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風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

頭の中の消しゴム

2011年08月15日 03時27分36秒 | エッセイ、随筆、小説


今日はいつもより多量の消しゴムが脳内に。
思ったことを書く前に、
指間から砂が零れ落ちるようにして言葉が消えてしまう。
生滅が一瞬にして行われるからか、
言葉は残っていないのに、
残り香みたいな感情だけがもやもやとする。
脳がオーバーヒートして、じくじくと痛み、
湿度計が指す不快指数は、
脳を蝕むことを後押しする。

死を意識した日

2011年08月13日 18時46分00秒 | エッセイ、随筆、小説


生きていてもいいですか。
もう少し、生かせて欲しいのです。
成し遂げたいこと、添い遂げたいなど、
生きる上での欲が生まれています。
そのために時間が必要になりました。


東京は土砂降りの雨だった。
風が吹いたら容易に吹き飛ばされるだろう、厚みのない身体、
わたしの生活から笑顔がなくなって久しい秋嵐のある日。

交通事故の被害者になるということは、想像を絶していた。
医療に翻弄された。
加害者擁護の色濃い日本の現実と直面、対峙し、
生活は簡単に困窮に追い込まれていった。
なぜなら、被害者は立証責任があるとの理由から、
医療費用や給与損害などは、後払いになれたためだ。
治療に時間がかかることが予想されたためだろう。

あなたは自殺をする運命なのですよ。
だから、生きていても仕方ない。
いっそ、先延ばしにせず、思い切りなさい。

加害者加入損害保険会社顧問弁護士は、
ずるずると音を立ててコーヒーを啜った。
溝にでも浸かってきたかのように薄汚く、
妙な匂いが鼻を吐いた。
魂が腐ると、こんな匂いがすることをふと思い出す。

だから生きようと思った。
だからわたしは今日まで生きてきた。
これからも生きてみようと思う。

生き難しさを抱える人がもしこのブログにたどり着いてくれたなら、
生きて欲しいと希求する。
いつの日にか、光がみえてくることを
どうか忘れないでいてほしい。










アルバイト募集

2011年08月12日 02時11分39秒 | エッセイ、随筆、小説

アルバイト募集


単発のアルバイトを募集しています。
仕事内容は、
規定した条件でわたしのブログをプリントアウトする作業になります。

納期や期限は特にありませんが、
一日で済ませても、一週間時間をかけても同料金をお支払いしますので、
作業の速さはお得です!

ご興味ある方はコメント欄からエントリーしてください。
氏名(ふりがな)とメールアドレス、プリントアウト方法をご記入ください。

例:
氏名:東京花子(とうきょう はなこ)、
メールアドレス:◯◯@me.com、
プリントアウト方法:自宅にあるプリンター◯◯を使用又はネットカフェにて作業を行う予定等

尚、個人情報の取り扱いはこの件でのやり取りにしか使用しません。
当然ですがブログ上にはアップしませんのでご安心ください。
8月末まで募集を行います。
また、来年春に向けて新規事業を計画しております。
そちらでの募集も随時、ブログ上にてお知らせします。

よろしくお願いします。
ご応募お待ちしています。






純愛ふたたび、20年前の恋人

2011年08月10日 20時35分11秒 | エッセイ、随筆、小説


あなたがずっと好きだった。
そのことに気付かせてくれてありがとう。



身体を悪くしたことで得たことがありました。
それはわたしの素直な気持ちとの出会いでした。
死にかけたからこそ残りの人生、
悔いを残したくないことがありました。
あの日、旅行のお誘いをするには、
わたしなりにはたくさんの勇気が必要でした。
あなたとのかけがえのない思い出を、
これから大切に、重ねていく機会をもらえたら嬉しいです。

忙しいことと思いますが、
また近いうちに顔を見せてください。
楽しみにしています。

追伸

わたしね、いままで辛い闘病に耐えてこれたのは、
あなたに会いたかったからでした。
いつか抱きしめてもらいたいと思ってきたからでした。
以前よりは優しくなれたわたしを、
あなたに認めて欲しかったから。





あなたからどのような返信があるかはわからない。
けれど、わたしの気持ちを伝えることができてよかった。

防人の詩

2011年08月08日 07時25分13秒 | エッセイ、随筆、小説


おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に 限りがあるのならば

海は死にますか
山は死にますか
風はどうですか
空もそうですか
おしえてください

わたしは時折 苦しみについて考えます
だれもが等しく抱いた悲しみについて
生きる苦しみと 置いてゆく悲しみと
病いの苦しみと 死にゆく悲しみと
今の自分と

こたえてください この世のありとあらゆるものの
すべての生命に 約束があるなら
春は死にますか
秋は死にますか
夏が去るように
冬が来るように
みんな逝くのですか

わずかな生命に きらめきを信じていいですか
言葉でみえない 望みといったものを
去る人があれば 来る人もあって
欠けていく月も やがて満ちてくる
業の中で

愛は死にますか
心は死にますか
わたしの大切な故郷は
みんな逝ってしまいますか

注訳①
上記の歌詞は、繰り返し部分は省略しています。

注訳②
防人とは、さきもりと読みます。
古代中国や日本の飛鳥時代から平安時代、律令制度下で行われた軍事制度の意。


生命の約束について、
空を見上げるとき、海と語るとき、風に遊ばれるとき、光に導かれていくとき、
考えたりしています。
その答えを希求するのではなく、
ただそれを考えることが生命の悦びに素直に従うことのようで、
心も身体も心地よくなるのです。

防人の詩とは、歌手のさだまさし氏の楽曲です。
この歌詞の深さに、魅了されています。
考えさせられています。
そして、生命を想うのです。





























“山谷の夏祭り”カンパ

2011年08月07日 15時42分19秒 | エッセイ、随筆、小説

「いつでも雇えて、いつでも首を切れる」
労働者として生きることを強いられている人は、
いまの日本には溢れかえっている。

それは自己責任などではなく、産業界の要請だ。
派遣労働者の実態を追うと、
ワーキングプア、働いても豊かになれない人たちへたどり着く。
そして、孤独死という最期を迎える無縁社会の問題へ。
先に話題となった年金不正受給問題も、いまの日本を炙り出す。
真面目に働いても豊かになれないのはなぜか。
それは、原発の闇を垣間見ることに等しい。
なぜなら、この国は利権を手中に収めているか否かが、
金のあるなし、仕事のあるなしの差異を生み出すひとつであるからだ。

山谷から南へ4キロの地点で、
わたしは労働者から一枚のチラシを受け取った。
そこには台東区にある珠姫公園で夏祭りをやるための運営費や炊き出しの米、食料品、
男性用夏物の衣類が足りないと記載されている。
そして、わたしは違和感に包まれた。
雷雨が過ぎ去るのを待つために入ったカフェでも疑問に出会った。
福島はいまだ終息していない節電が騒がれている最中にもかかわらず、
冷房の効きすぎるエクセルシオールカフェに入った。
鳥肌で肌の表面がでこぼこと歪で気持ちが悪い。

さて、夏祭り開催へのカンパの件。
わたしは夏祭りをするなとは言わない。
楽しむ権利を奪うつもりもない。
けれど、わたしがカンパしなかった理由は単純だ。
夏祭りの運営費をカンパで市民の懐に訴えかける前に、
その資金を継続した仕事を捻出することに使うのが先ではないか。
普通なら、食べるものがないときには、金がかからないような工夫をし、節約を考える。
炊き出しの協力ならわかるが、夏祭りというのは違和感や疑問を生み出しただけに過ぎなかった。

ぶるぶると震えるほど冷えたカフェの片隅で、
凍えてシワだらけになった指先をぼんやりと眺めた。
もしかしたら、わたしは日本が嫌いなのだということに気付きながら。









雨の夜に

2011年07月29日 23時14分05秒 | エッセイ、随筆、小説

欲がないの、と言いかけて止めた。
生きる欲がない。
雨のせいか、闇を見てしまう自分の目というものを怖れた。
体調が痛ましいかぎり、
わたしはわたしであり、わたしではなくなってしまったのだから。
あれから7年の歳月を、
迷い込んだ迷路に、出口がないことを気付きつつあるこの頃。


彼女だと言われたからね、僕はあんぐりと口を開けて、
首を右側に傾けたんだよ。
だって、彼女といえば前に付き合っていた彼女のことだと思ったし、
誰のことか、本当に頭に浮かんでこなかったからね。
そしたらこの前、一緒に歩いているところを目撃したというんだよ。
一緒に歩く女性といえば、あっ、先輩しかいないから、
だからね、先輩のことですか?と僕は尋ねた。
彼女ではないならそれでいいです、と言われた後、
情報源や知恵の出処はそこか?と詰め寄るんだよ。
先輩とは食事に行くし、趣味であるラグジュアリーホテルステイの話題で盛り上がることはしても、
彼らが思い込んでいるような、軽率さはない、と声を荒げたんだ。
するとね、ほら、高次脳機能障害は感情抑制がきかないといった冷ややかな視線を感じて、
僕や先輩への侮辱を、容易に行う姿勢にすら気付けない彼らを、ただただ情けなく思ってね。
国の施設だよね、ここは。
でも、あくまでも障害者の僕たちのためのものではない。
過度の希望や障害受容についてをあれこれ称える前に、
やる気を削ぐような物言いや態度を、
高次脳機能障害や先輩への偏見を、省みる必要がある。
あっ、僕ね、容赦するつもりはないんだ。
だからといって、弱者になってしまった障害者として、彼らと闘うつもりもない。
血税が彼らの給与になっているかと思うとね、いたたまれなくなる。
ここにいる僕がいうのもなんだけど、疑問を払拭できないんだよ。

航空公園にほど近い、とある国のリハビリ施設。
僕とはわたしの友人で、先輩とはわたしを指している。
社会復帰に向けた今後の方針を決める会議に出席した友人は、
抱えてきた疑問を声に出したとき、その発言がわたしの指図や知恵によるものだとして、
ふたりの関係に口を挟んだ挙句、わたしの実名があがったことに腹を立て、
情けない思いを味わい、悲しみに暮れ、こころが折れたそうだ。

支援というものをわたしたちが考えさせられる現実がある。
だれのためのなにを目的とした支援かを置き去りにしたままでは、
支援は絵に描いた餅にしか過ぎず、偽善のニオイが立ち込めてくるだけだ。


欲がないの、と言いかけて止めた。
生きる欲がない。
雨のせいか、闇を見てしまう自分の目というものを怖れた。
欲を削ぎ落とされれることをたとえば支援と仮に呼称するなら、
そんな支援は必要ないと叫びたい。
雨の夜だから、声は雨音に紛れ、闇夜に消えてなくなるだろう。




















おばけの正体

2011年07月13日 06時00分17秒 | エッセイ、随筆、小説

おばけとの遭遇。
そのことにより友人関係は壊れてしまった。
いまでもこれでよかったのかと自問する。
けれど、あのおばけをみなかったことにしたなら、
おそらくわたしの方が心労でおかしくなっていたことだろう。
まさかおばけが生きた人間だったなんて、
あの光景を、この数週間を振り返ると背筋が凍る。

開けたはずのカーテンが帰宅すると閉められている。
銀行通帳が無造作に開けられていたり、
夜中、わたしの部屋前または部屋の中で、人の気配を感じた。
怖い夢でもみているのだろう。
わたしの思い違いだろう。
そう思って、自分を納得させようと努力したのだ。

けれど、どう考えても府に落ちなかった。
だから、わたしの部屋にはおばけが出ると寮の職員には報告していたのだった。
職員は、そんな話は聞いたことがないし、
いやね、気持ち悪いから、なにかあったらすぐに連絡を、と言ってくれていたのだ。

その晩も人の気配を部屋前に感じて目が覚めた。
午前1時50分、
おばけが出るにはちょうどよい時間だ。
そのおばけは車椅子らしく、床と車椅子のタイヤチューブがこすれてキュッと音がした。
まだ誰かはわからなかったが、車椅子だということは確定した。

どれくらい時間が経過したのだろう。
部屋前に20分近くうろついていた後、ドアが開いた。
おばけが部屋に入ってきたのだ。
わたしは息を殺しておばけの正体を突き止めたいと思った。
ご丁寧にも、おばけはドアを閉めた。
そして、部屋の入り口を入ってすぐ右手に置いてあるワゴン前に車椅子を停止。
おばけがワゴンに手を伸ばした瞬間、わたしの怒声が真夜中に響いた。
なにやってるんだ?

おばけはすいません、すいません、と言って部屋を出て言った。
わたしは妙な気持ちになった。
わたしが部屋鍵をかけていないことを知っているのは彼女しかいないし、
頻繁に部屋に遊びに来ていたことで、部屋や物を熟知している。
それから、わたしへの嫉妬や怒りが根底にあることも瞬時にわかった。
障害者の職業リハビリテーションセンターにいながら、
ここにいるレベルではない、と言われたり、
持ち物や趣味趣向、いろいろなことを障害者らしくないと指摘されていたからだ。
もっといえば、車椅子の人たちからみれば、立位であるだけで羨望の的になる。
羨望がやがて嫉妬へと変化し、
嫉妬が妬み嫉みになることは、ここに来て何度もその標的にされたことによって、
怖さは多少知っていた。
人間のどろどろとした負の感情を目の当たりにするたび、やり切れなさに包まれた。

記憶がない、とおばけは言った。
記憶がないのに、わたしの部屋に入ったのは一度だけで、
わたしの部屋の不思議な状態、
つまり、おばけの仕業は自分ではないと泣いて訴えた。
けれど、職員と気付いことがひとつ。
昼間の行動に対しても自分の都合悪いことは、
記憶がないと言う強烈な癖の存在だ。

あえて、彼女がなんの障害名であるかは言わない。
とかく、このような障害者が集められるセンターでは、
軽度にみえる、または障害が可視化されない人は配慮を受けらない。
こうした事態に陥りながら、ある職員はこう言った。
彼女には脳の障害があるから、もしかしたら発作が起きたのかもしれない、と。
発作ではないことを知っているのはもちろん本人だ。
そして、日常生活を目の当たりにしているわたしとケースワーカーは、
それが発作ではないことを知っている。

障害者がもし障害を使い分けて自己防衛したら…
わたしは禁忌、パンドラの箱を開けてしまった気分になった。
やっぱりおばけはみてはいけないものだったのだ、と。




今回、ある障害者リハビリテーションセンターでの事実に基づく内容を書きましたが、
障害者のすべてがこの内容には属さないことを
あらためてお伝えしたく。
また、誤解のないようにお願いします。























































一隅を照らす

2011年06月07日 13時05分05秒 | エッセイ、随筆、小説


高田馬場のとある隠れ家。
わたしは知人に呼ばれ、その隠れ家へ向かった。
そこには伝統工芸を生業にしている方や芸能関係者が集い、
大人のために用意された時間に、なんともいえぬ心地よさを覚えていた。
「久しぶりのシャバの空気はいいもんだろう」と声をかけられ、
「はい、やっぱりシャバはいいです。だって、すべてが刺激的で新鮮ですから」と答えていた。

「一隅を照らす仕事」というキーワードの下、さまざまな意見が交換される。
後世に残せる仕事もあれば、芸能のように一瞬にして作品が消えさる、
その場にいなければ味わえない仕事の醍醐味など、話が尽きることはなかった。

ここの居心地のよさはなにかと考えたとき、みんなが真剣だということに尽きた。
仕事に真剣に取り組むように、こうした会にも遊びにも真剣さを忘れてはいない。
空気がぴんと背筋を伸ばす様は、その場所の地場を整えるようでますます居心地のよさを増していく。

自分の仕事に恋をしているような人々に囲まれ、
高田馬場の夜は更けていく。
幸せの時間を友とともに。

千の沈黙の声

2011年05月25日 19時21分19秒 | エッセイ、随筆、小説




沈黙の声を拾い上げたとき、
その数が千にものぼることに驚愕する。

恋人へ沈黙の声を届け終えたばかりのわたしは、
いつもよりすこし早めに熱めのシャワーを浴び、
これからの人生を想った。


北アルプスをのぞむ小さな宿、
アルペンルートを歩く散策の過程で、
白川郷の美しい景色の中から、
あなたとのことを真剣に考えてきます。
その後にお手紙を送ります、とある。


わたしがいる施設でも、
声にならない声が聴こえる。
それら千にものぼる沈黙の声を、
わたしは聴かなかったことにはできない。


あなたの役割は、
そうした声を拾い上げ、
あなたの言葉で世の中へ届けることでは?


恋人からの追伸に添えらたメッセージ。
千の沈黙の声をわたしの手で、
わたしの想いに変えて、
世の中へ届けることが、
あなたの天命、寄り添い、添い遂げる姿を
見守り続けたい、とある。


※タイトルの「千の沈黙の声」とは、
シチリアの乳児院、児童養護施設で過ごした女性が、
その過酷な日々をつづった著書、
「千の沈黙の声 わたしは施設という名の地獄で育った」
(中央公論新)からの引用です。


社、エンマ・ラ・スピーナ著 泉典子訳、税別1900円