ラビッツ村の村長「らびっこ」

らびっこグッズをお届けしているピョン
夢はらびっこマークの身体にやさしい
商品を創ること

今日のまるちゃん

2022-06-16 00:09:02 | 日記

こんばんは。
ラビッツ村のまるちゃんは、ここ二日くらい
ぬいぐるみと遊ぶことを覚えましたよ。
仲間として迎えたのか?笑


一緒の姿で寝転ぶ姿が可愛くて!
写真を撮ろうとすると起き上がるので
なかなか撮れませんでしたが、やっと
撮れましたよ。

可愛くて可愛くて。

「ねえ、見て見て~」って言っているようです。
人間の子供も一緒ですよね。
なにか自分なりにできたときは親に見て欲しい
褒めてほしい、できたことを認めてほしい
それだけなんですよね。

子供は、子供らしく育ってほしいなと思う
今日この頃でした。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


幸運の白うさぎ「まるちゃん」

2022-06-09 13:19:58 | 幸運の白うさぎ「まるちゃん」

ラビッツ村では、三か月前から、幸運の白うさぎを飼いましたよ。

「まるちゃん」と言います。

まるちゃんは、最初は、550gでしたが、三か月で、1.4㎏までになり
すくすくと育っています。

セクシーポーズは、安心している証拠だそうですよ。笑

人も同じですよね。

安心安全な場にいることが心も自由でいられますね~。

そんな場づくりや商品・サービスの提供を、ラビッツ村は目指しています。


3度の奇跡で、今、生かされている!

2022-06-08 02:02:16 | 日記

ありのままの、自然な笑顔があふれる、社会を創り出す!
ラビッツ村のらびっこです。

前回、子供に恵まれなかったというお話をさせていただきました。

私は、3度の奇跡があり、今、生かされています。

一度目
私の父は、神風特攻隊に少年兵として志願した人間で
そのことを知ったのは、亡くなってから25年くらいたったときでした。
父とは、あまり仲が良くなかったこともあり、暖かな家庭というには
ほど遠かったので。

ですが、父が戦争に行ったことは知っていて赴任が鹿児島だったと。
あるきっかけがあり、帰省したときに母に、お父さんのことを
聴いたことがありました。

そしたら、お父さんは神風特攻隊だったということを知りました。
母にも当時のことは、あまり言わなかったそうですが、
少年兵として自ら志願して、あと二人目で特攻というときに終戦の
知らせがあり生き延びたと。

私は、その話を聴いて震えました。あと二人目で、、。
もしも、終戦の知らせが遅かったら、、私は生まれていないのだと。。
父とのことは、また書きたいと思います。

二度目は
私には年子の姉がいます。
姉が生まれてすぐに、また妊娠したそうですが、あまりにも近いので
中絶したのです。そして私が生まれた。
もし、その子が生まれていたら、私は生まれていなかったかもしれない。
というか生まれていないと言われました。
このことが親子の確執を生んだ原点ですが。笑


三度目
不妊治療をしたおかげで、卵巣の病気が見つかりました。
それまでもお腹の痛みを訴えても、なかなか病気が見つかりませんでした。
もし、不妊治療をしていなかったら、、見つからずに大変なことになり
今、、生きていたかどうか、、と言われました。

子供を二度お腹に戻しましたが、
その子たちは、生まれてはこなかったけれど、きっと、私をどうしても
この世に生かしておく必要があって、生かしてくれたんだと思っています。
二人の子供は、それが使命だったのだと、、、。

生まれてくるまでも奇跡、生かされているのも奇跡
そんな風に思うのです。
なので、人との出会いはもっと奇跡ですね。
出逢えた人とのつながりを大切に生きていきたいです。

そして、生まれてきたことに、生んでくれたことに感謝して、
「自分を生きる、生ききる、生き抜く」
そんな風に、ようやく思えるのです。

最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。


たかが着ぐるみ、されど着ぐるみ

2022-06-03 15:49:04 | 日記

こんばんは。ラビッツ村のらびっこです。

着ぐるみって、奥が深いという話をさせていただいても
よろしいでしょうか。

らびっこのママは、6年に及ぶ不妊治療をしましたが
子供に恵まれませんでした。

らびっこママからの言葉です。
ーーー
親戚、友達の中で、自分一人だけが子供がいない。。
この現実に耐えられず、子供がいない=ママになれない=お婆ちゃんにもなれない。
そう、子孫を残せないわけで、親戚中からのプレッシャーにも耐えられず
そもそも、子供がいない人生なんて考えたこともなく
生きている意味もわからなくなり、結構大変でしたよ。

街を歩いていても子供やママさんに逢うと悲しい。外にでたくない。
友達から子供がいるから幸せっていうことでもないよ。なんて言葉も
慰めにもならなかった。そもそもいたことがないのでわからないのです。

そんな時、仕事で、らびっこの着ぐるみをつくろう!と思い立ち
着ぐるみ「らびっこ」が生まれ、イベントに呼ばれるようになり
子供たちから抱き着かれて笑顔を見ていたら、、笑顔になり、
不自由だった心が自由になれたのです。

その時に、完全に吹っ切れたのです。
私は、子供は授からなかったけれど、大変な子育ては、申し訳ないけれど
みなさんにお任せすることにさせていただいて、自分は子供をサポートする側に
生まれてきたんだ!と。。自然にそう思えたのです。

着ぐるみって、たかが着ぐるみかもしれないけれど、本来の自然のままの
ありのままの自分わだせる唯一のアイテムかもしれませんね。
されど着ぐるみでした。

その後、着ぐるみ体験イベントとか開催したりしましたが、やはり
みなさん、子宮に戻ったみたい!とか、自分わだせた!なんていうお声を
いただきましたよ。

ちょっぴり、メンタル弱くなったなあと思う時は、「着ぐるみ」おススメです。笑
ーーーーーーーーー

ということで、、らびっこの中の人は、実はママ(笑)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



着ぐるみ「らびっこ」が生まれた理由

2022-06-02 10:31:31 | 日記

ラビッツ村の「らびっこ」は着ぐるみもあります。
なぜ、着ぐるみを作ったのか?

あれは、東日本大震災の時、、仕事が一旦全部止まりました。
それまでは、今もですが、ラビッツ村は、アンケートモニターを
全国に保有して、マーケティングリサーチにおける生活者(モニター)の
設定のお仕事をしています。

震災後に、SNSも流行りはじめ、モニターを保有しているたけでは
ダメだなあと思い、中小企業向けに、モニターの声を企業に届けて
商品企画をしたいと考え、商品ができたときに、販売促進のお手伝いも
一緒にできたらいいなあと思いました。

そこで、考えたのが、らびっこのイラストから着ぐるみが作れないか?
と思って着ぐるみ「らびっこ」が生まれましたよ。

東村山市の納豆メーカーとコラボして「こども納豆」が生まれました。
今は、残念ながら終売になってしまったのですが。復活したいなあと
考えています。

着ぐるみ「らびっこ」は、今では、東村山市のお祭りや療育施設の
子供たちに逢いにいったりしています。
しゃべるキャラクターになったので、子供たちとの会話を楽しんでいます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。