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言無展事

徒然に禅語など。

無鄰菴

2006年01月27日 02時13分13秒 | 
日があいたが、京都紀行の続きを。

南禅寺から細見美術館に行こうと思って歩いていたら途中に無鄰菴というところがあって寄った。なんでも山県有朋の別荘ということで、その庭園が名勝になっているこいうことだった。
何気なく入ったが、植治の庭だった。

明治以降の庭をとりとめなく感じるのは、明治以降の庭についての教養がないからだろう。山県有朋については、今に残るほっそりした白髪の肖像のイメージばかり。この庭に彼の心があるのだろうが、茫洋としているばかりだった。
だが、わからないなりによかった。飄々として自然だった。
あたりがつよければ良い庭というわけではない。

それにしても維新以降の日本の歴史、政治についての教養は今年の課題だ。

南禅寺2

2006年01月23日 01時38分32秒 | 
南禅寺は庭がたくさんある。

まず方丈の枯山水、虎の児渡し。造形はよかったが、調和がありすぎるのか、想像していたような緊張感がなかった。借景はみごとなはまりようだった。しかし何か、長い時のなかで失われてしまったのか、何かが足りない気がした。
その後で見たせいか、脇にあった如心庭という小さい庭は、かえってよかった。

水路閣の奥の南禅院の庭は素晴らしくよかった。
庭の先がすぐ山になっていて、深い木々が今にも庭に覆いかぶさりそうだ。
薄暗い閉じた空間の中に、庭が息づいている。
もし一生の間に自分が庭を造る機会が与えられるとしたら、こんな庭が造りたい。

三門のそばにある天授庵の庭は、枯山水と回遊式庭園で、どちらもよかった。惜しむべくは季節である。青葉、紅葉の盛りにはさぞ美しかろうと思った。
回遊式庭園の方は、南禅院の庭がよかった後だったのでそれほどの思いもなく歩いていたが、一周して最後に正面から見た時、その構図の美しさにびっくりした。木々が西日を背負って池に映り、それすら計算されている眺めだった。

冬の京都は観光客が少ない。
庭は色彩を落とすが、見たいものをじっくり見るにはいい季節だ。

南禅寺1

2006年01月21日 18時52分19秒 | 
冬の京都に遊ぶ。
ずっと行かなくてはと思いながら、なぜかタイミングが合わずにいた臨済宗南禅寺派総本山、南禅寺にようやく行った。
三門に上り、「絶景かな」と言いたくなる気持ちを味わったりした。

二年程前に国立博物館で南禅寺展が開催されて、秘宝の数々はみていた。
方丈の襖絵はその時も一部展示されていたが、やはりあるべきところで見るのはよかった。
至極当たり前のことなのだが、襖ということは、一枚の板の両面に描かれているのだ。
一枚の襖の片面にはある絵の一部があり、もう片面には違う絵の一部がある。
七つの部屋にある七つの絵は、その方丈の部屋割りの通りに並べないと成立しない。
それはほとんど、全体はそこでしか見れないということだ。この贅沢さはたまらない。
絵はもちろん素晴らしかった。毎日見ても飽きないだろうなと思った。
だから今も、そこにあるのかもしれない。

明日は南禅寺にたくさんある庭についてのリポートです。

夢殿

2005年11月03日 14時43分06秒 | 
斑鳩まで足をのばし、法隆寺に夢殿の救世観音を見に行った。
春と秋の一ヶ月、特別開扉される秘仏と聞いてはいたが、大した知識などあるはずもなく、物珍しさに誘われての行楽だった。

救世観音は暗い堂の中の廟に佇み、御尊顔はよく拝見できなかった。そのことをなんだか少し不満にも思い、しかしそんな考えに反省した。御仏は鑑賞するためのものではない。御仏は庶民にとって長く、そして今でも存在することがありがたいものなのだろう。

法隆寺のもうひとつの観音、百済観音も見た。こちらの御像はもちろん素晴らしかったが、何分最近落成した御堂の中、檻のようなガラスのケースに収められていたのが良くなかった。時代は変わるし、その時々の技術や価値観で御仏を守り伝えてゆけばよいと思うが、少し残念だった。
ちなみに東京国立博物館に模造が展示されているが、あれはその意図が謎である。

なにより美しかったのは、斑鳩の里の、秋の夕暮れだった。
あそこの空気は、他のどことも違う。
あえて例えるなら、ナウシカの金色の野を思い出す。

北円堂

2005年10月31日 21時15分53秒 | 
夏に見た無著・世親菩薩の御両像が忘れられず、興福寺に北円堂の特別開扉を見に行った。
大阪国立博物館の興福寺展で見て、そのあまりのすばらしさに死ぬ前にもう一度みたいと思っていたが、明日死んでは困るので、そういうのは早いほうがいい。

私はひとつの仏像を、できるだけ博物館や美術館とそれが安置されている寺院と、その両方で見たいと思っている。そんな贅沢はなかなかできないが、今回はその幸運に恵まれた。
御仏に対し失礼だという人もいるが、博物館では、白バックに御尊顔が最も美しく見える照明が当てられたものを、ただ近くに見、ひとつのものとして相対できる。
安置されている寺院ではもちろん、あるがままの御姿を、それが負う意味や役割のなかで見つめることができる。

さて、北円堂の無著・世親菩薩は。弥勒の両脇に控え、距離や暗さで細部までは伺えなかったが、やはりあまりの存在感で圧倒的だった。
博物館では見れなかった背面を拝めたことも、よかった。世親菩薩に至っては、法衣の下に伺える肩甲骨が力強く、私にとって無上の官能と見えた。

もう悔いはない。
見たかったもののうちの多くを見ずに、いつか人間は死ぬのだろうが、それでも私は満足すべきだ。

紫陽花

2005年06月15日 23時33分00秒 | 
いい雨が降りそうで、臨済宗建長寺派福源山明月院に紫陽花を褒めに行く。

幸運にも雨は開門の時刻を過ぎるころ降りはじめ、紫陽花はまだ咲き揃ってはいなかったが、いい眺めだった。
ここの花はただ青みを増していくだけで、色の変化しない古来種が多い。境内の立て札の説明書きに、空と海に色を似せて自然に帰ると書いてあった。
花が、空と海に帰るために、雨の中で己を青く染めている。簡潔で勁い図式だ。

剪定は7月10日だそうなので、今月末が見ごろかと思う。
夏には方丈の脇に一本の百日紅が花をつける。この樹の満開の立姿は豪胆で優美だ。枯山水はこぢんまりとしてどこか可憐な印象があり、好きな庭のひとつである。
紫陽花の季節には、可能ならば平日、開門時間の8時半に行くことを強くお勧めする。

愛染

2005年05月29日 00時52分08秒 | 
言無展事京都篇第三弾。

真言宗東寺派総本山、東寺の観智院で愛染明王像を観て、はじめてこの仏を知る。

折々に愛染明王像は数多く見てきたが、ただ見ていたというだけで、今までその観念は私の中でこれほど結実しなかった。
それは感覚であるから、どれだけ言葉を尽くしても説明できる気がしないが、忘れないために「愛欲の悟り」と名付けておく。
これまで浮世を生きて、衆生として様々な愛を知り、私はようやくこの愛に染まる御仏に帰依できた。

余談、観智院の本尊、五大虚空蔵菩薩の向かって左から二番目の御像が知人にあまりにそっくりで、思はず声を掛けそうになった。

化野

2005年05月28日 02時03分00秒 | 
言無展事京都篇第二弾。

念願の浄土宗華西山東漸院(通称化野念仏寺)に行った。
立原正秋が小説『あだし野』で、死期の迫る男が化野に思いをはせる様を書いている。

「あだし野ははっきり見えた。しかし、かたちがさだかでなかった。さだかでないのがあだし野の姿かも知れなかった。しかし、見えてしまえば、そこは、ごくあたりまえの場所であった。」
(立原正秋『あだし野』)

立原正秋が何を言いたかったのかは理解できた気がした。しかしまだ、自分には化野ははっきり見えていないのだろうと思う。

化野とは、「儚い地」という意味であるという。
そこから出土した石仏が約八千体、敷き詰められるように整然と並んでいる。
風化して原型をとどめず、しかしうっすらと御仏の名残の凹凸が伺える石仏に、物質がまるで意志を有するかのように存在し続ける不思議ばかりを思った。




あだし野 (新潮文庫)
立原 正秋
新潮社

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石庭

2005年05月26日 15時40分07秒 | 
何年ぶりかに臨済宗妙心寺派、龍安寺の石庭を見た。

純粋な観賞物として、この庭は群を抜いて素晴らしいと思う。
庭を望む方丈の縁側で、「まいったな」と思う。
何に対して参っているのか、なぜ参るのか、
わかっているようでわからないようでもあり、
許容範囲を爽快に超えて、心が無になる。

解釈を必要としない存在、問われることを知らない存在。
そして、そもそもこの世はそのようなものではなかったか。

2005年01月20日 23時17分52秒 | 
ついでがあり、岐阜県多治見市にある臨済宗南禅寺派の
虎渓山永保寺に庭を見に行った。
鎌倉建築の観音堂が優美に建ち、自然の岩を立石に見立て
そこに滝が流れ、裏山の借景も絶妙な配置だった。
広くはないが壮大な庭だった。
構図のための構図と、その美しさと言おうか。
上手く表現できないのがもどかしいけれど、
一度、帰ろうと思ってバス停まで歩いたが、
なんとなく引き返してもう一回りしてしまったほどだ。
近くに行かれる際は、是非立ち寄られることをお勧めする。