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言無展事

徒然に禅語など。

おもひ

2008年03月08日 03時51分44秒 | 
ここのところ些事に追われて本も読まない。

しかしなんだかよくわからないが何か言葉を思い出しそうで、思い出せず、数日の間放っておいた。
だが今日、突然思い出した。閃いたと言った方が近いかもしれない。
思い出したと言っても、どんな言葉だったかはちっとも思い出せない。
ああ、八木重吉だと、それだけがわかった。

家にちくま文庫の八木重吉全詩集があり、これ以上のものはかつて読んだ記憶はない。
だからこの中にあるのだろう。
なぜか『貧しき信徒』ではなく、『秋の瞳』の中にその言葉はあるような気がした。
早速はじめから捲って文字を追い、それを探した。

果たしてあった。だが見つけてしばし放心した。これだ。

「「おもひ」

  かへるべきである ともおもわれる」

(八木重吉『秋の瞳』)

引用するのも難しいが、「おもひ」という題の一行詩である。
私が何かを思い出しそうで思い出せずにひっかかっていたのは、おそらく「かへるべきである」と「ともおもわれる」の2つの句の、それぞれ2音目と4音目を合わせることで作られる、音の妙だ。

しかしわかってみれば、今度は自分自身が謎だ。
なぜ、その仔細を覚えていない言葉の音の妙などを思い出しそうで思い出せない状態に陥るのか。
人間は認識は、言葉からその「音の妙」だけを全く切り離し、独立した情報として扱うことができるのか。

そしてなぜそれがここ数日なのか。その音の妙を連想させるような体験は、少なくとも身に覚えはない。
仮にそれがあったとしよう。例えば、私がそうと確かに認識せずに誰かが(もしくは自分が)、それぞれの2音目と4音目が同じ2つの句(とおぼしきもの)を発語するか、何かで読んだかしたとする。そんなことは日常でいくらでも起こりうる。
しかし、それによって無意識に自分では思い出せないこの言葉を連想し、脳内の奥底の記憶を検索し、答えに辿り着いたとして。
その作業に数日かかるとはなんたることか。

しかも。なぜ、よりにもよって、「かへるべきである ともおもわれる」なのか。
私は全くの無意識だったが、もしこれが「音の妙」の連想に仮託した、私の深層意識や「人生の智」からの何らかのメッセージだったとしたら?これは難題だ。
どこに?と問うことはもちろん、この微妙な統語の意味合いを自分に引き寄せて解釈するなど、余程の体力が必要だ。

冗談が過ぎてきたが、さらに言うなら。
私はなぜこの言葉をみつけられたのか。
なぜその言葉を思い出せぬまま、八木重吉だと思いあたったのか。
この詩の「へ」と「も」がふたつずつあるのを見て、ああ、自分が思い出しそうで思い出せずにいたのはこの音のことだ、と思ったのは確かだ。
しかしそれ以上に、ああ、あった、と思った。
きっと私は確かに音から連想して、しかしこの言葉そのものを探していたのだ。
だとしたら、なぜ?

「かへるべきである ともおもわれる」

私はしばし放心した。

おかしな記事になってきた。
しかしこれも確かに私が生きている、言語体験の現在である。



八木重吉全詩集〈1〉 (ちくま文庫)
八木 重吉
筑摩書房

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必敗者

2007年10月27日 02時35分10秒 | 
「今年も自分自身との死闘を演じる茶番の季節がやってきた。」
なんのことやらだが、どこかに書き残したいと思った。語呂の妙でもお楽しみ頂きたい。

こんな気分には恒例、鮎川信夫氏とばかり全詩集をペラペラ捲ってみたところ、これが難しい。
あまりにぴったりなものは、笑えなさすぎておいそれと引けない。
なので、笑えない程度がそれほどには深刻でないという理由で、名作「必敗者」の最終連を引こう。

「ところで 日本の社会の日陰を歩む
 われわれのコーネリアスは いまどこにいるのだろう?
 制度の春を病むこともなく 不確定性の時代を生きて
 自殺もせず 狂気にも陥らずに
 われわれのコーネリアスはどこまで歩いていけるだろう?
 口誦さむ一篇の詩がなくて!」

(鮎川信夫「必敗者」より)

いや、これはまずかったか。実はここが急所だという可能性もある。
だが本来必敗者であり、且つ必敗者を演じ、尚且つその結末が必敗であるとしたら、それは表面上喜劇であろう。
氏がなくなって21年、口誦さむ一篇の詩が無いまま、われわれのコーネリアスはどうしているだろう。

木原孝一

2007年06月19日 01時37分48秒 | 
久しぶりに会った古い友人と、木原孝一氏について話した。
長くひとりで詩をやっていると、誰かとこの詩人について語る、その稀有さは身に沁みる。
その玉砕の直前に硫黄島の土を踏んだ建築家。
戦争と、死と、生ばかりを書いた。

久しぶりに読み返したら、現代詩文庫の未刊詩篇に「ちいさな橋」という詩を見つけた。
最後の2連を引く。

「夕暮れの赤外線のなかで
 私は過ぎゆく瞬間と来るべき瞬間に橋を架ける
 理由もなく
 うなだれて歩くひとの愛と憎しみのあいだに橋を架ける
 そしていつかは
 人間と人間とのあいだに 時と場所とのあいだに
 どんな暴風雨にもこわれない橋が完成されるのを夢みる

 生まれたそのときから
 このことだけを考えて生きてきた
 この世界に橋を架ける できるだけ多くの橋を架ける」

(木原孝一「ちいさな橋」より)

まさしくそのようであった彼の詩業を、わたしたちは忘れ去っていくのだろうか。


師走が暮れる。

2006年12月28日 23時59分39秒 | 
師走が暮れる。来し方行く末。
しかし、“わたくしはかくの如く生きている”と言うばかりも詰まるまい。
誰のものでもない(しかし誰かの所有でしかあり得ぬ)明くる年に向け、言葉を選ぶ。

「くりかえし、たとえ私たちが愛の風景を知っていようと、
 また嘆きの名前をつらねた小さな墓地を、
 他の人々の命果てた、恐ろしい沈黙の谷間を知っていようと、
 くりかえし私たちは二人して古い樹の下へ
 出かけ、くりかえし花たちの間に
 この身を横たえよう、空に向かって。」

(ライナー・マリア・リルケ「くりかえし、たとえ私たちが」高安国世訳)

ただ過ぎ去るために

2006年11月16日 00時46分44秒 | 
冬の初めの透き徹るような深い青い空を見ると、例年なぜか黒田三郎氏の詩が読みたくなる。特に冬の初めの詩があるというわけではないのだけれど、何かの条件反射だろうかと思う。
高校生の頃、学校の近くの古本屋で学校帰りに立ち読みした、氏の「渇いた心」の初版本が懐かしい。ちなみにその初版本、一万四千円ぐらいだったと思う。。変なところにドキドキして、そんなわけで印象が深い。無論購入できるわけがなく、手元にあるのは著作集の全詩集だ。
その頃、この詩人の詩に自分が何を読んでいたか、もはや朧げな記憶しかない。でも、乾いた美しさが冬の初めの空に似ている。


 「過ぎ去ってしまってからでないと
  それが何であるかわからない何か
  それが何であったかわかったときには
  もはや失われてしまった何か」

 いや そうではない それだけでは
 ない
 「それが何であるかわかっていても
  みすみす過ぎ去るに任せる外はない何か」

 いや そうではない それだけでは
 ない
 「まだ来もしないうちから
  それが何であるかわかっている何か」」

(「ただ過ぎ去るために」の一部を引用。黒田三郎著『渇いた心』より)

なるほどこういう想念はここで徹底的に叩き込まれたのだなと、今読み返すと思う。



全詩集 (黒田三郎著作集)
黒田 三郎
思潮社

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友よ

2006年11月01日 00時51分41秒 | 
他の言葉を探して昔友人が出した本をペラペラめくっていたら、ナナオの詩が引用されていて、思いもかけず涙が出た。日常で思わぬ不意打ちを食らうことばかりの日々、今日も豊饒な言葉の海を泳ぐ。

「友よ

 よかれ あしかれ
 なるようにしか
 ならなかったことは
 かつて ない

 だから 友よ

 なやむより 歩け
 歩くより 走れ
 走るより 飛べ
 飛ぶより 眠れ

 友よ」

(『ココペリ』サカキナナオ)


ココペリ―人間家族・特別号
ななお さかき
人間家族編集室

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無防備な文明

2006年10月18日 02時58分38秒 | 
「 自ら明らかなことにも 悲しいかな 認めようとしない者があり
  黙って背中を向ける者もいる それにはそれの
  臆病な政治的理由があり 小さな幸福をほんの少し長引かせるための
  いじけた打算がある わざわざ危険な対立に足をふみこんで
  災厄を招くことはない 他人の災難に
  知らんふりしたところで投獄されはしない
  しかし 利己的で 近視眼的で 無防備な文明のなかにいて
  ぼくたちはどこまでその小さな幸福をまもれるだろうか?」
(鮎川信夫「Solzhenitsyn」)

 詩人鮎川信夫氏が、1973年のソルジェニーツィンの「世界へのメッセージ」を読んで書いたという「Solzhenitsyn」の一節だ。
 氏が亡くなってちょうど20年、相変わらず一部の人間の私欲のために無辜の人間が死に、国と国は争い、人間性は不当に扱われている。当時よりもさらに利己的で近視眼的で無防備になったと思われる文明の中にいて、臆病さやいじけた打算ばかりで、私達はどこまでこの小さな幸福を守れるだろうか?

勾配

2006年04月15日 03時14分08秒 | 
先日、友人と何かの話の流れで(私がそうしたには違いない)戦前の森川義信という詩人の話になり、それ以来、かつてよく読んだその詩人とその周辺の詩人達とにはまっていた。あまりにマニアックで共有できる友人もいなく、それらの詩との付き合いはかつて私にとってたった一人の、密室の青春だった。誰にもそういう秘密に似た甘い記憶があるに違いない。

今になってそれらを、その時と同じように感受できるか。そういった問いが古来繰り返されるのは、畢竟その答えに普遍性を付加し得ないからだ。だがその詩群とそれに対する私という一回性の現象に限って言うと、それは可能だった。
つまり要約すると「今読んでもやっぱり良かった」というだけのことなのだが、ややこしく言っているのは単に照れているのだ。

「勾配

 非望のきはみ
 非望のいのち
 はげしく一つのものに向かって
 誰がこの階段をおりていつたか
 時空をこえて屹立する地平をのぞんで
 そこに立てば
 かきむしるやうに悲風はつんざき
 季節はすでに終わりであった
 たかだかと欲望の精神に
 はたして時は
 噴水や花を象眼し
 光彩の地平をもちあげたか
 清純なものばかりを打ちくだいて
 なにゆえにここまで来たのか
 だがみよ
 きびしく勾配に根をささへ
 ふとした流れの凹みから雑草のかげから
 いくつもの道ははじまってゐるのだ

(森川義信)」

森川義信がこの詩を書いたのは22歳の時で、24歳でビルマで戦病死した。気付いたら、私ももうその年齢を超えている。




森川義信詩集 (1972年)
森川 義信
母岩社

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切願

2005年10月18日 02時14分31秒 | 
「切願
 
 欲する処にしたがい
 欲する時に
 欲するように死ぬ
 こののちは訪うべくもないゆえに
 たしかな消息という
 無縁のいのちを
 どこにもない場所に預けにいく
 なにげなく交信した
 あれが最後の挨拶になったと
 この世の外で呟くように

 鮎川信夫『難路行』)」

「欲する処にしたがい、欲する時に、欲するように死ぬ」の「死ぬ」とは、詩作をやめることだとようやくわかった。詩作とは、「たしかな消息という、無縁のいのちを、どこにもない場所に預けにいく」ことだ。鮎川氏は亡くなる数年前に、その切願を果たした。
氏が亡くなって、ちょうど19年。




詩集 難路行
鮎川 信夫
思潮社

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シモーヌ

2005年04月29日 00時28分06秒 | 
今日、本を整理していて、偶然シモーヌ・ヴェイユの評伝と
中桐雅夫の詩集が同じ山にあるのが目に入って、
そういえば中桐氏にヴェイユを扱った詩があったと思い出し、読み返した。

「シモーヌ

 何年かまえから机の引出しの奥にある
 一枚のメモ用紙が捨てられない、
 その黄ばんだ紙切れにはただこう書いてある、
 「シモーヌを借りていきます」と。

 それは結婚したばかりの娘の字だ、
 泰子もシモーヌを読むようになったかと、
 そのときわたしは感慨にふけったのだ。
 泰子もいまは三人の子供の母だ。

 母親とその父親が読んだシモーヌ・ヴェイユを、
 子供たちもまた読むようになってくれるといい、
 シモーヌ、あなたの名前のやさしい響きは
 耳ある人の心を慰めてくれるから。

 だが、あなたはこういっている、
 「愛は慰めではない、それは光である」と。

 (中桐雅夫『会社の人事』)」


「シモーヌを借りていきます」
心地良い響きだ。柔らかく品位を持ち、闊達としてさえいる。



会社の人事―中桐雅夫詩集
中桐 雅夫
晶文社

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