
吉田松陰先生銅像
海外密航を企てた松陰と金子重之助(重輔)が下田海岸でペリー艦隊を望見する姿の像。

吉田松陰先生誕生之地
天保元(1830)年に松陰が誕生。嘉永元(1848)年、一家は松本村清水口に移り、現在の松陰神社境内に生活を移しました。
なお碑の揮毫は、松下村塾の門下生・山県有朋による。

松陰先生産湯の井
第二十六代内閣総理大臣・田中義一の揮毫
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吉田松陰・高杉晋作之墓所
万延元年(1860)2月7日、松陰の生家である杉家では百ヵ忌を営み、護国山団子岩の吉田家墓地に家族や親戚、高杉晋作、久坂玄瑞をはじめ在萩の門人のほとんどが出席した。
また同月15日に松陰の墓碑を建立した。
現在では吉田松陰とその家族、門下生が眠っています。

吉田松陰墓

高杉晋作墓

久坂玄瑞墓
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伊藤博文の陶像
萩焼でつくられたほぼ等身大の像

伊藤博文旧宅
初代内閣総理大臣となった伊藤が安政元年(1854)から明治元年(1868)に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家。

伊藤博文別邸
伊藤博文が明治40年(1907)に東京府下荏原郡大井村に建てた建物の一部(玄関、大広間、離れ座敷の3棟)を、萩市が無償譲渡を受けて伊藤博文旧宅側に移築したもの。

一階座敷
炉が切ってあり茶会も出来そうです。

節天井の間
一階座敷の隣の部屋。床の軸は伊藤博文筆

二階座敷

書院の間

石灯籠
明治天皇から伊藤へ贈られたもの。
伊藤博文旧宅・別邸。一介の足軽から総理大臣になった伊藤の人生を見ている2つの建物。
面白い対比でした。