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前回は、世田谷美術館での展示についてお知らせした。本日は少しその作品について触れてみようと思う。
田窪さんの公開制作は、おそらく世田谷美術館の公開制作としては2回目に当たると記憶している(初回は横尾忠則さんだった筈)。世田谷美術館の開館が1986年なので、その翌年1987年という新築状態の創作室に田窪さんが古材を持ち込み、コンクリートを捏ね、ラス網を張り、膠で金箔を貼ってオイルステインを塗った。当時は物質性・量塊性といった物量がものを言う表現が多かったので、それは当然の手法だった。だが、美術館を訪れる多くのお客様にとっては、これが美術作品とは思えないしろものだったと思われる。現代美術が、ある暴力性を保持していた時代の晩年だった。
そのような物量がものを言う時代の中で、私も美術を始めた。田窪さんの仕事を記録し、それを写真集にまとめる案は関わる途中に想起した(既にバライタ印画紙へのプリントそのものを手製本して作品にすることは卒業制作で行っていたので、その手法は慣れていた)。
この公開制作をまとめるには、使用する印画紙をイルフォード・ブロムギャラリーという厚手バライタ印画紙とし、その物質性を生かそうとした。当時のこの印画紙は、現在の其れに比較するまでもなく感光層に含有する銀の量が多く、極めて物質性に富んでいたことは魅力だった。その物質感と保存性を考慮して、ローキーなトーンにプリントを仕上げた(ハイキーなトーンのプリントは長い時間を経て画像が薄くなり、消えてしまう場合があるので。なお、プリントは富士フイルム製のAgガードという保存性を高める薬剤を塗布した)。
そして厚手バライタ紙を自然乾燥する。フラットニングを施してもプリントは波打ってくるが、それもまた紙の物質感である。その波打ちを押さえる為に厚くて重い表紙を付けた。厚手のプリントだけに、それそのものを綴じると開くことが困難となるため、和紙でヘタを付ける。その和紙は数種をテストして石州紙を選んだ。この和紙とプリントの糊付けは富士フイルムから出されていた写真長期保存用の接着剤を用いた。
表紙の仕上げは、やややり過ぎ感はあるが田窪さんの金箔というイメージを受けて金色とした。これは帆布を貼った上にリキテックスの金色を塗り込んだ。折り曲げに強いアクリル絵具はリキテックスだからである。
このようにして、異様に大袈裟な表紙が付けられた限定5部の写真集が出来た。
製本作品のため、展示ではプリントの一部しかご覧頂けないが、その物量的な状態に1980年代の空気を感じて頂ければと思う。