合気拳法 猿田会

新しく誕生した合気道の拳法
静岡県伊東市にて活動中

万象先生の足跡 その7

2012-02-06 12:58:14 | 一隅を照らす
一隅を照らす 第二節 万象先生の足跡 18ページ

(七) 戦後の武道普及

昭和二十一年五月万象先生は苦難の収容所生活を終わり復員帰国された。これより先、海軍兵学校から復員されていた矩之氏は戦後の治安維持の第一線に立つため警察練習所に入所中であり、弟和之氏夫妻の疎開先(中新川郡柿沢村)に一応落着き、親族の消息等を聞いてその無事を祝った。しばらくして富山県内務部から課長の席を用意しているからとお奨めがあったが、たまたま警察界では終戦後の混乱に乗じ警察官に対する暴行殺傷事故が絶えない状況に鑑み、「格闘術」の必要性を痛感され、目下努力中との情報があり、富山県警察部に出頭したところ、丁度、その対処のための武術家を捜す意向であることを知り、先生はこれこそわが望む職場であると申出られ、当時、県警察部長であった三輪良雄先生(後、神奈川県警察本部長・警察庁警備局長・防衛庁官房長・防衛事務次官を歴任、現辯護士)の御尽力により、同年十月一日県警察部教養課に採用の運びとなった。また、同年十二月県警察部技官を拝命、以後警棒術・警杖術・逮捕術等警察官教養に、それまで
修行を積まれた空手道を初めとして、古流柔術・剣術・弓術等武芸十八般に亘る卓越した能力を遺憾なく発揮されることになる。

一方、戦災後の復帰から立ち直った元空道館の門弟達の懇望もだし難く、昭和二十二年古鍛冶町の須垣印刷株式会社の二階を仮道場として空手道の指導を再開されている。

昭和二十五年に至り、市内舟橋北町に警察学校道場が竣工したので、当時本部教養課と警察学校教官を兼務されていた万象先生は当局の許可を得て、空道館の稽古道場をこの警察学校道場に移動された。先生を慕う若者達は続々この道場に集って来た。先生は多忙な警察官教養のあと、自らの修行に専念され、門弟が集まってくると引き続き空手道を熱心に指導された。

この頃、先生は多忙な仕事の合間には常に教官室の机に向い書道の練習に余念がなかった。特に虞世南の孔子廟堂碑の格調高い書を愛されていたようである。当時、富山県警察学校長であった瓜生俊教氏(書道家靖亭と号す。)は、高潔な武術家で書を愛する万象先生とこの頃心交を深められ生涯変ることがなかった。

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