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風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

放射能と日本人消滅論

2011年11月16日 22時07分49秒 | エッセイ、随筆、小説

あれから10年の歳月が流れた。
東京電力が放射能を垂れ流したせいで
日本人が国土から消滅した。
世界中に非難したわずかな日本人がいるとはいうが、
日本人だとは口が裂けても公言できないという。
それはなぜかというと、
世界の爆発的人生増加を懸念した一部の指導者にとって、
一連の原発事故は好都合だったというのだ。
そして、わたしたちは消滅したのだ。

もし仮に生きていたとしよう。
不安を煽るわけではないが、
なぜかこの時期に議論もせず参加表面したTPP問題がかたやあり、
震災復興とは口先ばかりで、具体的な支援策などなにも行われない。
医療が海外から輸入されるように急いだひとつには、
日本人すべてを網羅した皆保険制度を崩壊へ誘導する目的が強かったのだ。
しかも、加工食品に混入した遺伝子組み換え食品によって、
ガン発症率は1.5人にひとり、
ほとんどの人の死因がガンということになった。
平均寿命は56歳、
稼ぎすべてが医療費に消える毎日を実感したところで、
ガンからは逃れることはできず、
また、保険制度や医療に追い込まれていくのが庶民の行く末だ。

わたしたち日本人が生きていたなら…
いまさら考えたところで、
わたしたちはすでに歴史上の人種に過ぎないのだ。

神よ。
なぜ、東京電力を助けたのだい?






オウム真理教事件と殺人犯の接点

2011年11月11日 21時30分37秒 | エッセイ、随筆、小説


あなたの視線の先に映る世界は何色なのだろうか。
そして、あなたが背負う事件の真相や闇を窺い知るはずもなく、
わたしの目前にいるあなたはあなたである反面、
あなたではないような印象を感じてしまうのはなぜだろうか。


殺人犯というイメージは皆無で、極悪非道さやその過酷な過去を微塵にも匂わせない無邪気さは
あなたのおそらく一面であるのでしょう。
それとも、人として生きる道とようやく出会えたというのか。
12年の刑期を終え、あの事件の真相を追求するどころか、
遠い昔話のように、風化の運命を辿る。
あなたの視線の先にはどのような世界が広がっているのだろうか。


在日韓国人の友人が一冊の本を差し出す。
「これ、前に言っていた在日世界を緻密に取材した本」と。
ブックカバーの下から見えるタイトル、
コリアン世界の旅 著者 野村 進。


わたしが在日世界をライフテーマにしていることを知った友人は、
日本人が知らない現実を知ってほしいと思ったのだろう。
確かにわたしが今まで縁を引き寄せてしまうコリアン世界よりも過酷な現実が記され、
また、わたしたち日本人が何時の間にかすり込まれている在日への差別感情を
冷静に考察したいとの思いが浮標の役割を果たす。


そして、その本の中に登場する友人は通名ではなく、
半島系、つまり、韓国朝鮮人の名前で登場するのだった。
しかも、オウム真理教の村井氏を刺殺した犯人として。


人を刺し殺す感触はどのようなものなのだろうか。
自分の意思がおよばない世界で生きなければならない背景には一体、
なにが動き、なにが消され、なにをうやむやにしようとした意図があったのだろうか。
殺人犯という過去を持つ友人がわたしの目前にいる。
人生や運命というものを思う。
わたしの頬をつたう涙には、どのような意味があるのだろう。
雨音を聴きながら、しばし自問する。






イケメントランプ

2011年11月04日 23時13分12秒 | エッセイ、随筆、小説


イケメンの写真を集めてトランプにしよう!
と、向かった先は新大久保だった。

母と娘がコリアンタウン新大久保で食材を買い出しするというので同行することに。
ヨン様の等身大マネキンに抱きつく母を他所に、イケメンの物色を。
韓流はわかるような、わからないような…レベルのわたしだが、
世界共通、やっぱりいい男は眺めていたいと思うもの。

俳優の写真を興味本位で眺めていると、
タイプのイケメンがわんさか出現、結局のところ韓流の罠にはまる(笑)

イケメンに癒され、ニヤつき、幸せ気分に浸かる。
あ~~~
オバさんの仲間入り、もしや? もしや?(笑)



※写真と記事内容はまったく関係ありません。






インナービューティー ワークショップ 青山

2011年11月03日 12時25分58秒 | エッセイ、随筆、小説


病人の気持ちがわからんと。
癒しだかなんとか口先で言うのは簡単でもな、
本当にひとの気持ち、身体、人生に寄り添うってことは、
壮絶な人生を送った者でなきゃ。
そのくせ、誰よりも爽やかに涼しい顔をして、
苦労なんぞあたしは知りませんという雰囲気なら、そりゃ本物だがな。
普通や平凡という呼称をひとは使いたがるが、
ここで生きているひとは、だいたい普通で平凡な人生など送れないっちゃ。
お約束事、お役割事、お決まり事。
さぁ~てと、ひと助け、ひと助け。



インナービューティーの追求をライフテーマにしているひとりの女性がいる。
青山でワークショップを開催するとの連絡が入り、
今夜、合流することに。

彼女が日本はもとより、世界各国で幸せに生きる人を見続けた結果、
ひと助けというキーワードにたどり着いたと言う。
内面の美というと、曖昧で、解釈がいかようにもできそうだが、
幸せや自己実現というある意味での人生の成功を突き詰めていくと、
わたしたち人類の壮大なテーマのようで、こころ踊り出す。


さ~てと、ひと助け、ひと助け。

たむら新携帯、ごち!!

2011年10月31日 15時58分22秒 | エッセイ、随筆、小説



カラトリーのぶつかり合う音、
溶けた氷がコップの中で泳ぎ、カラカラと乾いた夏のような音を響かせていた。
沖縄から戻ったばかりのわたしにとって、夏の名残りをどこかに探してしまうためだろうか、
ふと晩秋の今を記憶の芯から消し去ってくれるようなん錯覚に頬を緩めていたとき、
着信を知らせるバイブレーションが携帯をぶるぶると揺らした。


アコースティックギターが奏でる店内のメロディに身も心も預け、
新宿の喧騒を眼下に眺める窓側の席で、遅いランチをひとりで過ごす。


「たむら新携帯、ごち!!」というメールが届いていた。
たむらさんという知り合いがすぐさま思い出せなかったので、
「ん? どなた?」という返信をしてみることに。
すぐさま、「今度は番長打たんとな」ときた。


脳内は記憶を辿り、「たむら」「番長」を検索するものの、それらしき人物が思い当らなかったので
「連絡先のデータ消去&記憶力の低下で・・・」
と、わたしの事情も踏まえて、相手を思い出せないことをやんわりと伝えた。


さて、たむらさんってどなただったのかしら???
番長打たんとな・・・は、野球をやっているのだろうか。
歳のころはおいくつだろう?
男性だと思って返信しているものの、女性だったら男前過ぎる!!などと思った。
想像や妄想は勝手に次の物語を生み出し、「たむらさん」という人物に魅了されていった。
すぐさま届いたメールには
「ああっ、間違えてた!!すみませんでしたm(__)m」というメッセージが。


たむらさん、わたしの想像や妄想はもう行くところまで行ってしまっております。
いいや、取り返しのつかない領域にまで広がってしまい、
「たむらさん」を知らなかったつい数分前には戻れないほどに。


ランチを終えたわたしは、今日のブログにアップするネタを短編に興す作業と格闘していた。
「困っているひと(著者 大野更紗)」は難病をテーマに、困難な身の上を笑いに変えた一冊、
もう一冊は、「考えの整頓(著者 佐藤雅彦)」は日常という混沌の中に見え隠れする不可解さを取り出し、
書くという事で整頓してみようという試みの短編集だ。
この二冊を無謀にも流し読みをしながら印象深い言葉をノートに書き留めていたのだが、
この「たむらさん」の出現で、わたしのわくわくは一瞬にして右肩上がりに、
しかも、メールの印象からすると、
いい人というオーラが短い文体からにわかに伝わってくるから、
「たむらさん」を放置するわけにはいかない。
いいや、「たむらさん」とお近づきになりたい衝動がふつふつと湧き起こる。


ひとりひとり違った暮らしをしている日常の中で、
ふとした瞬間に、その違いが重なり合う瞬間と出会ってしまう。
今日の「たむらさん」はまさにそうで、
携帯を操作する指先の誤りか、それとも神様のいたずらか、はたまた運命の出会いというやつか、
なにはともあれ、わたしは「たむらさん」の出現で、楽しい時間をいただいた。



追伸、「たむらさん」、ごちってなぁに?(笑)






10人の祖父

2011年10月30日 19時49分30秒 | エッセイ、随筆、小説


他の文化を、生活を、価値観を冒涜するような…
と、少し声を荒げた祖父が現れた。
久しぶりの再会。
えっと、いつ振りだろう…とぶつぶつ呟きながら考える。
脳の、前頭葉から小脳、海馬にかけたあたりに電気がビリビリと走り、
身体中の熱が一点に凝縮され、そこがじくじくと膿んでいくような感覚。
すると、記憶の襞から瞬時に情報がかき集められる。


1年3ヶ月振り。
わたしが声に出す前に祖父が言う。
おまえさんがうーうーと唸って、痛みでのたうち回りながら、じじ、じじとうるさく叫ぶもんだから、
わしは旅から引き戻されて、おまえさんに会いに来る始末。
まっ、今回はわしの方が話を聞いて欲しいんだがな。
と、軍服を身に纏う祖父は歳の頃、24.5歳といったところだろうか。
当時は太平洋戦争真っ只中で、
祖父の青春は日本という国や時代に奪われていた。
自由な行動はもとより、自由な言論や思想などは許されるはずもなく、
ひたすら祖国のため、神と崇めた天皇のために命を散らすことだけが使命とされた。

不謹慎とは知りつつ、どれだけのいい男が犠牲になったのかと想像を馳せた。
アルバムに収められたボロい写真ではわからなかったが、
目前にいる祖父は背も高く、身体もしっかりして丈夫そうだ。
力強い眼差し、低く掠れた声、浅黒く日に焼けた肌がセクシーでたまらない。
身内がいうのもおかしいが、なかなかの色男だ。

おまえさんは自由なのか?
祖父はわたしの顔を覗き込みながら、どうなんだ?と訊ねる。
昭和の、あの戦争のニオイが鼻先を占領する。
なにかが燃えるニオイ、
錆び付いた金属のニオイ、
濃い土や草のニオイ、
血のニオイ、
死んだ人間のニオイ、
祖父はわたしの細胞の中で生きている。
そして、わたしの意識とリンクして、時空を超えて奇妙な問いかけをしに来る。
わたしを困らせたいわけではなく、わたしに考えることを放棄させないために。

日本人に右肩上がりの豊かさや総中流意識を植え付けた高度経済成長、
狂乱のバブル経済、奈落への扉を開けた経済崩壊を経験したとはいっても、
わたしたちが自由であり、
自由な言論が約束されているとはわたしが思えないのはなぜだろうか、と考え込んでしまった。
祖父が身体を揺らすたびに、腰に吊るされた銃剣は不気味な金属音を鳴らして
わたしたちの身近には決してないニオイや音から
覚醒の後押しをさせるような、不思議な気持ちのままどれだけの時間が経過したのだろう。

24.5歳だったはずの祖父は、いつの間にか今世のお別れをした年老いた姿に変身していた。
また視線を窓外に移した間に、出兵前だろうか、
まだ幼さ残るあどけない年頃の祖父が、わんわんと声をあげて泣いている。

見えない戦争の中で生きるおまえさんに申し伝えたいことがある。
おまえさんは自由か、幸せか。
都合よく作り出される価値観や常識といったまやかしに、騙されちゃいかん。
わけあって馬鹿になったおまえさんだからこそ、
おまえさんにしかわからないこと、おまえさんにしか見えない世界を
わかりやすく世の中に伝えていく必要がある。


祖父はまた旅に戻ったのだろう。
昭和のニオイが薄れ、何気ない日常が目前に広がっている。
ダージリンの深い香り、深呼吸をひとつ、ふたつ。


透視と物語を発現する力

2011年10月30日 06時57分29秒 | エッセイ、随筆、小説


選ばれてしまったのよ。
あなたは天からの御使い者だから。
ビジネスをやっていくことはもちろん出来るのだけれど、
引もどされるわよ?
あなたが本来、やるべき使命の道に戻されてしまう。
今までもそうだったはずよね?
なぜならば、あなたは先駆者であり、
道を作り、道を正し、啓蒙することこそが使命だから。
そのような人生だと自覚なさっているし、納得されているはずよね?

忘れていた記憶が蘇る。
虹色の色彩の中で見え隠れするわたしの大切な人たちの姿。
雲の合間からもうひとつの世界が広がっていて、
わたしはその扉の向こう側へ出入りできる自由を得ていることを
ふと思い出す。
だから護られている。
その引き換えとして、普通の人生を歩めないという約束のもとに生まれてきた背景を、
記憶の襞は眠っていた細胞をまるで呼び覚ますかのように、
わたしの心身に、血に、骨に、肉に自覚を植え付けていく。
七色の色彩の中で見え隠れする大切な人たちは、
この世の人たちではない。
わたしは虹を見つけるたび、
眩い光の中で走り回るとき、
消炭色の闇の中に浮かぶ金色の月をぼんやりと眺めるとき、
あるときは夢の中で、大切な人たちと語り合う。
わたしが泣いたり、わたしが笑ったり、わたしのあらゆる感情を受け止め、
引き受け、受容し、ときに抱きしめて包み込む優しい人たち。

透視のできるある中小企業診断士の先生から、
わたしのアイデア、起業プランを伝えると、
そもそもあなたはこの世には生きていない人なのよ、と言われた。
もしなにか…というなら、ハーブに関係すること、
あなた、確か漢方にお強いわよね?と続き、わたしは頭をこくりと下げる。
いままでの経験をハーブや漢方を使って人の役に立つ道こそが
あなたの物語を発現する力になる。

封印していた透視力を見透かされたような気分に包まれたまま、
わたしの歩むべき道に引き戻されてしまう運命を、
人生を想う。









沖縄ブセナテラス

2011年10月27日 22時01分34秒 | エッセイ、随筆、小説



空になりました。
雲になりました。
波になりました。
海になりました。
風に、光に、あなたに、わたしになりました。


沖縄への旅。
海に浮かんで一日を過ごしていると、みんながつながっていることを感じる。
この世界の仕組みも、その世界の醜さも、この世界の美しさも一手に引き受けた沖縄という地で、
これからの人生について、考えていました。





AYURA 東洋医学できれいになる

2011年10月21日 08時04分25秒 | エッセイ、随筆、小説


わたしが勉強している「美脳かっさ」という中国の伝統療法がある。
それはもともと水牛の角を加工して使用していたという話もあるが、日本では陶磁器製が主流だ。
わたしの先生は韓国かっさ(韓国でも独自の発展をした)を元にしているため、
陶磁器といっても、正直、実用性はあるがデザイン的な視点では・・・
と、コメントは差し控えたい。


さて、かっさプレートを調べていると、AYURA化粧品から「美かっさ」というものが販売されていた。
ぜひ、実際に見てみたいと思い、テナントを出しているいくつかのデパートへ連絡を取ることに。


第一印象は、「美しい」と思った。
女性らしさ、柔らかさ、しなやかさ・・・といった言葉が次々浮かんでくる。
日本のデザイン力やセンスのよさを誇らしく思うとき、自分が日本人だと気づかされる瞬間でもある。


わたしが伺ったのは西武所沢店だった。
2階の小さな一角に、AYURA化粧品はあった。
なにしろここが気に入ったのは、対応してくださったかわいいお姉さんたち(スタッフの女性たち)の
素敵な笑顔と対応にある。
名前は出さないがフランス系のある会社のお姉さん方は、
わたしがヘビーユーザーであることも見抜けず、常に初心者を扱う態度に辟易した結果、
その商品は購買まで至らなくなった。


思わず持ち歩きたい美かっさプレート。
写真ではよくわからないかもしれないが、本当に愛らしい作品のような商品なのだ。
これで顔や身体のリンパを流し、小顔に、デトックスに、効果を発揮する。
うっしっし・・・(笑)




※店名や商品名を出していますが、本当にいいと思ったものなのでここでご紹介することにしました。
 どうぞご理解のほど、よろしくお願いします。


無心の合掌

2011年10月20日 09時40分58秒 | エッセイ、随筆、小説







あの山を越えたら・・・



と、自分に言い聞かせ、いくつもの山を越えてきました。
生きるとはそうした山を越え続ける行為そのものなのでしょうが、山を越えるには体力が必要です。
わたしにはその体力がなく、すでに折れてしまっている杖を支えにするしかありません。
とはいえ、生きていると幸せなことに出会えます。
おしゃれをする、おいしいものを食べる、いい人に出会える・・・
だから、生きていても悪くない、そう思えるようになりました。


申し述べたいこと、がある。
伝えたいこと、がある。
耳を傾けてもらいたいこと、がある。
それゆえ、小説を書く。


作家、司馬遼太郎さんの著書、人間というものの余白に書かれていた言葉になります。
申し述べたいこと、伝えたいこと、耳を傾けてもらいたいこと、だから言葉を綴る。
それが天命なのでしょう。


無心の合掌はときにさまざまな無意識を引き出していく。
わたしが何者であるかということさえ。