

今日はまあまあ晴れ。外出はせず、朝から洗濯に励みました。
起き抜けにはあまり食欲がなかったけれど、昼と夜はちゃんと作って食べました。缶詰や冷凍しておいた野菜、魚などがあると便利ですね。
後は少し読書。それも未読本ではなく、以前買ったものを何冊かパラパラと読み返したりしています。ここ何日かはポーや上田秋成の『雨月物語』及び関連書など。自分の原点は結局このあたりなのだと思います。
夜は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。サブタイトル「帰ってきた義経」。
先週ラストで義時が忠告したにも関わらず、流浪の末、結局奥州の秀衡の許へ辿り着いた義経。
「平家を倒したのはおまえだ。ようやったぞ九郎!」
と称賛する「御館(みたち)」こと秀衡の前で、やっと涙を流すことができました。本当は兄・頼朝にもそう言って褒めてもらいたかったんですよね。ほどなくしてその秀衡も世を去り、残された国衡・泰衡の間には内紛の兆しが……
田中泯さんの身のこなしの美しさにも見とれてしまう秀衡の最期でした。
一方、義経が奥州へ逃れたと知った頼朝は、奥州藤原兄弟の不仲を利用して泰衡に義経を討たせ、更に「義経を討った」ことを理由に平泉を攻めることを画策。しかし泰衡には、妻子と共に畑仕事などして平穏に暮らす義経を討つ意志はない。そこで、工作員として送り込まれた義時が、彼らをそれぞれ焚きつけることとなるのですが、この時、梶原景時の推薦によってアサシン善児を伴うのが更に不穏さを増幅します。
頼朝への謀叛の意志などない義経に、鎌倉で愛妾・静の身に起きたことを伝える義時。
義経の子を身ごもり、自身や子供に危害が及ぶことを避けるため、自分は静御前ではないと言う彼女を、政子と実衣姉妹も全て承知の上で逃がそうと考えますが、比企能員の妻であり義経の正妻・里の祖母でもある道からの侮辱を受け、「静御前」として頼朝の前で舞を披露することに。初めはわざと下手に舞ってみせた静ですが、都一の白拍子として、また義経が愛した女性としての意地と誇りから、かの有名な「しずやしず」の歌と共に見事な舞を見せるのでした。
この舞に至るまでの経緯や動機を、吾妻鏡や平家物語ほか様々な伝説とは微妙にズラしているのが面白かったです。しかし、生まれたのが男児であったため由比ヶ浜で殺害されてしまうくだりは、無情にも描かれます。手を下したのは、その時はまだ鎌倉にいた善児……
その後、静は姿を消し、美濃国・青墓(『平清盛』ファンにもお馴染みの地)に流れて遊女となったようだ——と義経に聞かせる義時。その夜、怒りに任せて畑の案山子を叩き斬る義経の様子を物陰から窺い、義経と国衡に謀叛の心ありと泰衡に吹き込みます。それでも討伐を躊躇する泰衡ですが、鎌倉殿に楯突く意志はないと証明するには義経の首級を渡すしかないと迫られ、ついに重い腰を上げることになります。
同じ頃、義経の正妻・里は「こんな所で死にたくなかった」という話から、土佐坊を使って堀川夜討をさせたのは自分であり、すべては静への嫉妬と憎しみによるものだったと告白。夜討ちが鎌倉からの命令ではなかったことを知った義経は、怒りのあまり里を刺してしまうのでした。しかし大方の視聴者の解釈では、彼女は夫の手にかかることを自ら望んでこんな挑発をしたのだろう、と——
この後、義経は幼い娘をも手にかけたようです……
泰衡の軍勢に取り囲まれる衣川館。しかし義経は、秘密の抜け道(?)を使って義時を呼び寄せていました。義時が静の話を聞かせたのは義経の憎しみをかき立てるためだということ、それが兄・頼朝の命令によるものだということも、義経は既に見抜いていたのです。
「自らの手を汚さず泰衡に討たせる。いかにも兄上がやりそうなことだ」
その上で「この首で平泉が守れるなら本望だ」と、自らの運命を受け入れる義経。
館の周囲に仕掛けた罠や、武蔵坊弁慶(義経と弁慶のやりとりだけが和みポイントでした)の奮戦によって時間稼ぎをする間、義経は自ら編み出した完璧な鎌倉攻め作戦図を義時に示し、その攻略法を嬉々として語り聞かせます。
海の守りのためには三浦義村を大事にしろということ、この作戦を梶原景時に見せてほしいということ(彼ならその真価をきちんと理解してくれるから)を伝える義経。都で鬱々としていたり、平泉で畑仕事をしたりしていた姿とは違う、「戦さの申し子」としての煌めきを取り戻したようなその姿や口調、菅田将暉さんの演技が見事でした。
そしてこの鎌倉攻略作戦、実はそれから約150年後の新田義貞による鎌倉攻めの道筋そのままなんですね。後で知ったことですが、鎌倉幕府が滅亡したのが、旧暦5月22日なのだとか。大河ドラマの傑作『太平記』もまた観直したくなりました。
やがて、義経の首が立派な黒塗りの首桶で鎌倉に届けられます。義時に託した鎌倉攻略図も景時の手に渡り、義経の思った通り、景時はその見事さに感服するのでした。
周囲に御家人たちも政子もいない場所で、ひとり首桶を前にする頼朝。
「九郎、よう頑張ったな」
と語りかける言葉で、観ているこちらの目からも一気に涙が……
「さあ、話してくれ」
一ノ谷や屋島、壇ノ浦での武勇伝を聞かせてくれと言いながら、兄は弟の首桶をかき抱き、頰ずりして
「九郎、九郎、すまぬ……!」
と慟哭するのでした。
「帰ってきた義経」とは、首だけの姿になって鎌倉に、そして兄の許に帰ってくるということでした。
それぞれの立場や状況のため、最後まで共に手を携えて進むことのできなかった兄と弟。ひとりきりになってやっと、弟への真情を文字通り吐露することができた兄。頼朝と義経に於て、これほど悲しく胸に迫るすれ違いが描かれたことは、かつてなかったのではないでしょうか。
しかし——このたびの衣川館の戦いでは、弁慶の立ち往生も義経自身の最期も描かれてはいませんでした。あの「抜け道」と言い、弁慶が僧衣の下に板状の防弾ならぬ「防矢」鎧をがっつり身に着けていたことと言い、もしかして主従共に何処かへ落ち延びたのでは?という可能性も、あえて残してくれていたと思います。海を越えて北海道へでも、それこそ大陸でも。
ところで、小四郎と八重さんの館には今や託児所のごとく子供たちが集まっていて、もはや誰が誰やら……戦さで孤児となった子たちも多いのでは?と推測されていますが、その中で金剛くん(後の泰時)、いずれその正室となるであろう義村の娘は、ずいぶん大きくなっていました。大倉御所に於ても、頼朝の子である大姫も万寿も成長し、大姫については父・頼朝が入内を画策するような年齢に達しています。しかし、木曾義高を喪った心の傷は今なお深く、先々のことを考えるとつらくなりますね。
次週予告では、北条時房(当時はまだ「時連」)も本役の瀬戸康史さんが登場するようで、この殺伐として悲惨な世界の中、ほぼ唯一の楽しみです。
大河ドラマの後はEテレで【クラシック音楽館】。若手演奏者特集で、バイオリンのHIMARIさんなど「若過ぎる」ほどですが、演奏は見事でした。