ラミーユ浦和 活き活きクラブ

わたしたちは60歳以上のシニアのグループです。ブログを通じて「絆」を強めて行こうと開設しました。

今年も京都へ

2023-12-03 | 旅行
昨年久々に京都の紅葉を観に行き、やはり京都の紅葉は一味違った鮮やかさに堪能しました。
そこで今年も行ってみることに。

昨年は京都駅から比較的近い東福寺や永観堂など洛南地区を観て廻りましたが、今年はちょっと足の延ばして洛北地区へ。
先ず実相院へ、
ネットで調べてみると、実相院は京都でも数少ない綺麗な「床もみじ」が見られる、とのことで行ってみることに。



枯山水庭園(こころのお庭)
実相院には趣の異なる二つの庭園があり、こちらがその一つ。
「こころのお庭」とも呼ばれているようで、比叡山を借景とした枯山水庭園。

池泉回遊式庭園
境内の中でも色づきに時期差があるようで、こちらの庭園はまだ色づきが悪くちょっと
物足りなかったです。

もう少し色づくと綺麗になるかな。

床もみじ (実相院のHPから引用)
実相院の一番の見どころと云われる「床もみじ」は、撮影禁止となっていて写真は撮れませんでした。が、HPで見た、漆黒の床に映り込んだ、鮮やかな床もみじとは程遠くがっかり。

こちらの紅葉は全体的に紅葉の進み具合が遅れているようで、知ってか知らずか意外と観光客は少なかったです。時期・時間などタイミングがうまく合わないとダメですね。


次に大原三千院へ
三千院は忘れるくらい随分前に一度訪れたことがあって、あの時の庭園の綺麗だったこと、今でも薄っすらと思い出します。かねがねもう一度行って見たいと思っていましたが、市中から大分離れているため中々行かれませんでした。

参道入口
大原バス停から少し歩いて行くと参道入口が。
案内板に三千院門跡まで、600m約10分とあります。

参道の紅葉
参道の小川沿いに鮮やかな紅葉が見られ、早速カメラを取り出しパチリ1枚。


三千院入口までもうすぐ。ここも綺麗。

お店
参道沿いには京都名物の漬物店や土産店が点々と並んでいます。

三千院入口に到着。ここから御殿門まであと少し。

御殿門を囲む石垣。たくさんの苔が風格を感じさせる。

御殿門

拝観料を払って早速庭園を散策。
客殿の庭園、「聚碧園」と呼ばれる池泉式庭園を眺める。
縁側に敷いてある赤い敷物に座って、抹茶をいただきながら観賞する人も。

宸殿縁側から「有清園」を眺める。

庭園を散策。

紅葉に囲まれ、苔むした庭園の真ん中にある「往生極楽院」。
国宝の「阿弥陀三尊」が安置してある。

青苔に杉や檜などの立木が並び見応えある池泉回遊式庭園。

苔が敷き詰められている。

有清園出口付近の景観。

有清園を出た辺りの景観も素晴らしかったです。

庭園を出て散策していると桜が咲いていました。

御殿門前にも食事処や土産物店が。


三千院の庭園は結構広く、見応えがありました。
当初の計画では、三千院と同じコースにあり、実相院と同じく床もみじで知られる「瑠璃光陰」にも行く予定でしたが、三千院の散策にかなり時間を費やし、三千院への往き帰りとも臨時バスが出る程の混雑で、今回は断念、次回の楽しみに残しておくことにしました。

今回もご覧いただきありがとうございました。

  投稿者:やまちゃん


コメント (3)
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測候所あらね異次元のアート施設

2023-11-01 | 旅行
久々の投稿です。 
小田原に一風変わったアート施設がると云うことで行ってきました。
あらかじめオンラインでチケットを購入(受取はコンビニエンスストア)、電車で行く人は、同時に往復の送迎バスを予約することになっています。
東海道線の根府川駅で下車、しばらく待っていると送迎バスが到着、約10分で小田原江之浦測候所に到着。

根府川駅
相模湾岸に建つ無人駅ですが、鉄道ファンとしても知られるタモリがJR4368駅の中で一番気に入ったのが根府川駅とか。関東の駅百選にも選ばれている。
近年、江之浦測候所を見学に訪れる人が増え、駅の乗降客も増えているようです。
ちなみに根府川駅周辺には、飲食店や喫茶店などの暇を潰せるようなお店は全くありませんでした。

最初に江之浦測候所について
正式名称は「小田原文化財団江之浦測候所」とあります。写真家で現代美術作家の杉本氏がかってミカン畑だった小田原江之浦の地に建設した美術館並びに展示施設。
美術品鑑賞のためのギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、待合所などから構成されていて、日本文化の精髄を世界に発信することを目的としています。
各建築物は我が国の建築様式及び工法の各時代の特徴を取り入れて、それを再現している。
擁壁、建築群に使用されている石材は、根府川石、小松石などを使用している。
又、造園のための景石には早川石丁場群跡から出土した江戸城石垣用の原石を使用している。


駐車場から坂道を登ったところにある、カフェの休憩場所から相模湾を望む。


明月門
施設に到着して最初に出迎えてくれる「明月門(メイゲツモン)」。もともとは鎌倉にある臨済宗建長寺派の明月院の正門として室町時代に建てられたもの。さらに近年は南青山の根津美術館の正門として使用されていましたが、建て替えに伴い寄贈され、江之浦測候所正門として解体修理され再建されました。

待合所でチケットを回収、同時に施設の説明書冊子を受取る。


待合棟
硝子で囲まれた現代的な建築。中央のテーブルには樹齢1000年を超える屋久杉の天板。そこに高野山 大観寺にあった水鉢を埋め込んでいます。
ここで受け取った冊子を読み、前知識をインプット。

さあ 荷物をロッカーに預けて出発!
(広大な敷地にもかかわらず、景観を守るとかの理由で、道順を示す標識が全くなく、何処からどう廻ればいいのかまごまごした。出発前に貰った冊子を少し丁寧に見ておくべきだった。)


ギャラリー棟
海抜100メートルの地点に延びる全長100mの夏至光遥拝ギャラリー棟、
建物の延長線上の突端は海側へ突き出している。
この建築は、太陽が登る方向に向いていて、夏至の時は正面に夏至の日の出を見ることができる設定になっているそうです。
ギャラリー棟の手前の敷石は、京都市電軌道敷石。敷地内の巡廻路には京都市電で使われていた敷地が多数使われている。


ギャラリー棟先端から相模湾を望む。


ギャラリー棟内部
100メートルの構造壁は大谷石の自然剥離肌に覆われ、対面の硝子窓は柱の支え無しに硝子板が37枚が自立している。突き当りは空中に浮いていて、相模湾が一望できる。


大谷石で造られているギャラリー棟の外壁。


この日ギャラリー棟では、設立者杉本博司氏の作品「海景」シリーズの展示中でした。


冬至光遥拝隧道
こちらは冬至に朝日が登る方向に向いている鋼製のトンネル内部。
冬至の朝、相模湾から昇る陽光は70メートルの隧道(トンネル)を貫き、対面して置かれた巨石を照らし出す。


巨石
これらの巨石は江戸城の石垣のために切り出された石で、根府川海岸の海底には、近隣の山中から切り出され江戸湾まで回航する途中、回航に失敗して沈んだ巨石がいくつも眠っているそうです。
写真の右側にトンネルの入口があります。


トンネル入口
真ん中小さく白く見えるところが相模湾を望む出口。
トンネル入口の手前には、円形の石舞台。
中央には大名屋敷の大灯篭を据えていた伽藍石を置き、、周囲を京都市電の敷石を放射状に擦り合わせてある。


光井戸
トンネルの中間地点には採光のための空間があり、そこには光学硝子を敷き詰めた光井戸がある。


トンネルの出口付近から相模湾を望む。
冬至の日には、ここから日の出が昇るのが見られ、陽光が隧道(トンネル)を貫く、と云う。


トンネル(冬至光遥拝隧道)の屋根の部分。右の建築物は光学硝子舞台
隧道の突端近くに止め石(「これより前に行かないように」、の目印)が置いてありますが、そこまでも近寄ることも出来ませんでした。


光学硝子舞台
冬至の軸線に沿って、檜の懸造の上に光学硝子が敷き詰められた舞台とイタリアの古代ローマ円形劇場遺跡を実測し再現した観客席。
客席からは硝子の舞台が水面に浮いているように見える。
ここでは音楽イベントなどさまざまなプログラムが開催されています。
懸造(かけづくり)は京都清水寺の舞台にも見られる。

「石」
施設内を見て廻ると石を生かした建築物や作庭があちこちに点在する。
使用される石材は古材を基本とし、数十年に亘り収集された古墳時代から近世までの考古遺物や古材を使用しています。と、ガイドブックにあります。


石造りの能舞台(写真の上の部分)
舞台四隅の隅石(すみいし)には近隣の早川石丁場跡から発掘された、江戸城石垣のために使われた巨石を配している。


海に向かう三角塚の石組
海に向かった三角形の舞台の頂点は春分秋分時の正午の太陽の方角を指している。このとき太陽は子午線を通過する。と云う。


小松石 石組
当敷地から南に2キロ程の場所に小松石丁場がある。
小松石は積層が剥離した肌に独特の形と味わいがある。この小松石を景石として三角形の苔庭に据えた。


根府川石 浮橋
近隣の根府川石丁場から採取される根府川石は、自然肌の平滑面を持つのが特徴である。この平滑面を利用して踏石としてレベルを揃え、自然石を地表から僅かに浮かせて設置した。石を伏せるという工法の顕著な例である。


元興寺礎石
奈良の猿沢池近くの旧元興寺城から発掘された4基のうちの3基とされる。礎石の上に建つ柱の直径は60cmでかなり大型建築と推測される。


箱根宮ノ下にあった名旅館「奈良屋」の別邸に至る門。
平成13年の廃業に伴い箱根町より小田原文化財団に寄贈された。関東大震災後の大正~昭和初期の建築と思われる。戦後、日本国憲法草案の一部が近衛文麿、佐々木惣一によりこの旅館で書かれた。その後この別邸は岸信介元首相の夏の別荘として使用された。また門の巨大な踏込石は、大阪府箕面にあった旧笹川良一邸から移築された。


朝鮮灯篭
品川御殿山にあった旧家の庭に据えられていた灯篭で、再開発のためこの地に移された。


竹林エリアを望む。
江の浦測候所には2021年現在で全52の展示があり。明月門エリアと竹林エリアとあります。今回は明月門エリアを中心に見て廻りました。竹林エリアにも行きたかったのすが、急斜面になっていて体力の限界もあり断念。明月門エリアだけでも茶室など見過ごしたところもありましたが、十分堪能しました。


ギャラリー棟から江の浦測候所の周りのミカン畑のを望む。

※お断り:写真の説明文は、江の浦測候所の受付で頂いた、冊子の説明文を引用させていただきました。


江の浦測候所からの帰り、
2020年12月4日(金)、箱根・伊豆の玄関口として知られる小田原駅前にオープンした地上14階建ての複合商業施設「minaka小田原」。に立ち寄って見ました。
小田原ならではのショップ57店舗が集結した「ミナカ小田原」には、地元で人気のグルメやお土産店が軒を連ねる「小田原城下町・金次郎広場」、「ホテル」、屋上には小田原城を間近に望む展望足湯、など、”みらいの宿場街”をコンセプトにした施設は、本場の宿場町のような江戸情緒あふれる雰囲気を楽しむことができます。

屋上から小田原城方面を望む。


屋上にある展望足湯。


3階にある金次郎広場。両側には食べ物屋さんが連なっている。

長々とご覧いただきありがとうございました。

   投稿者:やまちゃん






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超格安航空券をゲットして旅三昧(第3弾)

2023-07-26 | 旅行
今回は高知の旅行記です。本当は鹿児島をゲットしたかったのですが、取れませんでした。
高知も初めてで、行ってみると高知なりの歴史・風土・観光を楽しむことが出来有意義な旅でした。
1日目
羽田空港⇒高知空港⇒リムジンバスで高知駅へ12時頃着
 
高知駅

 
土佐三志士像
高知駅前の広場に立つ、3人の土佐三志士像。
 土佐三志士とは、土佐藩の幕末の英雄である3人のことで、左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎である。

先ずは荷物を駅のロッカーに預けて、「モネの庭」に行って見ることに。
高知駅⇒JR土讃線、(途中から土佐くろしお鉄道)に乗って13:48奈半利駅着。

奈半利駅
ここで村営バスに乗換えて14:15「モネの庭」に到着。
北川村「モネの庭」マルモッタンは、印象派の巨匠クロードモネが43歳から生涯の半分を過ごした、フランス・ジヴェルニーで丹誠込めて作り上げた〈モネの庭〉を再現した庭として2000年に開園したものです。自然を活かし、光と影を巧みに組み合わせた、素朴さにあふれる庭”をコンセプトに、「水の庭」「花の庭」「ボルディゲラの庭」の3つのエリアで表現されております。今回私たちは「水の庭」と「ボルディゲラの庭」を見て廻りました。

チケットを買って先ずは「水の庭」へ。


チケット売り場
しばらく坂道を上って行くと、水の庭に到着。


太鼓橋と藤棚、藤の花は今は咲いていませんでした。


太鼓橋


本格的な睡蓮が咲くシーズンを前に池の雑草やごみを取り除いています。


池の周囲は花がいっぱい




池の周りの遊歩道


睡蓮の見頃にはまだちょっと早かったようです。それに、睡蓮は午後になると閉じてくるとか。







水の庭を一巡りして少し奥に向かって歩いて行くと「ボルディゲラの庭」が開けてくる。
「ボルディゲラの庭」は光り輝くモネの作品から発想を得た、世界に1つしかない庭。
こちらの庭は、モネが43歳のときに旅したボルディゲラをモチーフに描いた作品とその舞台である地中海の世界観を表現しています。


ボルディゲラの庭
ボルディゲラは地中海沿岸の北イタリアの土地の名前。


石垣とカフェ 
白い石とヤシの木などの熱帯植物が地中海をイメージさせていると云う。この白い石は、香川県産の花崗岩「庵治石(あじいし)」を使っているとか。最初見た時、どうしてこんなところに、こんな白い石がたくさんあるのかと違和感を感じたが、後からその意図が分かった。


ボルディゲラの庭のカフェで一休み。

 
裏庭で獲れた柚子が入ったアイスクリームをいただく、サッパリして美味しかった。


カフェのまわりには熱帯植物が。




カフェからボルディゲラの庭を眺める。晴れた日には遠くに土佐湾が見られるとか。


カフェののおばさんが教えてくれた、一生に一度の開花「アガベオバティフォリア」
横に這っている枝のように見えるのは実は花の茎のようです。
私たちが見た時は下の部分が5分咲きくらいでした。



美しい「モネの庭」を見終わって、来た経路を折返して高知駅に戻る

 
高知駅から市電に乗って宿の近くの停留所、はりまや橋へ。

 
電停はりまや橋、そんなに賑やかでなかったけど、この辺りが高知の中心街のようだ。

宿に寄り、チェックインを済ませて、夕飯を食べに、予めネットで調べておいた「ひろめ市場」に出かける。
ひろめ市場とは、土佐藩家老の屋敷跡付近にあり,屋敷が消えた維新後もその一帯は親しみを込めて「弘人屋敷(ひろめやしき)」と呼ばれていたことから,その名をとり「ひろめ市場」と名づけられた。中に入って見ると至る所にテーブルと椅子が並べられていて,それぞれ自分の好きなものを,好きなお店で買ってきて,食べるスタイルとなっている。市場の外の商店街はひっそりとしているのに、まあ何とお客の多いこと、酒が入って騒がしいのにもびっくり、席を確保するのも一苦労。
メニューはあれこれありましたが、高知に来たらやっぱし何をさておき「藁焼き鰹のたたき」を食べなきゃ。一味違って美味しかった。

 
ひろめ市場入口

 
こんなに混んでいます。高知の人はやはり酒が好きなようです。

 
直ぐ近くの商店街は閑散としておりました。

食事を終わって、ひろの市場を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた、また電車に乗って宿へ、今日の一日が無事終わる。

2日目
小雨がパラパラ、天気予報も今日は雨の予報、大した雨でなければと祈りつつ宿を出る。
今日は桂浜に行って、「牧野植物園」に寄って帰る予定。
バスでも電車でも、一日何回どの停留所からでも乗り降りできる「my游パス」を前日ホテルで購入、早速、バスではりまや橋から桂浜に行くことに。
4165 
桂浜ショッピング街、まだ早かったので人通りは少なかった

 
先ずは、坂本龍馬像を見ようと、階段を上がって小高い丘のてっぺんに。

 
坂本龍馬像
桂浜の龍馬像は、龍馬の功績を後世に伝えるために、龍馬を慕っていた高知県の青年有志が募金活動を行い、昭和3年(1928年)に建てられたものです。
桂浜の龍馬像の台座の高さは8.2メートルあり、その台座の上に、5.3メートルの龍馬像が建っている。台座を含めた総高さは約13.5メートル。銅像の傍からだと天を仰ぎ見る感じ。
因みに銅像の向きは、東京の皇居の方向を向いているとか。

 
太平洋を見下ろす。

 
坂本龍馬像から竜王岬方面を眺める

 
桂浜

 
桂浜水族館
桂浜の海辺に建っています。中には入りませんでした。

 
桂浜から坂本龍馬記念館へ向かう道中の坂道。
坂本龍馬記念館は桂浜の浜辺からかない高い所にあり、道中すごい急坂、バテバテになり途中で引き返そうかとも思ったが何とか辿り着く。 

 
坂本龍馬記念館
坂本竜馬を映像で紹介するシアターコーナー、竜馬に関する資料を一堂に展示した常設展示室のほかジョン万次郎展示室、企画展示室など、坂本龍馬に関する貴重な歴史資料をわかりやすく展示するとともに,人柄や業績,考え方についても紹介している。

 
休憩コーナーからの眺め。屋上の展望室に上がって見たかったのですが、雨で断念。

坂本竜馬記念館を見終え、次の目的地「牧野植物園」へmy游バスで向かう。

牧野植物園:高知県出身で日本の植物分類学の父と云われた牧野富太郎の偉業を称えるために造られた。広さ:7.8ヘクタール、植物の栽培数:約3000種

 
牧野植物園入口
今、NHK朝のテレビ小説「らんまん」の影響でしょうか、たくさんの団体客が訪れていました。
順路に沿って先ず最初は牧野富太郎記念館(本館)へ
牧野博士の蔵書や遺品など、約6万点を収蔵する牧野文庫をはじめ、図書室、五台山ホール、教室や講演を行うアトリエ実習室や映像ホールなどがあります。

牧野富太郎記念館本館ウッドデッキ(HPより)

 
園内の遊歩道の傍の植物には、一つ一つ植物名が書かれた木札が立っている。

 
「らんまん」に出てくる植物には黄色のカードが取り付けてありました。

 
牧野富太郎記念館本館から展示館に向かう回廊。
回廊にも植物がずらりと植えられている。

 

 

 
回廊のあちこちに展示されている植物図。
牧野富太郎が描いた植物図は、観察力の深さと描写の精密さ、そして単なる個体の写生でなく、その植物の『種』の典型的な形態を捉えている点、花期、果実期など各成長段を描写している点から『牧野式植物図』と呼ばれています。

 
ふむふむ広場 
ふむふむ広場は高知の暮らしに関わりの深い果樹や野菜、さまざまな香りや手触りを楽しめるハーブ類を植栽し、見るだけでなく、触ったり、ちぎったり、匂いをかいだりして、五感で植物に親しみ、「ふむふむ」とうなずきながら楽しく学べる憩いのエリアになっている。

 
見て楽しむコーナーの看板

 
雨上がりの雫がかかった花

牧野富太郎記念館(展示館)
日本の植物分類学の父、牧野富太郎の生涯とその業績を、植物図や著書、観察会の記録や写真などで紹介しています。

展示館中庭(HPより)

 
南門
南門のバス停からまたMY游バスに乗り高知駅に戻り、電車に乗換え宿へ。

 
市電
今日も夕食はカツオのたたきを食べにひろめ市場へ。
今日もぎっしり混んでいました。

3日目
今回も最終日です。飛行機の出発時間の関係であまりゆっくりもできないので
近くの高知城とその辺りを見て廻ることに。
出かける前に、宿のすぐ傍にある「はりまや橋」を1枚。
 
よく知られている「はりまや橋」

 
新旧の「はりまや橋」

先ず宿から市電で10分程の高知城へ。

 
大手門(追手門)と天守のツーショット
天守閣と大手門(追手門)が揃って現存する場所は、高知城、弘前城、丸亀城の3ヶ所だけとか。そして、追手門と天主のツーショット写真が撮影できるのはここだけとか。それにしても、天守閣は高い所に聳え立つように建っている。天守閣に上れないまでも、近くまででも行って見たかったのですが、足の自信なく遠くから眺めるだけにしました。

 
高知城の表門(大手)にあたる追手門(おうてもん)は、1801(享和元)年築、高知城にある15棟の国の重要文化財のひとつ。入母屋造本瓦葺で石垣を積み上げ、渡櫓をのせた櫓門で、侵入者に三方向から攻撃を加えることができる造り。追手門櫓の2階には石落としを設ける、塀の一部に武者隠しを配するなど実戦的な造りになっています

 
山内一豊の銅像

 
山内一豊の履歴

 
板垣退助の銅像
土佐出身の板垣退助は、明治維新以前は土佐藩の藩士だったこともあって、板垣退助像が高知城の追手門をくぐってすぐの石段の上り口に立っています。

高知城の近くにある「龍馬の生まれたまち記念館」に寄ってみました。
 
竜馬の生まれたまち記念館
「龍馬の生まれたまち記念館」は、龍馬の人間形成の基盤となる家族やまちを紹介し、さまざまな困難を乗り越え、近代国家へ尽力した龍馬を顕彰するため、2004年3月誕生地・上町に開館いたしました。展示館では当時のまちの様子や歴史、龍馬誕生から脱藩まで少年時代を中心に映像や模型などでわかりやすく紹介しています。

 
坂本家離れでの食事の様子

 
坂本家離れでの乙女姉と

旅の締めくくりに、記念館の近くに「坂本龍馬誕生地」碑があると云うことで行ってみました。

坂本龍馬が生まれ育った場所(上町一丁目)には、「坂本龍馬先生誕生地」碑があります。碑には土佐出身の吉田茂元総理の直筆。昭和27年(1952年)に、当時の内閣総理大臣、吉田茂が揮毫しました。また昭和43年(1968年)には「明治百年記念行事」の一つとして台座も整備されています。

 
現在の上町一丁目。写真の右側に「坂本龍馬先生誕生地」の碑がある。

高知旅行も無事終えリムジンバスで高知空港へ
 
高知龍馬空港

 
離陸です。

 
アクアライン人工島「風の塔」が真下に見えます。間もなく着陸です。

高知旅行を終えて
梅雨時分でしたので晴天の日はありませんでしたが、大した雨に遭わず、ほぼ当初計画した旅程をこなし、今回も満足の行く旅を終えることができました。
坂本龍馬・牧野富太郎・そしてモネの庭など偉人の歩んだ地を直接目で見、触れることができ大いに感銘・感動し、心に刻むことができました。
当初計画では、四万十川にも行きたかったのですが、高知市内からだとかなり距離があって、2泊3日の行程ではかなり強行軍になることから断念せざるを得なかったのがちょっと心残りです。

 5月と6月にかけて、宮崎・長崎・高知と旅した今回の旅三昧、長い間コロナでモヤモヤしていた気分を吹き飛ばす、思いかけない機会を得られたことに感謝です。

 ありがとうございました。

  投稿者:やまちゃん




コメント (1)
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超格安航空券をゲットして旅三昧(第2弾)

2023-07-14 | 旅行
今回は長崎の旅行記です。
長崎は現役時代に仕事の関係で何度か行ったところですが、用が済んだあと、何か所か観光しましたがそれも何十年も前のこと殆ど記憶にありません。
そこで今回は、鎖国時代に唯一外国に開かれていた場所「出島」・三大中華街と言われる
「新地中華街」・新世界三大夜景と言われる「長崎港の夜景」・長崎と言えば「グラバー邸」、そして「ハウステンボス」といったところを2泊3日で廻ってきました。

1日目
羽田⇒長崎空港⇒リムジンバスで長崎駅へ(15:30頃長崎駅到着)
長崎駅に着くと雨がパラパラ、梅雨だから仕方ないか、ひどくならなければいいが、とつぶやきながら、先ずは駅構内の観光案内所へ。
ここでショッキングな話を聞く。長崎港の夜景の見どころ稲佐山山頂に行くロープウエイが昨日から修理に入って動いていない、と云う。「今晩どこに泊まるの」と聞くので「稲佐山観光ホテル」と応えると、あ!あそこのホテルだったら何も稲佐山に行かなくても大丈夫よ、と云う。残念だがひとまず安堵する。
荷物をロッカーに預けて最初の観光地「出島」へ電車に乗って行って見ることに。
「出島は、1634年江戸幕府の対外政策の一環として長崎に築造された人工島。扇型で、面積は3,969坪。日本初の本格的な人工島である。 1636年から1639年までは対ポルトガル貿易、1641年から1859年まではオランダ東インド会社を通して対オランダ貿易が行われた。 明治以降は、長崎港の港湾整備に伴う周辺の埋立等により陸続きとなり、扇形の人工島であった頃の面影は失われたが、出島全体は1922年10月2日、「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されている。」HPより

水門 (出島の最西端に位置する)
電停「出島」で降りると直ぐ近くに水門が見える。
「江戸時代の長崎において、貿易と交流の基点となった出島には、重要な二つの門がありました。その1つが、出島の最西端に設けられた輸出入品の通り口であった水門。オランダ船に積まれた輸入品は、水門の南側口から出島内に搬入され、検査を受けました。また、日本からの輸出品は水門の北側口から搬出され、オランダ船に積み込まれました。このことから水門は、西洋と日本の文化・学術・貿易品が最初に出入りした象徴的な建物」HPより


かなり働いてきたと思われる市電、久しぶりに乗ってみました。


川(中島川)の右側が出島の建造物
現在は水門からは出島への出入りはできないため、中島川を渡り、表門橋公園を通って出島中央付近にある表門に向かう


表門橋と表門
表門橋を渡って、表門を通って出島に入ります。
表門について
「出島に出入りするもう一つの重要な門が出島の中央部に位置する表門です。表門では、出島への人の出入りを監視、制限し、出島に運び込まれる物資も、この門を通りました。門の前には、長崎の町とつながる橋が架かり、島内への唯一の入場口として、日本と出島をつなぐ役目を担いました。
往時は小さな石橋で、出島への自由な出入りを制限したことから、鎖国時代を象徴していましたが、
2017年11月長崎と出島をつなぐ新たな橋『出島表門橋』が完成してから、現在は出島へ来場者を迎え入れる開かれた橋になっております。」HPより


ミニ出島
昭和51年に制作された15分の1の模型。
川原慶賀が1820年ごろの出島を描いたとされる「長崎出島之図」を参考に再現したもの。


出島東側から西側水門方面を望む。





倉庫の内部、秤量するための天秤や分銅がおいてある。


建物内にはたくさんの貴重な陳列品が飾ってある。

「出島」を見学し、次は、新地中華街に歩いて向かいます。


新地中華街入口
この辺り橋がやたらと多いのが目立ちます。


横浜・神戸と並んで日本三大中華街の一つ長崎新地中華街、夕方近くになり人通りも増えてきました。
私たちもここで夕食と食べることに。もちろん、「ちゃんぽん」と「皿うどん」お味の方は?

当初の予定では、この後長崎港の夜景を見に稲佐山に行くことにしていましたが、ロープウエイが動いていないと云うことでしたので今晩泊まる宿へ向かう。
ここのホテルは稲佐山の中腹にあって、観光案内所のおばさんが言っていたように長崎港がよく見渡せるホテルでした。早速写真を撮りに屋上に上がってみます。


新世界三大夜景、長崎駅付近の夜景 (新世界三大夜景、あと二つはモナコと上海)
長崎市は夜景の魅力を高めようと、稲佐山山頂展望台から望む斜面地に発光ダイオード(LED)ライトを取り付け、平和の象徴にちなんだ「はと座」など7種の星座とともにハートを浮かび上がらせている。(写真中央付近から左に大きなハートが見える)


長崎港








ホテルの屋上から撮った稲佐山山頂の展望台
この日は修学旅行の団体が来ていて屋上も賑やかでした。

2日目
今日は午前中グラバー園に行って、午後JRでハウステンボスに移動する予定です。
まず、グラバー園に向かう。
グラバー園は、1859年(安政6年)の長崎開港後に長崎に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築し、この地域全体をグラバー園と称しているようだ。
「グラバー園では9棟の伝統的建造物を見ることができる。そのうち、旧グラバー住宅、旧オルト住宅、旧リンガー住宅は居留地時代に建築され、150年以上この地に建ち続けている貴重な建物。これら3棟は国指定重要文化財に指定され、旧グラバー住宅は「明治日本の産業革命遺産」の構成資産にも登録されています。一方、6棟は明治中期ごろに長崎市内に建てられた洋風建築をグラバー園へ移築復元したもの。各建物に当時を思わせる特徴があり、明治時代の長崎を知る上で貴重な建物です。」HPより

グラバー園への行き方
グラバー園には通常は「グラバー通り」から入って行くようですが、こちらから行くと急な坂道・階段が多く、年配の方とか身体の不自由な方にとってはかなり厳しいです。
なので私たちは反対側の第2ゲートから行くことに。
こちらからですと、斜行エレベーターと垂直エレベーター2台に乗り継いで行けば楽々グラバー園の最高地点まで行くことができます。


グラバースカイロード(斜行エレベーター)


南山手レストハウス
斜行エレベーターから下りると直ぐ近くにあります。
南山手レストハウスは、幕末の元治元年(1864年)から慶応元年(1865年)に建てられたとされ、石造外壁を持つ初期居留地住宅で、テラスに木柱と石柱を併用しているという独特な特徴を持っている建物。


祈念坂
ここでは、「カトリック教会」「石畳の坂」そして「長崎港」が一つのフレームに収まる景観を一望できる。故遠藤周作を魅了し、映画『解夏』、アニメ『色づく世界の明日から』に登場する穴場スポット。


グラバー園第2ゲート入口
垂直エレベーターを上がって行くとグラバー園最高地点第2ゲート入口に辿り着く。


旧三菱第2ドックハウス
旧三菱第2ドックハウスは1896年(明治29)、三菱造船所(現三菱重工業株式会社長崎造船所)の第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎。1972年飽の浦からこの地に移設された。園内で最も高いところに建っている。


ドックハウスから長崎港を望む絶景。前方に見えるのは三菱重工長崎造船所。


ドックハウスからグラバー住宅へ下りる急な階段。このような階段・急坂が何か所もある。


旧リンガー住宅
建物の構造は、木造に外壁を石造とし、天草の砂岩を使用し、ベランダの床にはウラジオストクから運んだ御影石を敷いいる。正面中央が出入口で、廊下左右に4室を配置し、厨房とメイド部屋が附属しています


自由亭喫茶室
日本人シェフによる初めての西洋レストラン「自由亭」跡に設けられたカフェ。


グラバー住宅
旧グラバー住宅は世界遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された構成資産のひとつで、1863年築の現存する日本最古の洋風木造建築。グラバーは江戸末期から明治時代にかけて活躍したスコットランドの貿易商で、旧グラバー邸は商用に利用されていた。長崎造船所を目の前に見下ろす絶好の眺望に恵まれた同邸宅は、現在は歴史的価値のあるほかの建築群とともにグラバー園として展示されている。



グラバー住宅室内の一部。


ラバー住宅から長崎港を一望。

グラバー園を一巡したあと坂道をダラダラ下って行くとやがて大浦天主堂が見えてきます。
大浦天主堂は長崎県の教会建築の起点となった教会で、パリ外国宣教会によって、フランス人の祈りの場や殉教した26人の聖人に捧げる教会として1864年に建てられました。
現存する日本最古の教会建築として国宝に指定されています。



館内は撮影禁止で写真は撮れませんでしたが、天主堂の窓はカラフルなステンドグラスに輝き神秘的でした。


グラバー通り
大浦天主堂、グラバー園へと続くグラバー通り。
ガラス製品専門店をはじめ雑貨店や、長崎名物のカステラを扱うショップなど20店舗を超える軒が連なる。


観光バス
たくさんの観光バスが停まっています。
右に見える建物が長崎ちゃんぽん発祥の店「四海楼」。是非寄って見たかったのですが、
時間の関係で止む無くパス。

グラバー園・大浦天主堂を見て廻り、今回最後の目的地「ハウステンボス」へ行くため、長崎駅に向かいます。長崎駅からJRでハウステンポス駅へ。


長崎駅フォーム
新幹線開通に伴って在来線も改装したのか明るく綺麗な駅舎でした。

 
ハウステンボス駅到着 隣には、ハウステンボス駅~博多駅の特急ハウステンポス号が停車中。
     車内は洒落た内装が施されていました。


ハウステンポス駅


駅を出ると、前方にヨーロッパ風の大きな建物。ホテルオークラです。
園内には五つのホテルがあって、どのホテルも東京の一流ホテルに匹敵するような豪華なホテル。
その他、園外にも三つのホテルがあり、ハウステンボスの集客力に驚かされる。

広くて結構長い橋を渡り、このホテルで荷物を預けて、早速ハウステンボスへ

チケット代は1DAYパスポート・1.5DAYパスポート・2DAYパスポートなどあって、
今回は夜間の光景を是非見たいので、初日の午後3時から翌日2日間使える1.5DAYパスポートを購入。チケット代はシニア割引で7,400円、これ高いか安いか?


園内に入って、まず目に入るのはフラワーガーデンゾーンの風車。


遊覧船が出ていきます。園内の運河を15分間隔で運行している。


フラワーロードの花々が咲き誇っています。


カステラの城 このようなテーマ毎の建物が園内あちこちに見られる。


お菓子の城

園内には巡回バスが20分間隔で通っており、バスに乗って、カステラの城から園内一番奥にあるパレスハウステンボスに行って見ることに。

パレスハウステンボスの裏にある庭園。
夜は庭園いっぱいにイルミネーションが点灯し、クラシック音楽が流れ、宝石のような光たちが踊りだす、音と光のシンクロが生み出す、恍惚の時間をご堪能できる。ようです。


園内のほぼ中央辺りにある遊覧船発着場。


ドムトールン
ドムトールンとは? ドムトールンはハウステンボスのシンボルと言われるタワーで、その高さは105mです。. 80m地点には展望台がありそこからハウステンボスを見渡すことができます。

折角なので展望台に上って見ることに。
ドムトールンからの眺め



個人の別荘群が立ち並ぶ。


メリーゴーランド 
 2022年開業30周年を迎え、節目の目玉事業として国内初の3階建てメリーゴーラウンド「スカイカルーセル」を建設。華やかな装飾と電飾を施した高さ約15メートルの施設で、世界最大級のカルーセルだという。
 スカイカルーセルはイタリア製で、昼間はもちろん、1,300万球のイルミネーションがきらめき夜間にはロマンティックな幻想的な雰囲気を満喫できる。


運河にヨーロッパ風の建物、絵葉書のように見えませんか。


運河沿いにアジサイが咲き誇っていました。

陽が沈み、園内いっぱいライトアップされてきました。辺りが夕闇に包まれる頃、ハウステンボスは「光の王国」へと姿を変えます。


アートガーデン


アートガーデンは、ハウステンボスの代名詞である花や景色を楽しむことができるエリア。
このあたりは薔薇が咲き誇っています。


アートガーデンからタワーシティを望む

アートガーデンでは光による映像ショー「光のオーロラガーデン」が開催される。
光の滝に映しだされる華やかな世界観をお楽しめる夜の最大のショーで、次々と映し出される映像に迫力を感じ見とれた。















幻想的な雰囲気漂う景観。


右の高い建物はドムトールン


観覧車
7万球のLEDが灯る観覧車、観覧車のてっぺんから一望する一面イルミネーションに照らされたハウステンボスは圧巻でした。


日中見た風車、夜はイルミネーションに飾られています。

まだまだ見たらない所がありますが、夜も大分更けてきました。
今日はこのあたりでホテルに引き上げます。

3日目
今回も最終日、今日は長崎空港出発時間が比較的早いので、午前中昨日見られなかった所を廻って、
午後長崎空港に向かい帰ります。


クルーザー乗船
園内には無料で乗れる乗り物がたくさんあります。先ずクルーザーに乗って船からハウステンポスを眺めて見ることに。
今日は朝から小雨が降っていて、デッキに出られないのがちょっぴり残念。朝早いこともあって乗っているのは私たち2人だけの貸切でした。



スタッドハウス
ハウステンボスのシンボル「スタッドハウス」。オランダで歴史があり美しい市庁舎といわれている「ハウダ市役所」が再現された建物です。スタッドハウスの中はギヤマンミュージアムがあり、そして結婚式を挙げることのできる「誓いの間」もあります。建物の前には花時計。


園内巡廻バス
無料で20分間隔で運行している。


光のファンタジアシティ
花と光をテーマにした「光のファンタジアシティ」。最先端のデジタルアトラクション施設が終結している。時間の関係で中には入りませんでした。

まだまだ見残したところがありましたが、時間の関係で止む無くこのあたりで引き上げ長崎空港へ向かうことに。


空港屋上の鐘
同空港は、長崎と歴史的に深いつながりのあるオランダの教会をモチーフにデザインされており、ターミナルビルの内観はドーム天井、ステンドグラスが施されているほか、外観はレンガ色、アーチ、オランダ教会の鐘を模した鐘楼も設けられています。


長崎空港滑走路


旅を終えて
今回も2泊3日の旅。梅雨入りでしたので雨を覚悟で行きましたが、幸い大したことなく行程的にはほぼ予定通り見て廻ることができました。
どの観光地もほぼ初めてで、「出島」では長崎の歴史だけでなく、鎖国時代の日本の様子、人の往来など学び参考になりました。
長崎港の夜の夜景、ここも素晴らしかったです。三脚を持参しなかったので写真ではちょっとノイズでボケているのが残念です。予定では稲佐山山頂のレストランで夜景を眺めながら食事をと考えていたのですが・・。
長崎と言えば坂道の多いイメージがありますが、グラバー園も坂道・階段がたくさんありました。
ツアーなど団体の多くの方はグラバー通り側から上っていきますが、私たちは反対側からエレベーターで一気に最高地点まで上り、そこから下ってグラバー通りに下りて来るコースを選び正解でした。
ハウステンボスも初めてでしたが、入園すると、どこか異国に来たような風景に様変わり。
園内を散策するだけでも楽しいのですが、それにVRや演奏会・踊りなどのアトラクションあり、クルーザーや観覧車などの乗り物あり、そして夜、ハウステンボス全体の建物や施設がライトアップやイルミネーションで華やかに彩られ、時間があっという間に過ぎてしまいました。
私たちは15時に入園し、翌日朝から昼まで滞在しましたが、歳のせいで休み休みゆっくり行動したこともあって、アトラクションなど見過ごさざるを得ないところが随分とありました。
今回も長々とご覧いただきありがとうございました。

   投稿者:やまちゃん



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超格安航空券をゲットし旅三昧

2023-06-30 | 旅行
パソコンを開き、HPを眺めていると「超格安航空券売り出し」の見出しが目にとまる。
中身を見ると、ANAが70周年記念事業として期間限定でどの路線に乗っても片道7,000円で
2日間だけ売り出すと云う。
コロナ感染もようやく下火になり、そろそろ泊りがけの旅行でもと思っていた矢先、ましてや、時間はあっても
懐の寂しい年金生活者にとってこれを見逃す手はない。と思い発売日を待った。
発売開始時間は午前0時、いつもはとっくに寝ている時間だが仕方ない起きて待っていた。
0時直前にANAのWEBサイトを開いて申込をするがなかなかつながらない。
これはダメだと諦めた。翌朝、あれでもと思い辛抱強く検索していくと宮崎便に空席が見つかった。
思わず、やったー!と叫ぶ。
その後、JALも追随して売り出した。JALはANAより安い6,600円だと云う。
これも申込者が殺到すると思いきや案の定だった。それでも希望の行先は叶えられなかったが、何とか長崎便と高知便をゲットすることができた。

宮崎・長崎・高知の旅行記を3回に亘って記します。
まず最初は宮崎。
宮崎で是非行って見たかった所は高千穂真名井の滝。宮崎は数十年前に一度行ったことがありますが、その時は高千穂は行きませんでした。
1日目
羽田空港⇒宮崎空港⇒特急にちりん号で延岡へ⇒路線バスで高千穂へ(羽田から5時間30分、13:20高千穂バスセンター到着、結構時間かかる)

特急にちりん。JR九州の特急列車はそれぞれ色彩・型が違った顔をして旅行客を楽しませている。

まずタクシーで天岩戸神社へ向かう。



天岩戸神社に向かう途中、棚田百選に選ばれて、2015年12月に世界農業遺産「高千穂郷・椎葉山地域」として認定された「栃又棚田」の美しい景観を車を降りて眺める。高千穂と言えば渓谷が有名ですが、棚田も多く見られ、ここもその1つで、山里の農業の風景を目で感じ取れる。実際の眺めは写真より遥かに広々とした景色です。


天岩戸神社西本宮に到着。今回は東本宮は行きませんでした。
「天岩戸神社は宮崎県高千穂町に鎮座し、日本神話(古事記・日本書紀)の中に書かれております天照大御神様のお隠れになられた天岩戸と呼ばれる洞窟を御神体として御祀りしており、天岩戸神話の舞台となった場所でございます。 岩戸川をはさんで西本宮と東本宮が鎮座し、両社とも、天照大御神様を御祭神として御祀りしております。 川上には八百萬の神々がお集まりになり、御相談をされた天安河原がございます。」HPより
上の写真は、天岩戸神社西本宮、駐車場横にある、高千穂神楽「戸取の舞の像」。手力雄命(タヂカラオノミコト)が天の岩戸を持ち上げているシーンだそうです。実に力強い、迫力ある手力雄の命を感じ取れます。


鳥居 この鳥居に掛けられているしめ縄には、藁でできた「〆の子」が3本、5本、7本ごとに固めて垂れ下がっている。7本は天神七代の神々、5本は地神五代の神々、3本は日向(宮崎県)三代の神々が宿ると言われている。
このことからしめ縄を「七五三縄」と書くようになったとか。


西本宮:「西本宮は、御神体の「天岩戸」を直拝する拝殿にあたり、天照皇大神が御隠れになられた「天岩戸」を御神体として御祀りしています。御祭神は、大日霎尊のみことです。拝殿の裏側に御神体の「天岩戸」の遥拝所があり、授与所にて案内を申し込むと神職の案内にて参拝することができます。丁度着いた時、定時案内の始まるところでしたので参加し説明を受けました。


境内案内図

一旦今日泊まる宿に立ち寄りチェックインを済ませ、まだ夕暮れまでには時間がありましたので
、宿から近い高千穂神社に歩いて行ってみることに。
高千穂神社は約1900年前の垂仁天皇時代に創建された、高千穂郷八十八社の総社で、神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されています。

高千穂神社の鳥居。扁額には「高千穂宮」。鳥居の先は森のようになっていて、参道の灯籠には明かりが灯されていて、
綺麗でした。


高千穂神社の巨樹「夫婦杉」
2本の杉は「夫婦杉(めおとすぎ)」と言い、根元が一つになって「別れられない形」を現しているとのこと。
夫婦や友人と手を繋いで夫婦杉の周りを3回廻ると「縁結び、家内安全、子孫繁栄」の3つ願いが叶うと言われています


畠山重忠が手植えをしたという、巨大な秩父杉。


至るところに大きな杉が聳えています。


境内の右奥にある神楽殿。こちらの神楽殿では、夜神楽が毎晩開催されているようです。

参拝を終えそろそろ夕暮れ近くになりホテルへ。
今晩のホテルは夕食付でないため、途中、食事処に寄って夕食をとることに。
ホテルを出る際、ホテルの受付で食事処を教えてもらっていたが、そこは既に閉店していた、この辺り客が少ないのか
他の店も殆ど閉まっていた。
高千穂の中心街なのにコンビニもなく、どうしようかとちょっと心配しながら歩いていると小さなカフェ店が1軒開いて
いた。店の前の立て看板を見るとちょっとした軽食もあるようなので、もうここしかないと思い入ることに。

2日目
今日も天気は何とかよさそうだ。今日は今回の旅行の一番行って見たかった「高千穂峡」をじっくり見て宮崎へ向かうことに。昨日運転手が、ボートの予約をしていないのであれば比較的空いている朝一番がいいよ、真名井の滝を見るのであれば朝方がいいよ、とアドバイスを貰ったので、昨日乗ったタクシーを呼んでボート乗り場に向かう。
 
10分くらいで「真名井の滝」に到着。
言わずと知れた日本の滝100選に指定された高さ17mの名瀑。


高千穂峡:
「大噴火による阿蘇カルデラをつくった火山活動によって、約12万年前と約9万年前の2回に噴出した高温の軽石流(火砕流の一種)が、当時の五ヶ瀬川の峡谷沿いに厚く流れ下った。この火砕流堆積物が冷却固結し溶結凝灰岩となり、柱状節理が生じた。溶結凝灰岩は磨食を受けやすいため、五ヶ瀬川の侵食によって再びV字峡谷となったものが高千穂峡である。高さ80〜100mにも達する断崖が7kmにわたり続いており、これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼ぶ。
昭和9年(1934年)11月20日に名勝、天然記念物に指定された(「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」)。昭和40年(1965年)3月25日には祖母傾国定公園に指定された。」HPより

先ずは、ボートから眺めるため、事務所でチケットを購入、急な階段を少し下ってボート乗り場へ。事務所のお姉さんが、
今なら待たずに乗れますよ、と言ってくれる。一安心。5月の連休明けでしたからか、普段より少なかったようだ。

ボート乗り場へ降りる階段


ボート乗り場

ボートから滝を眺める。ボートを漕ぐのは遥か昔何十年前、乗る前はちょっと心配したが、意外とスムーズに漕げた。

前方に真名井の滝見台が見える。

上に見える橋はボート乗り場に行く橋。

ボートどうしぶつかりながら前に進む。

30分のボートからの眺めを堪能、

 
ボート乗り場から階段を上がってくると、駐車場は知らぬ間に満車になっていた。早く来て正解だった。

次は真名井の滝を見下ろす橋の上から眺める。

ここからの写真はポスターなどでよく見かける。


最後はさっきボートから見えた滝見台に移動しての眺め。






真名井の滝を十二分に堪能、延岡行きのバス出発時間までにはまだちょっと時間があったので、またタクシーを呼んで今回予定していなかった「国見ケ丘」へ行って見ることに。

標高513mの国見ヶ丘は、雲海の名所として有名なところ。雲海の見頃は秋の早朝で、快晴無風の冷え込んだ日に見られるとか。霧が高千穂盆地や、とりまく山々を覆い隠し、まるで墨絵のような世界を演出するようです。
阿蘇の五岳や祖母連山など、大パノラマが楽しめるようですが、この日は遠くが霞んでいて見られず、残念。

高千穂ともこれでお別れ、預けていた荷物を引き取りにホテルへ戻り、高千穂バスセンターへ向かい、路線バスで延岡へ、延岡からJRに乗換え宮崎へ向かう。

宮崎駅前

観光案内所に寄って、今日泊まる宿までのアクセスを教えてもらい、バス停に行きホテルへ向かう。
バス停でしばらく待っていると、先ほど教えてもらった観光案内所の女性がヒョコっと来て、「分かりましたか」
と笑顔で話しかけてきたのにはちょっぴりびっくり。観光案内所からバス停が見通せ、いつまでもバス停に立っている
我々を心配したのだろうか。優しい親切な心遣いに感動。


夕方、まだ夕食時間には少し早かったので、ホテルの前の川縁を散歩。夕焼けで周囲が赤く染まり綺麗でした。

三日目
最終日、帰りの宮崎空港の出発時間が比較的早かったのであまり遠くには行けず、取り敢えず東国原県知事で名を売った
宮崎県庁に行って見ることに。
宮崎県庁は現役の庁舎の中で日本4番目に古い建物で、重厚な外観とモダンな内装が優美で、階段には大理石や化石の埋まった手すりがあります。東国原知事が盛り上げた時期以降、宮崎県庁は観光スポットとして人気の場所になっているとか。
すぐ隣には宮崎物産館があり、宮崎のお土産のラインナップが充実している。


玄関前にはヤシの木や花畑が整然と植えてあって来庁者を和ませる。


大理石や化石の埋まった階段。


手すりにも化石が埋まっている。


廊下は黄色の点字線が引いてあるのが印象的でした。


県庁前の大通りには青々と街路樹が植わっている。


宮崎と言えば埴輪をイメージする方も多いようで、確かに、歩いているとこのような埴輪が目に付きました。
埴輪が400体も並ぶ「はにわ園」が平和の塔の北側の森にあるとか。

県庁の見学を終え、時計を見ると、宮崎空港出発時間までまだ少し余裕があったので、タクシーで日本の初代天皇神武天皇を祀る宮崎神宮へ行ってみた。
現在の社殿は明治40年に建立されたもので、国内でも珍しい、日向の名材・狭野杉が用いられている。


本殿


参道。
神主さんに導かれて本殿に向かう花婿・花嫁の姿が見られた。
森に囲まれた長い参道を徒歩で本殿まで進む姿は当神宮の風物詩となっているようで、
宮﨑神宮では年間300件以上の申し込みがあるようです。
因みに、読売ジャイアンツは毎年宮崎でキャンプを行っていますが、優勝祈願に宮崎神宮を訪れている。


出発時間まで少し時間があったので屋上に出てみた。


空港ロビー。如何にも南国らしい雰囲気を醸し出している。

16:00宮崎空港発、17:35無事羽田に帰ってきました。

旅を終えて:
格安航空券のお陰で、ちょっぴりグレードアップしたホテル、移動はタクシーで、など、ツアーでは味わえないゆったりゆっくりちょっぴり贅沢な旅を楽しむことができました。
長々とご覧いただきありがとうございました。

    投稿者:やまちゃん
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