体に寄り添うようにしてくださいね。
そうでなければ、あなたの体が可哀想でなりませんから。
とある場所へ。
わたしがメディカルスパ、セラピーをお願いするセラピストを待つホテルロビー、
どこからともなく漏れ聞こえてきた会話の中に、
体に寄り添うようにしてくださいね、というフレーズがあった。
自分の体に寄り添うという発想から、
いろいろなことが生まれる。
たとえば、こころに寄り添う。
たとえば、人生に寄り添う。
自然や地球、もっと言えば宇宙なんて規模の大きなものにまであてはめられる。
あなたの悲しみに、辛さに、苦しさに寄り添う。
ただそれらが過ぎ去るのを共に、寄り添うことは、
傷に蓋をする従来の発想からは思い浮かばない。
久しく購買意欲が湧かなかった雑誌類だったが、
わたしはその雑誌の作り手、
編集後記に書かれていた編集長のひとことに、
魂を奪われた気持ちになった。
いや、実際に魂を盗まれたまま二ヶ月が過ぎようとしている。
それはアエラが特集した今回の震災におけるもので、
わたしが感じていたもやもやとした違和感そのものだった。
震災直後から日本は頑張れキャンペーン一色に染まり、
日本中が被災者や被災地のためになにかやることに、それらを結びつけた。
実際に尽力されている方々へは本当に頭が下がる。
けれど、あまりにも美談化され過ぎているようにも思えてならなかった。
日本は頑張れる。
日本は強い国。
そのキャンペーンは、被災者からは出ない類の言葉だ。
それは頑張ることを無意識に強要する。
人間というものは、本当の苦しみや悲しみに遭遇したとき、
すぐに涙が出ないものだとわたしは思う。
わたしの交通事故被害を例にたとえると、
わたしは笑うことよりも泣くことに時間がかかった。
ようやく涙が頬をつたい、次第にわんわんと子供のように声を出して泣けたのは、
生活の立て直し方を考え、多少の安心を感じる余裕が出てきたころ、
事故から六年の歳月が流れたある雨の日曜日だった。
人間は弱さやもろさを嫌というほど味わい尽くしたあとに、
立ち上がろうという気力がエネルギーとして使うことができるとわたしは思えてならないのだが。
編集後記にはこうある。
人が絶望に打ちひしがれている時、
どんなことばをかければいいのか。
浸水してくる車内から屋根に逃げ出し、救助を待つまでの間、
3人で車の屋根で過ごしました。
雪も吹き付ける寒い夜。
祖父は「助かるぞ、助かるぞ」と声をかけていましたが、
だんだん声も出なくなり、桜井さんの腕の中で静かになりました。
低体温症でした。
彼女に対して、「頑張れ」「立ち上がろう」といったメッセージは
どんな励ましになるのだろうか。
いまは、歩みを止めてじっくりと哀しみに向き合えばいい。
精神科医の香山リカさんの言葉も印象的でした。
体に寄り添う。
こころに寄り添う。
あなたの哀しみに、辛さに、痛みに寄り添う。
寄り添うということは、責任がなければできない。
しかし、寄り添うという行動は自分の体も他者への労わりも同様に
いつの日にか歩みだす一歩を内包する力そのもののように思う。
※途中、アエラ臨時増刊号NO.15を引用しています。
そこにありました個人名を記載してありますことをご理解ください。
そして、被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
微力ながら、目の前にいる被災者である友人を支え、
他者の人生を左右しかねない重責に押し潰されないよう、
またわたしの役目を最後まで果たさせていただきたく存じます。
日本を語る前に、わたしたちが知らなければならない現実がある。
それは、東北は日本に切り捨てられてきた流れの中で、
宮沢賢治が生まれた。
原発の所在地を辿ると、地方の過疎地と重なり合う。