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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

2010GWその1 中津城 杵築城

2010-05-30 | 探訪
2010年のGWのお話。
最初はここ

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中津です。写真は駅前の福沢諭吉像。

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中津城
黒田孝高(如水)の築城。関ヶ原の戦い後に細川忠興が入り、細川氏が熊本転封後は小笠原氏、奥平氏が入り廃藩置県まで続く事となる。
現在の天守は1964年に建てられた模擬天守だそう。天守は北東隅櫓跡に建てられている為かかなり張出している印象。

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奥平神社
天守横にある。如水や忠興の有名武将の居城であったが一番長く居たのは奥平氏である。その為場内の展示も奥平氏のものが多い。

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白鳥の槍
鎮西八郎こと源為朝所用とされる鏃で後に、信長→家康へ。そして奥平忠昌が家康より賜った奥平家家宝。

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奥平信昌所用 錆地打延五枚胴具足
信昌が長篠の戦いで着用したものと伝わっている(武田に攻められた長篠城に籠城し守り抜いた)。

他にも武田信玄より拝領の陣羽織や松平忠明(奥平信昌の4男)の陣羽織等展示があった。

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杵築城
元は「木付」だったが徳川幕府の朱印状に誤って「杵築」と記されていた事から現在の名に改められた。現在の天守は1970年に建てられた。

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浅井直政(万菊丸)所用具足
直政は浅井長政とお市の方次男。浅井三姉妹は有名だが、男子も2人おり長男万福丸は小谷城落城後発見され磔にされたが、次男万菊丸は生き残った。
その他石田正澄(三成兄)所用の兜もありました。前立は鍬形、脇立は鳥毛となっている。

杵築城下は武家屋敷等がよく残っている。
南北の高台に武家屋敷その谷あいに商人の町があり「日本唯一のサンドイッチ型城下町」などと言われている。
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北台の酢屋の坂から南台の志保屋の坂を望む

次の目的地へ続く。

特別展 雑兵物語の世界

2010-05-05 | 探訪
4月の頭、ちょいと関東へ。

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埼玉県立歴史と民俗の博物館 特別展「雑兵物語の世界」
「展示では、戦の表舞台に立ちながら歴史を蔭で支えた雑兵に焦点をあて、雑兵の姿と彼らの生きた時代の美意識を浮き彫りにします。」とのことで展示内容も雑兵(足軽)を中心にしているが、その他変わり兜等も結構な数を展示してました。
圧巻だったのは足軽胴(簡易鎧)をピラミッド型の大ステージに展示したところ。その数140領!!!
足軽胴は武将クラスの甲冑に比べて非常に簡単な作りで1つ1つ見るだけだと非常に地味なのだが、集合展示する事によって威圧感を受ける。
さて、その足軽胴すべてを紹介する事は不可能なので主なところをあげると
仙石(永楽通宝)柳生(二枚笠)榊原(源氏車)石田(大一大万大吉)真田(昇梯子)細川(九曜)小早川(違い鎌)毛利(一文字三星)
続いては変わり兜を中心に兜が30頭ほど。最後に武将の甲冑を紹介しておきます。
秩父孫次郎重国所用 関東五枚胴具足
兜は黒漆塗八間筋兜、胴は黒漆塗横矧桶側五枚胴。孫次郎は鉢形城主北条氏邦の家臣。鉢形城には秩父孫次郎が守備した秩父曲輪があったそうです。私も鉢形城を訪れたときにその伝秩父曲輪を見学しました。
上杉謙信所用 銀箔押兎耳形兜
変わり兜の一種。ウサミミだがかわいさよりも前立の三日月と合わせて結構クールな印象。
上杉景勝所用 鉄伊予札萌黄糸綴両引合具足
前立の瑞雲や二重錣等上杉家の甲冑らしい特徴がみられるそうで、今回が初公開の資料だそう。

さて埼玉から東京に移動し東京国立博物館へ寄りました。

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結城秀康所用 朱漆打刀拵・刀 長船元重
徳川家康次男秀康愛用の刀。「朱鞘元重」と呼ばれているそうです。刀は南北朝時代の作。
加藤清正所用? 肩脱ぎ二枚胴具足
展示解説には書かれていないが、一部で「加藤清正所用」とされている具足。
名前のとおり片肌脱ぎの様に見える一領でかなり手が込んでいる。異様なまでの存在感のある具足。

近江坂本 光秀と天海

2010-05-03 | 探訪
4月の中旬、大津市坂本に行きました。
この記事(京都新聞)を見たからですが、終了まで日が無く慌てて行きました。

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旧竹林院資料館 特別展「つわものたちの美 甲冑展」
なんともいえない音楽が流れるなんともいえない雰囲気の展示室・・・そこに鎧や兜が十数点。説明文には有名な武将の名前が並びます。とりあえずご紹介しますが・・・
武田勝頼所用 二枚胴具足
前立は貝が両側にありそしてなんでしょう蔓の様なのが3本伸びています。
堀秀政所用 南蛮具足
「織田信長より拝領」の文字が!
明智光秀所用 二枚胴具足
前立に「愛宕山大権現守護所」の札。光秀は本能寺の変の数日前に愛宕山に参拝参詣し連歌会を行っています。しかしこの前立て、どこかで見たことあるなと思ったら片倉小十郎の兜に付いているモノとゴク似です。
九鬼嘉隆所用 二枚胴具足
胴に三つ巴、鎧の脇立はシャチ(魚)?
それはいいとして説明文の「熊野水軍船長」・・・
村上武吉所用 銀小札二枚胴具足
胴に「武」の字。背中からなんか羽が出てます・・・
浅井長政所用 阿古陀形兜
織田信長所用 南蛮兜
他にも前田家伝来の具足、近江佐々木氏伝来の具足、毛利元就の兜等展示していました。
感想は、むむむむ・・・でした。

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滋賀院門跡
「黒衣の宰相」と称された天海僧正が建立。滋賀院の名は後水尾天皇から賜ったものだそう。ここにも甲冑の展示がありました。
天海所用 金箔押伊予小札縹糸素懸威二枚胴具足
江戸初期の作。兜は僧侶のかぶる頭巾風となっている。
全体が金色でなかなか派手である。

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慈眼堂
滋賀院門跡を少し上った所にある、天海僧正の廟所。