今年はスタバの福袋が抽選で当たりました。
本当は、昨年が1番欲しかったのだけど…。100発100中っていうのは無理、なんでしょうね。
やはり恨むのは二子玉川福袋事件ですよね。
(勝手に事件にするなって言われそうだけど、そう思うんだから仕方がない)
あれがあってから抽選になった、と言っても過言じゃあないよね。
それでスタバ事務局が知恵を絞って抽選にしよう、「客が朝早くから並ばなくて済むように」、「転売されないように」としたんだと思うけど。
でも、昨年抽選から漏れて思ったけど、「転売されないように」っていう対策なんだろうけどそんなのは、本当にね、関係ないからっっ。昨年も今年もネットオークションにあるでしょう?
当選者がネットオークションで福袋全部を転売しているのってなんで?
多種ある中の数点とかなら、まだわかるけれど。
福袋ごと、全部って…。と本当に昨年は思いました。
本当に、純粋に欲しい人だけに販売して欲しい。
そう思うのであります。
そんな記憶が新しい中で、スタバ友達が今年こんなものを見つけました。
その子はここ数年当選している強運の子で、「今年はダメかも知れない…」と思っていた子です。
結果は、今年も当選したってお互い喜んでいたのですが。
その子が教えてくれたものとは。
↑表側
↑裏側
外のポッケに入っていました。これを読んでの「受け止め方」って色々とあると思いますが。
何が言いたかったのかな、事務局さんよ、と言いたくなりました。
HPへ行ってみて漸く理解できましたが…。
正直、「言葉が足りないんじゃないかな」って思いましたよ。
現にワタクシの知人はこの文面をみて快く思えないと言っています。
かくいうワタクシも知人のその話を聞いて考えすぎじゃないの? とは思ったものの少し納得したうちの1人ではありますが。
「お裾分け」でも「お福分け」でもやっている事は同じ。
よく、ワタクシたち日本人って相手に渡す時に、「つまらないものですが」って言いながらお土産を渡すでしょう?
あるいは、若い子でもよく使う(と思う)「少ないですが」って言いながらお土産を渡しますよね?
それと同じ考え方だと思うのよね。「お裾分け」って。
なので、この「#福の輪 チケット」とか何かがこのカードに書いてあれば、こうちょっと受け止め方も違っただろうに…と思うと残念でなりません。
知人曰く「大きく極端に言ってしまえば「スタバ事務局がネットオークションOK」って言っているものだ。」と言っていた。
どうしてそうなるの? と私は尋ねると、その子は言いました。
「あなたに訪れた福を、友だちやまわりの人へお福分けをして「福の輪」を広げてみませんか、の言葉がどうしても私には、
訪れた福が、当選した福袋、を友だちやまわりの人に手段をえらばずに、お福分けして、が、転売してみませんか、って感じるんだよね」と。
「はいぃ~?」
1度聞いて分からなかったワタクシ。
「だから、
「訪れた福が」、っていうのが、「当選した福袋」、
「友だちやまわりの人に」っていうのが、「手段をえらばずに」、
「お福分けして福の輪を広げてみませんか」っていうのが、「転売してみませんか」
って受け取ったの」
って教えてくれました。そういう解釈もアリったら、アリだわね。何て言っても、これが「#福の輪 チケット」運動だなんてその時全然思わなかったもんね。
分からないっていうか、そういう運動がある事も知らない人にとっては、「このカードは一体ナニ?」ですものね。
特に抽選落ちした人なら尚更歪んでしまう可能性もある。
スタバ事務局さんももう少し配慮欲しいよね。
個人で純粋に楽しみにしている人も抽選で落選してしまい、オークションサイトに転売目的の人が当選しているっていうこの何とも言えない悲しさをスタバ事務局はどう考えているのかな? とよくよくその子は言います。ワタクシは、昨年外れたけど…。ショックだったけど。言われてみれば、そう思わないこともない。なんか、外れた人にもプチ福袋、とかあればいいのに。
事務局さん、もう少し優しい気持ちないのかな?
結局転売はなくならないでしょう?