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風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

人間を見つめる

2011年12月27日 16時24分45秒 | エッセイ、随筆、小説



浄閑寺にたどり着いたとき、わたしは泣き崩れてしまったの。
確かあれはほおづき市の四万六千日の夜、
身請け先の旦那さんと浅草寺詣に出かけた。

町がね、あまりにも賑やかで煌びやかで華やかだったから、
急に首をもたげた罪悪感に苛まれてしまったの。
わたしはこの旦那さんに救われる。
大金をはたいて、わたしの身請けを覚悟してくださったひと。
なのに、幸せに慣れていないせいか、急にすべてが恐怖でしかなくなってきて、
境内まであと少しという揚げ饅頭屋のあたりで、
旦那さんの手をするりとほどいて、逃げ出したの。

吉原に身売りされたのはわずか5歳のとき、
それからというもの、わたしは生きた心地がしなかった。
色情の世界は地獄絵そのものだったから。
当然のように地獄絵から離れたいと強い思いを秘めるほどに、
なぜかわからないのだけど、
旦那さんの深い愛情が、疎ましくしか感じられなくなるの。

吉原はわたしの身請けが決まってからは、
浅草にひけをとらないほどのお祭騒ぎでね。
飲めや歌えと笛や太鼓の音色が町中に鳴り響き、
花魁のわたしはますます美しさに磨きがかかり、
男たちは目眩を覚えると言って、わたしをもてはやしていくの。
旦那さんも満更でもないといったご様子で、
幸せそうにして、いつも穏やかに微笑んでいた。

あのときわたしは、身体を使って男たちを癒していたのかしら。
今世のわたしは、こころを使って人々を鎮めるお役目、
人間を見つめる仕事が天職になる。

それからね、あの旦那さんを探し出すことが命題。
わたしの魂がしくしくと泣いているの。
旦那さんが恋しいと言って、泣き止む気配がないの。
泣くほどに魂の記憶が鮮やかに蘇ってきて、
たとえば肌の感触やニオイやわたしを抱きしめる際の癖にいたるまで、
あのときのままなの。
鎮魂が必要なことをいまさら気付かされてみたものの、
旦那さんはどこにいるやら。
外見、年齢こそ違っても、
魂の時間軸はあの日からなにも変わってはいないの。

だから、この世に生まれる。
会わなければ、やり直さなければならないひとの存在が、
青い地球に生を宿らせる。
幸せになるまで、ひとは生まれ変わりを繰り返す。






Sweet Memorys

2011年12月20日 07時34分22秒 | エッセイ、随筆、小説


昔の恋人からの連絡。
わたしは複雑な心境のまま、
脳裏にうっすらと浮かび上がる甘い白檀香のような日々に、いまさらなんと声をかければいいのだろうか。

Also you asked me why I write you worrying about you. I'll always remember you & be concerned about your well being.
...
20年前の恋人は静寂を愛し、
10年前の恋人はアメリカで新しい命の誕生を待ちわびているという。

I really do not know yet what kind emotion I have.
but still they make me very much sweet pain.
why?
ask myself.







希望の色彩

2011年12月19日 07時16分35秒 | エッセイ、随筆、小説




歩けること
話せること
聞こえること
見えること
感じること
約束できること
夢や希望を持てること


「普通」というものの有難さは
「普通」と無理やり引き離されたひとたちには、痛いほどわかる。


ふと、空をみた。
朝焼けに染まる緋色の色彩は、
生の、または死の導きだと、
確か、生前祖父が大切にしていた色だと思い出しながら目覚め、朝を迎えた。
一日がはじまる。


浄化された朝の光景は、
希望の色彩で溢れている。






素敵な一週間を・・・





人権問題の髪型

2011年12月13日 21時26分21秒 | エッセイ、随筆、小説



「この髪型って、人権問題ですよー!!!!!!」
と、ぷんぷんと鼻息の荒い口元を尖らせた寺地は、
気に入らない髪型にさせられたことに憤慨している様子、
「あなた、こんな髪型にするなんて、障害者のわたしを見下しているんでしょ?」
と車椅子の端を佐竹さんの弁慶の泣き所めがけて、突進し兼ねない。


「寺地だって女として28年間生きてきたのよ。
そ、そ、それをこんなへんてこりんな髪型にするなんて。
まるで、ブッタ(マンガ、聖 お兄さんのブッタを指す)か一昔前に流行った不良かチンピラの頭、
中途半端なパンチパーマって感じでしょう、これーーーっ!!!!」


さて、どうしたものか・・・と考え込む寺地。
いつもより長めに湯船に浸かり、湯の中でぶるぶると唇を震わせ、
「生まれて初めてのデートだったのに、こんな髪型じゃ・・・」と肩を落とす寺地。


断ったらもう二度とデートのチャンスなんてなさそうだし、
かといって、こんな髪型でデートの待ち合わせ場所へ行ったら、
トイレに行ってくるといったまま、彼はわたしの元へ二度と現れそうにはない。
チャンスをみすみす逃すか、それともこの髪型を理由に振られるか。
どっちも悲しすぎる・・・・・


「お電話ありがとうございます。F銀座店でございます~」
「もしもし、明日予約をお願いしたいのですが・・・」
と、寺地はかつらメーカーへ連絡を入れる。
「えっとですね~、わたし、禿げてはいないのですが、髪型がブッタなのでかつらが必要になりまして」


佐竹、覚えてろー
請求書はお前に送り付けてやるのだ~!!!!!
by 寺地(笑













国立障害者リハビリテーションセンターについて③

2011年12月07日 07時13分38秒 | エッセイ、随筆、小説



助けてください。
わたしを、あなたを護るために。



「明日、お話合いをする日時調整と同席するメンバーをお伝えします。
午後17時15分頃にお電話差し上げます」


その数時間後、わたしの個人情報を収集する職員。
だから言ったのだ。
「あなたの一連の行動言動は信用に値しないので、外部からそれなりの人の同席が必要だ」と。


障害者というレッテルの中でここに居ざるを得ない立場、
わたしは考えさせられてしまうのだ。
この人たち、つまり、福祉行政に関与する公務員の資質や行動心理において、
障害者という立場の人たちを、根本的に人間としてなど扱っていないのだという事実に。


たとえば偽善という表現を使おう。
飯の種=仕事ということでは、おそらく福祉という仕事を請け負えるだけ楽ではないと思う。
また、健常者の中で生きる、生き抜くにはなんらかの弊害やハードルがあるような人たちでも、
障害者や高齢者の中では、健常者として「その人の立場を護る」ことにいはなっていないのだろうか。


劣化する日本人、
なぜ、言葉が理解できないのだろうか。
なぜ、約束や取決めの大切さ、信用を構築するための行動というものがわからないのだろうか。



助けてください。
わたしを、あなたを護るために。





情報操作について

2011年11月30日 05時26分40秒 | エッセイ、随筆、小説


情報操作については、わたしは交通事故を契機に痛感させられた。
どのようなことかというと、例えばこんな感じだ。

病傷名を取り上げるとき、原因不明とされてきた○○は原因が解明されました。
治療法は○○病院の○○医師がこのようなことを行っています、と紹介。
すると、○○医師の治療を受けた患者が登場し、
先生のおかげで完治しました、と発言する。
新聞紙面上では満面の笑みの患者が掲載されていたり、
テレビでの特集では、生の声として、インタビューを受けている。
その前提は、「元気になりました」や「治った」をアピールするためにだ。
が、実際にはその治療法では快復していない。
なぜ、そのような断言がわたしにできるかというと、
病気仲間がその役割を担わされたことが過去にあったためだ。

友人曰く、何十箇所もたらい回しにされ、ドクターショッピングを余儀なくされた患者にとって
医師や医療者の理解や共感は何ものにも変え難い宝なのだという。
また、たとえ1%の望みしかない治療法であっても、
そのわずかな望みにかけてみたいとの心境が生まれる。
なぜかといえば、それだけ体調の不具合や不調は辛く苦しいものだから。
また、ようやく見つけた理解者である医師を信じ切っているため、
この医師が救世主のごとく映り、冷静な判断がしずらくなってしまう。

なぜなら、それだけ医療や医師に理解されず、
ズタズタに傷付けられ体験を皆がさせられている背景がある。
もう他の医師を探さなくていいという朗報ほど、
患者を安心させ、救済する手立てはないのだから。

その医師からお願いされる。
○○さん、今度取材を受けるので、マスメディアに出演して欲しいと。
以前よりは体調がよくなったことをお話してください、と。
友人は治療によって劇的に快復したかのごとく、誘導されたと気づかないまま質疑応答に応える。
ある部分のみを切り取り、友人が笑ってケラケラした表情であればなおさら、
受けてには「治った」印象を与える。
が、いまでもその友人は治るどころか寝たきりでいる。
その当時を振り返ると思うのは、お世話になっている医師のお願いを断れなかったし、
もし断ったり治療の悪評を発言したものなら、
病院から放りだされでもしたら、また医療難民になってしまう。
ドクターショッピングで消耗させられるのも傷付けられるのも懲り懲り。
だから協力したという。

原因不明の痛みや症状で苦しんでいるひとは世の中には多数存在する。
手術やわたしたちのような交通事故の後遺症を抱える患者は、
医学が進歩するに従い増加する。
医療側が考える命を救うことと、わたしたち患者が考える健康を取り戻すこの両者間には
解釈も双方の温度も、もっといえば目標や利益が相違するためだ。
一命を取り留めることは大切なことだが、
それとその人が生きていくために必要なことや体調の負担軽減とは別問題なのだ。
命を取り留めても、一生莫大な医療費用が必要な体では、
医療費用を捻出できない=死を意味する。

不定愁訴が主訴の場合、(症状が多岐に渡り不調の原因、自律神経に関わるもの等))
西洋医学では対応できない場合と多々遭遇する。
医師はおばけでもみるかのように、教科書どうりにはいかない取扱説明書のない患者に苦慮する。
しかも、慢性化した場合の患者は医師の不利益、
つまり、多忙の原因にはなっても利益にはつながらないため、
快復しない患者を前に、あるときは性格の問題にしてみたり、精神科受診を強く勧めたりして、
厄介払いに必死になる。

となると、もしかしたらわたしを理解し救済してくれるかもしれない望み、
医師や治療法を求めて、全国から患者が殺到する。
その分野で弱者の味方、神の手のごとく取り上げられる医師の予約
数年待ちという事態も不思議ではないのだ。

情報操作について追求するのであれば、
医療分野では手術の成功率などがいい例だ。
例えば、そもそもリスク高い患者を受け入れていないとか、
手術可能で、なおかつ失敗するリスクのない患者を入り口の時点で選別すれば、
病院側はとてつもない数字を作り出すことは可能になる。

余談ではあるが、
例えば国立職業リハビリテーションセンターが
アルバイトやパート、非正規雇用でも就職という過大解釈ありという中では、
あり得ない数字が就職率として算定される。
また、国立障害者リハビリテーションセンターがセンター内での事故隠蔽をすれば、
ここで発生している事故は、数字上では「ないこと」として、
広く世間一般に向けた印象操作が可能になる。





































国立障害者リハビリテーションセンターについて②

2011年11月28日 19時04分31秒 | エッセイ、随筆、小説




社内での事故や怪我は労災となる。
社内だけに留まらず、通勤に関してもそれにあてはまる。
学校での事故や怪我もそれ相当の対応となる。
が、ここ国立障害者リハビリテーションセンター内での転倒事故に関しては、
3週間経過した現在でも、なにひとつ対応をしない。

日本という国や国民性の特性や縮図であるのかは知らないが、
真摯な対応ができないのであれば、こんな施設は潰してしまえばいい。

税金がどれほどかかっているのかは後日お知らせするが、
少なくとも、厚生労働管轄の、日本一だと謳われるリハビリテーションセンターの現実がこれならば、
国として必要な施設ではない。

無駄に税金が使われるのであれば、ここの予算を東北の復興へまわせばいい。
なんらかの不自由さを請け負ったわたしですら強くそう思うのだから、
どれほどずさんな対応であるかは、想像容易いでしょう。













国立障害者リハビリテーションセンターについて

2011年11月25日 18時58分12秒 | エッセイ、随筆、小説


もし危ないと思うのであれば、四つん這いで移動してください。


入寮時、車椅子専用のお風呂を使用するように強く言われた際、
立位であるわたしが怪我をした場合の責任の所在は?と質問したことを思い出す。
担当者であるケースワーカーは返答に困っていたが、
こんなずさんな対応がまかり通っていることがまず信じらなかった。
障害者になるということは、こういうことなのか。
障害者といっても様々なので、権利や人権などを声高く叫ぶつもりはない。
が、疑問を払拭できない出来事があまりにも多くて、
とにに税金の使い途、福祉の闇深さに辟易させられるのだ。

ここは国の、障害者リハビリテーションセンターである。
だれしもが想像するだろう、
障害者に配慮したシステムが導入されていると。

先日、わたしは共用部分である場所で転倒し、手足を骨折した。
こぼれた水に気づかなかったわたしにも落ち度はあるが、
こぼれた水を拭けない利用者との共同生活自体が、
そもそも無理の押し付けに感じてしまうこの頃なのだ。
幾度となく危険については言及してきたが、
改善はもとより、話を聞くまでに至らなかった。
また利用者が騒いでいる。
風呂場で転倒し何針も縫った利用者がいたり、
イジメによる車椅子転倒で頭部強打した利用者に対しても、
まともな対応は皆無のまま、今日にいたるわけだ。
確か、去年は食中毒被害を出しながら、
その後も衛生管理は万全ではなく、
賞味期限切れの食品は出回る始末で、気づいた利用者のものだけを回収している始末。
ここでの論理は「自己責任」なのだそうだ。

利用者の中には前科者もおり、
薬物乱用履歴のある者も少なからず在籍している。
当然のことながらこうした情報は、
入寮後に利用者から注意事項として聞かされて知ることになる。
部屋に侵入してこようとした輩がいたが、
もし襲われても「自己責任」で、センターには一切の責任はないのだそうだ。

センター内で怪我をしたわけだが、
センターとしての対応はまったくなされていないのが現状だ。

鷲田清一著書、大人のいない国を読む。
障害者リハビリテーションセンターでは日本一だと聞く施設の内情は
この国の縮図か、この国の本来の姿か、この国の狂気が内包されている。
この国で夢や希望を望む者たちが、本当は無知なのだと思い知らされる。
そもそも、この国には大人などいないのだから。


※記録として事実を残したいとの意向があり記載しました。
暗い話に終始し、申し訳ありません。
























赦す

2011年11月21日 09時49分24秒 | エッセイ、随筆、小説


あなたが意味にこだわるというのならば、
そっと告白しましょう。
わたしたちが生まれてきた理由は、赦すためです。

魂に刻まれた記憶を、
ネガティブな思いを、
些細なことで自分や他者を傷つけたこと、
いまも過去も、もっと以前から、
もしかしたらあなたの名前がいまとは違うかもしれない遠い日へ遡る。

赦す。
あなたを抱きしめて欲しいのです。
あなた自身が、かけがえのないあなたの心身を、存在を。






浄化された朝に

2011年11月18日 07時19分38秒 | エッセイ、随筆、小説



朝が浄化される光景を眺めていると、
「あっ!!そうだったのか!」と気づくことがあった。

継続する時間、毎日の中で、朝は昨日からの連続・・・と見せかけつつも
本当は切り離された時間なのだということ。

過去からも、昨日からもなにひとつ制約を受けない中で、生まれ変わる時間。
だから、誰でもが「新しい自分」に生まれ変われる。
新しい自分と出会える。

落葉樹の遊戯、鳥たちが朝の訪れを知らせる。
岐阜の街並みを歩き、この場所から生まれる風と語らい、自分の矯正に励む。

高山線に乗り込む。
駅員と他愛ない会話を交わし、優しく響く方言にこころ奪われていく。

浄化された朝に、生まれ変わった「新しい自分」がさまざまなひとや出来事と
ユニゾンを奏で、魂を震わせる。

生きとして生けるものすべてが愛おしい。
なぜなら、あなたはわたしだから。
ありがとう。