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「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・周辺資料2

2023-06-27 13:19:54 | 日記

本日、以下リンク先に画像を一枚追加した。

「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・南足柄・開成 - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

 

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昨日同様、本日の内容は、今まで紹介してきた富士山と矢倉岳の頂上を結んだ線上の謎と直接かかわることではない。ただ、古事記や日本書紀での記述に関わる近隣地なので紹介する。

神奈川県厚木市小野は、小田急線「愛甲石田」駅が最寄り駅だろうか。とは言っても、徒歩で1時間は掛からないかもしれない3km強程度の道のりになる。近くには玉川が流れ、その川を挟んで「小町(小野)緑地」という小高い丘があるが、そこには社があって「小町神社」がある。この地域は「小野小町」の出身地と言われる。

それはともかくとして、本題は「小野神社」である。この神社の祭神は日本武命( やまとたけるのみこと )である。

日本書紀では〈・・・日本武尊は、初めて駿河に行かれた。そこの賊が従ったように見せ、欺いて、「この野には大鹿が多く、その吐く息は朝霧のようで、足は若木のようです。おいでになって狩りをなさいませ」といった。〉そうして賊に火を放たれた話がある。その現場としては二つの説があり、一つは静岡県の焼津、そしてもう一つがこの神奈川県厚木の小野とされる。

そうした不一致の理由は定かではないが、古事記にある「相武国(さがむのくに)」とは相模の国(現在の神奈川県相当)と考えるが、景行紀には「駿河(静岡県中部)」とあるらしい。日本武尊が賊の放った火を「向火(むかひび)」つまり迎え火によって逃れたという野火を防ぐ方法を用いたことから「焼津(やきつ)」という点からすると、この厚木市小野説は弱いようには思われる。

だが、一つの説の場としての小野の地には、「小野神社」がある。

神奈川県神社庁/神社検索/小野神社 (kanagawa-jinja.or.jp)

 

次回に続く。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・周辺資料1

2023-06-26 10:32:05 | 日記

本日の内容は、今まで紹介してきた富士山と矢倉岳の頂上を結んだ線上の謎と、直接かかわることではない。

先ず、名前として出てきた以下リンク先の「六本松跡」について、どの様なところなのかを補足説明しようと思う。

「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・大磯丘陵からの眺め - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

グーグルマップでは以下の位置になる。

https://goo.gl/maps/KBJECwwdGBU1bRFp7

「六本松跡」は、県道72号線から「小田原中井広域農道(やまゆりライン)」に抜ける狭い道の峠となる。ここは4方向への分かれ道になっている。

この様な説明が置かれている。

石碑があるが、細かい文字は判読が厳しい。

下曽我側から上ってくる道。

峠から三浦半島方向への展望がある。手前は中井町と二宮町であり、「吾妻山」も見える。

この丘陵地帯での鞍部という地形が、日本武尊東征の時代では大きく違っていたかどうかは分からない。だが、この道筋は相当に古いはずである。

富士山と吾妻山の展望の関係性を考慮すると、十分、妄想に遊べる地ではないだろうか。

 

次回に続く。

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・矢倉岳資料

2023-06-23 11:18:19 | 日記

先ず、江の島の頁に画像を追加した。

「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・江の島 - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

 

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矢倉岳資料まとめ

南足柄市苅野からの矢倉岳

 

「古事記」や「日本書紀」での日本武尊の東征以外にも、矢倉岳には伝わる話がある。

南足柄市立図書館に出かけ、矢倉岳に関する本を探したのは2010年12月のことだった。やはり、地元の図書館には幾つかの該当する書が収蔵されていたので、その中から幾つかを要約しようと思う。

 

「私たちのふるさと昔ばなし」社団法人小田原青年会議所 より 南足柄市 矢倉岳の主 p.124 下 l.6

〈矢倉岳の主(大きな蛇)は、富士山が大きく姿がきれいだといってチヤホヤされているのが面白くなかった。そこで大蛇は、富士山に負けるものか、と、自分の山をしぼりあげて形を整えた。出来るだけ高くして、富士山をおおいかくそうとした。・・・場所によっては矢倉岳のために富士山が見えなくなることがある。〉

このアンダーライン部が、以下頁の矢倉岳に富士山が隠されてしまうことに繋がる。

「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・南足柄・開成 - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

 

 

「郷土南足柄 歴史をたずねて」南足柄町教育委員会

〈足柄明神(足柄神社) 祭神 ニニギノミコト ヤマトタケルノミコト〉

併せて以下も参照されたい。

神奈川県神社庁/神社検索/足柄神社 (kanagawa-jinja.or.jp)

 

「足柄ものがたり」生沼淸二著 みなみ書店p.134 あずまはや(足柄峠) l.13~

〈日本武尊は急な坂をお登りになりました。峠からは、曽我山、大磯丘陵を超えてはるかに相模野の果てまでが見渡せます。この相模野の果てにかすむ走水の方をご覧になり、急に東京湾を超えるときの大暴風雨を思い出し、自分の命を捨てて尊の安全を祈ってくれた可愛い御后の弟橘姫のことを思い出されたのでしょう。〉

 

この記述は、日本書紀とは異なる。

〈常陸を経て甲斐国に至り、酒折宮においでになった・・・日本武尊がいわれるのに、「蝦夷の悪い者たちはすべて罪に服した。ただ信濃国、越国だけがすこし王化に服していない」と。甲斐から北方の、武蔵・上野をめぐって、西の碓日坂にお着きになった。日本武尊は常に弟橘姫を思い出される心があって、碓日の峯にのぼり、東南の方を望んで、三度歎いて「吾嬬はや(わが妻は、ああ)といわれた。それで碓日の嶺より東の諸国を、吾嬬国という。(全現代語訳 日本書紀 宇治谷孟 講談社学術文庫)

古事記での該当箇所は次のようになる。

〈其れより入り幸でまして、悉に荒ぶる蝦夷等を言向け、亦山河の荒ぶる神等を平げ和して、還り上り幸でます時、足柄の坂本に到りて、御粮食す処に、其の坂の神白き鹿に化りて来立ちき。爾に即ち其の咋い遺したまひし蒜の片端を以ちて待ち打ちたまへば、其の目に中りて乃ち打ち殺さえぎ。故、其の坂に登り立ちて、三歎かして、「あづまはや」と詔云りたまひき。故、其の国を号けて阿豆麻と謂ふ。・・・(中略)・・・其の国より科野国に越えて、乃ち科野の坂の神を言向けて、尾張国に還り来まして、先の日に期りたまひし美夜受比売の許に入り坐しき。(古事記 上代歌謡 小学館)

 

私としては、日本書紀の記述の方が、東征のルートとして無理がないように感じている。「足柄ものがたり」は、古事記の内容に近いと思われる。

他にも関連しそうな資料があったので、以下に記しておく。

 

「南足柄の石仏案内 庶民信仰の遺産を次世代へ残そう」 高峯良一著 平成21年11月吉日発行 p.147 矢倉明神社信仰の塔

〈矢倉澤村の矢倉ヶ嶽の頂にあることが、相模国風土記稿に書かれている。史談足柄44集にのっていた”足柄の神の変遷”の45pによると、時代が移るにつれ、足柄の神は祭神、神社名、位置ともに変化しており、この場所は3番目だったようである。

番号1
造立日 天保三 所在地 矢倉沢━矢倉岳頂上
銘分等 下部の右 願主村中 下部の正面 奉納矢倉大明神 下部の左 天保三年六月吉日 背面 なし
形状 石灯篭
h×w 上部分 90×45 下部分 65×24
初調査日 平成16.5.2
備考 上部と下部が別々に置かれている。

番号2
造立日 不明 所在地 矢倉沢━矢倉岳頂上
銘文等 右 なし 正面 なし 左 なし 背面 なし
形状 石祠型
h×w 66×30
初調査日 平成16.5.2
矢倉明神社信仰にした理由
証拠となるものはないが、相模国風土記稿に”頂に矢倉明神の小祠あり”と書かれているので。〉

 

アンダーライン部の「頂に矢倉明神の小祠あり」との関連は、以下頁にある画像の祠であろう。また〈1970年代、昭文社の分県地図では、矢倉岳山頂には神社の記号とともに「日本武尊」といった記述がされていた〉ということの、ひとつの証明になると思われる。

「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・矢倉岳 - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

 

「かながわの山 山名をたずねて」植木知司著 企画 神奈川県県民部文化室 製作・発行 神奈川合同出版(神奈川新聞社内)
矢倉岳 870メートル p.56

〈「足柄の和乎可鶏山(わおかけやま)のかづの木の、わをかづさねも、かづさかづとも」(万葉集)
わおかけやま・・・矢倉岳の旧名であると「新編相模風土記稿」は記している。〉

 

以下は、今回の私のテーマからは逸れるが、頼朝の物語の場でもあることも覚えておきたい。

「広報みなみあしがら 市史の散歩道」狩川をたどる 矢倉岳と源頼朝の夢 200 市専門員 平野富雄

〈源頼朝の夢の舞台
世によく知られた源頼朝の夢の話は、夢がただの夢で終りませんでした。夢解きで、夢を現実のものとしました。その頼朝の夢は、矢倉岳が重要な位置を占めていて、「源平盛衰記」や「源平闘諍録(げんぺいとうじょうろく)」などの「平家物語」系の本や、「曽我物語」にも載っている有名な話です。〉

 

ということで、今回は本制作に関連して調べたことをまとめてみた。勿論、矢倉岳と足柄峠界隈は、金太郎伝説の地であることから、その物語所縁のものについては多数あるが、それは本制作とは別のテーマとなるので割愛する。

 

※ 推敲 2023/06/24

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・南足柄・開成

2023-06-22 13:21:43 | 日記

神奈川県西部地域は、富士山の姿が良く見えると思われる。だが、小田原城のある街中では富士山が見えない。それは箱根外輪山の裾部分の影に入ってしまうからだ。また、南足柄市も同様に箱根外輪山の縁に沿っている地域が多く、隠れてしまう。

足柄平野で富士山を鑑賞するには、小田原市北部・東部地域から南足柄市の東部、そして大井町、開成町、松田町、山北町の一部だ。

前回は、富士山の頂上と矢倉岳の頂上が接するところまで近づいてみた。では、その先はどの様になるかを、今回は見て行こうと思う。

この画像を撮影した場所を、グーグルストリートビューで探してみたが、該当する場所はまるで変ってしまっている。更には山並みも建てられた住宅によって遮られて、このように見ることが難しくなってきている。洞川沿いの道である。

現在では見ることが難しくなってきた山並みだが、この画像のように矢倉岳に富士山が隠れてしまい、ほんの一部だけ雪の白さによってその存在が分かる。

洞川を遡っていくと、ほぼ矢倉岳の背後に富士山が入ってしまった。

この場所は高圧線鉄塔のお陰ではっきりと分かる。

https://goo.gl/maps/svFQoz5LZmeBKzJn8

右に見える学校らしき建物は「南足柄市立向田小学校」。

この先は矢倉岳の姿も隠れるので、黄色い車のT字路を左折して大雄山線「和田河原」駅に向かう。

「和田河原」駅の「富士フイルム前」駅側にある「和田河原踏切」からの富士山と矢倉岳の姿。

 

さて、富士山と矢倉岳の見え方の面白そうなところを探して、開成町方向へ歩いた。

画面右は「富士フイルム先進研究所」。

https://goo.gl/maps/TLCqVsKq6tU4nZdi8

富士山と矢倉岳の斜面を合わせられる場所にて。

※ 2023/06/27追加画像

「富士フイルム先進研究所」近くを概ね北北西方向に移動中。

 

夕暮れ時に見てみた。

https://goo.gl/maps/7Bjq6g2cYwAdB2Jk8

ここは酒匂川の堤から降りたところで、小田急線「栢山」駅と「開成」駅の中間である。

酒匂川右岸堤から「神奈川県立小田原城北工業高校」グランド裏に下りる小道からの眺望。

小田原市曽比地区。

この日は手前の矢倉岳が影になり、コントラストがハッキリとして富士山との重なり方が分かりやすかった。

住宅街の路地からも、さりげなく富士山と矢倉岳が重なって見えた。

かなり象徴的ともいえる重なり方をする、富士山と矢倉岳である。

なにか神話的なものと繋がりがでてきそうな神秘性を感じてもおかしくはなさそうだ。

次回に続く。

 

 


「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・頂上が一致する場

2023-06-21 15:41:54 | 日記

足柄平野を流れる酒匂川界隈から紹介し始めた、富士山と矢倉岳の重なり具合を探りながら、横須賀走水に向かって遠ざかっていくプラン。では、逆に近づいて行ったならどの様になるのか。そのことについてこれから紹介していこうと思う。一応、スタートした頁のリンクは以下の通り。

「富士山~矢倉岳ミステリー(仮題)」・・・足柄平野からの眺め - ムラカミの公開制作的ブログ (goo.ne.jp)

この近づいていくプランは先に述べたとおり、もう一つの昔話にピッタリ合った内容になってしまうことになるのだが、それは後回しにする。そして、この回で一番核心部分にとりあえず触れることとする。そしてこの頁は数日かけて公開の状態で加筆修正と画像の追加を行っていく。

 

さて、この近づいていくプランに一番適した移動方法は、徒歩か自転車がお勧めとなる。最寄り駅は小田急線「栢山」もしくは「開成」駅、そして大雄山線「和田河原」駅となる。

少しずつ頂上が近づいてくる。

https://goo.gl/maps/DfGNETKQCmTv5aAfA

https://goo.gl/maps/44Zgbk53ufJ3vnjBA

画面右端に写るのが「富士フイルム先進研究所」。

奥の白い建屋は「富士フイルム ビジネスイノベーション 竹松事業所」。

富士山頂上と矢倉岳頂上が接触した見え方になる場所はここである。

2009年撮影なので、風景は変化している。だが、富士山と矢倉岳の山頂が繋がる場所では、現在(2023年6月確認)も遮られることなくこの状態を見ることが出来る。

場所の詳細は説明するまでもなく、地図上で富士山と矢倉岳を結んだ延長線上のところを歩いていけば、自ずとこの場所にたどり着く。神奈川県足柄上郡開成町牛島にある「富士フイルム先進研究所」の近所である。

 

数日間、この頁は加筆修正と画像の追加編集が行われます。