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「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・画像の追加と校正を行う

2023-06-21 13:54:37 | 日記

撮影:2009年2月12日 小田原市上曽我 中河原配水池

 

本日、以下の頁に画像と情報の追加、校正を行った。

「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・足柄平野からの眺め - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・横須賀走水 - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

特に昨日の「横須賀走水」については、ご参照ください。

今後も画像と情報の追加が行われると思うので、よろしくお付き合いください。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・横須賀走水

2023-06-20 12:59:59 | 日記

昨日の「大楠山」を越えて浦賀水道側に下ると、もう富士山も矢倉岳も見ることが出来ない。だが、その二つの山を結んだ線上に「走水」があり、そこに「走水神社」が鎮座する。

当ブログとあわせて、以下の走水神社公式ホームページもご覧ください。

走水神社公式ホームページ (plala.or.jp)

御祭神は言うまでもなく、日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)だ。

〈 其れより入り幸でまして、走水海を渡りましし時、其の渡の神浪を興し船を廻らして、得進み渡りたまはざりき。爾に其の后、名は弟橘比売命白したまはく、「妾、御子に易りて海に入らむ。御子は遣はさえし政を遂げて覆奏したまふべし」とまをしたまひて、海に入りまさむとする時、菅畳八重・皮畳八重・絁畳八重を波の上に敷きて、其の上に下り坐しき。是に其の暴浪自ら伏ぎて、御船得進みき。(日本古典文学全集 古事記 上代歌謡 小学館)

〈 さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望んで大言壮語して、「こんな小さい海、飛び上がってでも渡ることができよう」といわれた。ところが海中に至って暴風が起り、御船は漂流して進まなかった。そのとき皇子につき従ってきた妾があり、名は弟橘媛という。穂積氏忍山宿禰の女である。皇子に申されるのに、「いま風が起こり、波が荒れて御船は沈みそうです。これはきっと海神のしわざです。賤しい私めが皇子の身代りに、海に入りましょう」と。そして、言い終わるとすぐ波を押しわけ海におはいりになった。暴風はすぐに止んだ。船は無事岸につけられた。ときの人はその海を名づけて馳水という。(全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫)※2023/06/21追記

高所作業車で電柱のメンテナンス作業中の方が写っているが、ご容赦ください。

階段を上りながら振り返って見ると、浦賀水道を挟んで千葉県富津市が見えた。高い構造物は「富津火力発電所」だろうか。

距離的には近いようだが、潮流の速い浦賀水道を渡るというのは難所だけに・・・。

本殿の更に上には三社が祀られていた。そこから海を望む。港は「防衛大学校 走水海上訓練場」。

神明社(天照大御神 あまてらすおおみかみ)
須賀神社(須佐之男命 すさのおのみこと)
諏訪神社(建御名方神 たけみなかたのかみ))

 

これで一つのミステリーは終わる。網羅するには至ってないが、この富士山と矢倉岳を結ぶ線上とその周辺には、日本武尊と弟橘媛命にかかわるものが多い。それは後付けされたこともあるかもしれないが、それにしてもなぜだろうか?

 

追記(2023/06/21)

私が2009年冬に、実際に撮影しながら移動した場所は神奈川県内のみである。しかし当時、資料を調べて千葉県側にも所縁の地が見つかった。現在もその場をこの目で確認はしていないので、ここから先は資料から幾つかを抜粋しておく。興味のある方は訪れてみてほしい。

● 千葉県君津市「マザー牧場」近くの「鹿野山白鳥神社」「元白鳥神社 日本武草薙」は、富士山と矢倉岳を結んだ延長線上に位置する。

白鳥神社 - 君津市公式ホームページ (kimitsu.lg.jp)   

● 千葉県で富士山と矢倉岳を見ることが出来るか、というと、私は別件で東京湾岸を移動して撮影した際 、富津岬先端の展望台から富士山を見たことがある。箱根外輪山も望め、その一角に埋もれて見辛い状態だったが、矢倉岳と思われる山影も見た。そのことから、ますます富士山と矢倉岳と、日本武尊所縁の地の関係になにかあると思えるのだ。

また、千葉県からの富士山眺望の画像はアナログ撮影のため、ファイルからの捜索に時間が掛かると思われる。取り急ぎ、以下リンク先の画像をよく見ると、矢倉岳らしき山影を確認出来る。

富津岬から見る富士山 (coocan.jp)

東京湾に突き出た千葉県富津岬、富士山も見える絶景ポイント - Japan Travel Planner - ANA

「古船浅間神社(千葉県富津市鶴岡)は浅間神社ということから富士山、即ち御祭神は「木花開耶姫命」である。地図を探せば、房総半島にも幾つかの浅間神社の名が見つかる。直接的に日本武尊と弟橘媛命に結び付きはしないが、千葉から眺める富士山の景色に感慨を与える。富士山は、いつの時代もランドマークだったはずだ。

※ 別件撮影は【個展「東京湾・際に立つ」コニカプラザ(新宿)1998年】の作品撮影だった。それは浦賀水道と東京湾の波打ち際に立ち、海側と陸側を撮影して一組とする作品で、【かなわがアートアニュアル 2001 神奈川県民ホールギャラリー 2001年】でも展示した。この作品については、いずれデジタル化するかもしれない。

 

そして富士山と矢倉岳には、もう一つのミステリーがある。次回からは矢倉岳に関する古い話を少し紐解きながら、足柄平野の一部を歩いてみた記録を発表しようと思う。

 

次回に続く。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・葉山

2023-06-19 10:02:10 | 日記

富士山と矢倉岳を結んだ線は、相模湾を横断して三浦半島に至る。その上陸先は「葉山」。

芝崎海岸から富士山方向を見た。地図上では概ねこの界隈で富士山と矢倉岳の延長線上に立つようだ。このプランは視程が良い冬を選んで撮影を行った。だが、案外冬の晴天でもクッキリとした富士山の眺望は限られるようだ。この日は「前回ブログでの江の島」撮影の後に芝崎まで足を延ばしてみたのだが、なんとなく靄が掛かった夕方になった。

コントラストを上げてみた。目を凝らすと「矢倉岳」が確認できる。目視では確認出来た「矢倉岳」だが、微妙なコントラストだったので画像上では確認が厳しい。

富士山から視線を右に振ると、鳥居のある岩礁は「菜島」。その先に江の島が見える。

更に視線を右に振ると「葉山灯台(裕次郎灯台)」がある。

 

日を改めて湘南国際村に向かう。

雲が多い。

待っていると微かに見えた。

無理やり画像処理でコントラストを上げた。

夕方まで待って、ようやく以下の画像が得られた。

撮影場所は「湘南国際村配水池」。この制作プランを実行したのは2009年のことなので撮影出来た。2018(平成30)年1月28日をもって展望台は立ち入ることが出来なくなったらしい。以前は「よこすか水道 水の広場」として一般開放されて「ベラビスタ」という名前のレストランもあった。

この日はこれで帰宅したものの、ここの眺望はもう少しクッキリとした画像が欲しかった。なぜなら富士山と矢倉岳との位置関係を見ることが出来る、最も遠いポイントの一つと考えられたからだ。

そして再訪。

強風注意報が出ていたので、眺望を期待して出かけた。実際、かなりの強風の中で撮影した。

位置関係を見ると、ややセンターからズレている。もう少し北寄りの展望の方が良さそうだ。この山一帯は「葉山国際カンツリー倶楽部」なので、ゴルフ場内の何処かに絶好の眺望ポイントがあれば理想的だろう。

 

「湘南国際村」での撮影初日は、遠望が霞の中だった。時間待ちの間に「大楠山」に上ってみた。

標高を上げても富士山は霞んで見えなかった。

大楠山からは、相模湾とは反対側に東京湾の展望が開けていた。遠くに横浜ランドマークタワーも見えた。

眼下には横須賀の街並みと「猿島」、そしてその先に房総半島の富津が見えた。「浦賀水道」の狭さが良く分かる。この画面からは右にズレるがそこに最終目的地の「走水」がある。

薄っすらと伊豆半島の影が見えた。

 

次回に続く。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・江の島

2023-06-16 10:27:27 | 日記

昨日の茅ケ崎と同じく、富士山と矢倉岳の頂上を結んだ線は、江の島の遥か先の海原を通っている。陸地でその線上に最も近い所に立つには、海に突き出した所に行くしかないので江の島に行った。

富士山だけではなく、箱根や丹沢の峰も望める。画面左側は箱根の明神ヶ岳、そして尖った山は金時山である。一方、肝心の矢倉岳は霞みの中で埋もれている。

同じ画像に矢倉岳の位置を示した(何故か文字が甘くなってしまっているがご勘弁ください)。江の島を巡るには幾つかのルートがあるが、「エスカー」というエスカレーターには乗らず、右回りの遊歩道からの遠望である。

右には「江之島亭」、このように観光地らしい道を進んでいく。この先に「江島神社 奥津宮」がある。

「奥津宮」から左に行くと、「魚見亭」「見晴亭」など飲食店が並んでいて。目の前に視界が開ける。

階段を下って行くと「稚児ヶ淵」といわれる海岸(磯)に出る。

稚児ヶ淵 | 観光スポット-江の島 | 藤沢市観光公式ホームページ (fujisawa-kanko.jp)

そのまま島をまわって行けば「江の島岩屋」に着く。

江の島岩屋 | 観光スポット-江の島 | 藤沢市観光公式ホームページ (fujisawa-kanko.jp)

富士山と矢倉岳の眺望は、あまり島をまわりこむと無くなってしまうので、再び来た道を上り返した。

振り返ると釣り船だろうか、丁度良い構図に収まる画像が得られた。

 

日本武尊の東征ルートには様々な説がある。〈故、尾張国に到りて、尾張国造の祖美夜受比売の家に入り坐しき〉と古事記にあるように、尾張から駿河を通って「焼津」での〈向火を著けて焼き退けて・・・〉足柄山(矢倉岳界隈)を越え、比較的海岸線に近いルートを移動したとする。だが、この「焼津」は駿河(静岡県)とするか、神奈川県厚木市小野とするか二説あるらしい。

このことから、足柄山を越えてからのルートが矢倉沢往還に近い道筋※1 なのか、或いは曽我山の六本松越え※2 の街道なのか、という妄想が生ずる。矢倉沢往還ならば、厚木市小野へのルートとして適している。

深追いはせずに妄想に遊ぶこととする。

 

小田急線路際歩き#5・・・渋沢~秦野 - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

 このリンク先に「矢倉沢往還」の石碑の一例がある。 https://goo.gl/maps/KKEbejaPTcnNkAnQ6

「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・大磯丘陵からの眺め - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

 「六本松跡」は、鎌倉時代にこの地の豪族が鎌倉に馳せ参じるルートだったと、六本松跡に立つ説明板には記されている。地形的にも古くからの道筋だったことが想像される。

古事記の記述は「日本古典文学全集 古事記 上代歌謡 小学館」より引用。

 

次回に続く。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・茅ケ崎

2023-06-15 13:24:30 | 日記

矢倉岳は標高870mである。昨日の大磯丘陵よりも高いが、その山の姿を見るには高い場所にいかなければならない。案外、富士山も見られる場所が限られているのだ。その点、二宮の吾妻山は標高136m程度あり、周囲よりも小高いことから展望がきくのだ。富士山と矢倉岳を結んだ線上で、富士山が見られる場所も案外少ない。

その結んだ線は、大磯プリンスホテル界隈の海岸線で海上に抜けるものと思われる。国土地理院のつなぎ合わせたマップから読み取っているので誤差はあるだろうが、概ねそのような感じである。だが、大磯の海岸近辺はJR大磯駅も含めて富士山の眺望は得られない。丘陵が視界を遮ってしまうからだ。

結んだ線は東に延びていくが、茅ケ崎では「姥島(うばじま)」通称「烏帽子岩(えぼしいわ)」の更に沖合となってしまう。

えぼし岩|茅ヶ崎市 (city.chigasaki.kanagawa.jp)

サザンビーチの茅ケ崎漁港防波堤先端部が、最も海に張り出していることから、「結んだ線」に近づくことが出来る。だが、この時は立ち入り禁止になっていたので断念した(現在の状況は未調査)。

そこで、茅ケ崎漁港の東側に位置するヘッドランドから撮影したのが上画像である。富士山の眺望が良い。そして手前に鉄塔が立った山が「湘南平」である。

矢倉岳は富士山中心線よりも左に位置している。

今回のテーマとは関係ないが、海景色を眺めて癒しの時間となる。だが、この視界の何処か・・・奥の小さなシルエットとなった釣り船辺りが、富士山と矢倉岳の中心線上なのではないか、と思いもした。

烏帽子岩が見える。

ヘッドランド東端の先には江の島が見える。

とにかく、陸続きではここが限界ポイントとなる。

ヘッドランドでは釣り人が多い。

ここへは、JR東海道線「茅ケ崎」駅南口から歩くか、国道134号線脇にある「東海岸南自動車駐車場」を利用する。私はこの駐車場を利用した。

東海岸南自動車駐車場|茅ヶ崎市 (city.chigasaki.kanagawa.jp)

 

次回に続く。