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風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

告知という双方の厳しさ

2007年09月14日 23時59分26秒 | 医療








下を向いてしまった主治医(新しい)を目前にして、

私は自分だけが辛い告知ではないことを知った。

そして、心から申し訳ない気持ちになり、やっぱり主治医の表情をみていると、

自分が今まで付き合いの長い別の主治医へはその問いができなかったこと、

それに躊躇していた理由が少しだけ理解でき、涙をこらえることができない状況になった。






それを告知しなければならないことは、告知される側よりも精神的負担は大きい。

主治医が悪いわけではない。

むしろ、主治医たちには私は感謝する側の立場だ。

それは疾患を患う原因となった事柄にその要因があるのであって、

ごめんね、とも、申し訳ない、とも、返答に困ることは本来主治医の役割にはないはずだ。

けれど、私はその衝動を抑えることができずに問いとして宛てた。

それは社会適応能力テストを行い、泣ける箇所がいくつかあったことも正直に伝え、

そして、今後、生きていく上において、仕事面と女性面という観点から、

可または不可を心の準備として備えておく必要があると考えたためだ。








仕事に関してはもう二度と会社勤務などする気がないし、

移住を本気で考えた上でなら、アメリカの友人たちの会社で働くことへもいくつも選択肢がある。

文章を磨き、自分のペースで執筆に時間をあてるリズムは私が希求する第一の目標だ。

けれど、もし今後、異性の問題が出てきた場合、

私ができることとできないことを明確に伝え、

それを受容してくれる人としか関係構築ができないことを、

覚悟として自覚するのは私であり、それを思ってしまったことが今日だったのだ。








それは先に書いた手術を受けた彼の希望をかなえることはできないか、

一緒にいるための方法を私なりに模索した結果でもあった。

不治とされている以上、妊娠も出産もまして子育てなどできませんよね?との問いに対し、

それまで饒舌だった主治医の言葉はぴたりと止まり、

そのまま下を向き、考え込んでしまう問いだったのだと私は後悔した。





産まないことと産めないことでは女として意味が相違する。

今後、相手へも余計な期待を持たせないためにも、

私が自覚する必要に迫られていることが理由で・・・・・・

 

 

今の状況では、人を好きになることは辛い。

やっぱり私は主治医への片思いが一番気楽で性に合っているのだと思った。

けれど、泣ける胸が欲しい。

クリニックのトイレでひとしきり泣いた後、長年の男友達へ連絡をした。

それは泣ける胸ではないけれど、私を理解し、受容できる友人だからだ。







友人も言葉に詰まっていた。

私は「ごめん」としかいい様がないものの、このまま帰る気にもなれず、

このまま感情を内に秘めておくことも危険だと思い、友人の前でぼろぼろと涙を流した。

友人は言う。

「子供だとかそういったこともわかるけれど、

第一に体調を理解してくれる男じゃないと長い人生、パートナーにはなり得ないぞ」と。

私もそう思ったので、泣きながらうんうんとうなずいてみせた。

まさかおしゃれな街青山で泣く事態になるなど想像しなかったことだし、

閑静な隠れ家的青山のカフェだからこそ、泣ける場所になったのかもしれない。

美しい場所で流す涙なら心の準備が容易であるように思えると言って、また泣いた。







事故から3回目の秋を迎える。

私の人生は他力によって本当に変わってしまったのだと痛感した。

いくつもの難題を抱え、自らが処理や交渉を行い、

心細かった私に、徐々にできあがった援軍が最強となり今がある。

私は闘いはしない。

ただし、諦めなかっただけだ。

自分を誤魔化したりもしない。

そして、ひとつひとつ現実と向き合い、受容するための時間を静かに過ごすだけなのだ。

それが私の人生なら、私は自分のそれをいつか愛おしく思い、

抱きしめたくなるだろう、きっと。














軸になるもの

2007年09月14日 07時22分31秒 | 医療











カルマと因縁はらせん状にDNAの関係であると言ったのは、

友人をカウンセリングしていた南房総のシャーマンの言葉だ。

人生とは受身でしか生きられない側面があって、

けれど、何を受けようと生き抜かなければならないという宿命を皆背負ってもいる。









感受性を研ぎ澄ませば他力の力が吹いているかを察知できるという。

昨日はたまたま主治医ともそんな話題になって、

僕は体が無意識に目にみえない世界の変動を感受するすこし先の物事について、

特に疾患を抱えたあなたに知らせがくることは不思議じゃないと思っていますよ、と笑った。

また主治医にもそれが何を内含する言葉だったのかが伝わったようで、

時間はつくりますから話をしましょう、と逆に提案された。








偶然または必然的な空白なのか、

それとも体系上の空白によって、私の人生は長いお休みを拝受した。

この大きな包容力を持つ世界において、

私はちっぽけで、荒れ狂う心身と立ち乱れ、そして、いつか和解する。

 




無季とは季節に属さないことを意味している。

私が無季であるのは何も季節に属して生きられないことだけをさしているのではなく、

あらゆる側面において、

自分の欠点となり得る背負いを逆転させてこれた理由が多少なりとも人生を変えている。

それはたとえば、染みみたいに人生に付き纏う不安だったり恐怖だったり、

保身やプライドといった余計な呪術からは解放された中で時間を費やすことが許され、

困難が多ければ多いほど、自然からの力を借りたおかげさまによって

人徳に恵まれ救われてきた経緯がある。









善いとか悪いとか普通とか波乱だとかいう人生を語る前に、

私に重要なのは、腑に落ちるか否か、ただそれだけに尽きるように思う。

軸になるものに惚れ惚れとする瞬間ここそが、

軸の種がようやく根付いた証拠ではなかろうか。

私などまだまだだ。

主治医が他院クリニックから処方される私の投薬リストを目にするときのように、

これは医師でもプロにしかできないとの言葉が思わず飛び出してしまうことに似ていて、

私も未だ、何のプロにもなりきれてはいない。

ただ、諦めず、ただし、闘わないだけのことだ。

 





 


経過観察日

2007年09月13日 22時08分08秒 | 医療

 

 

 

もしも、ある日突然、

あなたが病気や交通事故等によって医療を必要とする身になる。

死は宣告されないが、生を温存していくことには苦痛が伴い、

そして、薬も完治するための手段もなにもなく、

世の中からぽつりと取り残された状態になる。

ようやく主治医となる医師をみつけ、通院継続することで経過観察し、

現状維持するためだけの医療との付き合い方がはじまる。

がしかし、死は宣告されないが生を温存していくことが困難な場合があり、

それは努力や気の持ちようやそんなものではどうにもならない事柄である。


けれど、多くの人は「病は気から」「無理しないで」「安静に」と言いつつ、

生活とは、そうしたことができない上に成立しているのだ。

日本社会とは、認めない病を患った人間には生きていく道を与えてはくれない。








主治医は開口一番、今日はめまいを訴える患者が朝から5名搬送され、

外来と救急を同時に診ているからと言って、困惑な表情を浮かべていた。

さっき、処置室で待っていた私と出会ったとき、

おーっと歓声をあげ思わずふたりで手を振り合ったのだ。

救急を済ませて診察室に戻る途中、私と会ったのだと言った。

「詳細は棚にあげますが、めまいで?」と私は思わず口に出してしまった。

主治医は言った。

「そうめまいで。

それで救急車を呼ぶんだからあなたが腹を立てるのも当然だ」と。









私たちの場合、一歩間違えると再起不能に陥ることを覚悟の上で、

生活や体調との折り合いをつけている。

それは日常という面だけの話であり、社会参加、つまり仕事となると

相当な無理をしないかぎり、維持などできないだろう。

それを知りながら緊急扱いしない病院に対し、

主治医も「僕が当直であればいつで拒否せず受け入れるけどね」と言う。

頭をボールペンで掻きながら、それにしても医師に確認せず事務方が

「救急車を呼んで他へ搬送してもらってくださいとはあまりに酷いね」と

同情してもらっただけでほっとした。

やっぱりここでの理解者は彼しかいないと思った。

私の逢引は「面談申込み」というかたちで別途、

主治医の了解を獲得し終了した。

3時間の点滴、痛みに耐える3時間がはじまる。








今日も主治医は私が提出したレポートをカルテに書き加えながら、

別クリニックでの処方や検査結果などをコピーした添付書類に食い入っている。

主治医は一言「この処方は医師でもプロにしかできないことだよ」と言った。

また「僕程度ではまだまだ躊躇して出せない処方だから」といって、

添付書類の提出について、お礼を伝えられた。

勉強になる、ありがとう、と。

この先生の診察を受けられて、本当に良かったね、とも。









そのお礼のかわりに聞いて欲しいことが・・・と前置きした上で、

この体調での留学は絶望的ですね、と靴のつま先をみつめて、

寂しそうに言った。

すると主治医は、そんなことはないし、時期がくれば必ず、と

フォローの言葉と励まし続けてくれた。

絶対に諦めることなんかないよ、と穏やかに優しく。

そのどさくさに紛れて私は勢いのまま企みを言葉にかえていた。

気がついたときには言葉が勝手に飛び出している状態。

先生、私、落ち着いたらニューヨークへ行きたい、と

懲りない駄々っ子のように、ニューヨークへ行きたいと何度も繰り返した。

そうだね、様子をみながら行ってくるといいよ、と主治医は言うものの、

また空港から緊急の連絡を入れても、

僕が当直じゃなければ受入拒否されるんだぞ、と意地悪を発見した子供みたいに

これから意地悪を仕掛けようとする子供のように、

満面の笑顔を浮かべ、そのうち行っておいでとの希望を与えてくれる。

意欲があることは快方への希望だって現状維持にも一番の処方だからね、と。










1ヵ月で10kg体重減少した私に対し、

もしかして、喜んでいるでしょう?と主治医。

もちろん、と答えると、今日は3時間の点滴をしながら、

その間に食べ物を胃に入れるためにはどうすればいいか考えるように、だって。

その他、病院の不具合については僕からも言っておくし、

別途、時間をつくるから話をしよう。








私はこの人と一緒にいると落ち着く。

いや、別クリニックの先生の笑顔にも癒されている。

医療の現実は患者にとってとても厳しいものだと学習しているものの、

医者との相性を読み間違いさえしなければ、

やっぱり医療には不信など本来起こらないのだと私は思った。

医療ではなく医師の人格によって、患者は救済されるのだから。









しかし患者にも問題は多い。

めまいで救急車を呼び、法律では搬送しなければならないとされている。

がしかし、めまいで?

今日一日でただのめまいの患者が5名も救急車で運ばれた。

そういった行動がおかしいとは、行動に躊躇は起こらないのだろうか?と

私も主治医も驚きを隠さず、医師も救急隊員も大変ですね、と言って

苦笑を浮かべる主治医に、私は満面の笑顔でお返しをした。











いのちの初夜

2007年09月12日 09時23分41秒 | 医療








俺は俺の苦痛を信じる。

如何なる論理も思想も信じるに足りぬ。

ただこの苦痛のみが人間を再建するのだ。


柳田邦男著書「人生の答」の出し方、北条民雄メモより




 

 


大切なことを伝える機会の恩恵を決して無駄にはしたくない。

逆境こそが密度の濃さを生み、

「死」を目前にするからこそ、「生」に緊迫感を与えるのではないだろうか。







上記、著書の中にはこんな一文がある。

「自らは死にゆくのに

他者の生を支えることすらする病者・死者の言葉の力について」

私はこの言葉を拝読したとき、

一石を投じるのはあなたにしかできない、と

すこし困惑した表情を浮かべながらもそれを言葉にかえる

ケースワーカーの姿が思い出される。

病者へ健者が無理を強いることは、決して稀なことではなく、

病院という組織の事情や自身の保身のために、

病者にとってはより過酷であると思われる事態に

おそらく私は相当経験を持ってきたためだ。








私はこの苦痛があることによって、

「書く」という作業にも変化が生まれた。

軽いこと、心には残らないけれど笑える類の文章は苦手とするものの、

違う分野のことでなら「書く」ことが可能ではないかとの自信の芽生え。








誰かが、人生が、幸せをもたらしてくれるなど甘い考えはなく、

また、誰かが、人生が不幸を運んでくるなどとの悲観もない。

自分という人生を完結させるために描く章は自らにしかできず、

また、そうした姿から人はきっと影響を受けて成長していくはずだ。








おそらく、通常に生きている人ですら一度や二度、

死を考えたことがあるだろう。

混沌とはそういった世界であり、

私たち病者はそれと毎日膝を突き合わせている。








いのちの初夜によって人は生まれ変わる。

人は言葉なしでは生きられず、

また、言葉によって救われることもあるのだ。

 

 

 


医療の緊急という取り扱い

2007年09月11日 21時05分41秒 | 医療





神奈川県厚木市の市立病院で8月、

救急受付に来院した同市に住む無職男性(73)が診察を受けられず、

別の病院に搬送された約1時間後に心筋梗塞(こうそく)で死亡していたことが

11日、明らかになった。

厚木市は「心肺停止状態の別の急患がいたので対応できなかった」と

説明している。




厚木市によると、男性は8月12日午前10時20分ごろ、

家族が運転する車で来院し、「頭が痛い」と訴えた。

しかし、同日は休日で当直の医師しかいなかった上、

別の急患の診療要請があったため、

病院側は男性と家族に自分たちで119番通報し、

別の病院で診察を受けるよう伝えた。

 

男性は市内の別の病院に救急車で搬送されたが、1時間後に死亡した。 


[時事通信社]












こうした記事が世に出ると、さも病院の対応がまずかった・・・と聞こえる。

けれど、現場側の、特に緊急を扱う病院の現状という視点から考えたとき、

私はこうした記事の書き方に疑問を感じてしまうのだ。







寿命とは言わない。

がしかし、どのような死に方ができれば、

寿命だと生きている人間は納得できるのだろうか、と

ふと考えてしまうときが私にはあるのだ。


そして、もしこの病院で診てもらっていれば助かっていたなどという保証は

誰にもできない。

けれど、これが高齢者が増加していく上での避けられない現実だとしたら、

それなりに国も、病院も、家族も覚悟をしておくべきだろうと思ってしまった。








また、私たちのような疾患、

命はとられないが、体調が急変する場合においても、同様のことが言える。

今回、空港から病院へ電話をかけると

「必要であれば救急車を呼んでどこか別の病院へ搬送してもらってください」と

平然と答えるからだ。








私は言った。

「では、主治医を持ち主治医のもと経過観察をする意味はありませんね?」と。

受話器をとったのはおそらく事務職員だと思われるが、

殺されはしない、けれど、体調が悪化すると動くことができない状態でも、

通院先は診察を拒否してくる。

通常の診療時間内に合わせて体調が悪化してくれるなら、

この世の中に緊急病院など必要ないのだ。

その旨の今後の対応をケースワーカーに訊ねると、

一石を投じるのはあなたにしかできない、とまたしても言われる。

私は患者であって、一石を投じるために存在しているわけではないのだ。








上記と私の病院対応の問題の根底は相違する。

けれど、そうしたことを踏まえて、私は主治医に面談を申し入れようと思う。

私に何かあった場合、病院に連絡を入れている以上、

責任が問われるのは医師だ。

事務方の無責任さになどかまっている暇などないし、

病院に勤務しているという意識も、緊急であるという優先順位も、

対応もできないのであれば

その職業に向いていないことだけが輪郭を露にしていくだけだ。








この1ヵ月の間で、体重は10k減少した。

それはしっかりと食事ができないためだが、お金の許す状態のときは、

ウニソースパスタや叙々苑や自分の好きなものだけでも口に入れて

体力低下だけは回避しなければ・・・・・・・









人の生き方が激しく問われるのは、

重い病気にかかったり死を直面にしたりしたときだ。

積本の中から引っ張り出してきたのは、

柳田邦男さんの「人生の答」の出し方だった。

冒頭の言葉に、今日読むために選んだ本であったことを、

その必然を感じずにはいられない。









慈悲の上にこそ成立する医療と人間

2007年09月08日 02時30分59秒 | 医療







友人の手術がどうしても心配で仕方なく、

また、私の現地での取り扱いや体調などを理由に、

予定より一週間早い帰国となった。

友人は8時間の手術に耐えたらしく、

術後相当な痛みであることは、

彼の主治医から気遣いのお礼と共に報告を受けたため、

私は詳細を他者へは話せない主治医の立場を理解しながらそれを拝受した。







がしかし・・・・・・

彼から届いたメールには、お見舞いはダメ、

主治医への気遣いも困りものだったと記されていた。

差出人が不明だったため、

彼のご両親へも差出人について問い合わせがあったためだそうだ。

けど、迷惑だなんてもっと言葉を選べばいいのに、と思った。

それだけ恐怖と闘い、痛みに耐えているのかと思うと、

また泣きたい気分にさせられるのが悔しくてたまらない。







心配なんかはしていないこと、

そして、今後も一切心配などしないわ、と少し冷たくあしらう言葉を

返信に宛てた。

私がタイへの出国前、ささやかながらできることをしたまでのことだ。

それが彼の中で迷惑だと感じたなら仕方ない。

いつかまた再会できるご縁に恵まれればいいわね、

明日から痛みとリハビリとの闘い、

それは自分にしか乗り越えられないことだからと伝え、

私からの連絡を控える旨、追記した。







いつか今回のことをふと思い出してくれたとき、

そのときにあなたの中で多少の理解となって消化してくれていたなら

私は嬉しいわ、とだけは最後に伝えることにした。

ありがとう、と返信にはあった。

私の体調も状況も決してよくない今、

彼の言葉を真に受けてしまうと、お互いが傷つくだけだ。

 

 

私が今回タイ渡航をして痛感したことは、

慈悲の精神が日本には薄れている事実だった。

慈悲深いことは人間にとって重要な部分であり、

私は現地で欧米人やタイの人々から、多くの慈悲や慈愛に包まれ、

そうしたことを学ぶ旅だったのだと心より感謝している。

そして、なぜ、日本には慈悲が医療にも人間にも

排除されつつある産物に成り下がっているのかを考えてみた。

私が出した答えとは、

心が枯渇しているため、余裕がない現実が慈悲を遠ざけてしまうことだった。

責任と言い換えることもできるだろう。

言葉にも行動にも、責任がなくなると、慈悲も消え去る。







手紙

2007年09月02日 20時31分54秒 | 医療








あなたの快方を祈りつつ、

私も異国の地にて今秋の感慨深さは二度と味わうものではないことを、

すでに予感するの。






ごめんね、渡航キャンセルできなくて。

とはいえ、地方に住むあなたのもとへ東京から異性がお見舞いになど行ったら

すぐに町中の噂になるでしょうね。

あなたの仕事柄、特に。







不思議なものね、

私たち・・・・・・というよりも縁を考えると。

あなたを想うと、憎らしいのにそれを増す愛しさがこみ上げてくる。

だからといって私たちは付き合っているわけでもなく、

けれど、しっかりとした恋愛感情の上に関係は成立しているのね。







告白するならば、

私は今まであなたに抱きしめてもらうことで、

私の内側の空白または欠如部分を満たしてもらっていたの。

それが安心や平静や自立へと結び付いて、

私はしっかりと大地に根を張ることができるようになっていった。

あなたは私をすごく誤解していて、

私はあなたが思うほど強くはないし、自立した都会の女でもないのよ。

気まぐれなあなたからの電子メールを受信すると、

わがままにもなれたし、甘えることも、女にもなれた。

それはあなたが知らない普段の私ではないのよ。

強くも都会的でもない、自然な姿だったはず。








あなたにはきっと、私を私でいさせてくれる優しさがあった。

けれど、その優しさは強さよりも弱さが目立つため、

ときどき私を苛立たせもしたし、冷たい言葉を吐く原因にもなった。

そして、その優しさはとてもわかり難いもので、

時に誤解を生じさせる種を内包していたため、

私の優しさという水を与える隙がなく、

私を常に腹立たせたりもしたわ。







けれど、私にはあなたの優しさが必要だった。

そして、今、あなたは私の優しさを必要としている。

手術前の恐怖をどれほど感じているのか、

半身不随となったとき、

あなたがどのように生きていかなければならないのかという不安は、

私が経験してきた3年という月日と同様であるからこそ、

痛いほど伝わってくるの。

痛いほど、自分のこと以上に、それだけを感受してしまうの。







あなたへの手紙、

そして、あなたの人生を左右し兼ねない主治医への懇願は、

短い手紙としてまとめることが本当に難しいものだったわ。

私はそれに今日を捧げたの。

時間も、思いも、あなたの無事や成功を祈るだけのために費やしたのよ。

その思いが結果となって、

あなたに笑顔が戻ることを私は希っているわ。

またあなたのかわらぬ優しさを必要とする私でいさせて欲しいから・・・・・











泣ける場所

2007年08月30日 18時03分33秒 | 医療








脊柱の難病との診断を受けた彼。

背中には30cmに渡る傷が生々しく残り、

その部分だけが異常に汗を掻くらしく、

傷を囲むように発疹ができてより痛々しく見えて、私は泣きそうになった。






手術は失敗に終わった。

そのときの主治医は自分には責任などないと捨て台詞だけ残し、

さっさと別病院へ移動してしまったらしい。

たまたま知人に別病院を紹介され、

その執刀医となる主治医とも気が合うらしく、

再手術を決断したことは、以前メールで知らされた。

それは一週間後に手術を控えての今回の逢引となった。




実をいうと、私には先約があって、本当は彼には会えないはずだった。

が、先約者からキャンセルの連絡があり、

すでに待ち合わせ場所に向かっていて

その数分後にかかってきた電話が、彼からのものだったのだ。

日帰りするはずだったけど会いたい・・・・・・と。







おそらく、手術前で怖くてたまらないのだと思った。

私と他愛のない話をすることで、その時間だけは手術からの恐怖、

失敗に終わるかもしれない覚悟からは解放される。

銀座で炭火焼の店でご飯を食べた。

行きつけのBARにも連れていった。

品川のホテルに戻ると、

いろいろな話をしながら彼はちびちびとブランデーを飲んで、

やっぱり怖くてたまらないのだと思ったら、

氷をもらいに行ってくる、と言って部屋を出て、

特別フロア階のトイレで私は号泣した。








難病を抱えた者同士でしか分かり合えないことがある。

いいや、難病を抱えた者同士でも分かり合えないことの方がきっと多い。

私は自分が大黒柱になって不調時も働いてきた自負があるから、

独身である彼に「もし寝たきりになっても面倒みるから安心しな」と言って

彼を笑わせて、彼に抱きしめられて、私の方が泣けてしまったのだ。








ふと思った。

私には泣ける場所などなかったのではないだろうか、と。

甘えることを知らずに育った私は男たちの恩恵には本当に感謝してきたが、

甘えることは不得意で、

付き合う男の前で本当に「女」であったことがあったのだろうか、と

つい考え込んでしまった。

私が髭が好きだというと、彼は人に会わなければならないのに剃らない。

それが彼の分かり難い優しさの表現であり、

私の前では「男」であろうとしながらも、

同時に泣ける場所なのだと思った。

弱音を吐き、それを裏切らず受け止めてくれる場所、

私にとってもおそらく彼はそうした唯一の場所なのだと思う。







だから彼の胸は厚くて、温かくて、ほっこりとして、

私のすべてを包み込む許容が感じられるのだと思った。








帰路に向かう車中から、メールが入った。

実はもう片足が麻痺をはじめていて、

このまま手術しなければ、下半身麻痺になると宣告を受けていたらしい。

だから健康な体で会えるのが最後になるかもしれないから、

見納めをして欲しいと思って実は会ったんだ、と告げられた。








なんて返信をすればいいの?

どんな言葉に安心を覚えてくれるの?

私はあなたを思いながら、なかなか気の利いた言葉が見当たらずに

携帯を持ったまま、泣き崩れてしまった。








いいよ、どんな体になっても。

一緒に海をみたり、山を眺めたり、お風呂で体も洗ってあげるし、

美味しいご馳走を毎日食べさせてあげるから、一緒にいよう。

だから、手術後のことは心配しないで。

あなたが泣ける場所、甘えられる場所である私は、

何もかわらず、あなたを受け入れるから。

 

 



ありがとう。

頑張るよ、とすぐさま返信が届いた。

頑張って来い、最強の応援団がいるのだから、

自分の人生を闘って来い。








どのような人生の経過を辿っても、

私は私のまま、彼を受け入れることには揺らぎなどないのだ。
























 


医療、心を動かすために

2007年08月25日 10時50分10秒 | 医療










毎日新聞から一通の手紙が届いた。

私たちの疾患に関する記事を積極的に取り上げていたのは毎日新聞社で、

けれど、記事内容を拝読すると非常に偏りを感じられたため、

私の現状を伝えることにしたことが、

私が毎日新聞社へ手紙を書くきっかけとなった。

私は現状を詳細に伝えるために、記者へ面談を申し出る手紙を再度投函した。








その記事により確かに疾患の知名度も上がり、

交通事故との関係も無ではなくなった功績は当然感謝している。

医師の質や物事の捉え方やその裏にうごめく本心などが見え隠れし、

患者を置き去りにしている医療という現状を浮き彫りにしてくれた。

が、負の部分へ焦点を当てると、

確立されていない治療を推奨している記事が目立ち、

取材を受ける患者はある医師の患者ばかりであること、

治ったと言い切ってしまっていることなどが私にはどうしても理解できず、

その病院には全国から患者が殺到し、

その病院へは治療を前提とした初診以外は受け付けないため、

検査も診察もしない前に、同意書を書かされるのだ。

ということは、原因不明で体調の不具合を抱えた患者100人が受診し、

100人が同じ疾患であると判断され、

その治療をされるシナリオが確立しているのだと私は思った。








それを話題に主治医と話をしたことがあった。

主治医は治療を推奨している医師と別病院で勤務した経験を持ち、

彼なりのポリシーを持っていた。

僕があなたにあの治療をすることはできないこと、

その理由は検査含め、リスクが高く、良心の呵責に苛まれること、

治療自体を見ていた経緯からすると、

僕には非常に抵抗がありあなたの将来を考えると僕にはできません、と言った。

治った人をみたことがないことも、理由としてあげていた。








あえて功罪という言葉を使いたい。

患者自身も治療を推奨してきたし、本まで出している人もいる。

けれど、本当にあなたたちは完治したのですか?

快方へ向かっている私でも、

めまいや他症状などから車の運転は一生できないと感じているし、

ある患者の主張は、多量の精神薬を服用し、

車の運転も以前はできなかったのに今はできる。

それはあの治療を受けたからこそ・・・・・・

治療を受けないあなたは治りたくないのですよ、本心は。

そこまで言われたため、

では、治らなかった場合、あなたは私の人生や私の取り巻き、

つまり、娘の人生への影響を考えた上で責任を取れるというのであれば、

私はあなたの意見を意見として、視野に入れましょう、と返答した。

その患者からは二度と連絡はなかった。

噂によると、体調が悪化し、寝たきりになっていると耳にする。











私には後味の悪い疑問が残る。

多量の精神薬を服用し、車を運転するリスクは、

自分が被害者だと今は声高に主張できてはいるが、

加害者に一転することはなぜ視野にないのだろうか?

もしもう一度、軽度でも交通事故に遭えば症状は悪化を辿る。

その疾患を抱えて車を運転していることで、疾患の取り扱いは変わるだろう。

免許を取り上げられることもあるだろうし、

患者自身のモラルも問われることは間違いない。

それを理解した上で・・・というなら私が他人の人生に口出しする権利はない。

ただし、自分が苦しんでいる疾患を自分の加害によって他人が受傷した場合、

そうならないためにも事前に回避できることがあるのではないかと思うのだ。









複雑に絡みあった疾患という糸。

私はそれを解こうなど思ってはいない。

ただ、自分が経験した事実だけを記者に伝えようと思う。

そして、記事を書いた功績も功罪も、

その後の経過を取材する必要のある旨も伝えようと思う。










藁をも縋るという言葉が日本にはあるが、

縋ってはいけない藁も世の中にはある。

私はそれを功罪と名付け、

決して自己責任などでは済ませられてはいけないと思うひとりだ。