日があいたが、京都紀行の続きを。
南禅寺から細見美術館に行こうと思って歩いていたら途中に無鄰菴というところがあって寄った。なんでも山県有朋の別荘ということで、その庭園が名勝になっているこいうことだった。
何気なく入ったが、植治の庭だった。
明治以降の庭をとりとめなく感じるのは、明治以降の庭についての教養がないからだろう。山県有朋については、今に残るほっそりした白髪の肖像のイメージばかり。この庭に彼の心があるのだろうが、茫洋としているばかりだった。
だが、わからないなりによかった。飄々として自然だった。
あたりがつよければ良い庭というわけではない。
それにしても維新以降の日本の歴史、政治についての教養は今年の課題だ。
南禅寺から細見美術館に行こうと思って歩いていたら途中に無鄰菴というところがあって寄った。なんでも山県有朋の別荘ということで、その庭園が名勝になっているこいうことだった。
何気なく入ったが、植治の庭だった。
明治以降の庭をとりとめなく感じるのは、明治以降の庭についての教養がないからだろう。山県有朋については、今に残るほっそりした白髪の肖像のイメージばかり。この庭に彼の心があるのだろうが、茫洋としているばかりだった。
だが、わからないなりによかった。飄々として自然だった。
あたりがつよければ良い庭というわけではない。
それにしても維新以降の日本の歴史、政治についての教養は今年の課題だ。