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ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

失態を して・・・

2012年02月23日 | これも自分あれも自分
私の知らないことをたくさん知っていて、

いろんなことを教えてくださる、諸先輩がたがおります。

地元に生まれ育ち、

地元のさまざまなことを教えてくださったり、

ご自分の体験や、実際に動いてきた組織の話などを

教えてくださったりする方々がおります。


私は、その諸先輩の方々に

尊敬の念を抱きつつ、

ふと、それをすっかり忘れて、

失態をしてしまうことがあります。


尊敬の念を抱いていたなら、そんな失態はしないはず・・・とは言わないでください。


どこに重きを置くかで、

尊敬の念も、感謝の念も、頭からすっかりなくなって、

失礼をしてしまうことが、あるのです。

それが、事実です。

真実は、違っても、目に見える事実は、

尊敬も、感謝も、見えないものになってしまっています<(_ _)>


尊敬している方と、

疎遠になってしまいました。

昨年のことです。


そのとき、私は、何を高飛車になっていたのでしょう。

何を、勘違いしていたのでしょう。

何を、どうしたかったのでしょう。


大変に失礼で、

大変に無礼で、

大変に大人気ないことを してしまったのです。


けれど、自分では、どこか

間違ったことをしたとは、思えていないのは、なぜなんだろう?


そんな、とても不思議なことだったのです。

それだけ、自分のとった行動は、不可思議なことだったのです。


自慢をしたかったわけではない。

関係を、壊したかったわけでもない。

感謝をしていなかったわけではない。

尊敬、していた人だった。


久しぶりに、お顔を拝見して、

私は、やはり、この方のこと、すごい人だと、思っていると、

再確認しました。


そして、なんだか、失礼なことをしてしまったのだなぁ。。。と

反省もするのでした。


でも、あの時、ああすることしか、

ああすることが、義務のように思えて仕方ないのです。。。



今、確認できる真実は、

私は、その先輩を、尊敬している、ということ。です。




リレートーク 被災地の今 そしてこれから・・・

2012年02月23日 | これも自分あれも自分
震災から約1年が経とうとしています

八戸は他の地域よりも被害は少なかったとはいえ、

家を失った人や、塩害で田や畑が使えなくなった人、

浸水による、家屋の修理・家財の調達に四苦八苦している人など、

今もなお、苦しんでいる方々存在します。

ヨガのMiki先生の主催で、「リレートーク 被災地の今 これから」が行われました。

カフェ「茶らぁん」さんに行きまして、野田村の民宿「苫屋」さんの奥様、久美子さんと、

塩竈から非難していきている阿部さん親子さんのお話を伺うことができました。



津波の影響がなかった阿部さんが、子育てしているママたちが避難所で苦しい思いを

しているから、と立ち上がった「ママの手」サークルの話。

支援物資を仕分けするお手伝いから始まり、おむつかぶれのひどい赤ちゃん対象の、

各地を回っての「おしりバス」 の活動の話、

夏祭りを企画した話、手作り品を販売して資金にした話など、

被災地で活動して、被災者の方々を支えてきたパワーに、尊敬します。

何かしないと!っと思った、阿部さん。彼女は、ヨガの先生をしていたそうです。

そのご縁で、きっと助かった、助けられたと思っている方々がたくさんいらっしゃるに違いありません。

ご自分も、小さい子を抱えながら、自分のことは後回しで

活動してきたその姿に、脱帽です。今も、被災地の方の手作り品を販売しながら、支援しています。



野田村の久美子さんも、地震ではとても揺れたけれど、山のほうだったので津波の

被害は免れました。

そして、彼女なりの先見の銘で、避難所や仮設住宅に通い、

手仕事をすることを、しかも、みなで一緒に集まって手仕事をすることを進めていきます。

外に出られず、泣いてばかりいる暮らしに、少しでも光を・・・と願ったからです。

仮設住宅に入った人、アパートを借りて仮設を出た人、

津波の被害が少なかった家、火災などの二次災害にあった人。。。

いろんな立場の人たちの中で、差別が生まれる現状。。。



究極なのは、「なんで生きてしまったんだろう?」という、

亡くなった人や遺族への、後ろめたさ・・・。



これらが、複雑に絡まって、みな、暗く、塞ぎこんでしまったといいます。

そこへ、光を届けたかった久美子さんと、久美子さんの仲間たち。



一年がたとうして、「ようやく、ありがとうと言える自分になれた。」と、

仮設住宅の方が話してくれたと、それが嬉しかったと、話している久美子さんは、

安堵と、そして、心の復興にはまだまだ時間がかかる・・・という

未来を見据えた目をしていました。



大きな大きなことでしたよね。

あのあと、ひどい被害に遭ってはいない私たちにでさえ、

心の揺れや、体の不調はありました。

皆さんは、少しは癒されてきましたか?



あのとき 思ったこと

あのとき 感じたこと

それらを みんなで言葉にして 涙を一緒に流す時間が

きっと、 これからどんどん 必要になっていくと 思います。



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