ラミーユ浦和 活き活きクラブ

わたしたちは60歳以上のシニアのグループです。ブログを通じて「絆」を強めて行こうと開設しました。

葛飾柴又周辺散策

2019-04-29 | 事務局
4月25日(木)活き活きクラブ、今年度第1回社会見学会を実施。
行先は、映画「男はつらいよ」の主人公「フーテンの寅」の出身地として今なお多くの人に愛されている葛飾柴又。
参加者は25名でした。(当初20名で募集したところ締切遥か前に20名に達する大盛況でした。)

出発点は柴又駅、駅前には、「旅に出る寅さんが、さくらの方を振り返ったシーン」をモチーフとした寅さんの銅像。
1999年に地元商店会と観光客の募金によって、柴又駅前に建てられた。銅像の足元には、山田洋次監督による寅さんの
故郷への思いが刻まれている。2017年には、寅さんを見送る妹さくらの銅像も建立されている。


先ず、「柴又帝釈天」に参拝して記念撮影。
柴又帝釈天は、正式には「経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)」という日蓮宗の寺院です。
題経寺の歴史は江戸時代初期の寛永6年(1629年)まで遡ります。
千葉県市川の下総中山法華経寺・第19世禅那院日中(ぜんないんにっちゅう)上人と、その弟子である
第2代題経院日栄(だいきょういんにちえい)上人の二人の僧によって開基されたと言われています。
神様としての帝釈天の姿は「右手に剣を持ち、左手を開いた忿怒の相をあらわし悪魔降伏の尊形」と表現されます。
「仏の教えを信仰し従う者にはもし病難や火難 その他一切の災難に遇えば、帝釈天が必ず守護し、
この悪魔を除き退散させてくれる」と言われています。このように、帝釈天は古くから厄除け、病気平癒の
ご利益がある神様です。


圧巻のスケール!彫刻ギャラリー
帝釈堂の内外には彫刻が数多くありますが、外側に彫られているものはお堂ごとガラスで仕切られ、
ギャラリーとなっています。
仏経典の中でも最も有名な「法華経」の説話の中から選んで掘り出された10枚の彫刻を観ることができます。
このように壁一面にびっしりと彫刻が彫られています。


帝釈天のもう一つの見どころ、大客殿と邃渓園(すいけいえん)。
大客殿に付属する庭園で、昭和4年(1929年)、大客殿の竣工に合わせ作庭を始めて、昭和40年(1965年)
にほぼ現在の形になりました。東京都内に所在する寺院の多くは関東大震災や第二次世界大戦により被災して移転し、
付属する寺院庭園においても、その際に改変されたものが多いのですが、そうした中で邃渓園は、大規模改変のない
庭園として、芸術的・学術的価値があり、貴重であると高い評価を受けています。2016年3月11日に「東京都指定名勝庭園」
に指定されています。





帝釈天の次は、「寅さん記念館」へ。
『男はつらいよ』の記憶のすべてがある。それが寅さん記念館です。
館内には、映画で実際に使用された「くるまや」のセットが撮影所から移設され、実物資料やジオラマ模型、
懐かしの映像集などで、『男はつらいよ』の世界に浸ることができる。


実際の撮影に使用した「くるまや」のセットを大船撮影所から移設されている。



当時の新聞やポスターが貼り巡らされている。



寅さん記念館の中に4月にリニューアルオープンした「山田洋二ミュージアム」。
山田監督の映画づくりを支えてきたカメラや照明、録音・編集機材が処狭しと展示されている。


館内を一巡りしてちょっと一服。


寅さん記念館を見た後「山本亭」に向かう。
大正末期に建てられた山本亭は、趣ある書院造に西洋建築を取り入れた、和洋折衷の建築が特徴の建造物です。
合資会社山本工場(カメラ部品メーカー)の創立者、故山本栄之助氏の住居として建てられ、大正12年の関東大震災を期に、
浅草の小島町から現在地に移転。大正15年から昭和5年までに増改築を重ねました。当時は洋風建築を取り入れることが
富裕層の間で流行しており、その佇まいを今に残す貴重な建築として、葛飾区が登録有形文化財に指定。
昭和63年に買い取り、平成3年4月から一般公開されています。
明り取りの窓、違い棚など、書院造の特徴が随所に見られる建物は、木造二階建て。1階は120坪の広さがあり、
2階が15坪、地下防空壕や土蔵、長屋門で構成されています。土蔵は栄之助氏が屋敷跡を取得した当時からあり、
正確な築造年は判明していませんが、山本亭内に現存する中で最も古い建造物とされています。
和洋折衷様式が明確に見てとれる長屋門は、昭和5年から8年の間に古い門を取り壊し、新築されたものです。


ゆったり時が流れる大正建築で海外でも評価が高い日本庭園を眺める。
270坪の典型的な書院庭園は、米国の日本庭園専門誌「Sukiya Living〜ランキング調査(2016年)で、
第3位に評価されています。全国900カ所以上の旧所名跡、旅館、旧別荘が対象となっているこの調査において、
順位が公表された2003年以降、山本亭は常に7位以内にランクインしています。


柴又目抜き通り(参道)に戻りランチタイム、ちょっぴり柴又名物の「串団子」が添えてあった。

食事処の前の参道。


午後からは演歌で知られる「矢切の渡し」に向かう。


「矢切の渡し」桟橋。木材を組んで板を敷いただけの桟橋で、かなり朽ちていてちょっと危ない。


渡し船は30人乗り、我々25人乗るとほぼ満席。


松戸側に上陸してスーパー堰堤を散策。


堰堤から柴又方面を望む。手前は河川敷ゴルフ場、木が茂っているところに松戸側渡船場がある。


堰堤から松戸側を望む。ここから前方にある「野菊の墓文学碑」まで「野菊の道」になっている。
時間があれば野菊の墓文学碑まで足を延ばして、矢切駅から帰るコースもおすすめ。


「日本の音風景100選」の顕彰碑。
環境省は、新しい音環境保全対策の一環として、環境負荷の少ない経済社会づくり、自然と人間との共生、あらゆる主体の参加等の目標を掲げた「環境基本計画」の趣旨を踏まえ、残したい“日本の音風景100選”事業を平成8年度展開し、全国各地から合計738件の公募があり、その中から松戸市「矢切の渡し」が東京都葛飾区の柴又帝釈天界隈と合わせて認定されました。


松戸側の渡船場。

渡船場で渡し船が対岸から帰ってくるのを待つ。

ここから柴又に引き返し帰路に就く。心配された雨でしたが、小雨が降る時もありましたが、傘を差すほどではなく、
楽しく有意義な社会見学会を終えることができました。













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