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風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

空の鎮め方

2011年04月24日 05時55分12秒 | エッセイ、随筆、小説


空が泣いている。
怒っているのか、悲しんでいるのか、
いや、呆れているのだろう、人間のやることなすことに。


震災後、体調を崩した。
被災した友達を支援していた折、支援の難しさに直面した。
ひとを救う、ひとを幸せにする、ひとを勇気つける怖さを知ることとなる。
絶望している友人を目前に、わたしは寄り添うことしかできなかった。
そして、自分の無力さ、不甲斐なさが露呈したことで、
それを受容するかのごとく、体調を崩して、
毎日、空ばかり眺めていた。


いままでとどこか違う空の青色、
雲には消した炭を混ぜ込んだように、軽さがなくなってしまった。


空が語りかけてくれる。
わたしたちがどこへ向かおうとしているか、と。
テレビも新聞も本当のことを言わないのは、
できるだけ賠償対象者または地域を少なくしたいためと、
今回の出来事から原発反対へ世論が舵をきることは困るためだろう。
たどり着く先には必ず利権や莫大な金が蠢いていて、
先の大戦や水俣病の問題から、日本がなにも変化していないことを示唆する。
わたしたちひとりひとりの小さくてかけがえのない幸せを奪う権利だれにもない。
国家にも利権複合体にも、だれにもあるはずがない。
けれど、現実を眺めてみたとき、
空が怒ったり、悲しんだり、呆れてしまう人間の仕業が
空の色に投影されているような。



国立障がい者リハビリテーションセンター

2011年02月22日 17時03分20秒 | エッセイ、随筆、小説

ようやくブログにたどり着く。
去年の、ちょうど、ブログ更新が途絶えたあたりから、
国立障がい者リハビリテーションセンターへの
リハビリ計画が実現可能となり、
バタバタと慌ただしい時間との格闘に突入した。

隣接する職業リハビリテーションセンターでの訓練も相まって、
生まれて初めての寮、集団生活を経験、
歓喜と疲弊を繰り返して、今日に至る。

てなところが、私の近状。
面白い話がなくて、さぞ、ガッカリなされたでしょう。
深謝。

ひとつ発見したのは、こうした障がい者リハビリ施設という場所ほど、
あなたは障がい者なのですよ?と役に立たないような
障害受容を強制してみたりする。
そもそも障がい者という定義が曖昧な中では、
健常者、障がい者という二分化に意味があるのかとの疑問ばかりが山積みに。

とはいえ、車椅子で行うバスケットボールにはまり込み、
なかなか楽しい毎日を過ごしている。
いろいろな人がそれぞれの事情でここでリハビリを行いながら、
しばし人生を見つめ直す時間の享受に感謝。

人生いろいろ。
男も、女も、いろいろ。

たまたま障がい者枠のある病気や怪我でここにたどり着けた方は運がよい。
そうでなければ、病気と共になどやれないのが、
日本の現状なわけで。

あーっ、面白い話が書けず申し訳ない。

障害・病気でも恋をする!

2010年10月03日 22時34分56秒 | エッセイ、随筆、小説




今日はガールトークで盛り上がってきた。
病気や障害がある友達で、参加者4名、
全員年齢は私とほぼ同じ、30代半ばから40歳といった頃合。

みんな苦しんできた過去(現在も)を持っている中で、
社会(仕事)と障害や病気との折り合いに悩み、無理をし、自爆寸前だという友人の告白もあった。
そうなんだよね~と一同頷く中で、なぜか話題はパートナーへ移行。

恋したいと思わない?
人と一緒に生きてみたいって無性に思うようになってきたんだけど。
秋のせい? それとも本気???

4人の中で2名、私ともうひとりは障害者だけれど、進行性ではない疾患だ。
残るふたりは命の長短に直接関わる病気で、
それでも恋したいし、誰かに抱きしめてもらいたいし、ささやかな幸せに包まれたいという思いは一致。
本音だろう。

ということで、障害&病気の私たちは「婚活」をすることで話がまとまった。
まずは身近なところへ声をかけていく方法で縁を呼び込もう作戦に出てみようということになったので、
そんな話で盛り上がっていたら、気付くと7時間も経過、
やっぱり楽しい話ってみんなが幸せになれる。
夢や希望も人とのかかわりも、やっぱり大切だとあらためて思った。

私には結婚を考えていた恋人がいる。
なぜかある日を境に、厳密には彼側の会社とのトラブルが浮上してからというもの、
連絡がぷつりと途絶えて1週間が経つ。
最後の電話の態度があまりにもふてぶてしいものだったことも重なって、
私が連絡を取らない決め手にもなっている。

とはいえ、
結婚を考えてきたというわりにはこのまま自然消滅をしても後悔のない本音に気付いてしまっているので
夢でもみていたのだろうか・・・・・といつしか彼の存在を忘れてしまうのだろう。
そして、私も心置きなく友人たちの計画に参加、婚活の仲間入りをして
女子高生のようなガールトークパワー炸裂で、
障害や病気が無くなっていました・・・・・となることを希いつつ。

人生は厳しいからこそ、楽しく明るく生きる。
それは奈落には底がないことを知っているものたちだからこそ、重い言葉になるようにも思う。




 


多発性硬化症

2010年10月02日 01時13分05秒 | エッセイ、随筆、小説


秋だからセンチメンタルになっていたのか、
私の顔をみるやいなや、友人はわんわんと泣き声を響かせた。
あら、男泣きなの?と声をかけながら頭を撫でていると、
ありがとう、ありがとうと言って、私の手を強く握った。
そして友人は自分が「多発性硬化症」であると告白した。
あれほどまでに頑に拒んでいたはずなのに、
今日は人生相談をしたいと申し出てきた。

いいよ、気が済むまで話を聞くよ。
ずいぶんと辛かったね。
私が言いたいことを代弁するし、
私にできることはなんでもやるよ。
だから安心して任せておけ!

ウインクの合図は、友人曰く理解したとの意味らしい。
今日は空が重いから、いつも以上に言葉がうまく出てこないらしく
頭を掻き毟っている。
ウインクで十分よ。
あとは魂で会話しよう。

友人とは夏のはじめ頃に出会った。
私が社会復帰の訓練のために通所先に選んだ障害者支援センターで、
そのときもウインクを投げられたのがはじまりだった。
すぐに意気投合した私たちは、
言葉の上ではコミュニケーションに問題がある友人が、
そこのスタッフに理解されずに悩んでいること、
やることを否定される怒りや悲しみ、
味方がいなかった心細さで押し潰されそうだった月日など、
魂で会話できる術を私に教えてくれたことで、
私たちにはコミュニケーションの問題はまったく起こらなかった。
しかも、私が健常だったときには常識だと疑わなかったすべてを、
障害者への偏見含め、間違いであることを教えてくるたのは彼だった。

なんだかさ、健常者って決め付けてくるし、頭かたいし、
わかった風でいるけど、なーんにもわかってないよね?
体は健常かもしれないけれど、心がそうとは限らない。
私たちが容赦してあげているなんて想像すらしていないもん、と言うと、
そうそう、そのとおり、心の友はわかっているなぁ~と言う。
けらけらと笑い、はしゃぎ、声をあげながら喜びを表現してくれるので、
ね?心の友はわかっているでしょ?と私は調子に乗った。
ウインクをして、友人と手の平を合わせる。
魂のつながりは強靭だもの。

私の友人は介助も配慮も必要である身の上なのに、
私に配慮する気遣いをみせてくれる優しさ溢れる男だ。
彼は私にいろいろなことを教えてくれる。
きっとこれからもたくさん、いろいろなことを教えてくれるだろう。


多発性硬化症についての説明となります。
http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/068.htm






彼の言葉を聞き取れるのはセンターでは私だけなので、







http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/068.htm

ひととかかわる

2010年10月01日 10時29分52秒 | エッセイ、随筆、小説





そのときどきに必要な人たちに会ってきたのだろうと思う。
東大の福島智先生の著書を紹介する紙面を新聞の新刊欄でみつけた今朝、
障害学の存在や西洋医学の限界、日本で交通事故処理をする被害者側の大変さなどを経験してきた中で
検察の問題が取り沙汰されているのもそうで、
私も似たような経験者だもの・・・とコーヒーを啜りながら家族に話す。


困難な場面が私の30代の時間を奪っていったけれど、
検察にも優秀でいい人はいたし、国家公務員にも、どこにもいい人も悪い人もいる。
だから、一概には属する組織で人をどうこう言えないのだということを学んだ時間となった。


人に責められるのも、人を責めるのももういい。
明るく楽しく暮らしていくことが当面の目標になった。
(人生は辛く苦しいことが多いからこそ)


話を東大の福島先生に戻すと、
私は何度かメールのやり取りをさせてもらう中で、障害ではなく人間(業)にたどり着いたきっかけが
福島先生との会話だった。
たかが人、されど人なのだという結論に達した中で、
障害が本来の障害ではなく、人間の考え方こそが社会の障害になっていることを痛感していた最中、
自分の取扱に苦戦していた私にはかすかに希望の光がみえたきっかけとなったことを思い出した。


人とかかわりなさい、とみんながいう。
私もそう思うものの、まだ人を怖いと思ってしまう自分がいて、もうすこし時間が必要なのかもしれない。
別れもあれば出会いも。
その繰り返しを死ぬまで続けていくのだろう。
私も人も。


・・・・・とつぶやいてみました。
久しぶりのブログなのに、明るい話ではなくごめんなさい。








やさしい手

2010年09月08日 07時50分53秒 | エッセイ、随筆、小説



これほどまでに優しさに満ちた手を私はかつて知らない。
それはマシュマロのようにほわほわとしていて、砂糖菓子のようにいい匂いがする。
先生、どうしたら先生みたいに優しさに満ちた手になれますか?
ううん、手だけじゃくて、存在そのものが神様みたいにキラキラしています。
影にまで色がついていて、不可能がなく、さぁて、治して差し上げましょうね、と言って、
魔法すら使えそうな印象です。
先生、図星でしょう?


本当に偶然にして出会ったのがはり師の先生だった。
電話をしたところ、3時間後の予約が取れたので、また自宅からの交通の便もよいという後押し、
ささとと身支度を整え、治療院へ向かった。
そこで先生の優しい手を知ってしまったのだ。


治すという表現を僕は使いません。
体内の気や血の流れを整えることで、
結果、自然治癒力によって今の問題を修復できるお手伝いができたら・・・と思います。
頭寒足熱ならぬ、頭熱足冷状態なので、まずは体の内側の、
上半身、特に頭内に集まってしまう熱をさげるところからはじめましょう。


優しい手が私のこめかみあたりを擽る。
本当に優しくて、その優しさがとても控えめで心地よい。
私もあのような先生の手になれるのだろうか。
本当の優しさを知ってしまった気がする。


本物が目前でにこにこと笑って、
1日や2日でなれると思いなさるな、と暗黙のメッセージを届けてくるようだ。




きらきらと輝く魂たち

2010年08月13日 10時22分40秒 | エッセイ、随筆、小説




ここにいる魂って、きらきらとして輝いていて、柔らかくて、温かいんだよね。
だから好き。


毎日のように通うようになった場所がある。
私はそこでみんなとランチを食べて、おしゃべりをして、笑って、
ときどき人生を考えさせられたりしながら、
それでも人間っていいものだし、できることなら自分もいい部分のみを引き出して生きたいと思うし、
生まれてきてよかったと言って死んでいきたいと思う。


ここにはたくさんの仲間がいろいろな障害を抱えて生きている。
中途障害者の私にとって、障害者の友達がたくさんできるなんて想像してこなかったし、
明るくて、優しくて、負の感情がまったく存在せず、
お互いに無理のできない体だからこそ、自分のペースで生きることが尊重されている。


楽しいことだけをフォーカスして、にこにこと笑顔が絶えないのは、
きっと、この世の地獄を彼らは知っていて、実際に経験しているからではないか、との仮説を立てた。


私の頭を路線バスが踏んずけていったときにね、
最後の記憶は「ぐしゃり」という音だったの。
私はこんな風になってしまったのに、相手の組織が大きすぎて、負う傷で心臓を一突きされそうで、
被害者が声を出せない社会というものが日本にはまだまだ根深く存在するのだということを学んだの。
それと、日本の福祉について、当事者として考えられる環境を引き換えに諦めたんだ。
あとはきらきらと輝く魂たちとたくさん出会って、
この世界には見えるもので人は混乱させられるけど、
見えないものが真実を語るとき、私はその声が聴こえるようになったの。
だから今の方が幸せよ。
もうすこし、体が動くようになれば日常が楽にはなると思うけど。
そうそう、数年目を覚まさなかった私だからいえることをひとつ。
あそこで脳死判定をされてしまったら、いまの私はなかったのよね?


時間が止まる瞬間がある。
きらきらと輝く魂たちは、いつ、どこで直球を投げてくるのかがわからないからだ。
私はその言葉の意味するものを考えて、
この世界や人間の本質というものが、ますます関心ごととして囚われの身と化してしまう。


魂が疲れたら、彼らのもとへ。
きっと、いつの間に魂が癒されることと思います。
ぜひ。

 

 


潮目

2010年07月26日 10時47分33秒 | エッセイ、随筆、小説




チワワのシエルがお気に入りの毛布の中に顔を突っ込んで、
ぶーぶーと鼻を鳴らしながら爆睡して早2時間が経過。
私は・・・といえば、法華経を唱え、TheRootsの曲をいくつか繰り返し流し、
森博嗣さんの「四季、春」を本棚から引き出した後、
倍に薄めたポカリスウェットに韓国から持ち帰った塩をひとつまみ、
喉を上下に動かしぐいぐいと水分を腹へ運んだ。

そして、反省をする。
今回ばかりは本気で恋人を深く傷つけてしまった出来事を振り返り、
届くはずのないメールを、Phoneをぼんやりと眺めて1日が終わる。
かすかな希望、彼から連絡が来るのではないかという思いは、
あまりにも痛々しくて、見えない血がそこらじゅうに飛び散っているみたいに生臭さが漂う。

先日、友人のシャーマンと久しぶりに長電話をした。
その日はとても不思議な1日で、
別の友人が書いた著書「オーラの素顔 美輪明宏の生き方」(講談社α文庫)を読了した後に、
空から法華経がさらさらと舞い入下りてきて、私の内側へすっと溶けていった。
苦戦していた医師探しからの解放の目処が立ち、
交通事故処理も進展できる流れとなって、社会復帰への計画も明確になった。
シャーマン曰く、法華経は魔除の意味があると言う。
人生の大切な時期で、そろそろ自分の人生を歩んだらどうか?
自分を護ることはやめ、幸せの作り方に焦点をあてると、他者を救うことで自身も救われると教授された。

私は恋人である彼に、自分の嫌な部分を投影している節があって、
どうしても優しい眼差しでみることができないできた。
体調の不安定な私でもこの程度のことはやっているのだから、健康なあなたに出来ないわけがない。
すべてこの調子で対応するものだから、いくら温厚な恋人とはいえ、激怒しないわけがない。
そして、私も疲弊し、彼を傷つける結果に。

人生の潮目なのだろう。
人生というよりも、交通事故以後の大事な局面にいることは確かなようだ。
いかに冷静を保てるか、いかに自身の不幸を、障害を受容できるか、
私にはそれらは今でも難題でしかないものの、でも多くの人に支えられている恩恵には
ぜひとも応えたいと強く強く思っている。

破滅的な行動をするのは、どうしてなのだろう?
なにかから逃れたいからか?
それとも、誰かに注目してほしいからなのか?
誰に見てほしい?
いったい誰が僕を見ることができる?
母親でさえ、僕が見えなかった。
父親も、顔を背けた。
僕は誰にも見てほしくなかった。
だからこそ・・・・・
こうして姿を消してしまったのだ。
それなのに、ときどき、他人の注目を集めようとする。
グラスを割るように、衝動的に、
しかし計算の上で、僕は自分の怒りを外へ向けてしまう。
おそらく誰かに叱ってほしい、という気持ちなのだろう。

四季、春 THE FOUR SEASONS
森 博嗣(講談社文庫)



誰も知る人のいない、遠い遠い国へ行きたい。

 



    


人間休業

2010年07月03日 20時43分45秒 | エッセイ、随筆、小説


愚痴ばかりの愚文連ねるだけのブログを
読んでくださる方々には
本当に申し訳ないと思うばかりです。

人間休業中の私ですが、
復活できる日を希求しながら、
もうしばらくうだうだとした日々を送ることを
見守りいただきたいと思います。

人間休業とは、ホンダ創業者の言葉ですが
この一言が私の救いとなっています。