
メル・ブルックス脚本・監督による映画(1968)を、ブルックス自身の脚本及び作詞作曲でミュージカル化(2001)、舞台はキャストを替えつつ現在もロングラン公演中、そして再びスクリーンに…という経緯の映画。
以下、感想は基本的にネタバレです。
しかし、これについての感想は、一言「面白かった!」で事足ります。
最低プロデューサーが小心の会計士の入れ知恵で、出資者に配当金を払わず丸儲けを画策、一晩でコケる最低なショウを製作すべく最低脚本、最低演出家、最低出演者を集めるが…という設定だけでも笑えますが、その最低な人たちが、最低と言うより個性豊か(過ぎ)でキョーレツ!
なんでこんなヘンなヤツばかり集まって来るんだ…と嘆くプロデューサーのマックス(ネイサン・レイン)だって、もちろん十分ヘンで最低です。
ティム・バートン監督の傑作映画『エド・ウッド』と通じるものもありますが、最高を目指しつつ最低映画を連発したエド・ウッドと異なり(あの映画はそこに悲哀を感じさせたのですが)、最初から「最低ミュージカル」を作ろうとするマックスはもっとたちが悪い。
ペーソスなんて吹っ飛ばす勢いで、とにかく奇人変人満載。差別すれすれと言うより「意識して」差別的なギャグも連発。
老婦人たちの歩行器ダンスとか、ロジャー&カルメンカップル周辺の人たちが、絵に描いたようにあらゆるタイプのゲイを網羅してたりとか(もちろんこのカップルは十分チャーミングですが)、とにかくベタで悪趣味なシーンや描写も、そう言われるのは承知の上のことでしょう。
そもそも問題の最低ミュージカル、転じてヒット作となってしまう『春の日のヒットラー』。メル・ブルックス自身や最初の映画版の主役ゼロ・モステルがユダヤ系であることを考えると(ジーン・ワイルダーはどうでしたっけ?)、その毒気としたたかさには感心します。
だからメル・ブルックス映画は、クド過ぎベタ過ぎ悪趣味過ぎということで、「日本人受けしない」と言われて来たんですよね。しかし、『プロデューサーズ』が成功したのは、それがミュージカルだから、つまり予め「作り物」であることを前提として、観る側もワンクッション置けるからかも知れません。
重要なのは、劇中作『春の日のヒットラー』というミュージカルが本当に魅力的だということ。もしこれを実際に上演するなら観てみたいと思うほどです。
このシーンや、レオ(マシュー・ブロデリック)とウーラ(ウマ・サーマン)のダンスシーンにMGM黄金時代のミュージカル映画へのオマージュがこめられていることは、パンフその他でさんざん言及されているので繰り返しません。
更に重要なのは、このベタでおバカで悪趣味な映画が、実に幸福感あふれるミュージカルであるということです。
数々のナンバーは、本当に美しく楽しく、そして出て来るのはバカでヘンで最低な人たちばかりですが、作品の根底には「人間」というものへの愛情と信頼がきっちりと感じられます。
裁判のシーンからラストにかけては、笑いではなくて涙が止まりませんでした。
上述した「いかにも」ゲイな人たちをクドく描くことで、(性的には)ストレートな男同士の深い愛情と信頼が際立つという手法は、『春の日のヒットラー』にも通じるかも知れません。もちろん『ヒットラー』は意図せずして「ヒットラーをおちょくった傑作ギャグ・ミュージカル」になってしまった訳ですが。
あちこちで、エンドクレジットは絶対最後まで観なきゃダメと言われていたので、その言葉に従うことにしました(それでなくとも、途中で席を立つことはまずありませんが)。
バックに流れるフランツ(ウィル・フェレル怪演!)の歌の詞と「ひと言」がひでえ!と笑いつつ終わりまで観ていると、楽しいカーテンコールが始まります。
ああ、そう言えば、珍しくもプレス試写会で拍手が巻き起こったと聞いていたなあ…と考えていたら、最後の最後に嬉しいおまけが待っていました。
ネタバレ→そう、この作品の「真のプロデューサー」氏がお顔を見せてくれるんです!ここまでされたら何も文句はありません。
それにしても、平日朝イチ上映で観たのがいけないのかも知れませんが(その条件を考えるとむしろお客ははいっていた方かも)、やはり満場のお客さんと共に拍手して見終えたかったなあ…とも思いました。
公式サイト
エンドクレジットネタが笑えます。本当にあそこにリンクしてるよ!

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フラッシュが楽しい。