

今朝も母子とも少し寝坊。朝ごはんはバターブレッツェルにサラダ野菜とシャウエッセンにしました。
【日曜美術館】は今年亡くなった染色家・柚木沙弥郎さんの特集。氏と孫以上の年の差を超え、10歳から12歳までペンフレンドとして交流を続けた少年についても大きく取り上げられました。その少年が、柚木さんが亡くなって初めて日本民藝館を訪れ、その作品に間近く接する様子も。個人的には、昨日のアド街の駒場特集に今日の日曜美術館と、先日訪れたばかりの民藝館が二日続けて映し出されたことが、ちょっと嬉しかったです。
事情により洗濯に取り掛かるのが遅くなりましたが、昼過ぎには外干しも終えて、自宅に帰る息子と共に駅前まで出かけました。今日は陽射しが強く、半袖Tシャツに薄地の七分袖シャツブラウスでも暑いくらいでした。後で知ったところ、日中の最高気温は24℃くらいまで上がったとか。
息子が去る前に一緒にお昼を食べようと、久しぶりにインド(ネパール?)カレーのお店に入りました。頼んだのは二人とも日替わりランチのナスとチキンのカレー&ナン。サラダ&ドリンクセットで、ドリンクは二人ともラッシーにしました。今日くらい暑いとカレーが美味しいですね。しかし家にスマホを忘れて来たため、写真が撮れず残念です。
食後、息子を駅前まで見送った後、自分はスーパーに戻って買い物してから帰りました。
先述の通り今日は暑くて、着て行ったものも汗びっしょりになったので、帰宅後洗濯しました。日が短くなってきたため、午後からの外干しでは乾きにくいのですが……
洗濯の後は、しばらく横になって休みました。この二日間で意外と疲れた感じです。
息子は夕方には自宅に着いた模様。しかし紛失物(落し物?)は見つからなかったそうです……
晩ごはんは、まだ残っていた牛丼の具に買って来たキムチを載せてキムチ牛丼にしました。牛丼もこれでやっと片付きました。
食べながらEテレで【ふるカフェ系ハルさんの休日】を視聴。【ネコメンタリー】を挟んで(今日は有栖川有栖先生!)【ソーイング・ビー7】の再放送も観ました。
シャワーの後は大河ドラマ『光る君へ』視聴。
三条帝の体調はいよいよ悪化。そんな中でも娘・媞子内親王を左大臣道長の嫡男・頼通に嫁がせようとするなど、左大臣とも攻防は続く。頼通自身はこれを拒否。愛する妻の隆姫と引き離されるくらいなら、自分は地位も身分も捨て、隆姫を連れて都から出て二人で生きてゆくとまで言う。かつては道長ならぬ三郎も、まひろと二人きりで生きていきたいと思いつめたことがありましたね……
ともあれ道長は、頼通は亡き伊周の悪霊の取り憑かれて重病に、などと偽りの噂を流してまで、その話を反故にした。
使えるものは伊周の怨霊でも使おうとするなど、なりふり構わぬ道長は、娘である中宮姸子の子(つまり孫娘)禎子内親王や末娘の嬉子もいずれは入内させることを目論んでいた。
三条帝は実資の進言に従い、敦明親王を東宮とすることを条件に、ついに譲位を決断。皇太后彰子の子である敦成親王が9歳にして新帝となる。後の世に言う後一条天皇である。即位の礼に際し、幼い帝のすぐ近くに控えるのは摂政となった外祖父の道長。彰子も国母として堂々たる佇まいを見せる。
しかし左大臣の上に摂政にまで任じられては、道長に権力が集中し過ぎる。多くの公卿がそう感じる中、左大臣を辞すべきと苦言を呈したのは公任であった。そう言ってくれるのは親友ならではのことですよね。
三条帝にさんざん譲位を求めた自分が、今は道を譲ることを求められている。その苦しい胸中を、いつものように藤式部ことまひろにこぼしに来る道長。自らの人生に虚しさを覚える道長に、まひろは次の世代にも思いや理想は伝わってゆくと伝える。
そんな二人の様子に「藤式部が男ならば、あなたの右腕になったかもしれませんわね。ウフフフフ」と笑う倫子様がやっぱり怖いです……その一方で倫子様は、道長の栄華を後世に伝える物語(伝記?)も書いてほしいと藤式部に依頼するのですが。しかし式部が得意とするのは、あくまでもフィクションの物語ですからね。
ともあれ道長は摂政就任から1年ほどで、その座を頼通に譲る。摂政に加えて内大臣にもなった頼通は、結局は「家の方針」に従うように、妹の威子を帝に嫁がせることを画策する。まだ10歳の帝に嫁ぐことに抵抗を示す威子だったが、母・倫子の説得などもあり、ほどなくして入内した。
その後、三条院が皇后娍子と東宮である敦明親王に看取られて崩御する。東宮時代が長く、即位してからも左大臣道長との政争に翻弄され続けた不憫なお方。最愛の皇后が最期まで寄り添ってくれたのがせめてもの救いです。
後ろ盾のなさと先行きに不安を覚えた敦明親王は自ら東宮を辞し、新たな東宮として彰子の次子である敦良親王が立てられる。後の後朱雀天皇である。
かくして、太皇太后彰子、皇太后姸子、中宮威子と、三后を道長の娘たちが独占。土御門殿で祝宴が開かれることとなる。今は「太閤」と呼ばれる道長が、この世の栄華を極めた瞬間であった。
「父上と兄上以外、めでたいと思っている者はおりませぬ」
と言い放つ姸子、そして威子の表情は、祝いの席に於いても冷ややかなものだったが、頼通に教通という息子二人は舞(青海波?)を披露して父を祝し、実資は道長に歌を詠むことを勧める。
そうして詠まれたのが——
このよをば わがよとぞおもふ もちづきの かけたることも なしとおもへば
ツイッターでも「来るぞ来るぞ」「キター!」の流れが盛り上がりました。
返歌を求められた実資は、このような歌に返せる歌などないとして、全員でその歌を唱和することを提言。集まった公卿たちは何度もそれを繰り返す。
以上のことは、そしてこの歌そのものも、実資殿の『小右記』に記録されています。道長自身の『御堂関白記』に言及はないということなので、それが後世に残ったのは、ひとえに実資殿のおかげです。
「このよ」は「この世」とされることが多いけれど、「この夜」でも成り立ちます。どちらにしても、一族より三后並び立ったことを喜ぶ歌と解釈されます。
唱和しながら苦り切った顔をしていた一部の公卿たちにとっては、「この世」を我がものとした権力者のおごり高ぶった自賛の歌であり、後世の一般的な解釈もおおよそその線です。
しかし、ちらりとまひろに視線を投げかけて微笑む道長の姿が、まひろの目にはキラキラと輝いて見えていた。その時ふたりが思い描いていたのは、かつて結ばれた時に見えた「あの月」だったかもしれない。つまりそれは、あの夜からふたりの愛は何も欠けることがないという三郎の告白であり、少なくともまひろはそう解釈した——ネットを見ていると、そういう見方も多いようです。
視聴者の解釈は更に様々で、栄達にどこか虚しさを感じる彼の辞世の句に等しいものだったのかもしれない、という説も見ました。
自分は大河ドラマ『平清盛』に於ける、検非違使別当として一門の汚れ仕事を負う平時忠(森田剛さん)の苦渋に満ちた「平家にあらずんば人にあらず」を思い出しました。望月の歌が同様に苦いものだというのではなく、一般的に受け取られているのとは別の思いを載せてきたという意味で。栄華を自賛するのではなく、どこか諦念めいたものも感じましたし。
思えばここ何週かの道長は、実の子である頼通や娘である中宮姸子にまで反発され、腹心の行成にも去られかけ、実資からは真正面から批判され、親友の公任からさえ苦言を呈され——権力を増すほど栄華を極めるほど、虚しさが強くなっていたように見えました。
この後、道長は、と言うより「まひろと三郎」はどうなってゆくのでしょう?
まひろの身近なところでも、父・為時が出家の決意を述べるなど変化がありましたが、次回予告を観てびっくり!なんと周明(松下洸平さん)の姿が!いえ、いずれ再登場するだろうと思ってはいましたが、その場所は大宰府なのか都なのか……まひろとも当然再会しますよね?
そしてまひろの娘・賢子もついに宮仕えを始めるようで、実の父である道長とどのように顔を合わせるのか気になります。
大河の後は【クラシック音楽館】。尾高忠明指揮によるチャイコフスキー特集。チャイコフスキーはやはり好きです。
更にその後は『坂の上の雲』再放送。アメリカに留学した秋山真之はかつての恩師高橋是清と再会。ともにナイアガラの滝を見に行くなどする中で、「アメリカ」が行なってきた先住民への収奪や虐殺、差別の歴史をも知ることとなる。
ロシアに渡った広瀬武夫は、貴族令嬢アリアズナと知り合い、恋仲に。そしてかつての2ch民やツイッター民が皆さん大好きだったボリスくんことボリス・ビルキツキー氏も登場しました。
そして東京・根岸に於いて、正岡子規はますます悪化する病状の下でも短歌や俳句への情熱やまず、創作活動を続け——
次回はいよいよ日英同盟締結の模様です。
それにしても——
『光る君へ』の頃に千年紀を迎えた日本が、その900年後には、当時は国家として存在さえしていなかったアメリカの歴史を知り、当時は存在も知らなかった英国と同盟を結び、ロシアと戦おうとしている。そう考えると、何か途方もない思いに駆られます。歴史とは過去の集積ではなく、生きて動いてゆくものなのですね。
日付けが変わってから【地球ドラマチック】の、本放送では観られなかったナスカの地上絵特集も流し見しました。新たな発見が増えるとともに、まだまだ判らないことだらけの古代ペルー。興味は尽きません。