goo blog サービス終了のお知らせ 

風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

患者の福音

2007年10月06日 01時54分50秒 | 医療









「まさか・・・・・・」と主治医。

某医学学会へ連日通いつめたことに驚き、

『ご厚意を拝受した教授への御礼をお伝えしなくては恩義に反するでしょう?』と私。

唸る主治医。

『執念よ』と言いながら差し出した。

品川駅構内でしか販売していない100%ジュースに酢が入ったものを飲んで、

忙殺の日々、主治医の過労を知ってしまった以上、

それを飲んで私の体調は底上げしたから、今度はレポート宜しくね、と言うと、

その差し入れの重さに「嫌がらせだ~」と主治医。

にこにこしてる。









院内職員の多くの態度が変化した。

主治医が私と仲良くしている看護師へ連日学会が終了してから

点滴や診察に来ていることを告げたらしく、それを他職員も耳にしたらしい。

当初、主治医の口演のためだけに行くのだと思っていたのに違ったのね、

主治医よりもあなたの方が上よ。

あなたの方が患者でありながら疾患にも詳しく、

また、主治医を信頼している姿勢が彼もあなたには心を許してなんでも話すのよ、と。

しかしよくその身体で・・・と言われたので『執念です』と二度言うことになろうとは。







そうなのだ。

この執念の実現は、私ひとりの力ではなく、多くの方々の恩恵の上に成立している。

かき集めふりしぼった力は、患者としての集大成となる今回の機会への参加を希求し、

私の、主治医のうしろには他疾患を含む患者の未来を左右し兼ねないことを感受し、

私にとって人生の、疾患取り扱いの転機となることを実感する3日間となった。






ご厚意だけでも有難いのに、

御礼をお伝えするために大学病院関係者にその旨を伝えると、

おそらく教授の部下であろう医師はすぐさま関係者へ指示を出し、

初日とはメンバーが相違しているためか、カラーがその教授色に変化していた。

虹のように七色に。

疾患などに対する意見交換をさせていただき、私はあらためて御礼を伝え深々と頭を下げた。

いつでも連絡をしてください、お待ちしていますから、との医師の言葉に

医師の懐の深さや人格の形成の陰に隠れた悲哀を、少しだけ嗅ぎ取った心境になった。








ご縁とは不思議なものだ。

そして、その恩恵は私ひとりだけの力で成せるものではなく、

また、それをあしたへ続く方々のために役立たせなければと自分と約束した。

神様(盟友)とも約束をした。

じーちゃんともばーちゃんとも。

もちろん、主治医たちとも約束をして、心の中で感謝した。

みなさんのお陰様によって生かされているのだと思った。

























 


寄り添う医療へ

2007年10月05日 08時22分50秒 | 医療







他の医師は知らない。

けれど、少なからず2名の主治医の忙殺されている毎日は垣間見ているつもりだ。

その方々が「寄り添える医療」を行うことができ、多くの他はできない。

根本的に医療が向かおうとしている方向性に問題が多いのだということを痛感した。








現代は技術が進歩したことによって、

以前であれば原因不明とされた疾患なども発見は可能になった。

がしかし、発見はできる。疾患名もつく。治療法だけが暗礁にのりあげている。

それは私たち疾患に限らず、ガンの世界でも叔母が切り捨てられ殺されたように

どの病気でも体が壊れるという時点で、覚悟をしなければならない医療の現状だ。








私は思う。

治すことも課題かもしれないが、健常部分を破壊してまで、

多大なリスクを負う治療を行ってまで、果たして医療を受けさせる、

または受けさせ続けるための脅迫をしなければならないのか、と。

つまり、患者に寄り添うように、現状維持を保つための努力こそが

暗礁に乗り上げている疾患における最大のテーマではないかと思えてならないのだ。

治療を行わなかった者の症例比較は無であり、

一生を通し病体が変化していくという大事な部分も見落とされており、

では、何を彼らが知っているのか、何を言いたいのか、というと、

やはり考えてしまう。

一部ですが治せました、ただし、治ったと言わせられなかった患者の今は

答えることができないのだと想像容易い。

切り捨てたのか、それとも患者が転院希望したのでなどと、

また患者のせいにして逃げるのだろう。







なぜ、疑問を持たないのか?

なぜ、患者の現実をみようとしないのか?

なぜ? 私の脳裏には常になぜ?という言葉が浮かんだまま消えてはくれない。

傲慢な言い方かもしれないが、あの程度の口演なら、

治療を行わずにいる患者症例として、パワーポイントで資料作成し、

私が前例のない症例となり語った方がよっぽど意味がある。

それに関心の持つ医師のみが「私」を研究材料にすればいい。









今日はさすがに眠れなかった。

宿題をやり忘れた子供のように、

あの傲慢ちきな医師の軍団の中にいることが苦痛なのだろう。

早くは寝ていないのに午前3時にお腹が痛くて目が覚めた。

それからずっとトイレに篭ったまま、朝を迎えた。

体は正直だ。

また、私の感受アンテナが、彼らが信じて疑えない医療根底に存在する欲望を感知し

それを2日蓄積したことで、排出が必要となったのだろう。

昨日は病院に到着する以前から強い吐き気との格闘だった。

今朝は腹痛。

明日からの3連休は死んだように休むため、どうにか今日を乗り切ろう。

あの傲慢な空気漂う口演者の強欲の中で。






※口演者に対する誹謗でなく、研究結果とするものが比較検討されていないこと。

 また、それについて質問者(医師)の疑問や批判は患者として当然であると思い、

 質問者の医師レベル、人間としても高度であることが窺えるため、

 私はそれによってやはり医師を選ぶのは患者が賢明になることだと痛感する。








私の大切な2名の主治医へ

2007年10月04日 20時37分24秒 | 医療







後ろ姿をみたんだけど、口演ぎりぎりの時間に到着したから

滞在時間、わずか30分だよ、と主治医は言った。

だから声をかける時間がなかったといいたいらしいが、

怪しい・・・と訴える視線を浴びせると、

本当だよ、病棟を診て学会、その後外来、これから手術だよといって

患者である私が彼の健康を案じる言葉を伝える結果となり、別れた。







私が目的とする学会演目が終了したのが1時半、

その後、病院へ行って点滴と受診の受付をしたが、

主治医はこれから手術を1例行わなければならないと看護師に伝えられ、

受診は明日で構わない旨を伝えた。

帰り際、ばったりエレベーターホールで主治医と会った。

学会で後姿をみかけたんだよ、とニコニコして笑っていた。

何千人という医師の顔つきや口演を拝聴していると、

私はこの二名の主治医との出会いは奇跡的なのだと痛感したのだった。

彼らと出会う前には長い道のりがあった。

なんど医師に傷付けられ、蹴飛ばされ、ずたずたに切り裂かれたかわからない。

けれど、今思うのは諦めなくてよかったということだ。

私は彼らと出会うために、嫌な思いをしてきたならすべてを水に流そうと思えるのだから。








いろいろな医師とこれまでもお会いしてきましたし知人に病院経営者もいたため、

医師との距離は比較的近かったはずです。

けれど、実際宴会の席にお付き合いすることは可能でも、

受診となると誰のところにも行かなかったのが現状ですよ、と私は言った。

私は続けた。

神様などと軽々しいことは申しません。

けれど、やはり先生という人格をあれだけ体調の悪い中で嗅ぎ分けた直感は

見事だったと思うのですよ、私が。

そして、あなたも寄り添う姿勢をみせ、私の無理難題に逃げずにいる。

患者ではなく対等な立場で捉え、その姿勢に敬服しているのです、人間として。

私はあなたともうひとりの主治医しか医師として認めていないのです。

他の医師からすれば何を生意気な・・・とおっしゃるでしょう。

けれど、彼らは国家試験に合格したというだけで、医師の仮面を被った化け物です。

あなたの負担にはなりたくない。

けれど、私にもしものときがあったら、あなたに最期を看取って欲しいと思っています。

そう言いながら、私は泣きそうになった。

いや、病院の玄関を出た瞬間、ごうごうと涙が溢れた。

手術があるときは緊張して自分が医師として見合う人間なのかと脳裏を過ぎるんだよ。

以前、主治医との診察の際の言葉を思い出し、

手術前だというのにあの笑顔をみせられるとなんだか申し訳ない心境になって

できるだけ主治医へ負担をかけたくはない、と私は内省をした。









介護ホームから運ばれてきたおばあちゃんには肺炎の疑いがあるらしい。

当初診た医師は常勤でないことを理由に入院許可を病院側にお伺い立てるのを嫌がり、

点滴だけの指示で、そそくさと帰宅したらしい。

介護者の女性は聡明な方で、では他の内科医の指示、

もしくはレントゲンで肺の影を確認する必要を訴えた。

が、看護師は一度医師に聞いてみたけれどそれどろこじゃないということなので、

点滴が終了したら一旦帰宅してもらい、

もし本当に肺炎であれば救急車を呼んで搬送してもらってください、と平然と言った。

ちょうど、そのやりとりが処置室で終了したとき、私の点滴も終わったため、

その介護士の女性が家族へ詳細を伝えている連絡終了を待ち、声をかけた。

点滴中、やりとりを聞いていたのですが、もし宜しければお話お聞かせください、と。





名刺の交換をした。

まだ、この病院は受け入れる方だという。

おばあちゃんには主治医がいるのにその病院では主治医が不在とのこと、

入院も診察すら拒否し、5件目でこの病院が通常外来として引き受けたものの、

結果、常勤ではない医師は指示だけを出し帰宅した。

その後、このおばあちゃんが肺炎で生死に関わる事態に陥ったとき責任問題に発展する。

介護士が医師や看護師の氏名をメモしていた。

なんどもドクターと直接話ができないか、電話だけでもいいと訴えている横で

おばあちゃんの熱は39度まで上昇していた。

医療機関同士の提携もなく、他院へ勧めながら医師が連絡をすることもなく、

かかりつけ医や病院があるのに受診を拒否してくる。

彼らにとって老人はもはや人間ではないのか?

自分が同様の扱いを受けるときがくるとの想像力の欠片は持ち合わせていないのか?









明日で学会が終了する。

今回特別招待客として私を迎え入れてくれた医師への御礼を伝え、

某大学の画像判断における特許技術の口演を拝聴し、

いつものごとく、病院へ向かい点滴と主治医との対話。

同級生のレスキュー隊員から紹介を得て救急を取り扱う観点からの医療への視点、

某テレビ局の医療取材班、

介護士への取材のアポイントをすべて取り付けた。

いざ、執筆に専念する。

患者として何を見聞きしてきたのか、何が起こっているのかを

私は私になりの私見で脱稿を目指す。







頑張れ、私。

負けるな、私。










某医学学会と主治医との対話

2007年10月03日 23時15分56秒 | 医療






早朝から某医学学会出席のために会場へ向かう。

ハードだ。

目的である演題を拝聴した後、病院へ戻り主治医への今日の報告と点滴。

主治医とは本音で医学についてぶちまけたが、

某医学学会での医師の発言やカフェ内で繰り広げられる「金になる手術」の話は

申し訳ないがあまりにも怖すぎて、ここでは書けない。

芸能人を使い患者を増やす医師。

患者をスピーカーとして医師の勧める処方によって九死に一生を得たという患者の声。

私には何もかもがまやかしに見えた。

けれど、質問者として手をあげた医師には強い共感を覚えたりした。

激論だ。

私が患者だと知らないからいえるものの、女性および患者蔑視発言は

ミーティングでは当然かのようにその演者は繰り返す。

そして、私の腹が立つ。煮えくりかえる。






書けない、ここでは。

いずれ何かにまとめて発表できること、その脱稿日を年内と決めているが、

すごい世界を垣間見たと同時に、私が持つ二名の主治医のまともさや

人格の奥行きが再確認され、なんだか愛おしくてたまらなくなった。

医師の顔をみればわかる。

何を目的として医療に従事しているのかを。

それを患者が選択し、切り捨てるときには切り捨て、

その決断を必要とする場面に遭遇した場合、

それができなければ人生が狂わされると痛感した。

命が代償となることも。







明日も朝6時には家を出る。

私の疾患に関する演題が午前中に集中し、

主治医の口演は別会場であるものの格好をつけて参加するらしいので

その格好の付け方をみてやろうじゃないか、と今日言ったら

別人に見えればいいなぁ~とのんきなことを言って私を笑わせてくれた。






書きたいけど書けない。

このジレンマをどこへもって行けばいいのか・・・・・・・

 

 

 


某医学学会

2007年10月03日 08時02分27秒 | 医療









今日から開催される総会へ出席が許された。

医師でもなく、製薬会社関係者でもなく、患者として入るのは私が唯一だということ。

3日間のスケジュールをくまなくチェックし、

その中には拝聴したい演題であるにもかかわらず時間が重なってしまい、

ひとりで出席する限界を感じてしまった。

けれど、パンフレットや他関係文献が販売されているとのことなので、

そういったものからも情報を集めてこようと思う。






午前中は学会へ、午後受付ぎりぎりになりそうだが病院へ駆け込む。

今日は主治医の診察も受けよう。

明日、彼は口演を控えているらしい。

拝聴したいとプレッシャーをかけてやろう!!







今回の学術シンポジウムは「外傷」の長期追跡などの検証もあるため、

同疾患でなくても共通性があるだろう。

そこから何かヒントが生まれれば・・・・・・







随時、ご報告はUPします。

 

 

 


点滴中につき、処置室の会話

2007年10月02日 22時17分56秒 | 医療







あのね、あんたはうつ病なんですよ。

心臓も血圧も異常はないの。

精神病だから紹介状を書きますし、うつ剤の処方をしますからそれでいいですね?





滴り落ちる点滴液が子守歌の役割を果たしていたとき、

カーテンの外から聞こえる怒鳴り声に、私の眠気は一瞬にして消え去っていった。

年配の女性が救急車を呼びたいと思ったくらい苦しくて、動悸もありますと訴える。

けれど、医師は聞かない。

そこには6名程度の看護師もいたが、誰もそのか細い声に耳を傾けようとはしなかった。





私があのおばあちゃんの立場で、この痛みや不具合はうつ病のせいですよ、と言われたら

どうするのだろう?と少し考えた。

警察沙汰になっても医師を殴っただろうし、

患者を見殺し同然にする看護師にも叱咤し、そこらじゅうのものを投げつけ暴れるだろう。






なぜなのだろう?

そして、なぜ、私は病院へ治療をしに行っているのに、

いつも帰路は悲しい気分になるのだろう?

いくら太陽が眩しくても、緋色に染まる夕焼けを眺めても心は動かず、

なぜだ? 脳裏を駆け巡るのは疑問だけだ。

看護師が患者の悪口を大声で話す声にはほとほと呆れるし、

それを点滴中の、しかも患者としてうるさい私が聞いているとの自覚がないことは

あまりにも危機管理能力に欠ける。

いや、人間としての資質に、医療従事者である以前の問題が彼女たちはあまりにも多すぎる。

それも新人ならともかく、私と同世代かそれ以上であることが

問題の根の深さを証明しているようにさえ思えてならない。






点滴後、自宅で開業している「ソフトジェルネイル」サロンへ行った。

サロンオーナーは現職の看護師であったため、

私の点滴痕をみて絶句していた。

もし、点滴以外の治療法がないというなら、うちの病院で対処できるし、

待ち時間なんて必要ないから、いつでも気軽に声かけてね、と。





点滴というか、処置室でのストレスを今週主治医へ伝える。

来週は看護婦長とケースワーカーと面談することになっている。

けれど、なぜ、そこに体調の悪い私を含めなければ話は進展しないのか?

ケースワーカーという仕事は、患者と医療従事者側の架け橋ではないのか?

明日からはじまる某医学学会へ参加しながら、

私が抱く疑問をより深く考え、問題点を深慮し、解決策を模索したいと思う。





まだ聞こえる。

カーテンの向こう側から聞こえる会話。

理解していないのに「はい」と答えることはよしなさい。

老人健診で来院している年配者にいくつかの質問をしている。

年配の女性は耳が遠い。

専門用語を並べられても、普段、使っていない日本語は誰だって理解できない。

なのに、相手が理解しやすいように工夫することもなく、

マニュアルとおりに書かれた書類に、バツ、マルの印をつけているだけだろう。







もちろん、医療従事者の多忙さは理解しているつもりだ。

これは批判ではないことも理解願いたい。

がしかし、院内コミュニケーションの悪さや物事を考えて行動しない結果が、

そのしわ寄せが患者が引き受けているとするなら、

病院は政府の政策などに翻弄しなくとも、淘汰されることは時間の問題だ。

勤務者の質の向上以外、病院経営の舵取りを可能にすることはおそらくない。

違反者を注意できない院長や婦長、

何をみて、私が快方しているといいきれるのだろう?

私は主治医以外、快方についての質問など受けてもいないというのに。





医療環境

2007年09月27日 20時35分03秒 | 医療

 

 

 

この病院は患者ひとりに対して7人の看護師が必要な民間病院です。

もう、僕も外来マシーン化していますよ、

週3日の外来、救急、脳外科手術と爆発寸前です、と主治医は小声で言った。

実はね・・・と声をよりひそめ、外来担当の看護師全員がパートで、

家族がどうの、彼氏や恋愛が、残業は嫌だ、などの不平不満揃いで

結局優秀な看護師は皆、入院病棟へ。

私の紫色になった点滴痕の腕を眺め、ひどいもんだ、とため息を漏らす。







院長も看護師不足だから怒鳴ることもできないし、

怒鳴れば看護師がまとまって辞めてしまう。

けれど、看護師の身勝手を放置していることで医療の質は必然的に低下する。

悪循環だね、これ。

本来なら、患者ひとりに対して10名の看護師なら条件もよく勤務可能なのに、

うちは7名だから、経営的にもうまくいっていないんだよ、実は・・・・・

 

 

その差はなんだろうか、と思った。

患者ひとりに対し7名または10名の看護師、その差は何か?

明日、厚生労働省の担当者に連絡を入れて、その詳細をお聞きしよう。

あれでは医師が死んでしまう。

過労で、激務で、本来、医師の右腕となるはずの看護師の質低下に拍車が加わり

本末転倒では済まされない自体に陥るのは目に見えている。

時間の問題だ。







点滴をすることで体内液の調整を図る。

体調の底上げを徐々に推し進め、どうにか生きていける体にまで快復させる。

今日は医師も泣きが入っていた。

私が点滴をする以前に、医師の職場環境改善などを検討しなければ、

ここで指す医師とは私の主治医のみに限ることだが、

医療に関与してしまった役割として、

患者以外の環境もより深く知りたいと思った。







けれど、さすがに驚いたというか、

点滴の針が一発で刺せない理由がこれで判明した。

パートだからプロ意識がなく、

戦場と化している脳神経外科医師や患者とは相違するだらけた空気に

医師も患者も激怒することは当然のこと。

主治医も戦闘モードに突入したらしく、

温厚な性格のはずが今日は一変、意識が違うと連発していた。

患者である私はもう、彼にとって患者ではなくなっている。

医療と共に語る相手にすこしずつ、距離を縮めた証拠か?




 


医療と保険と患者について

2007年09月21日 19時06分47秒 | 医療








主治医の外来日が週3日に増えていた。

私が見初めただけあって、

丁寧な診察に患者が殺到していると看護師が教えてくれた。






今日だったのか、昨日だったのか、そのニュース日が定かではないが、

どこかの地方で肺炎だった人が車を運転し、

通学中の小学生の列に突っ込み

死傷者を出した事故を確か新聞で読んだ記憶がある。






以前、私と同じ疾患患者とこの「車の運転について」大激論となった。

というよりも、私が快方へ向かっていたとき、

多くの患者から質問が寄せられた時期があり、

治療も投薬もせず・・・なぜ? からはじまり、

だからといって私は車を運転できる自信もなければ見込みもありません、と

返答したことが気に障ったらしい。

多くの患者は言った。

あなたは東京に住んでいて、地方の現実を知らないのだ、と。

けれど、私は地下鉄にもバスにも乗れなかったし、

また、母では用の済まないことは、どうにか工夫をして無理をしなかった。

いいや、無理などできなかったため、その体の声に黙って従っただけなのだ。

天井を眺める日々、よくて読書に費やした時間。

多少体調がよくなったとしても、誰とも約束もせず、

無機質な日々を私はひとりで送っていたのだ。








20種類以上の精神薬を服用して車を運転するという女性にはさすがに呆れた。

もし交通事故加害者になったらどうするのです?

あなたと同じように、苦しむ人を増やすだけに加担するのですね?と言うと、

すごい剣幕で受話器の向こうから甲高い声が延々と。

この疾患は、分類して捉えないと話がややこしくなることを告げ電話を切った。







交通事故受傷なのか、それともスポーツなど自分の過失による受傷なのか、

その背景を棚上げし混合して疾患を語ることは危険極まりないのだ。

今回の肺炎患者が起こしたような事故をこの疾患患者が加害者となったとき、

取り扱い自体に波紋を投げかけるだけではなく、

他の自制している人への影響も免れないのだろうと私は予感している。








点滴の激痛に耐える3時間、

私の右腕、しかも3回に1回は手の甲に打つしか場所がないため、

痺れや痛みは頭痛や頚椎痛をはるかに越える闘いとなる。

読書することもまして眠ることもままならず、ただ3時間、

点滴が終わってくれることをひたすら待つのみだ。

血管痛とはこれほどのものなのかと甘く見ていたことを毎日反省させられる。

私の場合が特別なのかわからないが、

なにしろこの痛みに毎日襲われるのかと思うと、

別の意味で憂鬱になるのは至極当然、

明日は早起き付きだ、8時病院入り、

午前中を点滴だけに時間を費やしてくる。









神様(盟友)はその事実を知っているため、

すぐさま保険会社へ連絡を入れ、現状を説明することを勧められた。

私は言われるとおり、すぐさま連絡を入れると・・・・・・・

○○は本日付けで移動になり新任者の着任も本日となっているため、

○○という者ですのでお話ください、と

受付の女性は淡々と保留ボタンを押した。

流れてきた変な曲に趣味の悪さを感じていると、

耳障りな声の男性が「引継ぎもないのでよくわからないのですよ」と言った。

これで担当者が変わるのは4人目のこと、

私の質問や訴えを書類で提出し返答がなく今日まで来ていることを説明した。






けれど・・・・・まだ・・・・・確認していないもので・・・・






それでも仕事をしているつもりですか?

とりあえず、現状は3月の時点で前任者に伝えてあること、

前任者の離職の挨拶もなければ引継ぎもなく、

今後、どのように双方の利益へ結びつけていくのか見物ですね、と

無意識のうちに、ちょっと強い口調で訴えると、

相手は縮こまってしまい、

まるでやどかりのように顔を引っ込めてしまったみたいになった。







 

もう、頭にきたっ!!

明日からタクシーで通院してやるぞ。

対応がひどければお願いしている弁護士を出す時期なのだと思った。

名前を出しただけで知らないとは言わせない相手だ。

さて、今月末を期限とした以前の解答や今回の件のについての対応を

どのような見解をもって取り扱ってくるのか見物だ。









 


 


ふざくんな、医療

2007年09月19日 23時55分55秒 | 医療









最近凝りだしたきらきらと輝く指先を見ていることが一番の幸福です、というと

案の定、社会復帰テスト結果は、それを反映するものとなった。

今日がいつなのかもわからず、

財布に入れてあったはずの1万円がすでに消えて小銭だけに。

手元にあるのは病院の診察券を紛失してしまった再発行手数料の領収書と

500mlのポカリスエット、

娘のお弁当に久々登場する醤油付けの北海道産いくら。







体重減少=体力低下を阻止するために、

入院ができないなら毎日点滴だけでも行わないと危険だ、と

私見を述べた医師の提案を今日は別主治医へ伝えに行った。

「近所の、他院へ・・・」と言われたら主治医への不信へつながる。

怖かった。

もしそのように言われた場合、用意していた返答はといえば、

「では、どの病院が受入=提携してくれるのか指示願います」だった。

患者でありながら患者だけではいられない医療について不信だけではなく、

患者として改善を希求していることを告げようと覚悟し病院へ向かった。







この主治医との付き合いは1年半、

二人三脚にて医療に取り組んできた経緯があり、

情があり、努力があり、涙があり、思い出がある。

主治医は言った。

「通院時間、家からどれくらい? 辛くはない?」と。

私は言った。

「患者にストレスを与えない主治医であり医療なら海外でも通院しますよ」と。







10月に品川で行われる脳神経外科学会総会への出席、

主治医の日程と私が目的とする疾患の研究チーム報告が重なるかどうか不明だが

体調を整え、参加意向を伝え、詳細を学会へ問い合わせる旨、まとまった。






長い長い時間、点滴に一日の大半の時間を取られる。

けれど、それは生きる上で私には必要であり、命の水なのだ。

この一週間で3度、私が待ち時間にベッドでの待機を申し出た看護師、

今日も同様、ベッドの貸し出し可・不可の状況を聞くと、

「なぜ?」の一言が冷たく返答にあてられた。

なぜって、こっちの方がなぜだ?だ。

患者の顔を看ていないのだと思った。

入院もできない、在宅介護も認知されない疾患に対して、

本当に患者の痛みや不具合の軽減に全力を尽くすために何が必要か。

命は取られはしない。

けれど、起きていることに制限が生じるため、

生を温存することが、そもそも困難である意識が医療にないことはなぜだ?







理解ある二名の主治医に私は恵まれた。

また、顔も見たこともない医師から、

東京の医師の紹介を得られる機会に恵まれた。

けれど、このまま今日をやり過ごすだけの毎日が私の一生になるのか?

それは妊娠や出産ができない現実や職種の制限や他受容と共に

患者だけが負わなければならないものとは違うように思う、感じるのは、

私だけか?







ふざくんな、医療。

患者を患者の役割だけでいさせてくれ。

人間の質の低下を医療現場ではみたくない。

いや、もし外界で質が低下の速度を進めたとしても、

ここが低下するのは、最後でなければならないはずだ。

私に飛び込んでくる勇気ある医師もいれば、

私との議論にすら、机上から逃げる医師も医師として存在する。


















男心と秋の気配と身の引き方と・・・

2007年09月15日 10時49分06秒 | 医療

 







帰宅すると同時に携帯が鳴った。

2歳年下の男友達からのものだった。

電話では泣きそうだったのでチャットでの会話ならすこし時間をつくると無理をいい、

いいよと言って、友達は快諾してチャットでのやりとりとなった。








テーブルの上に常時置いてあるものが1cm動くと気付くタイプの友達。

いくら明るく振舞っていてもすぐさま私の変調を感知したらしく、

「僕でよければ話を聞くよ・・・・・というか、吐露した方がいいよ・・・・・」と言って、

またしても私はPC前でめそめそする羽目に。

「いつの間にお前は男をあげたんだ?」と言うと、

「やっぱり・・・」とビンゴゲームの景品が当たったように喜ぶ光景が目に浮かんだ。









「もう恋はしない」と私は言った。

けれど、それは嘘だった。

交通事故後にも何度か恋に落ちそうになりながら、やっぱり身を引いてきた自分を知っている。

それは思い出もあしたも空白のノートに書き記すことからはじめる恋だからこそ、

目前に出された優しさには一切手を出さずに、

体調を理由にもせず、今は人と付き合うつもりのない心境だからと言えたのだ。

けれど今回はどうも違う。

なにがここまで私を揺さぶって、苦しめ、女にしてしまうのか。

友人は言う。

「相手の気持ちを無意識に感受しているからこそ、

今まで彼にしてきたような強気の姿勢ではいられなくなってしまったのだ」と。








今までわかってはいても3年もの間、怖くて聞けなかったこと。

好きな人がいようといまいとそんなことは私には関係なく、

ただ、女性として子供が産めない体であるか否かは、娘をもうけていることとは話が別なのだ。

正直なことをいえば、私は先に書いた手術を受けた彼の子供を産んであげたかった。

結婚をしようとしまいと、彼の子供を私も欲しいとどこかで思っていたためだ。

今回、自分でも驚くほど自然に主治医への問いとなったそれへ、

主治医の愕然とする表情を目の当たりにして、それが答えなのだと知ったとき、

椅子から立ち上がることができなくなった私に、驚いたのもまた自分だった。









大好きで大好きで仕方ないんじゃない。

だから、お見舞いにも来るな、姿をみせたくない、手紙もお見舞いの品も心配もいりません、と

味気ない返信しか送れないのだと思うよ。

僕には彼の気持ちが痛いほどよくわかる。

けど、男って馬鹿だね。

それを素直に受け止めて、そこに飛び込めばいいだけなのにさ。

男のプライドなのか、意地なのか、それとも他に理由があるのか知らないけど、

突き放すけれど、他の男と幸せになれということまでは覚悟できていないと思うよ・・・・・










私たちには思い出がある。

お互いにお互いを愛しているという事実がある。

私が交通事故に遭ったとき、障害を抱えたとき、

確かに私も遠方の彼には詳細を伝えず、ひとりで乗り越えてきた。

今でも私の抱える不具合を嘘だと彼は信じている。

お互いが愛し合っていても付き合っているわけではなかった関係では、

年に数度、食事をする程度では、彼は本当の私を見抜くことなどできはしない。









そして奇しくも私と似た場所に難病を患った。

男性としての機能も、今までの彼のものは維持できないだろう。

私はそんなことなど関係ないし、

半身不随でも一生面倒みる覚悟でいることをすでに彼へは伝えた。

日本に忘れものをしたままタイへ来てしまったと思い続けた日々、

結局、私は彼の手術日にキャンセル待ちをタイ到着後すぐさま入れ、

ゆっくりしておいでよ、と言いながらも安堵している彼の心情が

海を隔てた土地へ、電子メールから伝わってくることに便利さと彼の本心をみたようで

やっぱり帰ろうと思ったのだった。

成田で体調を崩したことも、病院へ担ぎ込まれたことも、不調であることも、

彼は私のことをなにも知らない。

救護室に横たわりながら私は「成田に着いたわ・・・・・・」と

短いメールを送ると、すぐさま返信が届いた。

「モルヒネがないと泣きが入る痛さだよ。ゆっくりしてくればよかったのに」と言いながらも

やっぱり私が日本にいる事実だけで彼の心情に変化をもたらすことが、

恐怖から解放された子供のようで、

「手術、よく頑張ったね。生きていてくれてありがとう」とその返信に宛てたのだ。










愛情とは一体何なのだろう、と時々思う。

この一生懸命さは、どこからその力が湧き出してくるのか私にもまったくわからない。

ただそうだからこそ、一度決心したことは揺るがなくなる。

一生懸命やってもダメだったのなら・・・・・・とそれは自分を納得させる材料になるからだ。









一連の経過を友人に吐露した後、

僕をこんな真夜中に号泣させた代償は大きいぞ、と言って、

友人もPC前の自分の姿を恥ずかしいといいながらも告白した。

切ないね・・・・・と何度も繰り返し、なんで僕が男泣きするんだ?

男泣きするべきは彼だろうと言った。

いつかもし、機会があって彼に会うことができたときには、

僕は彼に伝えたいことがたくさんあることをここに宣言する!

 

 

 

秋だ。

真夏のように蒸し暑い今日も、秋の足音は確実に近づいていることを知らせる。

となりのおばあちゃん家から聞こえる木材を切る、電動で釘を入れ込む音、

ベランダでそれを眺めていると、

すべてが新らしく、木の香りが彼の住む土地を思い起こさせる。

星を眺めたいとわがままを言う私を、彼が案内した山頂へ続く道の匂い。









なにも考えずに、ただひたすら自然と戯れていよう。

風に吹かれていれば、きっと、平静を保つことができる。

雲を眺めていれば、きっと、上空にいたような無欲な自分になれるはずだ。