今回は奈良

大和文華館

文字の魅力・書の美
期間:11月20日(金)~ 12月25日(金)

近衛信尹書状
三月九日付、桑山重晴宛。重晴との賭け将棋で美酒を得「我ながら奇特なる芸者」であると自賛し、大坂へ向かった重晴に帰ってきたら又将棋を何局でも指そうと誘っている。また古筆二巻の鑑定を頼まれていたが、それよりもこの酒だと豪快だ。信尹は酒好きであったようで、この他にも酒に関する手紙がみられる。
重晴が修理大夫時代、信尹が薩摩配流前の手紙。
本阿弥光悦書状
九月六日付、宗徳老宛。内容は加藤嘉明が明後日茶会に招いてくれたので御答礼に参るか俵屋宗達と話し合ったがそれには及ばないとなっので、宗恵老へ手紙で知らせるとしている。
加藤嘉明は賤ケ岳の七本槍として知られ秀吉・家康に仕えた大名だが、光悦の手紙に度々名が出てきており、その中には光悦に茶碗の制作を依頼した事も記されている。
松花堂昭乗書状
九月廿八日付、久保権大夫宛。内容は権大夫の甥・木工助が古瀬戸肩衝茶入を見出した事を褒めている。また玉室・沢庵和尚の赦免の話題から寛永八年(1631)の書状とされている。
久保権大夫は奈良の茶人で「長闇堂」と称した人物。松花堂昭乗とは懇意であり、手紙には小堀遠州や江月宗玩の名も見え広い交友がうかがえる。
松花堂昭乗書状
四月(初夏)十二日付、小堀遠州宛。内容は里村玄仍の二十五回忌に追善の連歌を詠み、遠州に添削を依頼している。また約束の歌仙絵を描いたが不出来だと謙遜している。5月に新茶を詰めたら伺いたいが叶わないだろうと記している。
今回は「特集陳列:寛永の三筆の書と美意識」より紹介。他では三条西実隆、足利義満、豊臣秀吉、狩野探幽などの書状を拝見しました。
これにて2020年分は終了です。

大和文華館

文字の魅力・書の美
期間:11月20日(金)~ 12月25日(金)

近衛信尹書状
三月九日付、桑山重晴宛。重晴との賭け将棋で美酒を得「我ながら奇特なる芸者」であると自賛し、大坂へ向かった重晴に帰ってきたら又将棋を何局でも指そうと誘っている。また古筆二巻の鑑定を頼まれていたが、それよりもこの酒だと豪快だ。信尹は酒好きであったようで、この他にも酒に関する手紙がみられる。
重晴が修理大夫時代、信尹が薩摩配流前の手紙。
本阿弥光悦書状
九月六日付、宗徳老宛。内容は加藤嘉明が明後日茶会に招いてくれたので御答礼に参るか俵屋宗達と話し合ったがそれには及ばないとなっので、宗恵老へ手紙で知らせるとしている。
加藤嘉明は賤ケ岳の七本槍として知られ秀吉・家康に仕えた大名だが、光悦の手紙に度々名が出てきており、その中には光悦に茶碗の制作を依頼した事も記されている。
松花堂昭乗書状
九月廿八日付、久保権大夫宛。内容は権大夫の甥・木工助が古瀬戸肩衝茶入を見出した事を褒めている。また玉室・沢庵和尚の赦免の話題から寛永八年(1631)の書状とされている。
久保権大夫は奈良の茶人で「長闇堂」と称した人物。松花堂昭乗とは懇意であり、手紙には小堀遠州や江月宗玩の名も見え広い交友がうかがえる。
松花堂昭乗書状
四月(初夏)十二日付、小堀遠州宛。内容は里村玄仍の二十五回忌に追善の連歌を詠み、遠州に添削を依頼している。また約束の歌仙絵を描いたが不出来だと謙遜している。5月に新茶を詰めたら伺いたいが叶わないだろうと記している。
今回は「特集陳列:寛永の三筆の書と美意識」より紹介。他では三条西実隆、足利義満、豊臣秀吉、狩野探幽などの書状を拝見しました。
これにて2020年分は終了です。