合気拳法 猿田会

新しく誕生した合気道の拳法
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四心多久間見日流和の概要 その2

2011-08-05 22:18:10 | 一隅を照らす
一隅を照らす 第四節 遺稿 88ページ

(二) 富山藩に伝来の経緯
富山藩主前田正甫公の天和年中美濃の浪人足立平陸正保が飛州高山から来て富山に寓しこの術を藩士に伝えたものである。

足立平陸正保は何人からこの術を伝授したか不明であるが(一説には故有って不動尊を祈り夢相を蒙り流儀取立てた由云々・・・・・・・と書いたものもある)、本人の足立平陸正保から伝授されている免許状には前述の通り明きらかに伝教大師の創始に係る旨を記していることから推察して伝祖は伝教大師であることに相違なく、伝来の系図に就いては深い理由があってその点をぼかしているのであろうことが想像される。故に足立平陸正保は中興の祖ということになる。藩主正甫公がこの足立平陸正保を禄して臣となさんとされたが、正保は『臣不敢事二君』と言って固辞したということである。この事実から推してこの流儀の『和』は武術としての価値が如何に高く評価されていたかということが考えられると共に伝える人物もまた凡人ではなかったことが立証されるのである。

 足立平陸正保の門人渡辺新蔵繁正は越後の浪人であるが、飛州高山にて在住中師から業を受け、諸国を武者修行した後富山に来て貞享三年正甫公に召抱えられた。その後元禄六年足立平陸正保から印可されたが、この渡辺新蔵繁正から享保十三年に島田庄次郎理啓並びに須田半次郎義重の二人が同時に許状を受け、この両人が各別に夫々門人を取立てて相伝えて繁栄するに至ったものである。

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