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「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・大磯丘陵からの眺め

2023-06-14 14:28:07 | 日記

昨日の「・・・足柄平野からの眺め」では、足柄平野が沖積平野だと説明した。その平野は北側が丹沢山地、西側が箱根外輪山、そして東側は大磯丘陵となる。勿論、南側は相模湾である。

本日は、その「大磯丘陵からの眺め」を扱う。

足柄平野の東側の縁を形作る、通称「曽我山」といわれる山並みに上った。JR「国府津」駅の北側から立ち上がった山並みは、「弁天山」「不動山」「浅間山」といった山名がある。また、相模トラフの延長線上(国府津ー松田断層)に位置する山並みでもある。

上画像は、JR御殿場線「下曽我」駅から「二宮尊徳遺髪塚」を目指し、その坂道を上って行くと山並みの鞍部となる「六本松跡」に着く。そこから尾根に続く車一台分の幅の農道を北側に上って行く。その途中からの富士山と矢倉岳の展望である。この撮影位置は、やや延長線上より南にズレているようだ。

もう少し上って行くと道はT字路になっていて、左折して少し下ると上画像のような富士山と矢倉岳の位置関係になる。ここはほぼ、富士山と矢倉岳の頂上を結んだ延長線上に位置する場所と思われる。

蛇足ながら梅の花が咲き、杉の木は花粉を飛ばし始めている様子がわかる。

分かりやすいようにズームアップした画像を、更にコントラストを調整してみた。

ここまでの道は狭くて農道なので、自家用車での乗り入れは配慮されたい。「不動山」へのハイキングコースでもあるので、一日のんびりと箱根と富士山の山容を楽しみながら歩くのもお勧めだ。

 

この画像は、中郡二宮町の吾妻山から少し北側に移動した場所(中里口寄り)で撮影した。この位置は、やや延長線上よりも北側に寄っているだろう。だが、吾妻山の山頂では南寄りとなる。この間、富士山方向の展望はなかった。

吾妻山公園 | 二宮町 (town.ninomiya.kanagawa.jp)

吾妻山公園は、JR東海道線「二宮」駅北口から徒歩30分程度の山の上にある公園で、その内容については上リンク先を参照されたい。吾妻山という名前からも、日本武尊と弟橘媛命に所縁の場だ。山の南側には「吾妻神社」があり、御祭神は日本武尊と弟橘媛命である。

 

矢倉岳の頭先しか出ていないので、分かりづらいかもしれない。以下画像の位置が矢倉岳である。(補足:2023/06/15)

 

次回に続く。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・足柄平野からの眺め

2023-06-13 11:42:41 | 日記

とりあえず、矢倉岳から見下ろせた足柄平野に下りて、富士山と矢倉岳の関係を見てみた。

足柄平野とは神奈川県西部に位置する平野で、西丹沢や富士山麓を水源とする鮎沢川と河内川が合流した酒匂川が流れる平野だ。この酒匂川の流れによる沖積平野である。最下流部は小田原市で、その北側に南足柄市、大井町、開成町、松田町、山北町がある。

先ずは、富士山と矢倉岳の眺望がきく酒匂川堤防周辺を探ってみた。

正面のおむすび山が矢倉岳だ。この日はあいにく雲が多く、富士山が見えなかった。だが、矢倉岳の形を覚えるには分かりやすい画像だと思う。

走っている電車は小田急小田原線で、車両先端の左先に見える建物は、開成町牛島にある「富士フイルム先進研究所」である。神奈川県立城北工業高校近くの田圃の中の畦道で撮影した。

晴れた日に、酒匂川左岸の堤防に上ってみた。この堤防上の道を歩いていけば、何処かで富士山の真ん中に矢倉岳が位置する所がある。そこに立てば、私は富士山と矢倉岳の山頂を結んだ線上に立っていることになる。このように、二つの山の位置関係を見て行けば、自分がどの様な位置に立っているかが概ね見当がつく。

だいたい、線上に近い所と思われる。県道711号線の歩道から撮影した。画像右側の植栽は、当時NECの何らかの施設だったが、現在は「シャープNECディスプレイソリューションズ(株)湘南テクニカルセンター」となっているようだ。

「小田原卸商業団地」近くから見た状態。立ち位置は南側にズレている。

「上府中公園 小田原球場」近く、「球場北通り」からの富士山と矢倉岳。鳥居は「八幡神社」。

もう少し東側(下曽我側)に移動してみる。

 

注:以下2023/06/21に追加

画面上、富士山と矢倉岳の下に見える社屋が「シャープNECディスプレイソリューションズ(株)湘南テクニカルセンター」である。

丁度、梅の花の季節だった。小田原市下曽我地区は、小田原名産梅干し漬の産地で、この時期は「梅まつり」が催される。

小田原梅まつり・曽我別所梅まつり観光協会公式ホームページ (soganosato.com)

梅林の間の小道を散策しながら、富士山と矢倉岳を鑑賞する。線路はJR御殿場線。

県道72号線沿いにある「大日如来堂(画面右端の赤い屋根)」傍からの眺め。この大日如来堂は、詳しいことが分からないようだ。

石造大日如来坐像というのが道路脇にあるんだが・・・小田原市上曽我 県道72号 - Etsuro1のブログ (hatenablog.com)

県道72号線から見た図。

 

このような感じで富士山と矢倉岳の位置関係を探りながら移動していく。

 

次回に続く。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・「弟橘媛命」所縁の場を結ぶ線

2023-06-12 12:53:17 | 日記

前回は、神奈川県南足柄市にある「矢倉岳」に登った時に撮影した画像を中心に、その山についての言われも、簡単ながら紹介した。

「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・矢倉岳 - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

では、もう一度、前回提示した画像2枚を見てみよう。

この2枚の画像は、だいたい同じ位置に立って前後を撮っている。つまりほぼ180°前後の風景となる(正確にはやや南に振れている)。

矢倉岳頂上から富士山を眺めて、そして振り返った先には相模湾の先に霞んだ三浦半島、そしてもっと視界が良ければ房総半島も見えるはずだ。この位置関係を地図上で確かめてみると以下のようになる。

富士山と矢倉岳を結んだ線を延長していくと、神奈川県二宮町の「吾妻山」をかすめて大磯で海上に出、江の島先を過ぎて葉山に至る。大楠山を越えた先には横須賀市の観音崎界隈に行きつくが、そこは走水である。

走水には走水神社があり、御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)である。ここに伝承される物語は有名なので説明するまでもない。ご存じない方は、以下のリンク先を参照されることをお勧めする。

走水神社公式ホームページ|由緒 (plala.or.jp)

日本武尊の東征ルートについては諸説あり、彼方此方に所縁の地とされる所がある。だが、現在のように道路が発達し、街が広がっていたわけではない昔々、その古道や荒野を歩き続けるには「富士山」は最大の目印だっただろう。そしてその手間に見える「矢倉岳」との関係を見て行けば、自分が歩いている方向の目安となる。その延長された直線上に弟橘媛命が海に身を投じられた場がある。

それは単なる偶然だろうか。

矢倉岳頂上から見た東南東方向の風景の中のポイントに、出かけてみた。

 

次回に続く。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・矢倉岳

2023-06-09 12:49:50 | 日記

神奈川県の西に位置する南足柄市。そこに矢倉岳がある。

この標高870mの山は、箱根外輪山の一つである金時山と合わせて「金太郎伝説」所縁の地でもある。ハイキングコースがあり、手軽なコースとして天気の良い休日の山頂は賑わうこともある。

登り口は幾つかあるが、最も簡単に山頂に至るには、足柄峠(足柄万葉公園)から歩くことになる。富士山の眺望も素晴らしく、飽きることのない家族向けのハイキングコースだ。

先ずはとりあえず、その足柄峠から登ってみた(3回目の矢倉岳登山だった)。

2009年春、霜柱が残るハイキングコースを歩いた。山頂へは1時間もあれば十分である。

道は整備されているので、特に危険な場所はない。ただこの日は山頂直下で霜柱が解け始めており、ぬかるみがあった。少しの距離だが、滑りやすくて歩きづらかった。

足柄平野側からは裏手になる矢倉岳の姿。足柄峠からは尾根上の道をやや下り気味に歩き、やがて急登となる。

高度を稼ぎながら振り返ると、富士山と小山町と御殿場市街が見えた。

頂上間近。

頂上到着。目前に相模湾と足柄平野が広がる。そして山頂には石祠があった。

矢倉岳に始めて登ったのは、1983年頃だったと思う。自動車免許を取得したので自由に動き回りやすくなったので、友人と二人で足柄峠まで行き、歩いた。

皆さん、ランチである。

私は足柄峠ピストンなので、山頂の様子を確認して、富士山を見、相模湾の眺望を堪能して直ぐに山を下りた。

石祠は、始めて登った頃と比べて崩壊が進んでいた。

私が小学生だった頃(1970年代)、昭文社の分県地図では、矢倉岳山頂には神社の記号とともに「日本武尊」といった記述がされていた。現在の地図では、そうした記述を見つけられない。私はその記憶の裏をとるために神奈川県立図書館などに出かけて調べてみたが、残念ながら私が探していた大判の分県地図は所蔵されていなかった。国会図書館の蔵書リストにも見当たらない。

この矢倉岳は、「日本武尊東征」にも関連してくる。この石祠も「日本武尊」と何らかの関連があるだろう。矢倉岳から南足柄市関本へ、県道78号線を下って行くと「足柄神社」があるが、その御祭神は「天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)」「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」「日本武尊(やまとたけるのみこと)」である。

ワヲカケヤマ 遠い昔、矢倉岳からの浜居場城山あたりで竹などで造った輪を投げ上げ、弓で射る年占いの儀式が行われていたそうです。万葉集足柄歌では矢倉岳を「輪を掛山」と呼んでいます。浜居場も意味としては破魔射場だと考えられます。(日本武尊の伝説をたずねて―相模野へのいざない (1985年) 平塚市教育委員会)

矢倉岳は、「タケノコシ」という呼び方もある。

矢倉明神 「古事記」には足柄の坂の神が白鹿に化け、日本武尊の帰途を妨げたという話があり、後に矢倉岳を神体としたといいます。様々な資料から矢倉明神社はかつては山頂にあり、後に麓へ移ったと考えられます。明治になって足柄神社と名を改めました。そのため山頂にある石祠は足柄神社の奥宮であると捉えることができます。(日本武尊の伝説をたずねて―相模野へのいざない (1985年) 平塚市教育委員会)

さて、この画像に収まっている「場」において、次回からのストーリーが続く。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・立つ場についての話

2023-06-08 13:29:38 | 日記

上手な写真、見栄えの良い写真を撮影する方法を学びたい。そして素晴らしいと感じた作品のような写真を、私も撮りたい。それは多くの人たちが思うことだろう。

だが、そうした写真は、人間が努力して獲得する必要が日に日に薄らいできた。カメラは様々な機能が自動化され、今やカメラという単独機能の道具さえ必要なくなり、高性能なスマホがあれば十二分に失敗なく綺麗な画像が得られるようになった。

そして、画像補正や修正についても自動化されつつある状況では、もはやわざわざ撮影技術を学ぶ必要も無くなってきた。

ちょっと考えてもみてほしい。要領よく綺麗に編集されたyoutubeの映像など、もはやプロフェッショナル集団が作り上げたはずのテレビ番組よりも見やすくて面白いものがある。素人がプロを凌駕する時代になった。

なぜだろう。おそらくユーチューバーのうちには、面白くて仕方ないから作っている方たちが多く、もっと楽しもうとする目的にある。一方、プロは滞りなく、プロとしての仕事を全うして稼ぐことが主たる目的だろう。

個人表現という言い方が頻繁に使われた頃、同時にマスメディアという言葉も頻繁に聞かれた。最近は一見、多様になったメディア環境のためか、そんな二項対立的は言われ方も少なくなったような気がする。

前提は移ろい続けている。

 

さて、前置きはこのぐらいにして本題に入る。

Aiがなんであろうと、街並みはストリートビューが網羅し、監視カメラが定点観測していようと、人間がカメラを持ち、その手でシャッターボタンを操作し、一枚の画像を得る動機は消え去るだろうか。道具としてのカメラがスマホに替わり、またその先には予想もつかない道具に切り替わっていくだろうが、それを撮影して記録しておく衝動が失われる日がやってくるのだろうか。その衝動は欲求に等しいのではないか、と思うのだが。或いは、その欲求は他のなにかに置き換わるのだろうか。

それはやがて、だれも富士山に登らなくなるか、見もしなくなるようなことのようにも思える。

写真を撮影すること。さらには写真という影を記録として残すこと。その行為が個人的な身体を通してなされたということ。もう少しかみ砕くと、写真は技巧よりも「撮影者が何処に立ったか?ということが決定的だ」ということ。そんな当たり前のことが、不思議と問われることがない。そうした疑問が、私の制作のはじまりだった。

一度に多くのことを書き過ぎないようにしよう。少しずつ、折につけ、書いていこうと思う。

 

さて、「立つ位置について」、或いは「立つ場について」ということを考えながら、20代の頃は制作を始めた。いずれこのブログにも掲載出来ればと思う幾つかの作品がある。その中から今回は、発表の機会がなかった「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)2009年制作を数回に分けて採り上げて行こうと思う。

今日はその前段階として、上画像をよく見て欲しい。これは神奈川県足柄上郡大井町、県道77号の法面上から撮影した富士山と箱根外輪山の姿だ。平野は松田町、開成町、南足柄市になる。そして富士山は説明するまでもないとしても、矢倉岳については説明しておこう。

この特徴的な山の形は、どこから見ても一目瞭然である。これから始まる話を分かりやすくするためにも、覚えておいてほしい。