りえちゃんの恋
それは無理だよ、とわたしは思わず口にした。りえちゃんは「なぜ?」と言わんばかりの表情を浮かべる。右斜めに傾けた顎先は憤慨を主張、それはお決まりのパターンだった。子供の頃からそれで親や周囲の人は騙せたかもしれないけれど、わたしには通用しないからね。
声が響いたのか、満席の店内は一瞬静寂に包まれた。すぐさま、一斉にわたしたちの席へ視線が集まり、りえちゃんは梅干を頬張ったみたいに表情を鼻のあたりに集め、くしゃくしゃした顔の前で、右手を下から額まで引き上げ、すみませんという意味の手話の仕草をした。
なんで?とりえちゃんは続ける。わたしは長い溜息を吐いた後、冷めたコーヒーを啜った。マグの底にへばりついている茶色の液体を、だれが最初に飲んでみようと思ったんだろう。しかも、焙煎すると味が引き立つことを発見するなんて。このままくだらないどうでもいいことを、真剣に考えていたい。りえちゃんがわざとらしく咳払いをふたつした。
なんでってさ、自分の障害の重さを考えてみてごらんよ。ご両親が亡くなった後、ひとりで生きていく自信がないからといって、寂しがりやだから彼氏が欲しいって? それも、健常者で長生きしそうで、しかも背が高い人。8歳くらい下って、そもそもりえちゃんは今年42歳になるわけだよ? その8歳歳下の彼はどこで出会うわけ?
熱くなると、話ながら息を器用に吸い込めなくなるわたしは、軽く走った人みたいに、ぜいぜいと胸を鳴らした。だからね、まゆみちゃんに見てもらいたいのよ。だ、か、ら、いつもみたいにあれお願い。
メニューを開き、本日のオススメデザートを指差した。仕方ないなぁ~と言いながら、りえちゃんは店員さんに手を振る。これふたつ、とメニューを指差して、コーヒーのおかわりをお願いする。また、なぜかわからないが、手話のすみませんが出た。りえちゃん、聴こえるでしょ? なんで指先で言葉を奏でるわけよ?
透視は疲れるから嫌なのよ。しかも、りえちゃんのわがままに付き合えない。心の声が聴こえたのか、そう嫌がらずに。注文したケーキ二個を差し出し、これ全部、まゆみちゃんが食べていいからね。だから、お願いします。りえちゃんの首からぶら下げている携帯がぶるぶると震えた。あっ、と声をあげ、この人ね、8歳下なの。りえちゃんは着信ボタンを押した。
もしもし、りえです…