという伝説を、史料や写真で紹介している」

久々の上田でしたが真田人気は衰え知らず。ますます盛んなようでした。

11夏の東日本行① 東京国立博物館

2011-09-09 | 探訪
今回から夏の旅編。とっちらかった旅となっております。

最初は東京・上野
東京国立博物館へ来ました。

本館5・6室

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秋田家伝来 樫鳥糸肩赤威胴丸
四十八間総覆輪筋兜に鍬形と日輪の前立。
浪岡北畠氏の伝来とされ江戸時代は三春藩秋田家に伝わった胴丸。
浪岡北畠氏は一説に北畠顕家の後裔とされ「浪岡御所」と称された。1578年に津軽為信によって浪岡城を攻められ滅亡している。落ち延びた一族の者が安東(秋田)氏を頼り家臣となっている。

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豊臣秀吉所用 紫糸素懸威烏帽子形桐紋兜
鳥帽子形の両側に桐紋を大きく配した兜。豊後木下家伝来。

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明智光春所用 南蛮胴具足
兜には兎耳と半月の立物。南蛮胴には前面に「天」の字、後面に富士山を打出しています。
明智光春は謎の多い人物で明智秀満がその人であるともされていますが秀満自身も謎が多い。


樫鳥糸威鎧
猿投神社所蔵。現存する最古の大鎧(平安時代)だそうです。
「後三年の役」において戦功があった伴次郎助兼が源義家から拝領したものと伝えられ,源氏八領のひとつ「薄金」がこの大鎧であるとも。


太刀 銘 国宗
国宝。池田輝政より徳川家康に献上されたもの。日光東照宮蔵。
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桐紋蒔絵糸巻太刀
上記国宗の太刀拵。

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黒漆太刀
鞘・柄とも黒漆塗の質実な仕立て。毛利輝元が小笠原氏に贈った品。

本館13室

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伯耆安綱(名物 童子切安綱)
国宝。天下五剣のひとつで源頼光が酒呑童子の首を切り落とした事からこの名がついた。
足利将軍家・秀吉・家康が所持し江戸時代には津山松平家にあった。

相州正宗
国宝。徳川家家臣であった城和泉守昌茂が所持し、後に弘前藩主津軽家に伝わった。
城昌茂は元武田家家臣であり親交のあった真田昌幸が亡くなった時に子の真田信之に手紙を宛てている。